リュートさん達へ報告した時間は既に相当な深夜であったこともあり、詳細な話はまた明日ということになった翌日。
正確には報告が終わった時点で日付は変わっていたがそれはそれ。結局私は一晩全てを、アインが取っておいてくれた魔法陣の写し、及び魔力の流れを記した数値表の解析に使っていた。
美容と健康にはとても良くないが、眠れそうになかった以上はやるしかなかった。時間を無駄にしないためにも、そして私個人の興味を満たすためにも。
「なるほど、大体わかりました」
検証のために使った器具やミスリル片、魔法陣などが散らばった部屋の中。特製の栄養ドリンクを飲み干し、口の端を拭って呟いた。
アインの手で正確に記録されたデータのお陰で、魔剣が勝手に描いた未完成魔法陣の内容は読み取ることが出来た。内容は少しどころではない問題があるけど、一先ず気絶していた時間のロスは取り戻せたと言って差し支えはないだろう。
「珍しく、大分苦戦していたと記憶している。結局これは、何の魔法陣だったのかと疑問する」
「んー……そうですね。結論から言うと、魔法を起動するための
ただ正直なところ、欠けてる陣なので明言は出来ない。だが、その欠け方も不自然なのだ。式の書き方がまるで『誰かが式を書き加えること』で完成するような、まるで此方に最後を委ねる様に不自然な欠損をしている。
「ならば、そのまま当て嵌めれば完成するのだと思案する」
「確かにアインの言う通りではあるんですけど、なにか、こう、引っかかるんです。多分何かが違う様な、パズルのピースが欠けているような……」
そんな、嫌な予感がする。具体的な根拠なんて一切ない、ただの私の所管だ。そう、所管でしかないのだが……こういう時の違和感は、無視してはいけないタイプの違和感だ。後から振り返ると『何かに気づいているのにそれを言語化出来ていなかった』ような気配。特に今回は、そういった類の感覚が強くしている。
「認識した。それならば、即座に動く必要はないと断定する」
「一晩掛けてこんな結論しか出せなかったのは、ちょっと申し訳ないですけど」
慰めるように言ってくれたアインに、そんな言葉しか返せなかった。こんな私でも魔剣については胸を張って精通していると言えていたところにこれだ。技術に賞賛はしつつも、自分の不甲斐なさに歯痒い思いを感じる。
「一先ず私は、これからリュートさん達に今後の日程を聞くついでに報告してこようと思います。アインはどうします?」
「認識した。当方も同行しよう」
そんなどこか悶々とした気持ちを抱えながらも、義務として昨晩に続きリュートさん達へ報告した。しかしその返答は、正直あまり色よいものでは無かった。
国宝である魔剣に関しての話題である以上、ミーニャ女王側もどうにか時間を作ろうとしてくれているらしい。だが昨日の修復自体が、そもそも無理を言って作った時間での出来事だったのだ。これ以上は諸々に支障をきたしてしまう。あくまで相手は国の王。そういうことだった。
予定されている次の謁見日は明日。
要はまた1日、時間が空いてしまうとのことだった。
「『だから、ゆっくり休んでいて欲しい』と言われても、どうしましょうか?」
徹夜した以上睡眠不足は否めないが、それ以外の調子は至って万全だ。魔力は炉心から吸収した分とアインから貰った分で、完全とは言えないまでも回復している。体調に至っては言うまでもなし、寧ろ全力で運動したい位には体力が有り余っている。
「アヤメに目的がないのであれば、当方は行きたい場所があると主張する」
「行きたい場所、ですか?」
珍しくアインがそんなことを言ったので、一瞬足が止まった。
「肯定する。以前約束した通り、アヤメの両親に……その墓前に挨拶をしたい。ひいては、アヤメの生家を訪問したい」
そして次いで出た言葉に、確かにそんな約束をしていたことを思い出す。私にまだ生身の脚があった頃、獣人界から魔界に逃げ延びる前。私がまだアヤ・ティアードロップであれた頃の、もう随分と遠く懐かしい約束だった。
「そう、ですね。私も久し振りに帰りたいですし、いいですけど……多分もう、何も残ってませんよ?」
旅に必要になりそうなものは、旅に出るときに粗方私のスキルの中に放り込んである。それ以外の物も、カンザキ公爵家が差し押さえた時かそれ以降に持ち出されている。その後、私に懸賞金を掛けたという貴族達に、荒らされている可能性も否定できない。
