随分とアカネさんが暴利を吹っかけて、取り敢えず受けることになった試作型魔剣【獣王剣ライオンハート】の修復依頼。本当ならばすぐにでも取っ掛かりたいところだけど、あくまで昨日行ったのは内々での話。それで王城──しかも国宝とその担い手である女王が、即日に動くことが出来るはずもなく。
一晩明け、リュートさんの意図通りに生まれた空白の1日。王城側では公務の時間を調節することで予定の調節が行われており、
「……そろそろ、ちゃんとお風呂に入ろう」
だからだろうか、寝起きで適当に髪を整えていた時にそんなことを思った。思えば、魔界に入ってから湯船に浸かった記憶がない。それどころか基本的に魔法で身綺麗にしているものの、沐浴や身体を濡れタオルで拭くことすらしていない。
こうして過ごす分には何も問題ない話だけど、流石に登城すると考えるならいただけない話でもある。髪の毛もゴワゴワしてきたし、最低限のマナーすら守れないと思われては色々と面倒だ。
「アインが起きる前に済ませますか」
後でアインには……まあ、リュートさんとでも入って貰えればいいだろう。男同士、裸の付き合いでこそ話せる話題もある気がするし。
まあ、それは置いておくとしてだ。即座に最低限の身嗜みを整え、アインを起こさないように使用人の人を呼ぶ。ここのお風呂は魔力式なので、
見知った廊下。見知った通路。昨日はそんな暇も無かったけれど、こうして見れば屋敷の全てに懐かしさを最初に感じる。ほんの僅かな時間しか離れていない筈なのに。……思えば私自身、ここを出発した時とは随分と変わったものだ。
そんな懐かしい記憶を思い返しながら、暖簾を潜り女性用の脱衣所へ。屋敷の主であるリュートさんの意向で、日本の温泉に類似した構造で拡張空間に作られた大浴場。そこはまだ早朝ということもあり、人の気配は一切存在しない。
どこか優越感に似たようなものを感じつつ、湯槽にお湯を張る魔導具を起動。着ていた服は一旦スキルの内部を経由させ、一気に脱衣籠の中に畳んで入れておく。義耳も邪魔になるし外しておこう。左の獣耳を閉じておけば、音の聞こえ方もそこまで辛くないし。
「しかしこうして見ると、随分な身体してますね」
浴場に入る少し手前、設置されてる大きな姿見に写った自分を見て、そんな感想が溢れた。
髪の毛は枝毛も増えていてボサボサになりかけ、尻尾の毛並みも良く見れば悪くなっている。ムダ毛の処理や毛先の整え、櫛で梳くくらいの気遣いはしていただけに少し残念だ。
右の獣耳の付け根は切断面が綺麗だったから、そこまで醜い形ではない。けど昔は片耳が奴隷の証とかだった、なんて話を聞いた記憶がある。他ならぬリュートさん自身から。
両手は鍛冶用のハンマーと魔剣を握り続けてきたことに加え、拳を使う武術を納めているお陰で、女の子らしさ皆無のゴツゴツした細かい傷だらけの手。腕から肩に掛けても、負傷を魔法やポーション薬で無理に癒し続けてきたから傷は多い。
首から胸に掛けては防具で守っていたお陰で傷もなく無事。つるんストンと言った感じだが。ただ、少し目線を下げれば、腹部から脇腹にかけてマンチニールが貫通した大きな傷跡が尋常ならざる存在感を放っている。
挙句脚に至っては、膝の肉から鋼に変わっていく義足融合部分が痛々しい。個人的には凄くかっこいいと思うから気にしていなかったけど、湯船に入ったらマッサージとかした方がいいかもしれない。血行が悪そうな色をしているし。
正直、私は自分に女の子らしさというものを、全く感じることかできなかった。
「まあ、いいですか。こんな私でもアインは好きって言ってくれましたし」
それでも、これから少しは改善しようと固く心に誓った。私にだって可愛いとか綺麗とか、アインに言われてみたい気持ちはあるのだから。
そんな思考は一旦切り上げて、姿見から視線を外す。正装用のドレスを仕立て直す必要が無さそうなことに安堵しつつ、洗い場で一気にお湯を被った。久し振りの感覚にぶるりと身体が震え、同時に前までは感じることのなかった微妙な不快感を感じた。目の前の鏡を見れば、ふわふわとしていた獣耳と尻尾が、お湯に濡れたことでぺちゃんこなっている。元々はなかった部位だけに、殊更違和感が強い。抜け毛とかどうなるんだろう、これ。
「そこら辺は、浸かる時に考えればいいですかね」
そう問題を先送りにしながら、長い髪の毛を洗いにかかる。適当に鼻歌を歌いながら、1ボトル金貨数枚の超高級シャンプーを惜しげもなく使っていく。しっかりと時間をかけて洗った後には、トリートメントも使ってちゃんと手入れをする。
