アイドルマスターの世界で、信仰対象としてアイドルを 作:だんご
これ全部で12000字なのですが、今日だけで10000字打てました。あれです、森瀬さん訳のナイア本が面白かったのが爆心剤でした。
早く新刊欲しい……。
それは、遠い昔々の記憶。
「あなたは────だれ?」
もう忘れてしまった、誰も覚えていない記憶。
周囲の誰もそれを知らず、それを体験した彼女自身も覚えておらず、何も起こっていなかったといっても良いかもしれない記憶の話である。
窓に映る影。
誰もいない部屋に聞こえる話し声。
鏡越しに見ても何も見えないのに、確かに後ろに存在する何か。
風にのって鼻に届いた心を震わせるような腐臭。
四肢の無い土を這う人型。
夕日を遮る巨大な蛇。
空を滑空する歪な虫。
そして───
「あ」
ひと目見ただけで、暖かな記憶も、辛い思いでも、希望を夢見た未来さえも、全て、全て消え去ってしまうような───
「あ、ああ」
赤くて───
「あぁぁぁぁぁっぁ」
燃えるように輝く───
「ああああああァァァァっぁぁっァァっぁぁああああああァァっぁぁ!!??」
三つの、目。
私の全てが壊れていく。心も、体も、そして記憶さえも。
最後に見えたのは歪んだ人の姿。それは大きく、小さく、高く、低い人だった。でも、もうその姿は見えない。
「あら、こんなに簡単に壊れてしまうなんて。いけないわ、これはいけないわ」
「大切に、丁寧に、長持ちをさせなくちゃいけないのに。私が壊したと知られたら、いったいなんてあいつらに怒られることになってしまうのう。大変よ、本当に大変なことになってしまうわ」
ぶちぶちと目の奥で何かがちぎれる音がした。ぐちぐちと目が泡立つ音がした。涙のように、目からどろりとした何かが頬を伝い、地面に流れ落ちていく。
「……いえ、よく考えてみたらおかしいのよ。なんでこんなに簡単に壊れてしまうじゃろうか?せっかく見つけたのに、せっかく拾い上げてあげたのに、どうして彼女はこんなに壊れやすいのだろうか?」
「そうそう、私は悪くはない。俺がちょっと、ほんのちょっと覗いてしまっただけでこんなことになるなんて。とても、大変に失礼なことだと思うよ」
叫び続ける声の裏に、まるで自分のものではないような、しかし確かに喉から飛び出る獣の声が重なる。
音の振動で喉が傷つき、声が声でなくなり、血を吐き出しても、歯が歯肉からこぼれ落ちても、深い沼のような喉から湧き出てくる声は尽きなかった。
「他にも遊んであげたいと考えている連中はたくさんいるのに、私がほんのちょっと挨拶してあげたぐらいで壊れてしまうとはね。せっかく期待したのになんて期待はずれなの」
ぼきぼきめきめき、体が鳴る。体の表面が隆起し、波打ち、そして破れて何かが飛び出していく。
体中の筋肉が弛緩し、糞尿が抑えきれずに体から溢れていった。
ああ、私の腕はこんなに長かっただろうか。私の足はこんなに短かっただろうか。私の心臓は、こんなにも大きな悲鳴をあげるのだろうか。
「でも、それじゃ可愛想よね。あまりにも可愛想だ。だから私がもっと丈夫な体にしてあげる。もっと丈夫な魂にして、もっと丈夫な心にしてあげようではないか」
「ゆっくり、ゆっくりお眠りなさい。悪夢を君はもう見ないじゃろう。だってあなたにとって、これからは悪夢は悪夢にならなくなるの。ちょっと疲れるかもしれないがね。とってもとっても楽しい思い出に早変わりだわ」
私が、私でなくなるような気がした。前世から繋いできた何かが、大切な何かが、より大きな黒いものに塗りつぶされ、全部全部わからなくなっていく。
私は誰だろう。僕は誰だろう。俺は誰だろう。
いや、そもそも、自分は……。
「だから、俺が、僕が、私が」
にんげんだったよね?
