アインの名前と記憶を取り戻す、そんな約束をした翌日。
その日は、目が覚めた時から嫌な予感がしていた。チリチリと首筋がひりつくような、或いは最高位の龍に睨まれた時のような恐れにも似た感覚。もしやと探っても、相変わらず私に向けられた墜星の視線は2つのまま。エターナルの調子も、私の寿命も変わりない。だから何1つ根拠なんてない、ただ漠然とした不安感。
「それなのに、何なんですかね……この感覚」
そう呟きながら窓から覗く街並みには、魔界に入ってから始めて見る雨が降り頻っていた。それもかなりの大雨で風も強いらしく、窓にはしきりに雨粒が当たっている。
何も知らない筈なのに、何となくこの風景を……これから起こることを知っているような
「当方には、そのような気配は感じられないと疑問する」
「ですけど、昨日から不穏なことを言われてますし……」
「認識している。であるからこそ、今当方たちは魔剣を造っているのでは無かったか?」
「それは、そうなんですけど」
そういうアインが握るのは、昨日私が完成させた魔剣の核となる部分。試作型2振りとⅡ型1振りの合計3振りの魔剣を合一させたそれは、その大きな力の代償に、アイン以外が起動させた瞬間身体が吹き飛ぶような甚大な反動を持っている。そのアインにしても、全身の魔剣と同調させて漸く安全に起動できる程だ。
その為の調整と同調中なのだけど……いつもと違って、大丈夫と断言出来ない。いや、当然作業は順調そのものだ。ただ、それによって問題を解決できるか、と聞かれると……だ。
「何か、何かが致命的に足りない気がするんです。このままじゃ、いけないような……」
「不可解だ、と疑問する。現に当方もアヤメも既に戦闘準備はほぼ完了していて、体調も万全だ」
「そう、ですよね」
アインの装備は絶賛調整中の魔剣以外、新たに拵えた物で完璧。私の装備も魔力炉心含めて完璧に整備してある。探知だって、私とアインの二重展開で隙は極めて少ない。そう、十分で完璧な準備をしている筈なのだ。
「肯定する。少なくとも当方たちは、可能な限りの手を尽くしている」
「そうです、よね……切り替えなきゃいけませんね」
笑顔を作り、一緒に心を切り替える。私たちは、まだ何も間違えてない。だから大丈夫、きっと大丈夫な筈なのだ。そう、無理に違和感を飲み込もうとして──
ー いいや、終わりだ我が同類。
「ぁ……ッ!?」
瞬間、意識が凍りつくような殺気の重圧。そして私を見つめる視線が片方、視線だけで射殺せる程鋭くなって。詠唱、防御、だめ、間に合わない。
「アヤメ!!」
この異常な密度の死の気配には、アインも気がついたのだろう。私が咄嗟に突き出した右手を、思い切り引いてくれた。だけど嗚呼悲しいかな。自業自得だ。私が一瞬反応し遅れたせいで、アインがくれた助けの手は届かない。
「ッ!!」
上空から墜ちて来た、斬撃の死線にして死閃。いつかの様な十字斬撃の雨ではなく、ただ一刀の元に放たれたソレは、直前まで私がいた空間を容赦なく
風景に段差が生まれ、2つに裂いた写真のように世界が真っ二つに斬り裂かれる。本来ならば次元魔法を用いなければ実現しないそれを、膂力と技量のみで実現したのを頭で理解して──
斬閃に重なっていた空間が、甚大な衝撃を撒き散らしながら崩壊した。その空間にあるもの全て、長く伸びたままだった髪と、置き去りにされた私の左腕も巻き込んで。
「あああぁぁぁぁぁぁッ!!!!???」
熱感、一瞬遅れて来る激痛。そして莫大な衝撃に呑まれて、もんどりうって私とアインは宿屋だった場所の壁に叩きつけられた。
そんな視界の中、崩壊する街を見た。砕け散る人を見た。まるでガラスでも割り砕くように、世界がひび割れ砕け散る。斬閃に重なっていた空間に何1つとして例外はない。建物も、甲板も、人体も、水も、何もかも、陶器の様にバラバラに砕け散る。
