怪異譚 鈴語り   作:紅野生成

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14 恩義を果たす鷹

 わたしは鈴。

 いつ終わるともしれない時間の中を、ゆらりぶらりと揺れている。

 静かな朝も束の間であった。

 どたばたと騒がしい足音を立て、若造が寝所から出てきた。

 

「カナさん、カナさん!」

 

 若造の慌てた様子を楽しむように、主はのんびりと首を回す。

 

「どうかなさいましたか? そのように慌てて走っては、廊下の板張りが抜けてしまいそうでございますよ」

 

 はっとした表情の若造は、あと散歩で居間に辿り着く辺りでぴたりと止まり、そろりそろりと足を進めはじめた。

 さんざん走っておいて、今さら気を回しても何の役にも立つまい。

 忘れるだけの鳥頭の方が、余程ましというものである。

 

「カナさん、これを見て下さい」

 

 若造の手には、黄ばんだ長い布があった。

 主の前に布を置くと若造は畏まって正座をし、膝の上で両の拳を握りしめる。

 

「首筋に触れられた気がして手で払おうとしたとき、何かに触れてしまったのです。指先に、物に触れた感触がありました」

 

 主が小首を傾げて先を促す。

 まったく要領を得ない話である。話には順序というものがあるであろうに。

 

「クロ助の悪戯かと思ったのです。でもクロ助はわたしの布団の中でまだ眠っていましたし、他に人も居ませんでした」

 

「ではこの布は?」

 

「それなのですよ。気のせいで済まそうと思ったというのに、枕の上にはらりとそれが落ちていたのです。何かが、居たのではないでしょうか」

 

 丸く目を見開く若造は、本当に驚いているようすだった。

 

「そのときクロ助は確かに眠っていたのですね?」

 

「はい、寝息に胸元が膨らんでいましたから、寝ていたと思います」

 

 ぞわりとした気配に目をやると、慌てて寝所を抜け出した若造に、置いてけぼりを食わされた黒い毛むくじゃらが、横になって器用に廊下を転がってきた。

 

「クロ助だ!」

 

 先日起きた川の件で更に腰を痛めた奴は、尺取り虫の動きよりも転がる方が楽であることに気付いたらしい。

 ころりころりと転がって、若造の膝元に辿り着いた。

 

「クロ助? 今朝方に悟様の寝所に、何かが入り込んだことに気付いたかい?」

 

 主の問いに、黒い毛むくじゃらは寸胴な首を僅かにくねらせる。

 

「おや、クロ助は気づいていなかったようだねぇ」

 

「カナさん、この布に書かれた文字のようなものは何でしょうか?」

 

 黄ばんだ布には、墨で何か書き込まれていた。文字のように見えるが、人の子が使う文字ではない。この世の物ではない匂いが僅かに漂う。

 

「これは古の呪術師達が、好んで使った文字でございます。それがどこから漏れたのやら。文字は呪術の物ではありますが、これを記した者はおそらく素人でございましょう。術を施した者の力が、まったく感じられませんから」

 

 この様な者が屋敷に紛れ込んだというのに、シマはいったい何をしていたのか。

 訪れる客を見逃すなど、今まで一度もなかったというのに。

 

「いったいどのような者が、この屋敷を彷徨っているのやら。シマに見咎められることもなく、悟様の側にいたクロ助にさえ気づかれず。あまり有り得ることではございませんが、確かに居たのでございましょうねぇ」

 

 黄ばんだ布を手に主は思考を巡らせ、薄く紅を引いた唇に指を当てる。

 

「ぼくはどうしたら良いのでしょうか」

 

 主でさえ正体の見極めがつかぬ相手に不安が増したのか、若造はきょうろきょろと忙しく目玉を動かしていた。

 

「様子を見るしかございませんね。悟様はいつものようにお過ごし下さいませ。クロ助は、今回は無理をしないようにおし。今度無理をしたら、転がることさえ難しくなってしまうよ?」

 

