逃れられない地獄の現実と、緩やかに死ぬ幸福な夢
どっちの方がマシなんだろうなぁ?
まあ、大抵は幸福で溺れ死ぬだろうが
どこか、とても温かく優しい微睡みに包まれているような感覚。そんな何とも言えない、幸せな感覚に包まれて私は意識を取り戻した。
「アヤメ?」
「いえ、大丈夫ですよアイン。少し立ちくらみしただけですから」
心配そうに振り返ったアインに、笑顔を浮かべて言葉を返した。見渡した限り、ここは獣人界のメインストリート。私は昨日、ちゃんとベッドで眠りについた筈。それなのに何故こんな道を歩いているのか、理由がまったくもって分からなくて──
「ちょっと、朝の仕事で疲れたのかもしれません」
ああ、そういえばと思い出した。今朝突然、リィン経由で魔界から魔剣の修復依頼があったのだった。急ぎということで何とかしたのだが、多分それが原因だ。今の立ちくらみも、朝の記憶がないのも、寝起きから散々頭を回していたからに違いない。気分転換にとアインが誘ってくれたのだろう。
「アインにはその分、書類関係を色々任せちゃいましたけど……大丈夫でした?」
「あの程度であれば、特に問題はない。だがやはり、アヤメは休んだ方が良いのではないかと提案する」
「これくらいじゃ何ともないこと、アインも知ってますよね。それとも、旦那様って呼んだ方がいいですか?」
なんて、揶揄うように言葉を口にした。それは恥ずかしいとでも言うかのようにアインが笑い、私も釣られて笑顔になる。仕方がないだろう。何せ明日には、そう呼び合う関係が本当になるのだから。
まあ、こうして言うのは何か気恥ずかしいけれど。明日は私たちの結婚式。リュートさんの伝手で貸し切った会場を使い、アヤ・ティアードロップとアイン・ナーハフートは戸籍にも残る正式な夫婦となる。
「認識した。アヤメがそう言うのであれば、俺もこう言った口調で反撃せざるを得ないが?」
「……ごめんなさい」
未だに慣れないアルブレヒトとしての口調に背筋をゾワリとさせつつ、このあり得るはずがない平和な日常に心の底から安堵していた。
何せこの1年、余りにも激動の時間だった。
お義母さんが灰の襲撃で亡くなってから、マスコミから逃げるために半ば強制的に旅に出て。魔剣を回収する最中にアインと出会い、挙句魔界にまで
「いやはや、それにしてもよく生きて帰って来られましたよね私たち」
「肯定する。何か1つでも失敗があれば、或いは運が悪ければ、今日日当方達が五体満足で生きていることはなかったと推測する」
そしてなにより、忘れてはいけないのが無限に広がる【悪魔】の軍勢との戦い。結果として生き残りはしたものの、アインの言う通り一歩間違えれば死んでいた。
だがしかし、そんな怪我の功名というべきか。獣人界ー魔界の大陸間連絡橋の修復工事と、空路の開拓という手柄を持って、私たちは大手を振って獣人界へ帰還することが出来た。
そう、そんな日々から約半年。
漸く溜まりに溜まっていて仕事も落ち着いて、アインの本当の名前を知れたのが2週間前。それによるひと騒動が片付いたのが1週間前で、危うくこの結婚式の話が流れてしまいそうになって心底焦った。だけどそれも、半年前から比べれば可愛いもので。
獣王国王都シヤルフは緩やかな衰退の中にはありつつも、平和な日常に包まれていた。
「それじゃあ、買い出しも終わりましたし帰りましょうか」
「認識した。余り、明日へ響いてもいけない」
「ですね」
などと答えつつ、アインの手を引いた先は普段とは違うルートの帰り道。仮住まい兼仕事場のカンザキ公爵邸ではなく、戻ってきてから少しずつ改修した元イオリ・キリノ邸……つまり、私とアイン以外ヒトが周囲にいない家へ。
「アヤメ、この、道は……」
「みなまで言わせないでください、私だってこれでも女の子なんですから」
つまりは、そういうことだ。
私は、明確にアインを誘っていた。
普段から酷く魘される私と、名前と記憶を取り戻してから悪夢に苛まれるようになったアイン。それがお互い、寄り添って寝ると不思議と安眠できる為、同衾自体は殆ど毎日と言って良いほどしている。
だが結局のところ、そういった行為に及んだことは一度もない。それはお互い忙しいこともあったし、きっかけが無かったからでもある。だが今日は結婚式前夜……詰まるところ、所謂初夜にあたる。