義足に関しては洗浄といった感じだったけど身体も洗い、尻尾は諦めて湯船に浸かる。髪の毛が水を吸って頭が重いけど、久し振りに浸かる湯船は身体に染みる。こういうところ、私にもママと同じ日本人の血が流れている証拠かもしれない。
「ふぅ……」
朝からなんて贅沢をしているのだろう。そんなことを思いつつ、義足の接続部をマッサージしていた時のことだった。浴場の扉が開く音がした。
「お邪魔するわ、アヤメちゃん」
「あ、はい」
そう言って独り占めしていた大浴場に入ってきたのは、黒髪黒目の猫の獣人女性。昨日は1回も会うことのなかった、レーナ・カンザキ公爵夫人だった。咄嗟に起動した探知魔法も本人だと証明している。
レーナさんは冒険者上がりであることに加え、貴族としての仕事の必要上毎日身体のメンテナンスは行っているのだろう。ささっと身を清めると、そのまま私のすぐ隣に腰掛けた。
「昨日は、折角戻ってきてくれたのに会えなくてごめんなさいね?」
「いえ、私たちも色々あって疲れてましたし……レーナさんもお仕事だったんですよね?」
「ええ。今日を1日休みにするために、少し頑張っちゃった」
褒めて欲しそうなその様子に、何となく感謝をすることしかできなかった。そうまでして無理に休みを作った理由が、間違いなく魔界から来た私たちであるから尚更だ。
「だから少し、お話ししましょう? その身体のこと、リュートくんには話しにくいこともあるでしょうし」
そう言うレーナさんの手が伸びたのは、どうしようもなく目立つお腹の傷跡。そして先程までマッサージしていた義足との接続部分にも、躊躇いがちながら触れられた。
「きっと色々なことを経験したのね。旅は、どうだった?」
「……正直、辛いことの方が多かったと思います」
その手に自分の手を重ねつつ、目を閉じてこれまでを思い返す。逃げるようにここを出発して、投げ出された山中でアウルさんとアマルさんに遭遇して……そういえば最近、あの2人と手紙のやりとりが出来ていない。そしてその後、クハクさんやクリムさん、それにアインとも出会って──
「でも、お陰で好きな人にも出会えました」
そこだけは間違いないと目を開いた。この身体になった原因はその後の諸々が関わってくる。けど、それを含めても──などと考えていると優しく頭を撫でられた。繋いでいた筈の手はいつの間にか解かれていて、不思議な感覚だった。
「あらあら。でもそうね……私もリュートくんと恋人になったのも、奴隷として拐われた先だったわ。私を絶対に守るって、助け出して見せるって。自分もボロボロだったのに言ってくれたのが、そして有言実行してくれたのが本当にカッコよかったのよね」
頬に手を当ててそう言うレーナさんは、もう何十年もリュートさんと一緒にいる筈なのに新婚さんのようだった。多分これが、レーナさんの若さの秘訣なんだろう。
「それで、アヤメちゃんはあの子……アイン君だったかしら? どこを好きになったの?」
「……正直、アインのどこを好きになったのか、私にもわからないんですよね」
ほぅ、と息を吐きながら答えた。ほんの少し思い出すだけで、色々とアインを好きになったと思うきっかけはある。顔に関しては今でこそ表情も感情も読み取れるけど、最初は不気味だったから違う。私を好きでいてくれる所は、確かにかなり含まれているけど違う。
私がアインと一緒にいたいと思う理由は、極限状態の中で見つけた不確かで不安定なものだけど。そんなものでは断じてない。
「じゃあ、どういうこと?」
「んー……なんて言うべきなんでしょう。一緒にいると、『ああ、まだ生きていたいな』って思うんです。心が満たされるとか、一緒にいて楽しいとか、それ以前に。私を生きてていいと、帰る場所になるって、そう言ってくれて……隣にいると安心できるんです」
だからと言って、一緒にいて嫌な部分が無いわけではないし、心が落ち着かない時だってある。だけどそれを全部含めて、最後まで一緒に生きていたいとそう思うのだ。
「ふふ、そうなのね。よしよし」
「あ、頭撫でないでください。折角タオルで纏めてるんですから」
嘘偽りない本音を告げれば、まるで微笑ましいものを見るような目でレーナさんが私の頭を優しく撫で始めた。獣耳が片方ないことに気付いたのか、一瞬手が止まったけれどそれだけ。優しく引き寄せられて、気が付けば抱きしめられるような形になってしまっていた。
