リュートさんはあくまで公爵であり、魔界からの客人という立場でリィンを案内する。いないものとされている私たちが、そんな状況ですぐに合流なんて出来るはずもなく。
結果として私たちが合流できたのは、リュートさん達が帰宅してから30分以上経過した後だった。
「それで。交渉が成功したとは聞きましたが、結局はどうなったんですか?」
『そうね……詳細は面倒だから省くけど、魔王国第3首都ユ=グ=エッダとの国交再開。及び友軍としての識別コードは貰えたわ』
取り敢えず入れてみたお茶を出しつつ、魔界から来た組でテーブルを囲む。どうやらリュートさんは、まだ仕事が残っているので遅れるらしい。その為、先に一応話の概要だけは先に聞いておこうと思ったのだ。
「それはそれは……大成功では?」
『そうね。思ったよりも簡単に話が進んでくれたのもあって、目的は9割型達成できたわ。少なくとも、これで街の皆が飢えたり改築の資材が尽きることはないわね。縁を繋いでくれた貴女には、感謝しても仕切れない程よ』
取り敢えず淹れただけのお茶を飲みながら、やれやれといった様子で指揮官機型になっているアカネさんは言った。交渉の難しさは少しは知っているつもりだし、それを経て満たすべき目標の大半を達成するのは更に難しいことも知っている。だからこそ、凄まじい戦いだったのは予想に難くない。
「それ程でもないです。ところで話は変わりますけど、部屋に入ってきて以来、ずっと机に突っ伏してるリィンさんには一体何が……?」
『ああ、アレはね。一国の王として振る舞わなければならない場だった所為で、耐えきれず撃沈した我らが魔王よ。まあ、仕方ないのかしら。普段とは完全に違う空気の場所だったもの』
「そうですね……あんまり、長居はしたくない空気ですよね。王城は」
これでも一応、王城とのパイプは持っていたし何度も登城したことはある。だからこそ分かる、表側では凛と引き締められているのに、裏側では権謀術数ひしめく嫌な空気が。
「うぅ……アヤメよ。王とは、王とは常時あのように、気を張っている必要があるのか……?」
「どんな様子だったかは知りませんけど、多分必要だと思いますよ。獣人界って、自分より弱い相手には従わない人が多いので」
そんな空気に当てられたのか、すっかりリィンさんは疲れ切って、消沈と言えそうなほど生気を失ってしまっていた。アインがなんとか介抱してくれているけど、立ち直るまでにはもう少しかかりそうな雰囲気だ。
『本当よ。お陰で意見を通すのに3回も模擬戦を挟むハメになったわ』
「リィン、アカネさん、イトナミさんの3人でですか?」
『ええ。女王様の意向で話は聞いてくれたのだけど、最終的に承認を取る段階になって、ね』
後ろで無表情のまま騒がしく動いているイトナミさんと、事前に聞いている結果から考えるに、恐らく全勝で終わったのだろう。しかしそうなると、まず街がなくお互いの合意が取れるところで国家間の条約は締結されたはずで──
「それってもう、殆ど用事は済んだのでは?」
『まだ細部を詰める必要はあるけれどね。それさえ終われば、正式に国交は開かれると思うわ』
私の言葉に、その通りだとアカネさんが頷いた。因みにと説明してくれた両国間の取引は、獣王国からは食糧・資材と魔界の浄化人員を、魔王国からは魔法的技術とそのための人員を派遣し合うものらしい。両国の現場からして、金銭取引よりもこちらの方が都合が良かったのだとか。しかし、「ただ」と前置きしてアカネさんは言葉を続けた。
『目論見通りなのは嬉しいけれど、トントン拍子すぎて逆に不気味なのよね。あまりにも全てが最短で解決し過ぎているわ、まるで何かに操られているみたいに』
「それは……」
確かに、言われてみればおかしな気もする。"偶然"獣人界の防衛ラインの中でも最大火力の兵装に撃墜され、"偶然"撃墜地点から離れていた私たちの目の前に追っ手が現れて、"偶然"その構成メンバーが私の顔見知りばかり。さらに"運良く"そのメンバーの中にリュートさんがいて、"運良く"知り合いの口を封じることができ、"運良く"交渉が全て上手く進んだ。
こじつけているだけかもしれないが、ここまで偶然が続くとそれはもう必然だ。即ち、誰かが裏で手を引いているか、それ以上の誰かの手のひらの上にいるのか。そんな風にすら思えてしまう。