「あなたを丈夫につくりかえてあげましょう」
とても楽しげな声が聞こえた気がした。
若い女性のような、青年のような、壮年の男性のような、老婆のような、幼い子どものような。
それは、とてもとても楽しそうだった。
「え、韮崎メンタルクリニックがくるとか、マジで?」
「はい、そうです」
「……へぇ」
「……心さん?」
「うっそ、やったじゃん☆」
佐藤心は顔を綻ばせて喜んだ。
車のシートに深く身をうずめ、最近少しコリ気味になってきた肩を回していると、バックミラー越しになんとも感情が読めない目をしている女性プロデューサーと目があった。
俳優や歌手が多数所属する老舗の芸能プロ、346プロダクション。そこに心は第一級のアイドルとして所属している。
「あそこのスピリチュアルケアってすごい有名なんだよね☆個々に合った健康のためのアドバイスやトレーニング、メディテーションもすっごい効くって話だし、これは益々心もスウィーティーになっちゃう♪」
「残念ですが、新人アイドル、つまりシンデレラプロジェクトのみに診断が行われるそうです」
「おい、ちょっと待って☆」
心のキャラは独特であり、言ってしまえば普通のアイドルではない。
まず、346プロにアイドル部門ができたのは最近の話であるが、そのずっと前から「タレントや芸人じゃなくてアイドルだぞ☆」と頑なに言い続けたあたり、その押しの強く濃いキャラ性を見ることができる。
他にも「佐藤心」なので「シュガーハート」と名乗ったり、語尾を盛り上げたりキャピキャピしたりと個性てんこ盛り。かと思えば時には仮面が外れて地がでてしまったり、自虐ネタを入れるなど、見ていて楽しく面白く、下手に根性がある分なんというか見ていて癖になってくるのである。
「え、半端なくずるくない?え、めっちゃ羨ましいぞ、おい☆私も肩こりとか、ストレスとか、肌荒れとか診断してもらいたいんだけどなー♪」
「今回の韮崎メンタルクリニックの診断は、此方からのお願いが叶った形ではありません。あそこは政界・財界・海外でも人気が高い。かねてよりうちの事業部より連携や企画を打診されていたそうなのですが、たとえうちのプロダクションであっても中々お願いが通らないのです」
「うわー、346プロのお願いが通らないなんてヤバいなぁ☆え、じゃあなんでうちに来てくれることになったの?」
「私が聞くところによれば、向こうから新人アイドルのケアや、検査をさせてくれないかとオファーがあったようです。何でも最近の若い女性、それも芸能界を志す少女達を対象に、データをとっていきたいということでした。近年のアイドルブームの兆しにかけて、うちと同じくあちらも特別な視線を向けているのでしょうね」
テレビや映画などの映像コンテンツも手掛ける346プロには、魅力的な人材が数多く揃っていおり、社会への影響力も極めて大きい。
またこの346プロにおいては、よほどの才能と能力、そして運がない限りは中々日が当たることはできない。業界において他のプロダクションで活躍できても、346プロでは通用しないと言われることがあるほどに、346プロで活躍するためには高い力量が求められるからだ。
「346プロは今後、韮崎メンタルクリニックと友好的な関係を築くためにそれを受け入れたそうです。あそこと付き合っていくためには特殊なコネが必要となります。何より、クリニックが持つ独自のコネクションも魅力的です。346プロはケアや診断能力の信頼性、今後の継続的な関係の構築、そしてクリニックを通して得られる信頼と繋がりを重視し、うちの目玉であるシンデレラプロジェクトの面々を対応してもらうことに」
「くっそう、ならはぁともシンデレラプロジェクトに参加しちゃおうかな☆てか、よくよく考えれば、なんで新部門のアイドル部門で、私だけ今までプロジェクトに関わらせてもらってないの?いじめ、いじめなのか☆」
「違います、あなたの個性が強すぎることと、他の子たちとキャリアが合わないし立場が違いすぎるからですよ。アイドル部門のお局様にでもなりたいのですか?まぁ、心さんは26才なので、年齢差的には実質アイドル部門のお局様───」
「歳はやめろ☆いや、ほんと止めて☆」
しかし佐藤心はそんな346プロにおいても、他のものとは一線を画する大きな輝きを見せた。