 主の言葉に黒い毛むくじゃらは、しょんぼりと身を丸めた。

 朝餉の目刺しを分けて貰おうと、庭の隅からシマが姿を現した。

 ここに怪しげな布があるというのに、ミャーのひと言さえ鳴く気配がない。

 この様子では、シマにとってこの布はここにあって当たり前の物、ということになる。

 それ以外にシマが鳴かぬ理由を、わたしの頭はひねり出せなかった。

 

「悟様、小鉢を運んでいただけますか?」

 

 奥から陽炎の声がした。

 

「はい、今いきます」

 

 若造は日常へ戻っていった。いや、戻ろうと必死なのだろう。

 若造はこの屋敷で起こる怪異を理解しようとしているが、それに馴染んだわけではない。肝っ玉の小ささは、ここへ来たときと何ら変わってはいないのだ。

 

 次ぎに屋敷が騒がしくなったのは、西の空が茜に染まる頃であった。

 樫の板張りの廊下に腰をおろし、変わりゆく庭の色を眺めていた主の後ろで、若造がぎゃっ、と悲鳴を上げた。

 

「どうなさいました? 悟様?」

 

 主が振り向いた先で、若造は震える指先を畳に向けていた。

 色褪せた布が、はらりと畳に落ちていた。

 

「こ、今度ははっきりと聞こえました。やっと手が自由になりました……そういっていました。この手に触れたのは、この布の感触です。確かに何者かがこの屋敷に居るのですよ」

 

 細く白い指先で、主が布を拾い上げる。

 

「今度ばかりは、わたしにも感じることができます。確かに何かが居るようでございます。手が自由になったと、そういったのでございますね?」

 

「はい、若い男の声でした」

 

「この布がその男の魂を縛っているのでございましょう。この匂い、納屋にあった籐の小箱からも漂っていたような」

 

 若造がぽんと手を打つ。

 

「その小箱なら、納屋を探索したときに持ち出した物のひとつです」

 

 納屋から取ってくるといって、若造は居間を飛び出した。

 

「最初からこの屋敷にあった物だから、シマは鳴かなかったのかねぇ。どう思う?鈴だって、妙な話と思うだろう?」

 

 チリン

 

 わたしはひと鳴りして、主に同意を伝える。

 入り込んだ怪異ではない。もともとここに存在した物が引き起こしている怪異。

 そう考えたなら、多くのことに合点がいった。

 

「これです、この小箱です」

 

 見覚えのある籐の小箱を手に、若造が戻ってきた。

 主が風鈴を下げる引っかけにわたしを下げて。若造の様子を見させたあの日に持ち出された小箱。だが中に入っていたのは雑多な小物ばかりで、若造はそれを一つ一つ磨いていたに過ぎない。

 とりわけ目を惹くようなものなど、何一つ無かったように覚えている。

 

「あの日も中を見ましたが、怪しげな物などなかったような。わたしはただ、一つ一つの埃を払って、眺めていただけです」

 

 訳がわからない様子の若造は、腕を組んで首を傾げる。

 

「悟様、この小箱からは確かにあの布と同じ匂いがいたします。この中の物のどれが、この怪異を引き起こしているのやら。この小箱、しばらくは居間に置いておきましょう」

 

 げっと口を開けた若造は、渋々といった様子で主の言葉を承諾した。

 最初に声が聞こえた気がしたといっていたのだから、若造が解いたのは口を覆うぬのだったのであろう。

 そして今度は手を覆う布を解いた。残るはどこであろう。

 全ての布が解けたとき、姿を現すのは何者であろう。

 

 その答えを知る時は、意外にも早く訪れた。

 厠から走り出た若造は、胸の布が解けたと礼をいわれ涙目になり、寝所に戻ってすぐ、足に巻かれていたらしい布を掴んで、転がるように走ってきた。

 日はとっぷりと暮れている。

 この屋敷が、辻堂と呼ばれる闇の刻であった。

 

「悟様、その者でしたら目の前に、この庭に立っております」

 

