怪異譚 鈴語り   作:紅野生成

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17 奪われてこそ咲く命

 ここ数日ぱたりと姿を見せなくなった小鬼達のせいか、若造はぼんやりと庭を眺めることが多くなった。   

 陽炎の仕事は毎日楽しそうに手伝っているが、二人で働けば自ずと手早く片付いてしまい、昼からは暇を持て余す。

 だからといって以前のように屋敷の隅を漁って、古びた書物や小道具を眺めることもない。

 あの納屋に入った日から、ぴたりと好きな古物漁りをやめてしまった。

 主もその様子に気づいてはいるのであろうが、口を出そうとはなさらなかった。

 若造がここに留まれる時間もそう長くは残されていない。

 それを考えれば、自ずと口数も減るのかもしれない。

 期限を若造に知らせていないのは、自由に考える時間を与えたいからであろうか。

 

 夕の膳を片付け終わった若造は、寝酒にするからと湯飲みに酒をつぎ、早々と寝間に引っ込んだ。

 主はそんな若造に構うことなく、一人酒を舐めている。

 生暖かい風が吹く夜だが、あとひと月もしないうちに、日が沈めばひんやりとした空気が庭を満たすようになる。

 その頃には陽炎が屋敷を去り、主は秋風と共に現れるはずの薄を待ちわびていることだろう。

 若造が出す答えひとつで、この先の辻堂は変わる。

 己の考えひとつで陽炎や薄が身を寄せる場所がなくなる事を、若造はわかっているのだろうか。

 わたしの中で変わらず燻っている火種は、日増しにわたしを不安にさせる。

 

――思い出した、思い出したよ。

 

 あの日若造は、いったい何を思い出したのだろう。

 何処まで思い出したのであろう。

 あの写真が物語る真実か、それともその真実の底に眠る真相を揺り起こしたか。

 湯を浴びるからと、主はわたしを腰帯から外し陽炎に預けた。

 月を見ながら湯に浸かるであろう主の背を見送っていると、陽炎がわたしをつまみ、僅かに隙間の空いた若造の寝所の前の出っ張りに下げた。

 寝所の襖が僅かに開いて、灯りが漏れている。

 陽炎はちらりとわたしを見たが、何もいわずにその場を去った。

 

 

 

 若造の寝所には野坊主が姿を現していた。

 何の気配も感じさせることなく姿を見せるなど、今まで一度もなかったことだ。 

 

「見つけたのであろう?」

 

「ええ、見つけてしまいました」

 

 若造は寂しそうに頷いた。

 

「あの写真に写っていたのは、父さんと三歳のぼくです。あの写真を見た途端、忘れていた光景を、驚くほど鮮明に思い出したのです」

 

「どのようなことを思い出したのだ?」

 

「カナさんはぼくに話しかけてくれました。大家が子を連れてきたのなら、カナさんが忘れるはずがありません。でも、カナさんはあの時のことに深く触れようとはしない」

 

「不満か?」

 

「いいえ、自分の不甲斐なさに腹が立つのです。ぼくは、カナさんのいったような男にはなれていなかったのでしょう。だからあの時のことを、カナさんは語ろうとしない」

 

 奴坊主の出張った額に皺が寄せられる。

 

「カナは何といった?」

 

「庭の草を抜いて遊んでいたぼくの顔を腰をかがめて覗き込んだカナさんは、こういいました」

 

――小さな坊やだねえ。侠気のある男におなりよ。そんな男になっていつかこの辻堂に戻ってきたら、あたしは坊やを認めてあげるよ。あんたなんだって、認めてあげるよ。

 

「ぼくはカナさんが認めてくれるような男には、なれなかったようです。このことを思い出したとき、もうひとつのことに気づいてしまいました」

 

「なんだ?」

 

「あの日のカナさんは、肩までとどく黒髪を風に揺らして微笑んでいました。今と何ら変らない姿で、微笑んでいたのです」 

 

「気づいたのか」

 

 聡は小さく頷いた。

 

「ここへきた日カナさんは髪の先、袖の先にも触れてくれるなといった。それは、触れようとしても触れられぬから。カナさんは、この世の人ではないから」

 