その個性や持ち味を生かしてあらゆるメディア、特にバラエティで活躍。幅広い年代の人々からたくさんの人気を獲得したのである。
子供からお年寄りまで、男性女性という年代性差を超えて愛され、応援される芸能人は中々にいないものだ。
どちらかに傾けば、片方からは愛され、片方からは人気が得られないという話は往々にしてあるものである。しかし、心はその神の天秤のバランスに絶妙に対応することができている。
難しい話になってしまったが、簡単に言えば心が一人いるだけで番組や取材、解説が順調に回りはじめ、真剣な空気と柔らかな空気が整い、他の出演者達も自分の持ち味を生かし、最大限のパフォーマンスで行動していくことができるようになるというから驚きだ。
自身を目立たせる力を持った芸能人は数多くいたとしても、そこからさらに他人を引き立て、場を盛り上げていくことができる者は、芸能界であっても数えるほどしかいないだろう。
佐藤心はその一人である。しかも業界に入ってすぐに若くして彼女はその類まれなる才能を発揮して活躍していった。
そんな心に対して、会社は、芸能界はあらゆる優遇を行っていく。当然だ、金のなる木であり、業界を富ませるだけではなく、そこにいる人材の力を引き上げていく彼女を放っておくわけには行かない。
もし、心が「これがやりたいなぁ☆」と言えば、どんな仕事であってもそれは用意されるだろう。自分の番組を持ちたいと放送局に言えば、その番組が放送される前提に社内では会議が行われるだろう。
そして心はその期待に応え、多くの利益を業界にもたらしてくれるに違いない。
しかし、そんな心であっても中々得られないものはもちろんあるわけで……。
「うーん、346プロに拾われたのは幸運だったけれど、アイドル部門が入った時にはなかったんだよなぁ☆しかもじゃぁ辞めるかといったら、いつのまにか立場的に辞められなくなってるし……。結局アイドルになれたのはこの歳になってからとか笑えるよね☆……おいこら、笑え☆」
「笑ってクビを切られたら怖いので遠慮します」
「パワハラみたいな感じになっとるがな☆」
「これで本当にお局様になりますね」
「みっちぃのは冗談か分からないから、シュガーハートのハートがドキドキしてきたぞ☆」
「動脈に異常があるのでは?」
「年寄り扱いすんなー☆」
運転席にだきつき、席の合間から顔を出して、心は自分の目で運転しているプロデューサーをにらみ、そして笑いかけた。
それをプロデューサーは一瞥すると、「こちらも『お願い』して、特別にご対応いただきますか」と心に問いかける。
「ん、それはいいや☆」
「……よろしいので?」
「やっとアイドルになれたんだよ、プロジェクトの子たちは。だからさ、今回の縁を十分楽しんでも欲しいし、活用してほしいんだよね。韮崎メンタルクリニックに診察してもらえた、ケアしてもらえたってだけで、箔もつくし話題もつくれるし、良い経験になるじゃん」
「……そうですか」
「私の時にはそんなの無かった。本当にゼロから、どん底から、みんなに支えられて、服も自分で作って、鬱陶しがられながらもたくさんアピールして、同年代の子が経費で買えるものも全部私費で用意して……。そんでこの歳でようやく念願のアイドル部門に入れたわけよ☆下地だけいつのまにかバッチリの新人アイドルってね♪」
「……はい」
「貴重な若手の経験の場を奪ってズカズカ入っていくのは空気読めてないし、そんなのいけないよねぇ!やっぱりみんなには芸能界を、アイドルを少しでも楽しんで欲しいわけです☆だから、今回のはぁとはガマンガマン♪大丈夫、はぁとはこれまでもたくさん待ってきたんだから、まだまだ待てるってね♪」
「……めったにない心さんのワガママですから、346の方々は喜んできいてくれると思いますよ?」
あれだけいろんな仕事や役目を長年こなしているのだから、何かその恩を返したいと思っているプロダクションの人間は少なくはない。
この程度のワガママなど、そもそもワガママとして捉えられることすらないだろうに。
「我慢も慣れれば楽しいものだぞ☆ほら、石の上にも三年……いや、三年もしたら三十歳か。よし、ごめん、今の忘れよ?気持ち切り替えよう?」
楽しそうに、しかしどこか恥ずかしげに笑う心を見て、プロデューサーは硬い相貌を崩し、「そうですね」と短い相槌を打った。