「認識している。既にリュート公爵から、アヤメが旅に出た際の状況とその後の顛末は把握している」
「そうですか。ならまあ、アインが行きたいなら」
ずっと屋敷の中にいるよりも、その方が気分も晴れるかもしれない。
幸い時期が時期だ。長いブーツか何かで義足を隠して、フードを目深に被れば、そう怪しまれることはないと思う。ユ=グ=エッダからそういう格好で降りてくる人が、今はそれなりにいるとリィンが愚痴っていた記憶がある。
「アヤメは、あまり乗り気ではないのか?」
「正直な言えば、そんなに。でもいつかは乗り越えなきゃいけない話ですし、それならアインと一緒がいいです」
正体を聞かれたら、お忍びで観光しているアイリス・エターナルとその従者という設定で問題ないだろう。と、そんな建前は置いておくとしてだ。文字通り"何もなくなった"我が家に足を向けるのは、少しどころではない抵抗感がある。
それでもこれは、いつか解決しなければならない蟠りで。きっとその"いつか"が"いま"なのだろう。だったらせめて、アインと一緒に。ママとパパの痕跡が一番
「認識した」
「なら、リュートさん達に『気晴らしに街を歩いてくる許可』貰ってくるのお願いしても良いですか?」
「肯定する。だが、その間アヤメは何を……?」
「一応、私だって女の子なんです。ちょっとくらいオシャレ、させて下さいよ」
徹夜で消耗した身体と髪に、1日シャワーも魔法も使ってないせいで自分の匂いがとても良く感じられる。流石にそんな状態で恋人と出掛けるのはあり得ない。人としても、私が言って良いのかは分からないが年頃の女子としても。
「認識した。楽しみにしていよう」
「私そういう化粧苦手なので、あんまり期待しないでくださいよ……?」
それに今回は衣装も人混みに紛れる物である必要があって……と、説明しようとする時に。既にアインは走り去ってしまった後だった。
思えば、仕事抜きの完全なプライベートでアインと出掛けるのは、それこそユ=グ=エッダに到着して以来だ。それはつまり、晴れてパートナーになってからは1回も2人で出かける……所謂デートと呼ばれることをしていない訳で。
「ちょっとは、頑張りましょうか」
まとめ売りセール品の服でも、ドレスでも戦闘装束でもなく、普通の可愛い服。多分、1着か2着くらいはまだ残っているはずだ。ああいや、その前にまずはこの荒れ放題の髪の毛とかを──などと、スキルの内部を漁っている時だった。
「……なんでしょう、この服」
見覚えのない服が出てきた。
1つはアクセサリーと思われる木の根と、若草色の生地をベースにしたドレス風のワンピースという民族衣装風の服装。華やかだけど露出も多い、なにこれ。
もう1つはママの世界である地球の格好によく似たもの。フォーマルなワンピースとボレロを組み合わせた服装。すごく無難で、脆そうだけど嫌いじゃない。
次に何処かの学校の制服。もう学校なんて体勢とっくに崩壊してるのに、どこでこんなコスプレ衣装を買ってきたのか。もしかしたら、ママの持ち物だったのかもしれない。
最後に足にフィットする形のスキニージーンズと、白を基調にしたロングのダウンコートを組み合わせた北方風の様相。所々に小さなリボンやポンポンがあしらわれ、左右に小さな狼を模した形のポケットが存在している。絶妙に手元が見えない形の袖がポイントだろう。
「最後のは、冬用ですかね」
けれどもう、着ることはないだろう。多分、そこまで寒さが厳しくなる冬までは生きれないし。
それは兎も角、驚くことに安売り7着と正装、今着ている戦闘装束以外に服がこの4着しか残っていなかった。あとは変装用のファー付きフードがある長めのケープくらい。小物こそそれなりにあるものの、オシャレの「オ」の文字すら見当たらない。
「仕方ありません」
この中で一番無難な、フォーマルなワンピとボレロに着替えることにする。それ以外はスキル内に封印しておくしかない。着るの恥ずかしいし。
いつまでも廊下に突っ立っているのも悪いので、まずは部屋に帰還。そこから魔法で身を清め、顔を洗って、丁寧に髪を梳かす。あとは着替えて、折角なので薄らと化粧。最後に幻影で目と髪の色を変えて、よし完璧。いつかどこかで、可愛いは最強という言葉を見た気がするけど、これならきっと大丈夫だ。
「しかし、我ながら随分と……」
変わったなと思う。アインと出会った頃は、自分が誰かと2人で出かけることも、プライベートで化粧をする機会が来るとも思っていなかった。
