怪異譚 鈴語り   作:紅野生成

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12 忘却の術から漏れ出る記憶

 若造がこの屋敷に来てから、主は昼間の時間を寝所で過ごすことが少なくなった。

 寝屋で休まれるとはいっても、体を横たえるだけで眠りにつくわけではなかったから、主にとっては差し障りのないことである。

 差し障りがあるとするなら、主と共に心休まる時を過ごせていた寝所での貴重な安らぎがわたしから奪われたことである。

 主の腰帯にぶら下がるしか能のないわたしは、主が居間で庭を眺めているなら、ひとり寝所に籠もるわけにはいかぬ。

 塵ほども望んでいないというのに、この騒がしい居間に身を置いている。

 今朝はいつにもまして、騒々しいことこの上ない。

 だが今朝の騒々しさは、愉快な色を帯びている。

 金物のこの身が表情で歪むなら、にやつくわたしの身は、ぐねぐねにひしゃげていたことだろう。

 

「クロ助、どこが痛いのさ? 撫でてあげようか?」

 

 陽炎が用意した座布団の上で、黒い毛むくじゃらが若造の懐に入ろうともぞもぞ動く。 

 その動きときたら笑い死にできそうに滑稽だ。

 いつもならぴょんぴょんと跳ね回っているくせに、今朝は立ち上がる事さえままならない。

 尺取り虫に弟子入りしたようなその動きは、もこり、ぺこり、もそり、へたり、と腰痛の芋虫そのものである。

 二度ほど尺取り虫を真似て若造に近づいた黒い毛むくじゃらは、若造の手であっさりと座布団の中央へ戻された。

 

「駄目だよ。やわらかい座布団の上で横になっていなければいけないよ? ぼくが悪いのだから望み通り懐に入れてあげたいけれど、クロ助の体にさわるから」

 

 重石でも背負ったような愚鈍な動きで、腰の辺りを持ち上げてたようだが抵抗もそこまでだった。

 ぺたりと座布団に這いつくばったまま、黒い毛むくじゃらは体を丸めて白旗をあげた。

 

「悪気はなかったんだよ。ごめんな」

 

 無意識の悪こそが、本物の悪である。

 若造の話によると今朝方目を覚ましたとき、だらりと腕を伸ばして眠っていた若造の腕と布団に挟まれて、黒い毛むくじゃらは悶絶していたらしい。

 人の子でいうところの、腰でも痛めたのであろう。

 さんざんの体たらくは、春の桜を愛でるよりこの目の肥やしとなる。

 様ぁ見やがれ、このすかぽんたんである。

 

「カナさん、実はゆっくりと見てみたい部屋があるのですが」

 

 わたしが優越感に浸っていると、若造が主の側へと寄ってきた。

 

「この屋敷の中でしたら、ご自由にどうぞ。ところで、いったいどの部屋をごらんになりたいのでございます?」

 

「子鬼達と遊んでいる時に見つけた納屋です。ちらりとしか見ていませんが、古い帳面や小道具が置いてあったので、面白そうでした」

 

 なるほど子鬼達に遊んでもらっていた時に見つけたのか。

 

「そういえば古い物を押し込めた納屋がありましたねぇ。普段は使わぬ物ばかりなので、すっかり忘れておりました。お気が済むまでどうぞ」

 

 嬉しそうに若造は頷き、置いて行かれるものかと身を捩る、黒い毛むくじゃらの体を指先で押しもどして、ひとり納屋へと向かった。

 

「あの納屋を悟様が見つけるなんて、いったい誰の差しがねだい? 大層な物はおいていないけれど、気になるねぇ。そうだろう、鈴や?」

 

 主はわたしに若造の様子を見ろといっているのだろうか。

 

「盗み見は良くないよ、鈴。そうだろう?」

 

 主が笑い、風に誘われた髪がさらりと頬にかかる。

 

 リーーン

 

「あらまぁ、どうして鈴が膨れるのさ。わたしは気にならないかい? っていっただけじゃないか」

 

 口元に笑みを残したまま、主が草履を突っかけ庭へと降りる。

 たとえ何かがわかったところで、主に話して聞かせる術は持たぬというのに。

 主は知ったあとのわたしの反応を見て、ただ楽しみたいだけなのだろう。

 若造のすることに微塵の興味もないが、主の暇つぶしとなるなら動かぬ事もない。

 