 部屋の空気を揺らす声が途絶え、行燈の蝋燭さえまっすぐに炎を立たせる。

 

「盃にも植物にも触れられるというのに、生身の人間だけには触れられないとは、なんと因果なことでしょう」

 

 若造の言葉に、野坊主は目を伏せる。

 

 部屋を眺めていたわたしは、この静寂を破る存在が現れたことに驚いて、思わずこの身を鳴らしそうになった。

 

「とうとうやって来たか」

 

 野坊主の言葉に頷くのは、腰まで伸びた黒髪を纏う、色の白い女であった。

 

「誰かいるのですか?」

 

「厠の戸口で会った女にございます」

 

 姿の見えぬ人物に思い当たった若造は、声の方へ頭を下げた。

 

「わしがここへ潜った隙をついて、おまえも入ったわけか。それならカナに気づかれることを案ずる必要もない」

 

 野坊主の言葉に女が頷く。

 

「カナさんに気づかれずにここへ?」

 

「これからおまえに話す事を、カナはけっして望まぬであろうから」

 

 野坊主の顎が、ぎちりと噛み締められる。

 

「カナを殺したのは、わたしなのだよ」

 

 息を呑んだ二人の心中を悟ってか、蝋燭の火がぐらりと揺れる。

 眼を見開く二人の聞き手に口を挟ませることなく、野坊主は語り始めた。

 

 

 

 わたしは仏に受け入れられた僧ではない。門禅の僧を語るのもおこがましい。

 戦国の世に生まれ、戦いのために生きたが親方様の為とは名ばかり。露ほどの信念も持たぬ屑であった。 

 多く人を切れば戦国の世では名を上げることができる。だがわたしは幾人の敵を倒そうと、戦史に名を刻むことの無い身分であった。世に存在すら知られることのない影の身であるがゆえ、わたしは敵を倒すことに夢中になった。

 必要とあらば女子供でも、一刀のもとに斬り捨てた。

 闇と浮世が入り乱れた平安の時には、千とも万とも言われる妖を殺したなら、己が身も妖怪に変化するという言い伝えがあったようだが、それはある意味人を殺すことでもなんら違いはなかったらしい。

 

 千の人を斬ったか、万の人を斬ったのかはわからない。

 ある夜、わたしの枕辺に亡者が溢れた。

 この先死ぬことは許さぬといった。

 死にたくば、斬った数に等しいだけの魂を救えという。

 救うために、それに見合う場所とそこを支える魂を見繕えと。

 確かに目にした亡者の姿や声を、それでもわたしは信じなかった。死ねぬというなら死んでやろうと思った。そしてわたしは、己の身を守る刀を持たずに、戦いに赴いた。

 

 死ねぬのだよ。

 

 まるでわたしの存在が見えていないかのように、刀も矢もわたしの命を取ろうとはしない。

 亡者の言葉の意味にわたしは気づいた。

 わたしはこの世から消えたということに。ここに居るのに、誰からも認識されぬ存在になったのだということに。

 わたしの話に耳を傾けてくれる者はいなくなった。

 誰もわたしに語りかけようとはしない。

 わたしに笑いかける者はおろか、罵声を吐く者さえ居なくなった。

 そんな日々が幾年も続いたある日、一人の亡者が枕辺に立った。

 年端のいかぬ幼子であった。

 わたしに胸を刺されてこと尽きたという。

 

「さみしい?」

 

 幼子はわたしに問うた。

 

「この孤独には耐えられぬ。死にたい」

 

 わたしは答えた。

 

「ぼくたちは、さみしい。ひとり。くらい」

 

 幼子は今にも泣き出しそうだった。

 あぁ、わたしはそこでようやっと解ったのだ。亡者達は己の感じている孤独を、行き所のない闇を、わたしにも味合わせているのだと。

 そして解せないと思った。

 わたしが憎いなら取り殺せばいい。なぜこのように回りくどいことをするのかと。

 相手が詮無き子であることを忘れ、わたしは問うた。

 

「わたしはどうすればいい? どうしたなら、お主達の魂は安らぐのだ?」 

 

 幼子は、言われたとおりにして、とだけいった。

 明確に表す語彙を持ってさえいなかったのだろう。

 幼子の姿が薄れかかってきた。

 