なんてことを考えている時だった。コンコンと控えめに、部屋の扉がノックされる。
『済まないアヤメ、入っても問題ないだろうか?』
「はい、大丈夫ですよ」
その相手がアインであることは、探知に反応していたお陰で見ずともわかる。故に振り返って軽く服を整えていると、アインの視線が私に固定されていた。やはり隈が消えるのは大きいと見た。しかし同時に、私の視線もアインに釘付けとなる。なにせ──
「髪の毛、染めたんですか?」
「肯定する。木を隠すのなら森の中、ナーハフートの色に一時的に変更している」
紫眼はそのままに、灰髪を青色にアインは染めていた。一時的とは言うものの、なんだかちょっと複雑な気分だ。
「なんか、私のアインじゃなくなったみたいで少し複雑ですね」
「それをアヤメが言うのかと疑問する」
「……あはは」
笑って誤魔化すしかなかった。
「それで、リュートさん達は何か言ってましたか?」
「肯定する。『外出については構わない。けれど念の為、家を出る時は裏口から。光学迷彩系の魔法を使用した方がいいと思う』とのことだった」
「了解です。私の実家については何かありましたか?」
「特になかったと否定する」
ということは、好きに入って構わないということだろう。立場的に誰として入るかは、私達の判断に任せるとかそんな感じか。
「当方からも、質問がある。何故、アヤメはアヤの姿に?」
「アイリスとしての姿でも構わなかったんですけど、やっぱりアインと一緒に歩くならこっちがいいなと」
なんとなく、そう思ったのだ。続けられなくなった旅の続き、なんて言うつもりはないけれど。ただアインと獣人界を歩くなら、この姿がいい。そんなちょっとした拘りだった。
「さ、善は急げです。陽が登りきる前に行きましょうか」
「認識した。当方が連れて行こう」
私が差し出した手を取って、2人で屋敷の裏口へ。昔読んだ漫画にこんな駆け落ちがあったなぁと思い返しながら、朝の空気が満ちる街へ私たちは駆け出して行った。
◇
フードを深く被り、長く紅い髪を服の中に入れ込んで。隠れながらも堂々と歩く街は、私の知る王都シヤルフとは違う街に見えた。
人通りがまだ少ない大通り。炊事の音と気配が漂う家々。いつも通り活気のない朝市。急ぐ城勤めの人達。何もかもが変わらないのに、何処か世界が色付いて見える。
「そういえば朝ご飯どうします? 結局、食べないまま出てきちゃいましたけど」
「可能ならば、屋台のような場所がいいと提案する」
「なら、そうですね。昔通ってた屋台があるので、そこはどうでしょう。まだ残っていればですが」
それはあの頃の私が、世界をそう見ていたことだけが理由ではない。きっと、こうして隣にアインがいてくれるから。白黒2色からなる灰色の世界に、
「認識した。ア……リスの進める場所であれば、当方に依存はない」
「ガッツリ朝からスパイスの効いたお肉に齧り付くのって、徹夜明けの胃袋に効くんですよね」
それは兎も角、なんと私に4つ目の名前が誕生した。魔王国第3首都ユ=グ=エッダ所属最高位技官アイリス・エターナルのお忍びスタイル、庶民派ライカンスロープのアリス・メビウスが今の私の名前だ。いつか私も、私の名前はイッパイアッテナ……とか言う日が来るのだろうか。
「それは、問題ないのか?」
「私はこれでも銀狼ですし。アインも多分、大丈夫だと思いますよ?」
「肯定する。当方は仮眠を取っている以上問題ない。それにアヤメが大丈夫であるのならば異論はない」
などと話している間に、懐かしい道に出た。私がアヤとして活動していた頃、毎日のように通っていた帰り道。何も変わらないそこを、1人ではなく2人で歩く。
遠く近しい、苦しみと懐郷が残る記憶の道。そこに新たな思い出が増えていくのを実感していたからこそ、辿り着いた我が家を見て現実に引き戻されるような感覚がした。
「まあ、幾ら公爵が保護をしてるって言ってもこんなもんですよね」
そこにあったのは、荒れ果てた我が家だった。
剥がす人が居なくなったか諦めたか、罵詈雑言の書かれた紙が貼り付けられ、或いは何かしらの塗料で散々に汚されている門扉。日本家屋風だった本邸も同様で、遠目で見るだけで凌辱の限りを尽くされたことは明らかだ。手入れをする人物がいなくなったことで庭も荒れ放題であり、魔法か何かが撃ち込まれたのだろう崩壊箇所も見受けられる。疲れ切った顔の警備員が居ることだけは救いか。
「さて、行きましょう……って、どうかしました?」