 チリン チリン チン

 

「おやおや、鈴も楽しみなようだねぇ」

 

 鈴とは正直なものである。

 主に快諾を伝えようとしただけであるというのに、最後のチンは余計であった。

 主に見透かされたのが悔しくて、わたしは一人ない歯を軋らせた。

 

 納屋へ姿を消した若造を見送って、ようやく若葉を芽吹かせ活気を取り戻し始めた庭を愛で歩いた主は、本来であれば風鈴を下げる引っかけにわたしをぶら下げ、涼しい目でわたしを流し見てから、ひとり寝所に戻ってしまった。

 この屋敷の納屋には、数多くの物が眠っている。

 古い昔は旅籠であったこの屋敷を訪れた者は多い。

 呼べば医者が来る時代ではないから、やっと辿り着いた旅籠で命を落とす者も少なくはないだろう。

 そういう者達の持ち物が、ここの納屋には多く眠っている。

 かつての旅籠の主人達が変わり者であったことが、これだけでも十分に伺える。

 遠い日に主と共に納屋を覗いた日には、埃を被った煙草入れや風呂敷、中には屋号の入った提灯の火袋まで置いてあった。

 わたしには屑同然と思えるそれらを、旅籠を仕切った歴代の主人達同様も主も決して捨てようとはしなかった。

 薄暗い納屋の中ではまともに字も読めまい。気に入った品を手に出てくるであろう若造待って、わたしはぶらりゆらりと風に身を任せた。

 

 

 抱えられるだけの物を手に若造が納屋から出てきた時には、日はとっくに西に傾いていた。

 いくつかの埃っぽい帳面に、煙管や根付けなど雑多な物が放り込まれた籐の小箱を樫の板張りの廊下に並べ、若造は喜々とした表情でそれらを眺めている。

 己より上にで揺れているわたしのことに気付く筈もなく、古い手ぬぐいで一つ一つの品を磨いて埃を落とす。

 やっと見つけたと言わんばかりに尺取り虫よろしく、のろりのそりと這って傍らまできた黒い毛むくじゃらの気配にさえ気づかぬほど、若造は古物に夢中になっていた。

 

「すごいな、昔の物はやはり丈夫だ」

 

 若造が埃を払っている帳面には何の表書きもない。何も書かれていない表紙には厚みがあり、端は朱色の紐で結ばれていた。けして安物ではないことを覗わせる。

 紐を解き中の紙を捲っていた若造の手が止まる。

 

「最後にどうして父さんの名が?」

 

 若造が最初から見直す帳面には、一枚に一人づつ人の名が書かれていた。

 帳面に記される名は同じ名字が続いては途切れ、また同じ名字が続くをくり返している。

 

「父さんの前の名前。小野田源治郎は爺ちゃんの名だ」

 

 わたしにはこの帳面が、何を記した物なのか会得がいった。

 しばらく目にしていなかったが、主と共に幾度も眺めた帳面である。

 

「これは辻堂の歴代の大家の名か」

 

 阿呆もさすがに気付いたらしい。

 同じ姓が途切れて別の名に変わるのは、その時代の大屋様が次男坊で婿入りされたためであろう。

 家督を継ぐというが、大屋様の血は個人に受け継がれる。

 婿入りして姓が変わろうと、それを気にする者など浮き世以外に居はしない。

 若造は先代である創見の名をそっと指でなぞった。

 歴代の大屋様がそうしてきたように、達筆な筆で書かれた名の下には、血判が押されている。

 色褪せた血判を見て、若造が何を思ったかは知るよしもない。

 先代の次ぎに己の名を記し血判を押す気概があるのか、考えたところでわたしには吐く溜息さえ残っていない。

 

「カナさんらしくないな。これは控えか何かだろうか。大家の血判を押した物を、カナさんが納屋に入れておくなんて、妙だな」

 

 何気ない若造の言葉にわたしははっとした。

 この帳面があったことはもとより知っている。なのに、存在を今の今まで失念にしていた。

 ましてや主が何よりも大切にしているはずの帳面が、納屋に置かれていたなど有り得ることではなかった。

 

「置き忘れているのかもしれないから、あとでカナさんに聞いてみようか」

 

