「ごめん、なさい……」
口走った言葉に触発されて、ポロポロと随分長く流れることのなかった涙が溢れ始めた。何度腕で拭っても止まらない。
ごめんなさい、ごめんなさい。こんな私を、助けさせてしまってごめんなさい。そんな後悔の念ばかりが込み上げてくる。
「当方に、何か至らない点があったか?」
「違う、違うんです……」
我ながら弱々しく首を横に振り、アインの言葉を否定した。
だって私には、こんなに良くしてもらえる価値なんてない。
こんなに優しくしてもらえる価値なんてない。
こんなに、守ってもらえる価値なんてない。
「私、もう何もないんです。何かも空っぽで、アインにこんなに優しくして貰っても、何も出来ないんです……」
もう、私は私の心が折れていることを認めてしまった。
そのうえ、お義母さんとの生活まで嘘だったなんて言われて、納得してしまった以上、一体私に何が残っていると言うのか。
「生きる意味がもう、わからないんです……!」
そんな心のまま私は、震え切った声で叫ぶように言葉を吐き出した。
折れた心はそのまま野晒しで、今までのように取り繕えない。そんなことをしても、ただただ痛いだけと認めてしまったから。
それでもと縋っていた過去の思い出は、偽物かもしれないと言われ、それを認めてしまったから。お義母さんも、もう心からは信じられない。
その話を前提とすると、私のこれまでの旅路だって怪しいものだ。何も仕組まれていないなんて、楽観的な考えが出来るほど私の頭は花畑じゃない。
「なんで、私は生きてるんでしょう……?」
心と一緒に、完全に膝が折れた。アインが手を引いてくれても立てないくらいに、完全に私は立ち止まってしまっていた。
きっと本当なら、ここから立ち上がって復讐なり平和に逃げるなりするのが正しいことなのだと思う。
それこそ復讐ならレッドキャップの担い手であったクリムさんや、マンチニールの担い手であったリヨンさんの様に苛烈に。
平和を望むなら、ユメウツツの担い手出会ったアマルさんとアウルさんの様に逃げ出したり、クハクさんの様に自分の世界に閉じこもればいい。
「生きているだけで辛くて、痛くて、本当に、何でこんなことになってるんでしょう……?」
でも、もうそんなことは出来なかった。奪われて、押し付けられて、でも私なんかがそんなことを言っても迷惑だから誰にも頼れない。だから歪んだ自分に蓋をして、見えない様にする。そうして笑顔を振りまいて、平気だと自分ごと嘘をつく。
そんな辛いことを続けて、我慢し続けて、耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐え続けて──その果てに得られたのが、たった1つの
「楽になっちゃ、いけないんですかね……?」
こんな世界否定してやる、ぶち壊してやるなんて、少し前までなら吼える事が出来たと思う。それが私が背負わされた大罪、悲嘆と虚飾と、何より嚇怒の本質だから。けどそんな最終手段も、私なんかを好きになってくれる人が、ここまで必死になってくれるなんて“優しさ”をなまじ知ってしまったから。
だから、それで完全にダメだった。
罅の入った我慢の器は、限界を迎えて崩れ始めた。必死に取り繕っていた心の堤防は呆気なく決壊して、涙と言葉が止めどなく溢れ出す。
「こんな現実しかないなら、もう、生きるのなんて馬鹿みたいじゃないですか……!」
私はもう、平穏で穏やかな日々だけあれば良いのに。
あの頃みたいに、気ままに生きていられるだけで良いのに。
優しくて、易しい世界に沈んでしまいたいのに。
そんな結末は認めないと、私の末路はそうじゃないと、望んでいない何もかもが、望んでないままに襲い掛かってくる。まるで、誰かの脚本の上にいるかのように。
「ならば問おう。アヤメは、あの場で死んだ方が良かったのか?」
「そんなわけ、ないですよ。私だってまだやりたいことが、やり残したことが沢山あります」
心の底から死んで楽になりたいと思っているのに、やりたいことだって沢山ある。生きていたくなくて死んでしまいたいのに、生きているのだから死ぬのは嫌だ。生を諦めたくはない。悲嘆を叫びながら未来も求める、強欲で虚飾に塗れた矛盾に満ちた傲慢な心。一皮剥けば私なんて、そんな半端で醜悪なものでしかない。
「次いで問おう。アヤメの義母であり、当方の恩人でもあるティア・クラフトは墜星だ。アヤメを狙う怨敵の一派だった。そのことに当方が思うところがないとでも、アヤメに対し何も感じてないと思うか?」
「そんなの、わかりませんよ。人を好きになったことも、好きになってもらったこともないんですもん……」