『まあ、流石に今回ばかりは私の杞憂だと思うわ。ユビキタスの全能力を使って観測・演算してみても、一切痕跡が見つからないもの。単純に、最初に公爵を味方に出来たことが幸いだったと考えておきましょう』
「そう、ですね。墜星の襲撃から数日も経ってないのに、また何か起きたらやってられません」
私たちが墜星・八岐こと、七英雄アルディート・ガラントを退けてからまだ2〜3日なのだ。立て続けに何かが起きるなんて、あまり考えたくはない。今は後回しにしているけれど、あまりにも考えなければいけないことが多過ぎるから。
『さて。それじゃあ私達は積もる話もあるでしょうし、一旦席を外そうかしら。お茶、美味しかったわ。ほら、行くわよ魔王様』
「うぅぅ、あぁー……」
そうして話していること暫し。情報共有もひと段落着いた辺りで、アカネさんがそう言って席を立った。そしてそのまま、未だ机に突っ伏したままのリィンさんの首根っこを掴み、ズルズルと引き摺りながら出て行こうとする。
何かと思い解除していた探知を再開させれば、こちらへ向かってくる人影が2人分。そのうち片方は、魔力の波長からして間違いなくリュートさん。積もる話と言っていたし、気を遣ってくれようとしたのだろう。だが──
「……いえ、居てくれた方がありがたいです。どうにも、そんな雰囲気じゃないみたいなので。それとアイン、ほぼ確実にないとは思うんですけど、戦闘準備を」
「何故だ? この場でそんな事態が発生す──ッ! 認識した」
言いかけ、アインも気がついたらしい。こちらへ向かって来ているリュートさんではないもう1人、そちらの方が問題だった。私もアインも、直接の面識は初めて遭遇した時1回きり。だけどその人の記憶はどこまでも鮮烈で、両脚がズキリと痛んだ気がした。
『何か、問題でもあるのかしら?』
「話は通じる方ですし、王城へ行ったリィンが無事なので十中八九大丈夫だと思いますが……最悪の場合、ここにいる全員が殺されかねないので」
何せこの場にいるのは、あの時殺すと宣言された
部屋に緊張した空気が立ち込め、幻肢痛と嫌な汗が流れる中。コンコンと、扉が軽くノックされた。
「どうぞ」
「失礼する」
そうして、屋敷の主人であるリュートさんより先に入ってきた男性は見間違えようもない。
今目の前にいるこの人は、あの時のような殺気も、闘争の気配も纏ってはいない。だかそれでも、その存在感は圧倒的だった。知らず震える手を、思わず魔剣に手を伸ばしかける程に。
「ほう、まさかあの状態から、本当に正気に戻っているとはな」
そんな私を見て、感心するようにアヒムさんは呟いた。やはり何度探ってみても、敵意どころか害意すら感じられない。加えてあろうことか、絶滅剣自体を空間収納系のスキルに入れ武装解除までしてしまった。
この時点でアカネさんは構えを解き、リィンも待機させていた魔法を霧散させていた。こうもあからさまだと逆に怪しくも感じるが……私とアインも、それに倣って武装から手を離す。
「……それは、何のつもりでしょうか? 軍大将アヒム殿」
それでも何かされた時に抗えるよう、拳を緩く握りながら問いかけた。何か考えがあって連れて来ただろうリュートさんの顔を潰すことになっても、返答次第では行動を起こすために。
「あの時と違い殺す必要がない、話し合いが可能と判断した。この場であれば、毒林檎のような横槍が入る余地もあるまい」
「そうですね。どうにも義理堅く口も固い人のようなので、話し合いで解決できるならそれが1番でしょう」
微かに微笑みながらそう言われ、それでも反抗するならこちらこそが蛮族だ。こちらも情報は得ているのだと牽制しながら、仕方なく折れて握り拳を解いた。
「だが、当方は信用できないと否定する。
「正確には『盟約に従いエクスプローラーを命尽きる前に眠らせる』だ。しかしそうか、貴様は知ったのか。自らの出自を」
ただ私と違って、アインは納得できなかったらしい。未だに構えは解かないまま、信用しないと言い放った。面倒ごとが起きる気配がする。そんな私の予感をよそに、アヒムさんはアインに向き直って深々と頭を下げた。
「すまなかった。あの計画を知っておきながら通してしまった者として、まずは謝罪させて欲しい」