恐らく最初で最後に近い、口実とタイミングが出来てしまっていた。
「……」
「……」
帰り道を進む足が少しだけ早くなり、反比例する様に減った口数による無言が続く。ああ、きっと今の私は顔が人耳まで赤くなっているに違いない。
……それで、結局どう、なのだろうか。いやらしいとか、はしたないとか、思われていないだろうか。心配になり繋いだ手の先を見れば、赤い顔と視線が交錯した。
「なにか、言ってくださいよ」
「当方で、本当に良いのか……?」
「馬鹿言わないで下さい。むしろアイン以外お断りです」
「だが、当方は……」
そう、意を決して誘ったものの、私とアインの間に子供ができるという未来はあり得ない。私もアインも健康体だけど、お互い身体に異常がある。私であればクリムさんの裏切りで毒された腹部と内臓が病んでいるし、アインであれば身体を改造された時の影響で後継が出来ないような調整が施されている。
だから確かに、未来にいるかもしれない娘が息子かの姿を見ることはできないのだろう。だがそれとこれとは、完全に別の話だ。
「そういうの、全部込みでの話です。見くびらないで下さい」
だからこそ、到着してしまった草臥れた我が家の門扉を背に、私の乙女として最大級の笑顔を浮かべ答えた。
「顔が、真っ赤だと指定する」
「夕陽の所為です。それにアインだって、顔真っ赤になってますよ?」
「ならば夕陽の所為だと、当方も否定しよう」
なんて、お互いそんな狡い言い訳をして。
動き出した歯車が止まることがないように、少しずつ時間が進んでいく。料理をして、一緒にご飯を食べ、風呂で体を清め──そして夜。15年間住んだ我が家の見慣れた天井の下、私たちは同じ布団に隣り合うように座っていた。
「初めてアインと会った時は、こんな仲になるとは思いませんでした」
「肯定する。当方はそもそも、自分がアルブレヒト・スノードロップというヒトだったことさえ知らなかった」
「そうですねぇ……」
手の指を軽く絡めながら、これまでの旅路を思い返し嘆息する。時間にすればたった半年の短い旅。たけど色々なことがあって、あり過ぎて、濃密過ぎた時間に思い出が目一杯に詰め込まれている。
「アインは私との旅、どうでした?」
「2度と忘れることのない、波瀾万丈で楽しい旅だった。ただ、2度と同じことは経験したくないと否定する」
「確かに、それは言えてます」
だからこそという面もあるけれど、同じような旅はもうしたくない。だがそれでもアインと一緒なら、そう思う心にも偽りはなかった。
「お互いに、"希望"の名前を持つ者同士。きっと当方たちは違う世界でも、当方たちと同じように出会うことになる」
「そしてきっと、同じように好きになって」
「同じように結ばれると、確信する」
神様なんて存在がとっくに消えたこの世界で、運命の赤い糸なんて御伽噺は信じられないけれど。そうあって欲しい、そうあるだろうという予感が胸にはある。温かく、柔らかな思いと共に。
「でも苗字が変わると、アヤメ・スノードロップで希望・希望になっちゃいますね」
「ならば当方が、アルブレヒト・キリノに変更すると提案……何か、慣れないと困惑する」
カチ、コチ、カチ、コチ
ひとしきり笑った後、時計の音だけが部屋にしばらく鳴り続ける。完全に、空気がそういう雰囲気へと変わっていた。照れ隠しも誤魔化しも、話題逸らしももう出来ない。正面から、向かい合う。
「それじゃあ、最後に」
このあり得るはずがない平和な日常に感謝をして、夢のような日々に想いを込めて言う。
「愛してます。絶対に手放しませんし、逃しません。だからアインも、私がどこかへ行っちゃわないようにして下さい」
だから──と言葉を続ける前に、ギュッと強く抱き寄せられた。
「当たり前だ、と宣誓する。そして当方も、何度だって言おう。愛している。例え死が2人を分かつとも、絶対にアヤメを離さない」
毒のせいで弱った私の体が刻む小さな心音と、アインの刻む心音が重なり合って一体化していく。ここまで来て今更、自分の身体の小ささを実感させられたけど、もう止まらない。