 置き忘れなどあるものか。

 帳面を預かっているのは主である。主から片時も離れぬわたしが納屋へ置いた事を覚えていないなど、油の代わりに水で明かりを灯すほど有り得ない。

 主は知っているのであろうか。

 悪戯っ子のように微笑む主からは、そのような思惑は感じられなかったのだが。

 知っていて、若造を納屋へ向かわせたのであろうか。

 いつのまにか日は傾き、庭を照らす明かりの色も茜へと変わり始めた。

 

「これは……」

 

 未だ名の記されていない、白紙の紙を捲っていた若造が声を上げた。

 白紙の間から、指先で一枚の写真を摘み上げる。

 若造の目に驚愕の色が浮かぶ。

 色褪せた写真に写る顔が、わたしからも見てとれた。

 若造以上に衝撃を受けたのは、わたしの方であろう。

 これを写した時のことは、今でも克明に覚えている。余すほど金を持つ先代が、戯れに始めたからといって、妙な道具を屋敷に持ち込んだ。

 そして主は長い時間を同じ場所に立って、写真と呼ばれる精巧は絵は出来上がった。

 ここから持ち出したら、カナの姿は写真から消えてしまうからといって、先代はこの写真を屋敷に置いていったのである。

 そこには先代と主、そして小さな男の子が映っていた。

 記憶が一気に蘇る。

 どうして忘れていたのだろう。

 忘れるはずのないことを、忘れていた事実は受け入れがたい。

 

「思い出した。これは父さんとここへ来たときのぼくだ」

 

 若造の口から、吐く息のように言葉が漏れる。

 呆然と写真を見つめていた若造は、夕焼けを渡る鴉の声に我に戻ると、写真を浴衣の懐にそっと入れた。

 心の臓が落ち着かないのか、薄い胸が大きく波打っている。

 持ち出した物を全て抱えて、若造は納屋へと戻っていった。

 大屋様の名が記された帳面も、そのまま納屋に戻すつもりであろうか。

 若造は空の頭に、いったい何を思いだしたというのか。

 

 わたしは鈴。

 主の為なら、どのようなこともしてみせよう。

 いつの日か主が幸せの中笑ってくれるなら、わたしは恨まれても構いはしない。

 

「鈴、どうだったかい? 悟様は今日の探索はお終いにされたようだねぇ」

 

 寝所から主が姿をみせる。

 ここで見た物を、決して主に悟られてはならない。

 一世一代の大芝居。

 震えて淀んだ音で鳴りそうになるこの身を、わたしは必死に押さえた。

 

「悟様は楽しんでおられたかい? なんぞ面白い物でもあったかねぇ」

 

 主はのんびりと庭を眺めている。

 

 チリチリン

 

 わたしは努めて明るく鳴ってみせた。

 

「その様子だと、誰かの差し金というわけではなさそうだねぇ。ふふ、面白いことでも顔を覗かせるかと思ったのに、当てが外れたねぇ」

 

 主はそれきり静かに目を閉じる。

 主の前で、初めて空言を吐いた。

 鈍付くな方ではないから、わたしの吐く空言など幼子の嘘にも劣る。

 ひたすら身を縮めて、嘘の皮が剥がれないことをわたしは祈った。

 あとは懐に写真を入れた若造が、はたしてこのあとどう動くか。

 それを思うと、身が捩れる思いであった。

 

 己が好いている若造の心中の乱れを察したのか、黒い毛むくじゃらもいつの間にやら座布団の上に戻り身を丸めていた。

 あの写真をみて、若造が何かを思い出したように、わたしも思い出した事実がある。

 あの若造の軽口が主に同じことを思い出させぬよう、今はひたすら祈るしかない。

 歴代の大屋様の名が記された帳面に、写真を挟んで納屋へ置いたのは主である。

 そして主は、野坊主に頼んで忘却の術をかけさせた。

 主の中から、帳面と写真の存在が消し去られた。

 わたしはその術の余波を受けたに過ぎない。

 何を思いそのような術を己にかけさせたのか、忘れなければならなかった理由さえ、わたしは聞かされてはいない。

 何を機に主の術は解けるのであろう。

 記憶が戻った時、主は苦しむであろうか。悲しむであろうか。

 主の望む結末なら、どんなものでも受け入れる。

 薄闇の降りた庭で、わたしは一人、主の心に思いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 読んで下さった皆さん、ありがとうございます!
 クロ助は、腰を痛めたようですね。

 このままつらつらと、このお話を書いていきたいと思いますので、次話もお付き合いくださいませ
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