聞きたくない。聞きたくない。理解なんてしたくない。耳を塞ぐように言葉で突き放す。だってそんなの痛いだけだ。また私が苦しむだけだから。
「認識した、ならば包み隠さず言おう。当方はアヤメのことが好きだ。この件に関して、ティア・クラフトに対し非常に不愉快であったし、落胆した。そして今も変わらず、心の底からアヤメを心配している」
そうして組み上げた防御を、アインの言葉は一撃で打ち砕いてきた。知らない。知らない。聞きたくない。そんな
「それに、本当にアヤメは、あの人と一緒に過ごした日々の全てが偽物で、作り物でしかないと思うのか?」
「そんなの、信じたい訳、ないじゃないですか。私の最後の家族ですよ? 思い出は本物だって、信じたいに決まってるじゃないですか……!」
でも、状況証拠が揃ってしまっている。今はアインが持っている聖剣を持っていたし、最後の言葉からして他の聖剣の担い手のことも知っていた。そして私が、聖剣の担い手と戦うことになることも知っていた。お義母さんは占いによる未来予測が得意だったから、最後のは違うかもしれないけれど……他2つで確定的だ。
「でも、どうやって信じればいいんですか……?」
そう1人で決めつけて、勝手に納得してしまうのが輪をかけて最悪だと知っているから。縋るようにアインに問いかけた。
「絶対に裏切らないって、守ってくれてるって信じて、裏切られたのに。私だって、ずっと自分を騙してきたのに。ねぇ、アイン。それなら私は、何を頼りに、何を信じればいいって言うんですか!」
「当方を!」
目に溜まった涙が散る勢いで叫んだ私の肩を掴み、私の目をまっすぐと見てアインは言った。見ないで、見ないで、そんな真っ直ぐな目で。
「当方を、信じてはくれないか」
「どうやって……?」
「少なくとも当方は、アヤメに対して嘘をついたことはないと記憶している」
「これからは、そうじゃないかもしれません!」
「当方にはそもそも嘘をつくという行為が不可能だ。何せ当方は改造された人間だからな。本来の名前を思い出せば違うだろうが、少なくとも今の当方は嘘をつけないよう調整されてる」
「帰る場所も、生きていい場所も、もうないのに……!」
「当方が、アヤメの帰る場所になろう」
「でも、私はもう、どうやって、生きれば、いいのかだって……!」
「ならば、当方がアヤメの生きる意味になろう。その為の
拒絶しようと言葉を幾つぶつけても、1つ1つしっかりと否定されてしまう。腰は抜けていて、逃げようとすることも肩に当てられた手に阻まれてしまっている。それに、そんな言葉。
「そんな、プロポーズみたいな」
「プロポーズか、悪くない……否、望むところだ」
私の言葉を遮る形でアインは言った。そして、ならば当方も覚悟しようと、一息置いてからアインが言葉を続ける。
「この命尽きるまで、二度とアヤメに不幸だなどと言わせない。お互い短い命だからこそ、必ず幸せにしてみせる。だから当方と一緒に歩んではくれないか」
「そんなの、ズルイですよ……」
だってそれじゃあ、
「私ばっかりいい思いして、アインには何もないじゃないですか!」
私のして欲しいこと、私を認めてくれること、私の隣にいてくれること、全部受け止めると言っているのに見返りが何もない。それじゃあ、あり得るはずがない。
「こんな性格が捻くれてて、体型だって子供で、片手も脚もなくて、不細工で、心も汚くて、嘘つきの人間が! 私みたいな塵屑が、そんな幸せな思いをしていいはずないじゃないですか!!」
気が付けば吐き出してしまった本心に、ハッと息を飲む。
言ってしまった以上、もう終わりだ。だって自分から救われようと思っていない相手を、わざわざ助けようなんて思う奇特な人間いない──筈、なのに。何故かアインに、私は抱き締められていた。
暖かい、人肌の感覚。同時にとても濃い血の臭いと、紛れるようにしてアインの匂い、そしてあり得べからざるお義母さんの気配が私を包み込んだ。
「当方はアヤメが優しい心の持ち主であることを知っている。当方もアヤメもまだ子供だ、体型など気にする必要はないと断言する。四肢の欠損もだ。全身がほぼ義体である当方が言うのだ、間違いないと断言しよう。嘘など、生きていれば大なり小なりつくものだ。故に、アヤメの言葉を否定しよう。人は誰しも、幸せになる権利がある」
耳元でそんな、優しい言葉が囁かれる。
「それに、存外当方という男は、初心で単純な男であったらしい。アヤメと共に安らげる時間さえあれば、当方にとっては何物にも代え難い報酬だ」
「……じゃあ、なんですか。私はもう、幸せになりたいって、思ってもいいんですか?」
「肯定する。これまでの分、アヤメは幸せを願っていい。寧ろ得るべきだ」