「あの、レーナさん?」
「ふふっ。私達のもう1人の愛娘が、ちゃーんと恋をしてくれてて私は安心です」
背中に当たる2つの柔らかい感触にどうしようもない劣等感を感じるものの、こうして貰っているとどこか安心する。それはアインと一緒にいる時とも、お義母さんと過ごしていた時ともまた違う、柔らかな暖かさ。ともすれば溺れてしまいそうなその感覚を、なけなしの理性を振り絞り振り払う。
「でも、リュートくんから聞いたわ。アヤメちゃんが、もう寿命が長くないって言ってたこと。それと、その身体のことも聞かせて欲しいわね。こんな朝早くにお風呂に入るなら、時間はあるでしょう?」
「そうですね……全部話すと長い話になっちゃいますし。後で依頼の達成って形でリュートさんにも報告するので、掻い摘んだ形になりますけど」
「ええ、それで構わないわ。こうして直接話を聞けるだけで、私は満足だもの」
肩までお湯に浸かり、じんわりと身体をほぐす幸せの中。どうせ暫く入っている予定だったしと、私はポツポツと記憶を掘り起こしながら話し始めた。
獣人界を後にするきっかけになったアヤ・ティアードロップとして活動した最後の事件から、大体ユ=グ=エッダに合流する辺りまで。こうして思い返してみると過酷な旅だったけれど、こうして旅の思い出を話すのは楽しくて。マッサージの仕方や食事など、色々な方向に話が派生したこともあって、気が付けば1時間ほどの時間が経っていた。
「──と、こんな感じで、心当たりがあり過ぎて分からない形ですね。それでも私が生きていられるのが、あと大体3ヶ月くらいなことは体感で分かります」
「そう、なのね……アヤメちゃんがそう感じてるなら、きっとその感覚も正しいんでしょう。もしかしたら私のホタルマルで癒せないかなって期待してたけど、そんな上位の魔剣には効果がないのよね……」
「ずっと戦う才能もないのに無茶してきたツケです。ここに帰ってくるまで生きていられただけで、十分すぎる結果ですよ。アインとも、多分最後の時まで過ごせますし」
言い切ってから、ぶくぶくぶくとお湯に沈みながら泡を作ってみる。思ったより香油のせいで鼻がキツいかもしれない。これ。あと私の尻尾からも、レーナさんの尻尾からも微妙に毛が抜けている……これ、多分そのまま放置したら排水溝詰まるよなぁ。
「そんなに幸せそうなら、私が口に出すことはなさそうね。でも、頼りたいことがあったら、気にせず聞いてちょうだいね。例えば胃袋の掴み方とか、薬の盛り方とか」
「ええ、ダメ押しをする時には、存分に頼らせて貰います」
かつてはレーナさん用の薬を調合していたから、それは非常に助かる話だった。眠り薬に麻痺薬、効果が強すぎて精力剤も兼ねてしまったブースト薬とか、色々と盛り方を教えてもらえるに越したことは無い。何せ私にもアインにも、時間はあまり残されていないのだから。
「でもそこまで一途だと、うちの息子の恋路は成就しなさそうね……そこだけは少し残念だわ」
「息子って、ジーク
少しだけ悲しそうな声で呟いたレーナさんに、何事かと聞き返す。2つほど歳は離れているけど、私が小さい頃からお世話になった半分兄みたいな人。最近はめっきり会うことも無くなっていたけど、恋路……?
「あの子、昔からアヤメちゃんのことが大好きだったのよ。去年から今年の初め辺りまで、あの子相当アヤメちゃんにちょっかい出してたでしょう?」
「そうだったんですか? 鬱陶しかった記憶しかないんですけど……」
毒にも薬にもならない花束を渡されたり、あからさまに低い技術で加工された小物を渡されたり、わざわざ魔法の精密操作を見せつけられたり。ああでも、魔剣の整備と美味しいご飯奢ってくれたのは楽しかったかもしれない。
「やっぱり駄目だったみたいね……はぁ」
「そもそも恋愛対象として見てませんし」
などと話している間に、流石に頭がのぼせてきた。そろそろ頃合いということだろう。
「それじゃあ、先に失礼します。お湯張りの魔導具はどうします?」
「そのままにしておいていいわ。我が家だと思って、ゆっくり寛いで頂戴ね」
「分かりました。なら、少しだけ甘えさせてもらいます」
そうやって頭を下げてから、私は大浴場を後にした。
流石にそろそろアインやリュートさんも起きているだろうし、朝食を済ませたら事情聴取兼依頼の報告をするとして……さて、今日は何をしようか。時間がなかっただけで、やりたいことは沢山あるのだから。
アヤメ 残り94日
アイン 残り94日