改めて、真正面から抱き合うようにして。精一杯に、お互いがお互いのモノであることを主張して──
「私を、アインの物にして下さい。その証を、刻みつけて」
淫靡に、淫猥に、耳元で誘う言葉を口にした。
◇
◇
気がついた時には、かなり高くまで月が昇っていた。
クリフォトの枝葉を透過し乱反射を繰り返した月光は、空を宝石のように輝かせるも灯りとしてはあまりに頼りない。
当然、灯りの消えた我が家の中もほぼ真っ暗。辛うじて効いている暗視がなければ、何も見通せないほどに暗い。
「……大丈夫かと、心配する」
「……身体、鍛えてなきゃ、危なかったと思います」
火照った肢体を、冷ややかな夜風が吹き抜け冷ましていく。
よく男はケダモノなんて話は聞いていたが、殆どお互い様と言った感じだった。正直なところ腰は痛いし、まだ何かが入っているような違和感がある。それに魔剣の限界駆動後くらいには、全身が疲れ切って力が入らない。
それでも心の中には、溢れそうなほどの幸福と満足感が満ちていた。
「……ふふ、凄い匂いですね」
「肯定、する。布団も、清掃が──」
「そうじゃなくて」
確かにそれもそうであるのだけれど。生活魔法でどうにかできるそれよりも──
「私と、アインの匂いが半々に混ざり合ってて……本当、こういうのなんて言えばいいんでしょう」
頭がおかしなことになりそうだった。今の今まで散々お互いにお互いを貪りあっていたというのに、もう延長戦を初めてしまいそうになる。
「少なくとも、幸せであることは間違いないと推定する」
「ん……そうですね」
優しく頭を撫でてくる手に、マーキングするように頭を擦り付けた。お互いもう触っていない場所がないくらい、散々することはしたのに。
「アヤメ……これからも、また──」
「していいですよ。何度でも、何回だって私に溺れさせてあげます。でも代わりに、いっぱいデートしたり、抱き締めたり手を繋いだり……ずっと、一緒にいましょうね」
「当然だと、宣誓する」
絶対に実現しないこの瞬間が、愛おしくて。この瞬間がずっと……永遠に、続いて欲しくて。時よ止まれと、停滞を願うような言葉が口から溢れかけた。
「即答なんですね……破ったら、絶対に許しませんから。けだもの。ロリコン。へんたい」
言いながら、カプリと首筋を甘噛みした。
斯くして、未だ巫女と遺産は目覚めることなく。死へと善意で舗装された幸福な世界は続いていく。本人達に、拭いきれない微かな違和感を感じさせながら。
◇
墜星・玉兎の持つ聖剣【神境偏在モチヅキ】は、同じ墜星である八岐が振るったアマノムラクモとは対極に位置する聖剣だ。
自己強化・魔剣強化・射程延長の3能力しか持たないアマノムラクモと違い、モチヅキの能力は完全催眠と現実改変、████の3種類。正攻法とは正逆の位置にその性質は偏重している。
何よりも悪辣なのは、完全催眠の能力。
英雄になりたい? いいぞ、全て用立ててやる。
お金が欲しい? ああ、叶えてやろう、幸せにな。
子供が欲しい? 素晴らしいな、笑顔で過ごしてくれ。
こんな夢はいらない? そうか、打開する夢を見ているがいい。
死んでしまいたい? 悲しいが叶えよう、幾らでも死んでくれ。
誰もが等しく夢の中、地獄の現実から幸福な幻想の中へ。対象の無意識な願いすら反映して、幻夢境は止まらない。
重ねて言おう、願えば全てが叶うのだ。
肯定も、否定も、諦観も、諦めも、何もかもを幻夢境は叶え続ける。
過去に思うことがあれば、それに囚われる。
現在に不満が、或いは満足があれば、その先に囚われる。
未来に願う何かがあれば、それが叶って囚われる。
その法則は、例え今自分がいる世界が聖剣の能力による幻想だと気が付いても変わらない。
幻を撃ち破ろうと動けば、撃ち破った夢を見る。幻を払おうと願えば、その通りの願いが叶う。等しく全て、微睡みの中で。
もがけばもがくほど、願えば願うほど、動けば動くほど、深みに嵌って沈んでいく。夢の中へ、夢の底へ、2度と目覚める事のない枯死の地獄へ。決して気づく事のないまま、幸福な夢に溺れていく。
そして当然、今の時代を生きるヒトは逃れられない。
戦争、悪魔、飢餓、飢饉、殺し合い、大罪人……未来を願う希望も、過去を呪う絶望も、探す必要すら無いほどに溢れている。停滞の頸木に囚われた世界に、幸福な幻想は致死の毒だ。