問題も多い方だが、これほどに支えがいがある人はそういない。
「しっかし、急な話過ぎてなんか違和感?なにも起こらないと良いんだけどなぁ……」
「……心さん?すいません、車の音でよく聞こえなかったのですが」
「ひとりごとだから大丈夫だぞ☆」
白坂小梅は困惑を隠せないでいた。
彼女もまた、心と同じくアイドル部門のアイドルであった。13歳とまだ幼さを残す少女は、いつもと違う会社の光景に息を呑む。
視線をさ迷わせるも、探しものはみつからない。
会社に入ってから、エントランスでも、エレベーターに乗っても、廊下を歩いていても、彼らはどこにもいなかった。
どうしたのだろう、何かあったのだろうか。
いて当たり前だった存在の不在は、小梅の心をどうしようもなく不安にさせていた。
同僚であるアイドルは、そんな小梅の不審な様子に疑問を感じ、何かあったのかと問いかける。
「……あ、あの子が、あの子達がいないんです」
小梅が言う『あの子』とは、小梅以外がその存在を見ることができないものであった。
だからこそ、同僚のアイドルは小梅の言葉にどうしたものかと頭を悩ませる。
小梅はホラー映画が大好きなアイドルだ。おばけやクリーチャーが大好き、心霊系アイドルとして大人顔負けのトークを見せることもできる。
小梅はそのような存在を現実のものとして信じている。そしてそのような存在を実際に見ており、会話を交わし、友好的な関係を作り上げているようだった。
「ど、どうしたんでしょうか……。こ、こんなこと今まで一度も無かったのに……」
「うーん、あの子たちねぇ。私は見えないんだけど、今日はいないの?」
「は、はい。いつもは建物の外にもいるんです。で、でも今日はここらへんには誰もいなくなっていて……」
「なるほどなぁ、不思議なもんだねぇ」
だが同僚のアイドルからすれば、その話題はどうにも悩ましいものであった。
一つの作り話として話題に上げるのであれば、「お遊び」や「一種のノリ」として楽しんでいける。
しかし、現実のものとして、さも存在するかのように話題を展開されても、どうにもついていけないのである。
それはなんというか、あれだ、現実に即していない空想だからこそ魅力がある世界なのだ。彼女はそういうものを信じてはいなかった。
幽霊や化け物なんて、科学が発達した現代の人間からすれば非現実的なおとぎ話だ。
幽霊なんて自分は見たこともない。怪しい呪文で人が蘇ったりゾンビが出来上がるなら、俗な話だが大国や大企業がもっと大々的に研究して大きなお金に変えているだろうに。
地殻の下には地獄、空の上には天の国。西の果てには阿弥陀仏の浄土なんて宗教で言われていた時代もあったみたいだが、地殻を割っていってもあるのは地球の中心だし、空を上っていってもあるのは宇宙。西の果てだって目指しても一周して戻ってきて終わり。
当然、神なんて宇宙のどこを探しても、みつかってなんていやしない。
そういう話はよくわからない不安を形にして安心したり、生きる上での苦悩をそういう大きなものがあるとして耐えきる道として受け止める時代があったから生まれたものだと、彼女は歳に似合わない厳しいリアリストな視点で受け止めている。
それを本気で考えている同年代の人間、もしくは大人たちであれば自分は距離をとるのだろうが、目の前にいるのはまだまだ顔に幼さを残す子供。正義のヒーローにおばけ、サンタさんやらを信じている大人になりかけの子供なのだ。
故に、同僚のアイドルは困る。これ、どうしたらいいんだろうと困っている。
幼い精神の子供は、イマジナリーフレンドを無意識の中で作り上げたりするらしい。
小梅の言っている『あの子』とはそのような、大人になったら綺麗サッパリ忘れてしまうような、子供のときだけしか見えないお友達なのかもしれない。
それをずばっと言ってしまっては、なんというか、精神の成長やら心の安心やらに悪い気がしてくる。
幼い子どもに今考えているような事を言っても分からないだろう。
ある意味で言えば、そういう幻覚や幻聴を不安として受け止めすぎないためにも、安易な形で受け入れるためにも、不可思議な存在は現代においても必要性をのこしているのかもしれない。
故に、同僚のアイドルは否定せず、その言葉を受け入れて「あるもの」として考えることにした。
「みんなで旅行にでも行っているか、楽しいことみつけてどっかいってるんじゃないの?」
