アヤメが魔力切れという初歩的も初歩的なミスで気を失う、ほんの少し前。獣人界を覆う上空のクリフォトの枝葉から、それは眼下で行われようとしている動きを眺めていた。
「はてさて、我らが巫女はどこまでやれんだかねぇ?」
結晶樹の枝葉に腰掛け、酒瓶片手に見下ろす墜星・玉兎の視線の先。遥か彼方の地上で行われようとしているのは、試作型魔剣ライオンハートの修復だった。
三重に結界は張ってあるものの、その中で現状墜星にも通用するのはアヤメの物のみ。とはいえそれも、多少見えづらくなる程度でしか無なく、普段視線が切れるのは墜星・玉兎が気を遣って目を逸らしているからに他ならない。故に、
「おお、よしよし。先ずは分解は問題ナシか」
呵々と笑いながら玉兎が手叩きする。情報は筒抜けだった。かつて争い託した八岐とはまた違う、圧倒的な理不尽。術者に気づかれないレベルに術式を解体し、侵入した後何事も無かったかのように装う魔法技術。まるで高度医療手術を早回しで流したかのような手際で、アヤメ本人は気付けぬまま理不尽が行使されていた。
「なら次は、私から障害のプレゼントだ。現代魔術戦と洒落込もうかねぇ」
酒瓶を適当な枝葉に引っ掛け両手をフリーにした玉兎の前に、巨大な魔法陣が出現する。アヤメが術式のハッキングと逆探知を始めたのに合わせ、展開された魔術式のファイアウォール。明らかに尋常な物ではないそれを展開した下手人は、遥か天上で嗤う玉兎だった。
玉兎が二重三重に降ろした防壁にアヤメが切り込み、その切り込む術式に玉兎が干渉して回線の切断を試みる。その間にアヤメがまた別方向の防壁に侵食し、墜星側に対応の負荷をかけジリジリと魔法の制御権を奪い合う。
現代とはいうものの、この攻防は戦時中に生まれ、そして遺失してしまった超技術の賜物。本来は純血種の獣人のみが契約できる最上位精霊の持つ、
そんな失われた秘術同士の争いが、人知れず、片方の術者本人すら気づかないままに開帳される。術者が片や
「……ハッ、素材が悪くても師が良ければこうもならぁな。なあ、八岐。泡影」
疑問から想起された懐かしい地獄を鼻で笑い飛ばしながら、玉兎は手繰っていた魔力の操作を手放した。理由は単純"競り負けた"という、ただそれのみ。通常駆動した魔剣によるブースト込みとはいえ、墜星の中で最も魔法に長ける玉兎に、知らずアヤメは競り勝っていた。
「だが想定以上の成長だ、悪かぁねえ。この時点で私にまで繋げられりゃあ、文句なしの満点超えで仕事も減ったんだが……ま、目的が目的だ。最低限どころか理想ラインは超えてる以上、妥協しとくしかないんかねぇ」
再び手に取った酒瓶を呷り、中身を残さず飲み込んで玉兎は頭を掻いた。そして大きく1つ、酒臭いため息を溢しながら呟いた。
本来の予定ならば、玉兎もかつての八岐と同じようにアヤメとアインを試す予定だったのだ。だが、その八岐が想定以上にアヤメ達を成長させていたお陰で、実際に行動に移すまでやれる事がない。予定が大幅に狂わされていた。
「魔法についての改善点は、相手取れる数と深度、後は侵蝕速度くらいか? つってもそりゃあ実戦で鍛えなきゃ話んならねぇ。聖剣は私ら墜星が使ってんの見なきゃ使おうとしても無理だろ? んで、魔剣の真実にゃとっくに気付いてるようだから、鎌掛ける程度で十分か」
己が
「で、どうよ金烏。アンタ
青空を見上げて玉兎が言葉を投げかけた瞬間、炎の羽根を散らしながらソレは現れた。黒金入り混じった奇妙な長髪に、八岐が纏っていた物に酷似した古めかしいツギハギの鎧。白目が黒に、黒目が金に変わった目と死人のような血の気の失せた白い肌は、正しく墜星の特徴だ。
しかしそれより何より特徴的であるのは、この墜星が2腕2脚の人型ではなく4腕3脚1翼の異形であること。そして顔の下半分を覆う面頬を付けていることだろう。
「あの年齢にしては、悪くはないと思うわ。けど、ご主じ──あの人にも、私たちにも、何もかも遠く及ばない」
開口一番、肯定しながら相手を否定する矛盾した言葉を言い放った彼女もまた墜星の1人。八岐亡き今、誰よりも悪魔を殺し続けている鏖殺の不死鳥が、薄く狂気を纏いながら玉兎の隣に並び立った。
「なってもらわにゃ困るが、現時点じゃ当たり前だろうがよ鳥頭共。それにアイツらは、あんなナリしちゃあいるが八岐を……アルディートを倒してる。それを忘れた訳じゃあるめぇな?」
「そんなこと、言われないでも分かってる」
