気がつけば、アインは見知らぬ場所にいた。
白く、白く、ただただ白く、何もない場所だった。青空も、太陽も、大地も、風も、暖かさや寒さも、音も、感じられる情報は何もない。
何故か十全に動く己の身体以外一切の存在も物質もなく、けれど寂しさは感じることがない無謬の荒野。アインがいる場所は、そんな空間だった。
「ここ、は……」
思わず困惑が先に出た。そうだ、あり得るはずが無い。何せ自分はつい数瞬前まで、アヤメと共に死を待つだけの存在だったはずだから。
『ああそうだ。どうせなら、アインに言っておかなきゃですね』
そして嗚呼、そうだ。振り下ろされる巨剣が、アヤメと自分に振り下ろされる直前に。
『好きも愛してるも、私にはわかりません』
自分の中ですら決着も付けられていない、ただ必死の状況に思わず口をついて出てしまっただけの感情に。
『でも、私の隣に居てくれた
泣き笑いしながら、アヤメはそんな勿体ない答えを返してくれた。
それが嬉しかったのは間違いない。ただそれ以上に、死んでいないだけの自分が何も出来ないことが悔しくて。
「……そうか、当方は死んだのか」
この場所に居ることを知覚したまでのことを全て思い出し、自然とアインはそう結論付けた。あの墜星なる意味不明のアヤメを付け狙う輩から、当方は好きな人すら守り切れずに命尽きた。そう考えるのが、尤もらしい結論だ。
「ならばここは、地獄か天国か」
その結論を自覚した瞬間、アインの心を支配したのは後悔と諦めの感情だった。
自分が死んだということは、間違いなく自分を庇ってくれていたアヤメも斬り捨てられてしまったことだろう。あの巨剣の太刀筋は、そういう必ず殺す類のものだった。
「はぁ……」
普段から考えれば、あり得ないほど人間的なため息が零れた。本人には無意識のため気づけない、
「当方は、これからどうなるのだろうか」
聞くところによれば、死後には天国なる極楽の世界と、地獄なる苦痛と労働の世界のどちらかへ導かれるらしい。
自分は数え切れないほどの悪魔を殺し、人をも間接的にだが殺しいてるから地獄なる場所へ行くことは確実だろう。だがそれでもアヤメには天国へと行って欲しいなどと、益体も無い考えが頭を巡る。
しかしはて、こんな知識自分は持っていなかったはずと、頭に疑問が浮かんだ時のことだった。
「どこに行くか? そんなもの決まってる。天国でも、況してや地獄でも無い。行くのは現実。私とマスターが愛する
「誰だ!」
突然聞こえた超然とした声に、勢いよくアインが振り返った。先ほど見渡した限り、何も存在しなかったこの世界に一体何が現れたのかと、何故か使えた魔法を待機させ振り返った先に居たのは……記憶にある、見知らぬ人物だった。
幼女と言えそうなほど背が低く、顔立ちも幼い少女。金髪に見える虹色の髪という極めて異色な髪の毛を膝丈まで伸ばし、紅と蒼のオッドアイを持つこの人物は──
「私が誰か? そんなこと、貴方自身が知っている」
「ティア、クラフト……」
己の命の恩人の1人かつ、アヤメの義母。
そして、かつて七英雄と言われていた1人。
そして、すでに死んでいる筈の人物。
「正解。そしてティア・クラフトが、既に故人であるということも間違っていない」
「……つまり、貴方は死んでいないということで相違ないか?」
「理解が早くて助かる。今、貴方の目の前にいる“私”という個体は死者ではない。かつて
目の前にいる死んだ筈の精霊、それが語った言葉を一先ず真実と仮定して納得した。何故か目の前の人物に対して感じる懐かしさと、この人なら信じられるという謎の感覚の後押しこそあれ、理屈で言えば
そして、目の前の恩人がそういう存在であるなら、今自分がいるこの場所もおおよその検討は付けられる。
「認識した。つまりここは、魔剣の中か」
「そう、本当に話が早い。正確には、聖剣と呼ばれる試作型魔剣より上位の、墜星のみが持つ武器の中」