「……え?」
「ほら、ここらに毎日いるんならみんな顔見知りなわけじゃない?いつも同じところいても飽きるだろうし、知り合いのみんなで違うところで気分変えてさ、バーっと遊んだりしてるんじゃないかな?」
「……う、うーん。そうなの……かな……」
「また会ったら、何かあったのか聞いてみたら良いんじゃない?小梅は会話できるみたいだしね」
「……そう、ですね。……そうします」
「おっけ。ほら、そんなに気分落としてたら、『あの子』も心配してしまうでしょう?いつもどおり元気だして、また会ったら笑って挨拶しようって」
「……は、はい。あ、ありがとうございます……ッ!」
「そんなかしこまらなくていいって!ほら、今日は有名な韮崎クリニックの人が来てくれるらしいし、ばっちり楽しもうじゃないの」
ニカッと快活な笑みを浮かべる同僚のアイドルに、小梅も「そうですね」と満面の笑みを返した。
同僚のアイドルは、あの子達のことを見えていない。しかし、あの子達はいつも元気で笑っているこの人のことが大好きだと言っていた。
こうして元気を自分がもらった、みんなを受け入れてくれている話をしたら、もっと好きになってくれるのだろうと小梅は微笑む。
しかし、その一方でどうにも消せない胸騒ぎを感じていた。
いつもとは違う何かが起こっているのではないか、という疑問だ。
あの子たちがいなくなったら何かが起こっているのではなく、何かが起こったからこそあの子たちはいなくなってしまったのではないだろうか。
それは色々考える中で、小梅の頭に浮かんできた一つの疑念だ。
裏付ける証拠なんてあるわけもない。でも、何故かその考えが正しいのではないかと、小梅の自身の心が伝えてきてくれている。
小梅自身も、どうにも嫌な予感がしてならない。気のせいかと思ったが、エントランスに入ってからなお、その予感は痛いほどに小梅に何かを伝えてきている。こんなの、生まれてはじめての経験だった。
───ふと、小梅は何かの違和感を感じた。
エントランスにいる人々が、にわかに興奮し沸き立つ。
男性たちは頬を薄っすらと赤く染めて入口の方に釘付けになり、女性は口を押さえて感嘆の小さな悲鳴を上げ、これまた同じように入口にいる何かを見て近くの同僚と話を盛り上げていた。
なんだろう、そう思って後ろを振り返ると。
三人の女性がいた。
ある女性を中心に、残る二人が連れ添うように脇を固めている。
横の一人はショートボブの秘書風の女性。きりりとした顔立ちに、レディーススーツを身に着けている。もう一人はミディアムで髪をふんわりとまとめた、全身モノトーンのジャケットスカート姿のかわいらしい女性だ。
いずれも人を惹きつける魅力がある美人であり、芸能界で働いている小梅であっても目を奪われてしまう。しかし、彼女らに囲まれる中心の女性は、二人のさらに上をいっていた。
「お、あれってもしかして韮崎先生じゃないかッ!?ほら、テレビとかにもよく出てる。この前雑誌でも読んだけど、本当に346プロに来てくれたんだなぁ。しっかし、あれすごい美人だなぁ。あれなら並のモデルも俳優も顔負けっていうか、やばいな……」
同僚のアイドルが一人夢見心地につぶやいた通り、まさにそれには隔絶した美しさがあった。
「すげぇ……」
「お、おい。テレビとかで見るよりも、綺麗だよな?」
「うわぁ……素敵だなぁ」
顔の造形は語るまでもなく、完璧と言っていいほどに整っている。人には趣味嗜好があるかもしれないが、どのような人間でも韮崎のことを「美しい」と評価するほどの美のバランス。
目、鼻、口、眉、頬、顔の形など、名のある芸術家が遺した最高の作品のように一つの偏りも歪みもない。体の造形もある種の美の黄金比が感じられる。韮崎の黒髪は光を浴びて虹色に輝き、白い肌とそのハリは老いを一切感じさせなかった。
形だけではない。韮崎の歩く姿からは優しさと暖かさ、そして人としての強さを感じさせられた。
彼女と話したい、彼女と友だちになりたい、彼女の目に映りたい、彼女と同じ空間を共有したい、彼女についていきたい。そう思わせるだけの言葉にできない魔性の魅力を韮崎は持っている。
まさに女性が求める「美しさ」の在り方が、そのまま抜け出して歩いていた。そこにいた誰もが韮崎に呆けてしまい、羨望と情欲と崇敬の視線を向けた。