この世界から逃れ得る方法は2つ。
1つは何も思わない程、何もかもが壊れている事。
願えなければ神々にはなり得ない、必然的にそんな連中は箱庭である幻夢境から弾き出される。スラム街の薬中や、心の壊れた静養人がこれだ。元から夢を見ている連中は、新たに夢を見られない。必然の道理である。
もう1つは、幻術を超える圧倒的な力を持つ事。
それは例えば聖剣であり、例えば大罪であり、例えば元徳であり、現存する者は少ないが転生者の
幻が支えきれない現実や、人として外れた異端の宿痾、神の奇跡を幻夢境は拒絶する。そんな相手に手を差し伸べたくもないと、かつての██が思う通りに。
故に彼ら彼女らは、いつか必ず目を覚ます。人の夢と書いて儚いと読むように、夢はいつか醒めるもの。時期こそ人によりけりではあれど、人の理を外れた
故にこそ
誰よりも早く夢が醒めるのは、その男を除いて他にはなかった。
「よう、馬鹿弟子ども。約束を果たしてもらえたようで何よりだ」
「師匠……」
光の絶えた新月を見上げた玉兎に話しかけたのは、数百を超える黄金の波紋を背負った2人組だった。
片や隻腕を持つ初老の男性。使い込まれた金の鎧は歴戦の風格を醸し出し、握る黄金色の刃を持つ魔剣はかつての煌めきを誇ったまま。逆立った黒髪の下、爛々と輝く紅に変色した瞳は、正しく臨戦態勢のリュート・カンザキその人だった。
であれば、その隣に並ぶ人物は彼女以外に他ならない。闇夜に紛れる身軽な鎧を見に纏う、かつてと比較する色艶が見る影もない白髪混じりの鴉色の髪。薄緑の光を纏う刀を手に、黄金の影のように並び立つ彼女は、同じく臨戦態勢のレーナ・カンザキその人だ。
当然、戦争を経た彼ら彼女らにかつての力は既にない。
リュートであれば片腕を、そして彼の宝物庫に詰め込まれていた無数の財宝を失っている。かつて空の戦をほしいままにした天の玉座も、数多の魔剣も、幻想の薬も、酒も、全てが霞と消えてしまっている。
レーナであれば、今こうして魔剣を起動しているだけで全身に引き裂かれるような苦痛が走っている。2度と癒えぬ魔術回路の大損傷、魔剣が補助するとはいえど、その古傷は余りに大き過ぎる。
だがしかし、それでも、と。
かつての自身達の師匠が最後の願いを叶える為に。
親友夫妻から託された娘達を護る為に。
カンザキ夫妻は、この空の彼方まで昇って来ていた。
「ここに来るのも、随分と久し振りです」
「だろうな。普段ここは、墜星のみが存在を許される場所だ。幾らお前らでも、数分と生きちゃらんねぇよ」
「だとしても、いつかは背負わなければならない未来よ」
「ああ、その為に私ら墜星がいる。
そうかつてのように、2度と実現する事があり得なかった現実で語り合いながら、この場にいる全員が己の得物を握り締める。
戦闘は避けられない。何故ならば、かつての師匠の……墜星・玉兎の願いは、アヤメでもアインでもリィンでもなく、かつての弟子達に全てを託して終わりを迎える事なのだから。
「さあ、さっさと魔剣を抜け馬鹿弟子共。じゃねぇと、1秒も保たねぇぞ?」
挑発的な笑みを浮かべて煽った玉兎の言葉が、戦の火蓋を切って落とす。
「「刃金に満ちよ、我が祈り──希望の
万が一にしか勝ち目のない、絶望的な戦いが。
長い、長い夜が、始まった。
アヤメ 残り91日
アイン 残り91日
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《アヤメの現在の所持魔剣》
【Ⅰ型魔剣】(たくさん)
・スラッシャー ・ピアッシャー
・クラッシャー ・ディフェンダー
【Ⅱ型魔剣】(23振り)
・ユメウツツ ・チョーク
・コドク ・レッドキャップ
・ルンペルシュテルツヒェン
・マンチニール ・アヴァロン
・オネイロイ ・アムネシア
・ユビキタス(子機)
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・アモルファス ・未鑑定(8振り)
【試作型魔剣&同格魔剣】(3振り)
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