いつまでも見ているだけにはいかないと、懐かしの我が家に帰宅しようと一歩を踏み出した時だった。呆然としたように、魂を抜かれたように、アインがその場から動けなくなっていた。
「これ、は……これは、余りにも酷いと否定する。故人に対する想いも、何も、あったものではない」
「所詮こんなもんですよ、世間も、人も」
とはいえ、ちょっと予想より酷い荒れ具合ではある。まあ、
慣れ切ってしまった扱いに、湧き上がってきた感情をいつも通り押し殺して。まだショックが抜けきれないらしいアインの手を引き、眠そうな顔の警備員へ近付いて行く。
「魔族か、人造人間を連れて何をしに来た」
「見学を。お忍びなので、名前は聞かないでいただけるとありがたいですわ」
言いながら、目深に被ったフードを僅かに持ち上げる。そして幻影の魔導具を操作して、幻影を解くようにしながらアイリスとしての髪色に戻す。
「そうか。荒らすなよ」
「当然です」
それで話は察してくれたらしい。剣呑な空気が晴れ、我が家に足を踏み入れることができた。
当然ながら、そこに人が生活している空気はない。してい
「さて、それじゃあまずは本邸に入ってみましょうか」
「に、認識した」
アインの手を引いて、慣れた手つきで玄関へ。本来なら靴を脱ぐところだけど、戸ガラスは割られ泥やゴミが散乱しているのを見て考え直した。土足で上がった方が、間違いなく安全だ。
「ただいま」
空気に溶け入りそうな声で呟いて、ジャリッと飛び散ったままのガラスを踏み躙って我が家に上がった。暗い、魔導具や電気の灯りが消えた、澱んだ静謐が満ちた家。変わり果てた我が家の姿に、ほんの少しだけ涙が滲んだ。
「左手にある砕かれた扉が2階への階段、右手がキッチンで、真っ直ぐ進んで廊下を挟んだ所の部屋がティア・クラフトの部屋。そのまま廊下を右手に進むと、風呂場とトイレに。左手に進むとイオリ・キリノとロイド・キリノ、アヤメ・キリノの部屋が。どこから見ますか?」
「2階は──」
「物置だったと聞いています。昔は遺影とかのあるブツダン?部屋だったとか、異世界に繋がる扉があったとか言う話ですが」
勝手知ったる我が家だ、随分と離れていたのにまだ全てを覚えていたらしい。懐かしい日常と、幸せと苦しみとが組み合わさったマーブル色の思い出。説明している内に滲む涙は、拭って無かったことにする。
「何処にも、寄らず問題ないと、否定する」
「……そですか」
そう言ってくれて、何処かホッとした自分がいた。正直この空間には、1秒たりとも長居したくなかった。
「なら次は、アヤ・ティアードロップが利用していた離れですね」
と、言ってから気が付いた。本邸と違って、見た限り離れは完全に状態を保たれていた。それはつまり、鍛冶場を抜けてあのヌイグルミが散らばった部屋に案内すると言うことで……
「認識した。そちらは楽しみだ」
「えっ、あー、えー……散らかった部屋だと思いますがそれでもいいなら」
時すでに遅し。何か工作を行うような時間もなく、案内することが決定してしまっていた。そうして案内することになった、鍛冶小屋兼離れと私の部屋。火が落ちている炉や道具類は回収済みだったので説明することはなく、一直線で私の部屋にまで辿り着いてしまった。
「一応靴、脱いで下さい。我が家はそういうタイプだったので」
「認識した」
思えば、この部屋に他人を招くのは初めてだ。そんなことを思いつつ扉を開け、足を踏み入れた私の部屋は──
「アヤメの匂いが──」
「言わないで下さい、恥ずかしいので」
思った以上に私がいたという痕跡が、空気として残っていた。入り口を締めれば遮音される部屋の性質上、余計なことを口走っても問題ない……そんな性質がきっと原因だ。大切な物だけ放り込んで出掛けたあの時のまま、時間が止まったような部屋だった。
「ちょっと準備するので、ベッドにでも座っててください」
「……認識した」
自分の匂いしかしない部屋に、自分以外の匂いが混ざる奇妙な感覚を感じつつ、スキル内から1つのロケットペンダントを取り出した。同時に引っ張り出した飾り台にそれをかけつつ、パチンと開き中身の写真を露出させる。
「私が持ってる、最後のパパとママの写真です。お墓ももう無い以上、手を合わせるならコレになるかと」
「認識した。そうさせてもらう」
そんなアインに続くようにして、私も久し振りにロケットに手を合わせた。しばらくの間、本邸とは違う優しい静寂が部屋には満ちていた。