墜星のみが持つ武器、そう本人が告げた以上答えは1つ。
「貴女も、墜星なのか?」
「肯定する。私のかつての
淡々と、事実だけを羅列するように彼女は言う。こんな程度、別に大した事実でも何でもないと言うように。
「当方とアヤメの敵か?」
「違う。私は聖剣に宿った
子供の味方という言葉に微かな違和感を覚えるも、事実アヤメは15歳。アイン自身も改造された身体は14、5歳だが、アイン・ナーハフートとしては5〜6歳が良いところだ。揃ってまだまだ子供と言われておかしくない年齢である。
「ならば、貴女の目的を問う。ティア・クラフトの残響よ」
「言った通り。私は子供の味方、愛娘と貴方の命を守る。その為だけに私は存在する」
力強く彼女がそう断言するに合わせて、純白の世界が鳴動した。ゴウンゴウンと低い音が響き始め、止まっていたモノが動き出すような感覚が走る。
「やっぱり、血の繋がった実子でも10秒が限界か。幾ら停滞で引き伸ばしても、無理があった」
「……実子? 待って欲しい、当方が貴女の実子とはどういうことだ!?」
舌打ち混じりに吐き捨てられた彼女の言葉に、アインの思考が一瞬停止した。なにせ、記憶のない自分の根源に近づける内容だ。心の奥で燻っていた感情は無視出来ない。
「そのままの意味。貴方の人体改造には、私の遺伝子も使用されている。それだけの話」
「なら、当方の本来の名前も!」
「当然知っている。けど時間がない、後にする」
きっぱりと、疑問を断ち切る言葉にアインの動きが止まる。二の句を紡がせない言葉の強さに、余計な言葉が封じられた。
「ならば、次の機会には聞かせてもらいたい!」
「構わない。次があるなら」
純白の世界にヒビが入る。漆黒の亀裂が世界を蝕んでいく。そんな中、あいも変わらず超然とした態度で彼女は言った。
「ならば、当方は何をすればいい?」
「
「認識した」
「その後に、アヤメの心を助けて欲しい。もうアヤメの心は、耐えられない。壊れてしまった。私の言葉でも支えられない。だから」
その最後の言葉だけは、どうしようもなく心が込められていたから。
「認識した。当方の可能な限り、全力を尽くそう」
そう言って、アインは力強く頷いた。
◇
キィンと、甲高い音が響いた。
誰かが割り込むことはありえず、縦しんば割り込めたとしても鳴るはずのない綺麗な異音。
そんな異常に思わず目を開いた先には、一振りの杖が、キラキラと銀の光を零しながら屹立していた。2つの木が捻れ合わさったような意匠と白い花の意匠が目立つそれは、お義母さんの遺品である聖剣に間違いない。
実際に手にして使おうとしても、エターナルで干渉しようとしても、最低限以下の反応しかしてくれなかったせいでエターナルの内部で塩漬けとなっていた一振り。それが何故か大樹の様に小揺るぎもせず巨剣を受け止め、私を守るかのように浮かんでいた。
「なん、で……」
それが間違いなく事実であると、理解できるから理解が出来なかった。だって私は今、指一本エターナルに触れてない。だから魔剣が勝手に出てくることも、況してや独りでに動き出すなんてこともあり得ない筈なのに。
「やっぱり貴女は邪魔をするんだな」
再度振り下ろされた巨剣も、甲高い音を響かせて杖が受け止める。それを見て初めて、墜星が過去を懐かしむような、思い返すような柔らかい口調で言った。
既視感
その知らないはずの姿を知っているという、強烈な違和感に頭をかち割られた様な激痛が再発する。
「次元の精霊ティア・クラフト──いや、今は敢えてこう呼ぼうか。白痴に微睡む哀れなる神の分御霊。原初にして終端の我等が同胞。墜星・
だがそれも、口調の戻った墜星の言葉を聞いた瞬間に消え去った。
正確には今もまだ割れそうに痛いけれど、それよりも今の言葉が衝撃的で他のことが考えられない。墜、星……? 泡影……? お義母さんが……?