その原理としては単純、斬閃で割断した世界をプレートに見立てた地震だ。そんな言ってて意味が分からない事が、平然と実行された。化け物だ。いや、違う。そんなことより今はもっと、先にやるべきことがある。
「
意思を振り絞って、右手で引き抜いた魔剣を限界駆動。死を遠ざけて、痛みの感覚が麻痺しているうちに、鮮血を噴き出す左腕を焼き焦がして止血する。それをアインに治癒してもらう中、一切私に向けられた死閃が弱まってないことを自覚して。
「魔剣、
私の持つ12本の魔剣を全て、エターナルに同時装填して解放した。反動で身体が軋み、
「ふ、き、と、べぇぇぇぇッ!!!」
今まで一度たりとも成功しなかった、魔剣の能力と能力の融合。それを果たす覚醒にも似た限界突破に成功しながら、今回は堕ちてくる死閃に先んじて攻撃が空に昇る。間に合った魔剣コドクとルンペルシュテルツヒェンの加護をも受けたそれは、試作魔剣の一撃にすら劣らない。
嗚呼けれど、やはり何もかもが遅すぎて。
堕ちてきた天も地も世界ごと等しく割断する斬撃に、私のちっぽけな抵抗が届く。ただし、拮抗は僅か数秒。圧倒的な出力差によって、ロクな抵抗すら許されずに光の刃は砕け散る。
だが。だがしかし、そうして稼いだ刹那の時間に。地表から空のソレと
眼球だけを動かして、一瞬のうちに崩壊した街並みを見れば、その中に起立しているのは腕の大鎌を振り切った黒い蟷螂の機体。即ち、スマイヤー・ラプティスと魔剣メメントモリが立ち上がっていた。
当然の帰結として、衝突する世界を分割する絶対切断。
片や、純粋な技巧に莫大な膂力を加えたことで成立した、技術の粋たる世界の割断。
片や、純粋な技巧の面では及ばずとも魔剣と魔術いう技術を加えることで成立した、術技の粋たる世界の切断。
能力値に差異こそあれ、発生する結果に優も劣もない破壊現象。そして当然の帰結として、最初に世界が悲鳴をあげた。
発生する
このままでは世界自体が崩れて消える事を、変に冴え切った頭で理解して。しかしそうはならない事すら、瞬時に頭に入ってきたから。
「アイン、腕はもういい。合わせて!」
「認識した!」
違和感も、既視感も、全てを一旦飲み込んで。起動させた魔剣チョークの『概念を刻む』力で、私達だけを対象とした『次元ごと隔離する魔法陣』を刻み込んだ。
ピシリ、バキン、ビキ、などという不吉な異音が響く中。『時間は進む』などと同じ様に、概念として刻まれた魔法陣が起動する。流し込まれたアインの魔力に私の魔力も同調させて、魔剣の調律と同じ要領で出力を跳ね上げる。
ー さあ、██を示せ英雄の娘。審判の時だ ー
爆音。そして、展開した概念防壁ごと、全てが崩壊した。
顔見知りだった魚屋も、八百屋も、私たちがいる宿屋も、バザーが開かれていた大通りも、全てが一瞬のうちに上から押し潰される様にして破壊されていく。私たちも例外ではなく、全身に灼熱の感覚を感じながら、強引に世界ごとシェイクされた。
世界が矛盾を受け入れる為に、剣戟を相殺したせいだ。そのせいで、常軌を逸した破壊力が撒き散らされた。またそんな意味のわからない知識が脳裏をよぎる。
「ッ、痛ぅ……」
一時的に聴覚が狂っている。音が近くて遠い。それでもどうにか取り戻した平衡感覚に従って立ち上がれば、そこには、何もかもが変わってしまった光景だけが広がっていた。
瓦礫、瓦礫、瓦礫、瓦礫の山。
無事な建物など見渡す限り1つとしてなく、甲板にも余りにも深い斬撃痕が谷の様に鎮座している。それだけでも、私の中で何かが壊れた音がした。なのに、嗚呼、嗚呼、それよりも甚大な被害が出ていることを、鋭敏な獣人の嗅覚が証明していた。
噎せ返るような、強烈な血の臭い。鉄錆の赤によって甲板は、旗艦アスガルドは染め上げられていた。瓦礫の下から見える右手、瓦礫の中から覗く顔、無残に打ち捨てられた人体だったもの。魚屋のおっちゃんがいた、八百屋の人がいた、無数のホムンクルスの人達の死体があった。
「アイン、無事ですか……?」