 主が草履を引っかけ庭へと降りる。

 また引きに脚絆姿の若い男が、目に布を巻いて立っていた。

 旅姿のまま息を引き取ったのか。

 白い足袋を濡らすのは、この者から流れた血の色であろう。

 

「何が望みだい? 他に打つ手がなかったのは解るが、悟様が恐がられている。事情を聞かせておくれ?」

 

 害をなす者ではないのだろうか。主の声はやさしかった。

 

「申し訳ない。この屋敷からでることも、誰かに気づいて貰うこともできずにずっと納屋に潜んでおりました。ところが数日前、その方が籐の小箱を持ち出し、中の品を手に取られた。その中にはわたしの魂が宿る物も含まれておりました」

 

 地面に置かれた小箱から、若い男が摘み上げたのは一枚の鳥の羽だった。

 

「これは鷹の羽でございます。道すがら怪我をして身動きの取れぬ鷹を見つけ、捨て置くことができずに、連れて歩いたのでございます」

 

「その羽に宿っていたというのかい?」

 

 宿るつもりなどなかったのだ、と男はいった。

 

「わたしは追われておりました。追う者から逃げて、わたしは旅をしていたのでございます。はじめは仏の御心を説く、すばらしい者達だと思ったのです。ですが蓋を開けてみれば、浅ましい術に頼り罪を重ねる集団でございました」

 

 嫌な記憶をかみ砕くように、男はぎしりと歯を鳴らす。

 

「わたしが御上に訴える事を恐れ、奴らは執拗に追ってきました。鷹を拾い共に旅路を急ぐ中、とうとう追いつかれたのでございます」

 

 若い男の指が、愛しそうに鷹の羽を撫でる。

 

「この旅籠の少し先の道をいった、林道で闇討ちをかけられたわたしは、どうすることもできず、刺された傷と鷹を胸に抱えてずるずると地に腰を落としました。

 鷹だけでも逃がそうと思いましたが、羽も足も治ってはいないこの子が、逃げられる筈もございません。目の前で首を折られた鷹に、私は縋ったのでございます」

 

 男の目を巻く布と頬の隙間から、涙が一筋流れて落ちた。

 

「申し訳なく思いました。たかが鳥と思われるかも知れませんが、すっかり情が移っておりました。わたしが拾いさえしなければ、この様な凶事に巻き込まれることも無かったものを」

 

「そのときの鷹の羽が、なぜこの屋敷にあるのだろうねぇ」

 

「わたしに布を巻き、呪詛を施しながら男達はいっておりました。おまえの屍が寒空に凍える頃、俺達は先の旅籠で酒でも呑んでいると。奴らは殺した者の怨念に襲われない為、こうやって布を巻き怪しげな言葉を書き込むことを常としておりました。こうすると、魂が存在しなくなると信じていた、阿呆どもにございます」

 

「封じられた魂が、なぜ鷹の羽に?」

 

「奴らは小心者で、物の怪を恐れておりましたから、鷹にも布を巻いたのでございますよ。そして殺された鷹に縋ったとき、すでにわたしの命は絶えておりました」

 

「鷹に寄った魂が、共に鷹の羽に封じられたか」

 

「はい、そのように思っております」

 

 鷹と共に封じられたなら、なぜ男は己を封じた布に未だ縛られているのだ?

 表に姿を見せるのは、鷹でなければ合点がいかない。

 何かに想いを馳せていた主が、顔を上げてあぁ、と息を吐く。

 

「思い出しました。大屋様が、布に巻かれた鳥の死骸が部屋に置かれていたといって、妙な布を訝しみながらも、この庭で荼毘にふしたのでございます。人であれ、動物であれ、分け隔て無く死を悼まれる御仁でしたから」

 

「わたしが共に宿っていなければ、鷹はあの世へ飛び立てたでしょう。ですが己の肉体と魂を別々に術で縛られたわたしのせいで、今だここに留まっております。

 自由にしてやりたいのです。この目の布が解けたなら、術は解け鷹は好きに飛び立てるはずでございます」

 