「ならちったぁ認めろ、次代が築く時代の流れを。お前まで"停滞"に呑まれちゃ、私も安心して後を任せらんねぇ。少なくとも生前の私らにゃあ迫ってるし、アイツらは墜星にも遠からず並ぶだろうよ」
そう語った瞬間玉兎が浮かべた笑みは、慈母という言葉以外に表現のしようがないような物だった。仕方がないという諦めを期待と、愛情と、希望で包み込んだような柔らかな笑顔。
4人と1つにだけ向けられたその表情は、玉兎の持つ強大な力からは信じられないほど儚い物だった。まるで弾ける寸前のシャボン玉のような、ふとした拍子に壊れ消えて無くなりそうな。
「期待をするのは、もう、疲れたわ」
「そうかい、でもしとけよクシナダ。いや、今表に居んのは忍者か? 相変わらず手前は分かり難いったらありゃしねぇな」
「文句なら、ご主──あの子に言って欲しいものね」
「へいへい分かりましたよっと。適当に伝言でも頼むわ」
ひらひらと適当に手を振りながら玉兎が答え、仕方がないとでも言うかのように金烏が嘆息する。もし自分たちの、全ての計画が成功した暁には、自分たち墜星は1人残らず死者へと帰ることを知りながら。
「そろそろ、私達は行くわ」
「へいよ。すまんね、悪魔どもを任せきりにして」
「気にする必要は、ないわ。それよりも、しっかりと未練を果たしなさい」
「当たり前に決まってんだろ? そうする為に私ゃ、黄泉帰りなんてクソ以下の契約に応じたんだ」
凡そヒトからは外れた己の身体を、そしてこうなることを承知で契約した己を嘲るように嗤いながら、玉兎は言葉を吐き捨てた。そんな玉兎を横目に炎翼を大きく広げ、金烏が己が責務を果たす為に飛び立とうとしたその時だった。
「……ちっと待て金烏。1つ、言い忘れていることがあったわ」
「何かしら?」
「あと少しで私ゃ消える。それ自体に不満はねぇがそうなると、これまで聖剣で封印していた悪魔どもが全部目覚めて暴れ出すことになる」
「その後始末でも頼むつもり?」
「いんや、さしもの墜星でも《デストロイ級》を数百体相手にするってのは無理な話だ。私らだって、無限に殺し続けられる訳じゃねぇからな。まあ《メイジ級》以下の細けぇ
焼け石に水でしかないだろうと、玉兎は心の中で独りごちる。上級の悪魔はより下級の悪魔を召喚する以上、最上位の悪魔が解放されることは終焉の始まりに等しい。墜星が4人揃い、撃滅に回っても世界を守り切れない程度には。
「
「忠告、有り難く受け取っておくわ。この数年、楽しかったわ」
「応よ、手前も揶揄い甲斐があって楽しかったわ。これでお前らがロリだったら完璧だったんだがなぁ……」
「御免被るわね」
最後にそう言い残して、炎翼を羽撃かせ金烏が天上へと飛翔した。もう2度と再会することがないと確信したが故に、炎翼の軌跡が見えなくなるまで青空を眺め──
「さて、魔剣の方はどうなったかねぇ?」
これまでの日常と何ら変わらず、アヤメ達の観察に戻った。こんな懐かしい日々も、あと僅かで終わりを告げる。思えば人生のロスタイムのようなものだったが、不思議と悪くなかったと感じている。
「しっかしまあ、アイツの娘だってのにどうみても肉体労働より、頭脳労働の方が向いてるよなぁ。だってのに魔法の才が欠片もねぇのは不憫つーかなんつーか」
そう語る玉兎の視線の先には、試作型魔剣を解体新造するアヤメの姿がある。150cmにすら僅かに届かぬ小柄な身体、本来は武術なんてものマトモに扱えない絶望的なフィジカルとサイズという壁。それでもと八岐の尽力により鋭く研がれているが、そこまでしても尚届かない。
大鎌を振り回し、万物を両断せんとしていた彼女の母とは違う。恐らく《メイジ級》辺りからは鈍らと化すだろう、例えるのなら対人無敵のガラスの刃。それがアヤメの近接戦闘の限界だった。
対し魔法に関連する才能は、文字通り桁違いと言える。何せ補助輪込みとはいえ、数百年は生きた墜星一の魔法巧者との魔法戦に、僅か15の
「ま、関係ねーか。やることやれてんだし」
だが、そんな感傷で世界は救えない。計画の全てはその為にある以上、実態はどうあれ"やれる"ならば問題はない。順調に組み上げられていく魔剣を肴に、手に持った酒瓶を呷ろうとして──既に中身がないことに気づく。
「……っし、酒でもたかりに行くか」
やはり心を誤魔化すにはそれが一番だと、パンと腿を叩いて玉兎が立ち上がる。