「肯定、する。だがこれは……」
絶句とは、きっとこのことを言うのだろう。
何もかもが散乱していて、無事なものなど1つもない。メメントモリの機体である黒蟷螂も、なにも残っていない。偽装された空も崩壊し、ひび割れた虹の円環と呪いに満ちた暗黒に空は染まってしまっていた。
そんな大殺戮の行われた場所に、空から1つの影が降りてくる。
それは、枯れ枝のような老人だった。
それは、クリフォトの結晶で継ぎ接ぎされた結晶憑きだった。
それは、紛れも無い強者であった。
白目が黒に黒目が真紅に変色し、髪は色素の抜け落ちた白い髪。血の気の失せた白い肌。大柄だが枯れた老人のような身体に対し、左腕だけが筋骨隆々だ。その時点でも異形であるというのに、左腕の肘半ばからクリフォト結晶の筋が無数に走る継ぎ接ぎの大剣が合一している。
そしてそのヒビ割れは、身に纏う古式の鎧だけならず、この存在の身体にまで及んでいた。ボロボロのマントに隠されてはいるが、左眼の下から首筋にかけて、大きな青い結晶の筋が刻まれている。
そしてそしてそして、嚇怒と共に私を射貫く鋭い視線は、いつも私を見ていた片割れに違いない。アレこそが墜星。こんな惨状を引き起こした元凶。
頭でそう認識した瞬間、
押し寄せるのは死のイメージ。
首が飛ぶ。頭がかち割られる。輪切りにされる。一刀両断。そんな無数の死、死、死死死死死死。仮にも戦闘者である以上、避けようのないソレを直感できて──
「成る程、失格だな」
「防御魔術最大展開! 避けろ!」
十重二十重にアインが防御系列の魔術を展開してくれたお陰で、死の実感に支配されていた身体の自由が俄かに戻る。だが既に、墜星の剣は振り抜くかれる直前で。
「はあぁぁぁッ!」
私に出来た最後の抵抗。斬閃に合わせて、エターナルを突き出すという最悪の最善手を切ってしまうことが出来た。
生まれた結果は2つ。
防御魔術を紙のように斬り裂いて襲来した斬撃で、私は死ぬことはなかった。ソレどころか、頬を一筋斬り裂かれた以外の被害を負うことも無かったこと。
そしてもう1つが致命的だった。私の魔剣は、正式名称エターナル・ツヴァイは、常時封印している魔剣だ。抜いただけで命を削る特性上、外付けのパーツで機能の大半を封印している。魔剣も身体も確かに無事だった。だが、その封印は飽くまで外付け。魔剣ほどの強度はあっても、本質的に及ばない。故に、右刃の封印は、たった一合剣を交えただけで砕け散っていた。
ピシリ、とひび割れる音。
露出した焔のような赤い右刃が、狂ったように私の命を吸い出し始めた。髪の毛が火の粉を吐き出し、右眼の視界が変質する。嚇怒に狂った獣のソレに、右の瞳が黄金に染まる。縦に割れていく瞳孔が、未来予知に等しい結果を弾き出す。
「そうだ。それこそが貴様の本来の姿。俺の同類だ」
私のそんな姿を見て、墜星は笑っていた。心は読めないけれど、嬉しそうに。そして無様でしかないと、嘲るように。そんな様が、堪らなく腹立たしくて。
「待て、アヤメ!」
「死ねぇぇぇッ!!!!」
気がつけば、アインの制止すら振り切って
「どうした、俺を殺すのではないのか?」
当然、そんな力任せの一撃は通らない。ああそうだ、そうだろうとも。それくらいは想像していた。その程度はしてくるだろうと、まだ冷静な頭で理解していたから。左腕の抜き打ちで、素っ首を叩き落とそうとして──左腕が無いことを、今更のうちに思い出す
秘呪解放──天獄氷嵐
「少しは頭を冷やせ、アヤメよ」
吹き荒れた呪いの暴風雪が、時間すら凍りつかせながら私と墜星を飲み込んだ。煩わしいそれを
「リィン、さん……」
「うむ、そうだ。間一髪だったなアヤメよ。感謝するが良い」
確かに冷やされた頭でその下手人を見れば、傷だらけながらも健在なリィンさんがいた。既に限界駆動中の真魔剣ディーアボロスを構えた戦後世界の魔王が、怒りと殺意を隠すことなく立っていた。
残り127日