「なぜわたしにそれを伝える。誰かに行けといわれたのか?」

 

 幼子は首を振る。

 

「母ちゃんがいった。恨んじゃいけない。あのおじちゃんは魂を失った、かわいそうな人なんだからって」

 

 愕然とした。死に際にさえ、母というものは子の心のあり方に思いを馳せるのか。

 

「おっちゃんが言われたとおりにしたら、ぼくは寂しくない場所にいけるかもしれない。だからここにきた。母ちゃんもどこにいるかわからない。母ちゃんをたすけて」

 

 腰が砕けて、わたしはその場に崩れ落ちた。

 泣いた。

 己の罪を思って泣いた。

 顔を上げたとき、既に幼子の姿は無かった。

 母を思って敵であるわたしに助言をしにきた、幼子の心を思うと身が震えた。

 物のように斬り捨ててきた、無数の魂にも子があり親があったのだと思い知った。

 母を思う幼子に、人のあり方を諭された。

 

 夜が明けて、わたしは髪を剃った。

 剃った髪と共に、己は死んだものと思うことにした。

 亡者達が残した言葉を幾度も思い返してみる。

 魂を救え、それに見合う場所と魂を探せ。

 意を決したものの、わたしは途方にくれた。どういうわけか歳は取らず時間は腐るようにある。

 だが、肝心の人が見つからない。

 誰一人わたしに眼を留めぬのに、どうやって見つければよいというのか。

 長い年月が流れた。

 

 そんなある夜、カナと出会ったのだよ。

 カナは死にたがっていた。

 己の定めに絶望して、死に場所を探していた。

 通りすがり、カナに声をかけてみた。

 

「この辺りにうまい蕎麦屋はありますかな」

 

 すると答えたのだよ。

 力ない声ではあったが、細い指で一軒の蕎麦屋を指差した。

 わたしの声に答えた者は初めてであったから、わたしには直ぐわかった。

 この女が、あるべき場所を支えるに値する者なのだと。

 女がそれほどまでに死に急いでいる理由は、わたしには解らなかった。

 それを知ったのは、もっと先のことであったから。

 ずっとカナの様子を覗っていたわたしは、橋の袂に立つカナに声をかけた。

 カナがその夜、命を絶とうとしていることに気づいていたからだ。

 

「その命、いや、魂をわたしに預けてはみぬか? そなたが思うように探す者が闇を彷徨うておるなら、探す手助けをしよう」

 

 死に魚のようだったカナの目に、光が宿った。

 

「魂を預けるとは、どうすれとおっしゃいますか?」

 

 カナはそう問うた。

 

「わたしの手で、そなたを殺す」

 

 カナは瞬きひとつせなんだ。

 

「今宵捨てようと思うた命にございます。万が一にもあの人を救う手立てがあるなら、この命差し出しましょう」

 

 深い事情も聞かずカナが意を決したのは、藁にも縋る思いであったからであろうか。

 月明かりのない夜であった。

 カナの持つ提灯だけが、若く美しいその顔を照らし出していた。

 わたしは印を切った。

 刀を持って、その切っ先でカナの体に印を刻んだ。

 カナの命は絶え、魂がわたしの前に残った。

 生きながらに亡骸と化していた魂を、死して咲かせたのがカナだった。

 そして、今に至るのであるよ。

 

 

 野坊主の語りが途絶えても若造の胸は大きく波打ち、すいと立っていた女は、膝から崩れて両手で顔を覆った。

 飽きるほど虫の音が鳴った頃、ようやっと若造が口を開いた。

 

「カナさんが、死にたがっていた理由とは、いったいどのような」

 

 壁に模られた野坊主の瞼がきつく閉じられる。

 

「陽炎、とても良い湯であったよ」

 

 庭の向こうから主の声がした。

 すいと女の姿が消える。

 

「それは語れぬ。似非坊主が語って良い話ではないのだよ」

 

 野坊主の姿が壁の中に吸い込まれていく。

 後には平らな壁と、放心した若造だけが残された。

 わたしは主の心と体の痛みを思い起こし、何もできぬこの身を軋ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 このお話もいよいよ終盤に差し掛かってきました。
 あと何話か続きますが、できれば最後までお付き合い下さい
 では!
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