これは都合のいい夢なんじゃないか、もしくは私が死に際に見ている走馬灯なんじゃないか。頭の冷静な部分はそう告げるけれど、もう耐えられなかった。アヤメ・キリノとして被ってた仮面を壊して、震える喉がずっと溜め込んでいた感情を涙と一緒に吐き出し始めた。
「ごめんなさい、肩、借ります」
溢れる涙が止まらない。これが自分の声なのかと思うほど、情けない泣き声が止められない。死地の真っ只中に自分がいることも、状況が何も好転していないことも、一歩踏み出した先に死が待っているかもしれないことも、全てを忘れて私は泣き噦っていた。
今この時だけは私は、私のことを好きな男の子の腕の中で、ずっと昔に捨てた筈の1人の女の子としていられた。
◇
だけどそんな風にいられる時間も、本当なら余りにも勿体ない。だから1分だけ、60秒だけ全力で泣いて、泣いて、泣いて。無理矢理に気持ちを切り替えた。
「ありがとう、ございます。何というか、楽になりました」
2、3回深呼吸すれば、何とか話すことができる程度には息も落ち着いてくれた。こんな風に泣いたのは、それこそお義母さん以外には誰もいない。そう考えると、今更ながら恥ずかしくなってきた。
「当方は全霊の告白を躱されて、非常に不満だと申告する」
息も触れあうような距離で、むっとしたアインがそう言った。改めて、やっぱりアインのことはカッコいい異性には思えない。こういう時、家にあった漫画なら私が恥ずかしがったり、心臓がばくばくとなる筈なんだけど。逆に、親しみと安心しか感じない。
「全部が終わったら答えるって、私言いましたよね。だから今は答えません、でもまあ、その、ここまで言ってくれる人は、アインしかいないでしょうし……期待は、してて下さい」
それに死ぬ前に、そういう関係を経験してみたくもある。これが恋なのかは知らないけど、なら頷いてもいいと思うのだ。ママとパパみたいにイチャつけるかと考えると、果てしなく疑問に思うけど。
「そう、か。認識した。ならば当方も、アヤメの義母に全てが筒抜けの状態で言った甲斐があった」
「……ちょっと待ってください。お義母さんに全部筒抜けってどういうことですか?」
安心したようにアインが言うけれど、ちょっと聞き捨てならないことが混じっていた。アインとお義母さんが筒抜けとは、一体どういうことなのか。
「当方は現在、この聖剣に宿っていたティア・クラフトのコピーと同調、獣人ならざる身で完全転身の状態にある。つまり……」
「コピー……
獣人界育ちな以上、それが何を意味しているのかは否が応でも分かる。完全転身とは、精霊と一体化することにより物理法則を外れる技術。そう、一体化だ。そもそも幽霊と完全転身なんて前例も聞かない異常事態なのだが、それはそれ。今までの私の反応が、全部筒抜けなことの方が大問題だ。
「はぁぁぁぁぁ……今更ながら、死ぬほど恥ずかしいです」
いやでも、よく考えたらお義母さんならやりそうな事でもあった。ちょっとした悪戯とか、結構好きだったもんなぁ。それに、今もアインから感じるお義母さんの雰囲気にもそういうことなら納得できる。
「済まない。だが、当方もいつまでこの状態でいられるか再度転身可能か不明な以上、手放すことはできなかった」
「アインが謝る必要はないです、間違ったことはしてないと思いますし。それよりも今は、あの墜星をどうするかです」
アインがクリフォトの結晶に閉じ込めた墜星、アレをどうにかしなければ先が無い現実は何も変わっていない。それでも私が頭を回せるようになったのは大きな違いだ。
まだ甘えていたいけれど、アインの腕の中からするりと抜けだす。そのまま服装を軽く整え、墜落し続けているミニチュア版のクリフォトと船を見る。動きはない、まだ時間はあるか。
「アイン、あの墜星はあとどれくらい閉じ込めておけますか?」
「残り数分あれば良い方だと謝罪する。余りに力量が隔絶しすぎている」
「分かりました。それでも止めていられるだけありがたいです」
数分あれば、考える時間は無限にあるも同然だ。そして何よりこの手詰まりで積んでいたこの状況をどうにか出来る……かもしれない方法を、アインのお陰で1つだけ思い出せた。
「やりますよ、アイン。取り戻しましょう、平穏で安らげる場所を」
「認識した。今の当方は、負ける気がしない」
「言いますね。なら、今度はとことん甘えさせてもらいます。知っての通り私、重い女の子なので覚悟して下さいね?」
「望むところだ」
ママとパパみたいな関係にはなれなくても、こういうのも悪くない。そう思えるあたり、多分私もアインのことは好きなのかなとか思いつつ。
「さあ、反撃を始めましょう」
「さあ、反撃を始めよう」
意図せず重なった言葉と共に、脳内の図面に筆を走らせた。
アヤメ 残り53日
アイン 残り60日