 主は男の目を覆う布に指をかけた。そして解くことなく手を引いた。

 

「悟様、この布どうやらわたしでは解けないようでございます」

 

 若干頭を後ろに仰け反らせながら、若造が男の方へ寄っていく。

 

「わたしにできるでしょうか」

 

「あなた様の指が鷹の羽に触れただけで、足を覆う布が解けました。触れただけで、布は解けて落ちるのです。感謝のしようもございません。今一度、この布に触れてはいただきたい」

 

 頭を下げる男の姿は、若造の目には映らない。それでも聞こえる声から必死さを感じたのであろう。若造は、すっと腕をあげ指先で空をなぞる。

 

「あと少し、左でございます」

 

 主の声に従って、若造の指が布に触れた。

 はらりと布が空に舞い落ちる。

 精悍な、若い男の顔であった。

 

「ありがとう」

 

 男の体が、土塊のように崩れていく。

 まるで模られた砂の山が、崩れるようであった。

 主は目を見張り、それから柔らかい笑みを浮かべた。

 

「ひとり旅立つこともできたであろうに。その魂を守るために、共にいたのであろう? 優しい子だねぇ」

 

 男の体が消え場所には、茶色の羽を持つ鷹がいた。

 鋭い嘴にちらちらと、薄紫の光りを放つ小さな玉を咥えていた。

 

「鷹がいるのですか? 男はどうなりました?」

 

 見えぬ若造は、視線を游がせあちらこちらと眺めている。

 

「男の魂を守り通した鷹の姿は、それは凛々しいものでございます」

 

 鷹は大きく翼を広げ、僅かに頭を垂れるとざっと音をたてて舞い上がった。

 暗い夜空に薄紫の光りが小さくなって、やがて薄れて姿を消した。

 

 主は、ぱんぱんと手を打ち鳴らす。

 

「陽炎、今宵は良い気分だから、お酒をつけとくれ」

 

 顔をだした陽炎が、にこりと頷き奥へと戻っていく。

 

「形見代わりにと大屋様が、一枚の羽だけを残してそれを籐の小箱に仕舞われたのは偶然ではなく、あの鷹が仕向けたことだったのかもしれないねぇ。この屋敷にあっても、存在を感じられなかったのは、双方に施された呪詛のせい」

 

「何とも不思議な一日でした。わたしもお酒をいただいても?」

 

 不抜けた顔の若造をみて、主は口元を袂で隠してくすくすと笑った。

 

「もちろんでございます。それにしても鷹という生き物は、一度信頼を築いた相手のことを、一生忘れぬものだと聞きましたが、死してなお、忘れぬ鷹も居るのでございますねぇ」

 

「律儀さに種族は関係ないのでしょう。何だかその鷹のことを考えると、クロ助とかぶります。わたしがあの世へ旅立つときには、すっかり忘れて自由に生きてほしものです」

 

 名前を呼ばれたのかと、居間の座布団の上で黒い毛むくじゃらが頭をもたげた。

 

「おや、クロ助に聞こえていたようですよ」

 

「クロ助、わたしの心配ばかりしていると、彼の鷹のように大変な想いをするからね! ありがたいが、ほどほどにしておくれよ!」

 

 若造が叫ぶとぷいっと顔をそむけて、黒い毛むくじゃらは座布団の上でくるりと丸まった。

 ふたり一緒に厄介払いができるなら、どこまででも付いて行けと思う。

 黒いゴミの塊と間違えて、陽炎が箒で掃き出してくれないかと、日々本気で思っているのだ。

 

 チ チン

 

「おや鈴、意地の悪い鳴り方だねぇ」

 

 わたしは黙りを決め込んだ。

 意地悪などしていない。思うだけなら、ただであろうに。

 

 

  




 読んで下さった皆様、ありがとうございました!
 次話もお付き合い下さいませ(*^_^*)
 では!
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