ひと目見れば惹きつけて離さず虜にしてしまうような、まるでトップアイドルクラスの美貌と威容であった。
小梅はこんなに綺麗な人がいるんだと驚いた。
美人と呼べる人はたくさんいる。となりの同僚のアイドルもとても綺麗だし、佐藤心や高垣楓といった看板アイドルたちも皆美しく、言葉では表せない内から溢れ出る魅力を感じさせられた。
だが、彼女は何か違う。横の二人もそうだが、まるで人という枠を超えているような、ある種飛び抜けた人を魅了する力を感じさせる。
「……ん?」
ふと、韮崎が何かを感じたのか、小梅に視線を向けた。たくさんの人達がいるエントランスの中で、唐突に小梅は韮崎と視線がばっちりと合ったのだ。
小梅は自分に視線を向けている韮崎に、驚き、戸惑い、あわあわおろおろと竦んでしまう。
そんな小梅を韮崎が面白そうにくすくすと笑った。
───臭いがした。
え、と小梅は一瞬にして高ぶった感情が冷めていくように感じた。
あれだけあっちへこっちへと行っていた気持ちが、唐突に水面に沈められたかのように冷えてしまい、そして謎の気持ち悪さを覚えたからだ。
──ドブのような、腐った魚、いや、卵のような。違う、もっと、もっと酷い臭い。これを言葉で語るすべを自分は持っていない。そんなめちゃくちゃな、体だけではなく心まで拒絶してしまう酷い臭い。
小梅の顔が少し歪んだ。これまで感じたことのないような臭いに、鼻が痛みすら感じ始めている。
思わず周りを見渡すが、誰もその臭いには気がついていないようだった。隣で目をぱちくりして韮崎を見ている同僚のアイドルですら、こんな激しい異臭がしているのに平然としている。
いくらすごい人がいるからって、誰もがここまでこの臭いを無視できるなんて、小梅には信じられない話であった。
「───さん、あの、その」
「なんか韮崎先生、こっち見てない?あれかな、今日来た理由のアイドル関係者だとやっぱりわかって……。うん?どうしたの?」
「ひ、酷い、臭いがしません……か。何かが腐ったような、酸っぱい、重い、臭い……」
「へ?いや、何も私は感じられないけれど」
驚いたことに、同僚のアイドルはこの臭いがわからないらしい。
もしかしたら、この臭いを感じているのは私だけではないかと不安が小梅の頭を過る。
そして小梅が鼻を長い袖で抑えながら、再度韮崎達の方へ向き直った瞬間。
「………───ッ!?」
6つの光る目が小梅を射抜いていた。
あれだけ魅力に溢れていた三人の瞳が、今の小梅には深く淀んでおり、汚いものに見えた。
鈍く輝き、暗く瞳の下で何かが蠢き、それを見ている小梅にどんなホラー映画よりも経験したことのないような怖気を与えてくる。
そうして改めて見ると、目の前の三人が小梅にはどうしようもなく恐ろしいものに見えてきた。
あれだけ魅力的に見えた美しさが、今の小梅からは人を元気にするよりも、蝕み貪るような退廃的な恐ろしい何かに感じられてならない。
しかも、それに気づいているのはやはり小梅だけのようであった。
誰もがそんな韮崎たちに気がついていない。あんなに恐ろしいのに、あんなに怖いのに。これまで見てきたどんなホラー映画の怪物たちよりも悍ましいのに。未だに変わらない視線で、みんなが彼女たちを素晴らしいものを見る目で見つめている。
それがさらに小梅の精神に大きな衝撃と恐怖を与えた。
小梅の顔が引き攣り、顔が青くなり、体が震えだす。
「ど、どうしたの?」
もう同僚のアイドルの声も、小梅の耳には入って来なかった。
小梅の頭の中で思考がぐるぐると回り、目の前の三人から目が離せずに瞳孔が震えだす。
そんな小梅の混乱しきった心に、ある一つの考えが浮かんできた。
どうして、あの子たちはここにいなかったのだろうか。
それはあの子たちにとって恐ろしい何かが迫ってきていると知ってしまったからではないだろうか。
あの子たちが恐れるものなんてない。
怖い人間もへっちゃら、どんなに強い人だって、あの子たちには触ることもできない。
そんなあの子たちが、どうして逃げなければいけなかったのだろうか。それはたとえあの子たちであっても食べられてしまうような、何か恐ろしい力を感じたからではないだろうか。
小梅の想像は止まらない。止めたくてもとまらない。もうどうしようもない。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