もう少し準備はさせてやるが、どうせ最後だ。馬鹿弟子と飛びきりに高い酒でも飲んで、そのまま掻っ払ってこようか。どこからか取り出したキセルを咥え吹かしながら、そんな算段を立て始める。
全ての役者が揃うまで、あと──
◇
「ぅ、うぅん……」
まるで全身に重石が載せられたような圧迫感に、私は目を覚ました。視界いっぱいに映るのは、ここ数日で見慣れたカンザキ邸の部屋の天井。……ええと、確か、何か大切なことをしてたような。
「──ああ、ライオンハートの修復。確か、魔力切れで気絶したんでしたっけ」
魔剣の通常駆動運用なんて、久しくしていなかったから忘れていた。限界駆動と違って、リソースは無限にならず通常駆動では普通に体力を消耗する。直接的な理由は魔剣に魔力を吸われたことだけど、この身体の重さは間違いなくそちらが原因だろう。
「魔力切れなんて、なったのいつ振りでしょう?」
長時間魔剣の限界駆動を使った後は不可抗力だから例外として……多分、それこそ小さな頃以来な気がする。無理矢理にでも魔力を吐き出し切って、総量を伸ばす訓練が最後。体感からして回復している魔力量は1割程度。ということは、あの時の訓練からして──
「大体4時間以上……いえ、成長してることを踏まえると2時間くらいですかね?」
まあ、アイン辺りに聞けば分かることかと思考を中断。ぐーぱーと手指を動かしつつ、ゆっくりと重い身体を引き起こす。どうやら服装は戦闘装束のままらしい、助かった。
「魔力炉心を起動──異常なし、確認よし。義耳との接続確認よし」
フカフカのベッドに足を取られつつも何とか降り、両腰の魔力炉心を起動。炉に挿入したオリハルコン棒が反応を始めたことを確認し、魔力を生成し始めてから義耳を再起動。魔力は炉心から直接供給するようにし、今の私が起動しても気絶しないようにしておく。
「さて、みんなを探しに行きますか」
獣耳にも義耳の探知にも、特にヒトの反応はない。とはいえこの場所がカンザキ邸であることは間違いなく、ならば見知った顔の一人くらいはいるに違いない。そう判断して部屋の扉を開き──
「もう夜ですか、1日無駄にしちゃいましたね……」
廊下の窓から、クリフォト越しの満月が見えた。既に陽は沈み静寂に喧騒が混じる、独特の夜の気配が窓の外からは伝わってくる。……こういうとき不便ですし、明日ちゃんとした通信用魔導具でも作りましょうかね。
「一先ずは、顔に泥を塗ることになりましたからリュートさんに報告するとして……」
そんなことを考えつつ廊下を歩けば、やがて見覚えのある大広間に出た。ここからなら、執務室も本来の私達の客室にも辿り着ける。ならば迷うことはないと、リュートさんがよく籠る執務室へと足を向けた。
「アヤメ」
「あ、やっと見つけました。お昼は色々任せちゃってすみません」
「問題はないと否定する。それより、もう身体は問題ないのかと心配する」
「ええ、単純に魔力切れで気絶しただけですから」
そうして歩くこと数分、後ろから小走りで向かって来てくれたアインと合流した。私の歩幅に合わせてくれるのをありがたく感じつつ、平静を装うとするのに揺れる尻尾を押さえ込む。ほんとこの尻尾は……
「それよりもアイン、お昼のことなんですが……」
「問題はないと肯定する。既に魔法陣の写しと、魔力の流れに関する数値表は作成済みだ」
「多分、屋敷まで運んでくれたのもアインですよね? 本当にありがとうございます」
「頼って欲しいと、そう言ったばかりだと否定する。当方は感謝こそすれ、拒否することはないと否定する」
「ですか。なら、もう少し頼らせて貰います」
巨大な屋敷、多くが寝静まり静寂の満ちる夜の廊下。墜星以外の誰にも見られていないことを確認して、隣を歩くアインの手を取った。折角の機会なので所謂恋人繋ぎで、小さなこの手で少し大きな手を握りしめる。
「魔力、ちょっと分けて下さい」
「認識した」
それ以上、特に言葉はなかった。執務室に着くまでの短い間、建前通り魔力を受け取りながら歩いていく。義耳の探知を切ってしまえば、それこそ世界に2人しかいないような不思議な感覚がする。無論、そんなことがないのは百も承知だけれど。
「さて。私はこれからリュートさんに報告しますけど、アインはどうします?」
「今更それを当方に聞くのかと疑問する」
「それもそうですね」
繋いだ手を離すことを少し、名残惜しく感じながら。それでも義務を果たすべく、部屋の扉をノックした。