「最早その娘を守ることに、何の意味も無いというのに」
待って。ちょっと待って欲しい、お願いだから。
もしも、もしもだ。もしこの墜星の言うことが真実だとするならば、お義母さんもコイツらと同じ枠組みにいたのだとするならば。全部の前提が崩れる。
だって、だって、だって。私は、私が生きてこられたのは、お義母さんが居てくれたからなのに。それが、まるでその言い方じゃ──
「ふむ。やはり、怒ることも八つ当たることもなく、逃げ出しもしないか。この程度では毒にも薬にもならなん。一縷の望みに掛けてみたが、やはり今回は失敗だったらしいな」
全部、嘘だったみたいで。
「次があることを祈って逝くがいい」
何も考えられない、考えたくない私に振り下ろされる巨剣。明らかな溜めがあった以上、あの次元ごと切り裂く斬撃が放たれることは確実。そこまで理解しているのに、私の身体は動いてくれなくて。
「そのようなこと、させはしないと否定する」
死を齎す断頭台の一撃は、銀光を散らす
振り下ろされる巨剣を弾き返したのは、は銀光を散らす聖剣。
けれど今は、剣が1人でに動いた訳ではない。血涙を流し、右目を敵意と血で紅に染めた担い手がそこにいた。全身から滴り落ちる血の雫、灰色の髪からは透けているが金色に見える虹の長髪を伸ばし、不自然に凹んだ左目を固く閉じるその人物は、間違えるはずもない。
「ア、イン……?」
「肯定する。だが、細かい話は後だ。逃げることを優先する」
けれど、私の疑問に答えたのは2つの声。聞き慣れたアインのそれと、もう耳にする筈もないお義母さんの声。どう見ても魔剣とは別の破格の加護……聖剣の加護を受けている上、獣人の固有技術である完全転身までしていてまるで意味がわからない。
そんな状態、お義母さんが手を貸しでもしない限り、あり得べからざる現実だから。
「逃すと思うか?」
「否定する。だがそれでも、当方はアヤメを守る為ここにいる。そう決めた」
そんなことは至極当然理解している。だが認めないと、疑問を投げる墜星をアインが突き放す。そして、苛烈なまでの敵意を向けて聖剣を持たない手を墜星に向けた。
「ならば守ってみるがいい!」
「言われずとも──
次の瞬間、アインから爆発的に放出される次元属性の魔力。組み上げられる未知の術式を通じて、呼び起こすのは未知のナニカ。更にそれを原動力にして、私の知らないナニカを発現させていく。
そうして顕現したのは、いつかも見た青い波導。放射状に広がるそれに触れた瞬間、あの時同様全てが停滞する。その中で、異常な反応を示したのは剣を構えた墜星だった。
「くっ──!」
墜星のひび割れた身体を繋ぎ合わせていたクリフォトの結晶、それが急成長して雁字搦めに身体を拘束し始めていた。何もかもが停滞している筈の中、結晶の成長速度だけは加速しており、もがく墜星の意を介することなく、無尽蔵に成長しては墜星を飲み込んでいく。
「はぁぁぁぁぁッ!!」
5秒もしない間に、抵抗すら許されず墜星は結晶に飲み込まれた。後に残されたのは、ミニチュア版のクリフォトとでも言うべき結晶樹。中心に取り込まれた墜星が不気味な、しかし奇妙なオブジェだけだった。
「長くは保たない。逃げるぞ、アヤメ!」
一瞥したのみでアインはそれから目を離し、振り返って私に手を伸ばした。そんなに必死に言われたら、断れる訳ない。手に持ったままだった魔剣をエターナルに叩き込み、片方しかなくなった腕で反射的にその手を取る。
「転移術式《銀の門》・
瞬間、銀の光で描かれる魔法陣。これもまた、私の知らない未知の術式だった。相当以上に高位の魔法と理解だけはした次の瞬間、転移特有の感覚なしに視界が切り替わっていた。
「ここ、は……?」
「座標としては、中央1番艦アルフレイムだが……」
草木が生い茂り、食料プラントであった筈の船は様相を異にしていた。草木だけではなく、乱立するのは私が足繁く通っていた工業区のそれ。即ち、船体パーツや武装を製造していた中央3番艦スヴァルトが、アルフレイムと合体していた。
「いや、今は後回しだ。どこか落ち着ける場所を──」
私の手を引いて必死になってくれるアインは、どこか、物語の中のヒーローのようだった。でも、
「ごめん、なさい……」
そんな姿を見て、一番最初に感じたのは
アヤメ 残り53日
アイン 残り60日