そして───そんな小梅に対して、韮崎は不思議そうに首を傾げ、また安心させるように微笑んだ。
その時、小梅はわかった。わかってしまった。
今感じているこの臭いは、このどうしようもなく不快で気持ち悪い、悍ましい臭いは。
あの韮崎たちの方から漂ってきているという事実に。
小梅の目が見開かれ、膝が折れようとしたその時。
小梅は後ろで自分の服を引っ張る何かの存在を感じた。怯えていて、でも心配そうに、力強く自分の服を引っ張るなにかの存在。小梅は衝動的に後ろを振り向き、そして──
『にげて』
あの子のかすれた声が聞こえた気がした。
「───さんっ!!」
小梅はとっさに隣で心配げに自分を見ていたアイドルの名前を呼んだ。そして手をとり、思いっきり走り出した。
アイドルが驚きの声をあげるも、小梅には説明している余裕はなかった。もういっぱいいっぱいだったのだ。
周囲の人々の怪訝な顔も無視して、小梅はアイドルを連れて奥に走り出す。
行き先はどこにいったらいいのか分からない。それでもこの場にいたらいけないと、小梅はただただ必死の想いで走った。どんなに胸が、足が痛くなっても、それに構わず走った。
そして遠ざかっていく二人の姿を、韮崎は真剣な顔で見送った。
「韮崎様、あの子たちはいったい?」
誰もが韮崎に見惚れる中、この場から逃げるように走り去っていった二人のアイドル。
どうにもおかしい。韮崎の部下は訝しむ様子で韮崎へ尋ねた。何故、あの少女は此方を睨んでいたのだろうか。
「恐らく、何かに気がついたのかもしれません」
韮崎の部下二人に緊張が走る。
秘書風の女性が、小梅たちがいなくなった先を見つめて呟いた。
「……追いますか?何かに感づかれていたら面倒です」
「あれは件のシンデレラプロジェクトの一期生ではありません。二期生かもしれませんが、無視しても大丈夫ですよ」
「……かしこまりました」
頷く秘書風の女性に笑いかけると、韮崎は面白そうに先程の少女の姿を思い浮かべる。
ここは佐藤様のお気に入りの子が所属しているプロダクションだが、それ以外にも興味深い人間がいるとは思いもしなかった。
「驚きですね。猫や犬の中でも特に勘が鋭い子はそういうこともありましたが、まさかあんな小さな子が何か察することができるなんて。私達のように才能があるかもしれませんね」
ほーっと、もう一人のふんわりヘアの部下が、小梅たちが去った方向を見て感心し、嗤った。
「回収、しちゃいます?」
嬉しそうに、楽しそうに「可愛かったなぁ、あの子」とふんわりヘアの女性がニタニタと笑う。そして回収という言葉に、秘書風の女性も目を鷹のように鋭く光らせた。
教団の力はいくらあっても足りるものではない。海外への影響力を伸ばしている中、少しでも才能がある存在は是非とも取り込んでいきたいのだ。
しかし、そんな部下二人に対し、韮崎は呆れるように息を吐き出した。
「ここは通常は不可侵な場所。他ならぬ佐藤様……。いえ、佐藤さんがそう命じているのですよ。加藤、あなたはその約束事を破るつもりなのかしら?」
一瞬にしてふんわりヘアの女性の顔が真剣なものに変わり、目を落として「申し訳ございません、韮崎様」と震え声で口を開く。
彼女たちにとって、この地球上で誰よりも重い存在の言葉。
それを破ることは即ち、死よりも恐ろしい何かが己の身に襲いかかるということ。
忠誠を破ってしまうこと、あの人に嫌われ、敵対してしまうこと以上に、深い世界に関わった彼女たちは恐れるものがある。
秘書風の女性も口を一文字に紡ぎ、何かに耐えるように目をつむる。
そんな二人を苦笑しながら見つめていた韮崎は、「行きましょう」と誘いをかけて再び歩き始めた。
なんか佐藤がちょいやくだったり、全くでないとすんげぇクトゥルフ色濃くなる気がしてきた。次回、戦闘予定です。
皆さんちゃんと戦闘技能とってます?
跳躍にガン振りしたり、回避に振ってなかったり、芸術(アイドル)に振りすぎてたりしませんよね?
あと持ち物にフィリピン爆竹とかKVK2とか花火玉持ってきてないよね。駄目だからね。豚箱エンドだからねそれ。
PS.誤字報告をくれる方、本当にありがとうございます。
読んでくれるだけではなく、ご協力を頂けて本当にありがたいです。赤ペン先生みたいな安心感あります。