「謝罪は不要だと否定する。当方の素体となった当方がどんな人間だったかは不明だが、エクスプローラー計画が無ければ当方はアヤメに出会うことはなかった」
そうナチュラルに言われると、やはり少し恥ずかしいものがある。いや、こんな場にふさわしい感情ではないのだけれど。完全にだらけているリィンさんや、呆れているアカネさんまでいるのだからしょうがないだろう。
「そう、か。そこまで自我があると言うのであれば、俺はもう何も言うまい。人造人間ではなく誰かを愛する1人の人間であるのならば、俺は斬ることは出来ん」
「……不承不承ながらも、肯定しよう。だが、魔界にいるエクスプローラーはどうするのかと疑問を提起する。彼らとて、人造人間であるが1人の人間として生きている」
納得はできていないような顔だが、アインも折れてくれたらしい。しかし同時に、新しい問題もアヒムさんに投げかけていた。元々の魔王国に住んでいた住民よりも、エクスプローラーが多いユ=グ=エッダとどう言った関係を結ぶのかと。
「情勢が変わった以上、俺自身が何をすることもない。そもそも俺の権限自体、獣王国の内部でのみで通用するものだ。余程の凶行を引き起こさない限り、アイン・ナーハフート、アナリューゼ・アインス、現魔王を筆頭に、その旗下へ手を下さないことを確約しよう」
「その場合、アヤメはどうなる?」
「アヤメ・キリノに関しては殺すしかあるまい。少なくとも、そういう態度を見せなければならない」
これまでと一切変わることのない雰囲気のまま、当たり前のことだとアヒムさんは言った。瞬間、空気が騒ついた。アインの手が聖剣に伸びかけ、それを見送りながらアヒムさんが言葉を続ける。
「未だ世論の流れがそうである以上、流れに反して王家の信用を失墜させる訳にはいかない。故に人間であるアヤメ・キリノは発見次第殺すしかないのだ。その点は理解してもらうしかない。
だが勘違いはするな。あくまでこの場にいるのは、獣人であるアヤ・ティアードロップか、魔族のアイリス・エターナルだ。殺すべき人物が存在しない以上、俺が剣を抜くことはない」
それはユ=グ=エッダに入る時に聞いたものと極めてよく似た、都合よく現実を捻じ曲げる完全な屁理屈だった。
「……それは詭弁だと否定する」
「大人とはそう言うものだ、少年」
そうして、始まってしまった2人の睨み合い。そこまで思ってくれるのは嬉しいけれど、これじゃあ話が進まない。リィンさんもアカネさんも協力してくれる様子はないので、仕方がないと一度、仕切り直す為に手を叩いた。
「アイン、そこまでです。心配してくれるのは有り難いですけど、ここは納得してくれませんか?」
「だが……!」
「どうしてもと言うなら、後で書類でも
私自身、未だにアヒムさんに対する恐怖は払拭できていない。だけど同時に、約束を違えることがない人だということも知っている。それを信じる為に伺って見れば、当然だと頷きが返って来た。
「ああ、その程度であれば了承しよう」
「アヒムさんもこう言ってますし、この話はこれで以上。いいですね?」
「……アヤメが良いのであれば、認識した」
アインの手を握り、何とか息を整えて落ち着いてもらう。かなり腹に据かねている様子だがアインも首を縦に振ってくれた。どうして交渉しない方がいいと何度も言われてる私が、交渉の真似事をしないといけないのか。
「アヤメにはもっと、自分を大切にして欲しいと嘆願する。アヤメがそれでも良いと流してしまっては、当方も怒るに怒れない」
「私としては、前にも言われましたし大切にしてるつもりなんですが……」
アインからすると、それでも足りていなかったらしい。そこは追々改善していくしかない、気がする。喧嘩くらいはいいけど、嫌われたくはないし。
「お互い、最低限納得のいくラインは引けたようだし。そろそろ、僕も部屋に入らせて貰って良いかな?」
なんてことを考えて、部屋の空気がまた落ち着いたものに戻った時だった。タイミングを見計ってくれたのだろう、リュートさんが部屋に入って来てくれた。
しかしその表情は、家にいる時や再開した時の優しいものではなく、獣人界の公爵としてのそれ。まだまだ、眠れない夜は続くらしい。
アヤメ 残り95日
アイン 残り95日
ほんの少し前に自分達を殺そうとした人を「まあ信じられる人だし」なんて言って、落ち着いて話して信じられるアヤメちゃんが異常です。