バラバラ、ばらばら、もう戻らない。
かつての栄華はここにはなく【01】
私が目覚めた時には、玉兎との決戦の日から既に1週間という長い時間が経っていた。
聖剣も魔剣も、やっていることは基本的に相手からの簒奪と自分の未来の前借り。あれだけ派手に対魔術戦で魔力を消費し、玉兎から魔力を吸収できなかった以上、さもありなんという結果だ。
「何か船を起動するとは思ってましたけど……まさか、大陸がまるまる1つ浮かび上がるとは」
『余も目が信じられぬ状況ではあったが、起動させたアヤメですらそうとはな……』
そして私は今、八岐との戦いが終わった後にもお世話になった治療院に居る。本来ミーニャ女王としては、あの時玉兎と戦った全員を獣人界の最先端医療施設で治療したかったらしい。が、流石に人口の2/3が玉兎の夢から覚めず、或いは黒泥となって消滅するということもあり社会は大混乱。政情も不安だということで、ほぼ被害の無かった魔界ユ=グ=エッダに医療班ごと送り込む形になったらしい。
『しかし、よくそのような分からぬ物に命を賭けれたなアヤメよ』
「一応目算としては、王都を中心とした艦隊が浮上するものだとと思ってました。ユ=グ=エッダっていう例もありますし、何より王城の内部が船の構造にそっくりでしたから」
復旧した魔剣ユビキタスによるネットワークシステムによる子機を利用した映像通信の向こう、少しやつれた顔をしたリィンが告げる。
あの時に優先したのは、空へ逃げること。悪魔の地上戦力と航空戦力を同時に相手しないこと。玉兎があの衛星砲撃を船の主砲と言っていた以上、それさえ出来れば巻き返しが効くと思っていた。それがまさか、大陸そのもが浮かび上がるなんて聞いていない。というよりも正直、スケールが大き過ぎて受け止め切れてすらいない。
『となると、アヤメであっても全容は把握しておらぬのか。ふむ……せめて動力や設備等の把握はしておきたかったのだが』
「これでも少しは知識はあるのと、自分のしでかしたことは把握しておきたいので、出来る限り手伝います。ただまあ──この腕をなんとかしないことには、ちょっとどうしようもないですが」
なんて軽く言いながら、貫頭衣から伸びる肘から先のない左腕をぷらぷらと振る。ただでさえ傷だらけな腕のに、火で焼いて止血した傷口が生々しいうえ痛々しい。倒れた後やって貰えたらしい消毒と魔法治療のお陰で、清潔に塞がってるだけ儲け物だろう。
『ッ、それについては、余もミーニャも済まないと思っておる。だが……』
「ああ、壊れてたんですよね? 私の左手。多分そのまま繋げたら大惨事になってたと思いますから、特に気にしてませんよ」
あの時切り離した私の左手には、本来私が持っている魔力と、アインが無理矢理魔法陣で介入した魔力、禁呪で汚染された魔力に、玉兎がハッキングしてきた魔力が混在している。
それは謂わば4色の絵の具をグチャグチャにかき混ぜたような状態であり、端的に言って呪物に等しい。除染しなければ迂闊に処分もできない様なものを繋げて喜ぶような、自殺趣味は私にない。
「それに、腕を繋げて再生治療をしたとして……元通りに動かせるようになるまで、確か半年近くかかりますよね?」
『脚の時とは違い切り離した腕があるうえ個人差も大きいが、恐らくその程度はかかるであろうな』
「なら改めて、再生治療も必要ないです。完治するまで生きてられませんし、私」
禁呪が1回に、魔剣のリミッターを最大開放が2回。それで体感1ヶ月分の寿命が吹き飛んだ。余命2ヶ月、それが私に残された時間だった。後でリュートさんのところに行って、魔道具で正確な日数を──ああ、そっか。
「もう、いないんだった……」
『そう、か……否、否! そうかではない!』
気まずい沈黙が降りようとした直前、リィンが机をバンと叩いて立ち上がった。感傷に浸り掛けていたせいか、思わず体を強張らせてしまう。
「……なんです、リィン? 別に私は大丈夫ですよ。ほら、この通り」
『大丈夫? ならば何故、アヤメは
左腕をぐるぐると動かして無事を証明していると、泣きそうな顔をしたリィンがそう叫んだ。だがそう言われても、全くと言っていいほど心当たりがない。この病室備え付けの鏡も見てみるが、別に透き通った笑顔の私がそこには映っているだけ。
「何もおかしなところ、ないと思うんですけど……?」
『うむ、うむ……よく認識した。アヤメよ、アインは今どこにおる?』
「アインならちょっと義手の材料を探しに行って貰ってます。パパの義手を参考にしようと思ったんですが、いかんせん古い設計図なので素材も古くて」
金属類は自前で用意出来るけれど、超高ランクの魔物素材なんて現代では極めて希少。極めつけに核のダンジョンコアなんて遺物も遺物、現存してるなんて話すら聞いたことがない骨董品だ。代用品、考えないとなぁ。
『相分かった。アヤメよ、少し、少しだけで良い。ゆっくりと、身体と心を休めてくれ』
「でも船の状態の把握は……」
『問題ない、余とミーニャで時間は工面する。そもそも未だ国の安定は見込めぬのだ、本格的に取りかかるのは後でも不都合はあるまいて』
「はぁ、そういうことなら」
断る理由は、特にないように思える。義手を作るまで私は実質行動不能に近いのだし、政治的な面が不安定なら動くべきじゃないのだろう。
それになんというか……少し、疲れてしまった。
『余には今のアヤメは──研ぎ澄ました果て、折れる寸前の刃に見える』
「なるほど……それは、心配もされますね」
『戸籍上は出来ておらずとも、アヤメとアインは結ばれたと聞いた。こういう時なのだ、目一杯に甘えて、甘やかされるが良い。良いか! アヤメの今やるべきことは休養なのだぞ!』
そうして再三警告する様にして、慌ただしく映像通信は切断された。リィンも私が起きたと知って、無理に時間を作ってくれたのだろう。アイン以外顔見知りもいないこの病室で、それはとてもありがたいことだったのだが──
「休み、かぁ」
1人きりに戻った病室で、ぽつりと呟いた。正確にはアインとはいつでもアンクレットを通じて話せるし、そもそも半精霊としての契約を通じお互いの状態すらぼんやり把握している。ただ、それでもやっぱり、どうしようもなく私は独りで……
「なに、すればいいんだっけ」
何も、本当に何も、心に浮かんでくるものがなかった。食べたい物も、やりたいことも、特に何も出てこない。まるで心にぽっかりと穴が空いたように、燃え尽きて灰になってしまったかのように。
「……義手、作ろ」
清潔な真っ白ではなく、僅かに黒で汚れた灰色の壁を見つめること数分。答えどころか問題すら見えない堂々巡りには区切りをつけて、私は自分のやるべき事に思考を戻した。
ママがパパへ贈り、晩年まで改造と新造を繰り返していた義手。その駆動方式は完全魔法制御だ。ダンジョンコアという自力で魔力を生産し続ける物質を核として、義手内部の空間を魔法で拡張、内部にやりたい放題機能を詰め込み、その全てを魔力の糸で結び、駆動方面と術式を完全にリンクさせている。設計図を見るだけで分かる。ママは、間違いなく天才だった。
「それに、パパほど余裕ないしなぁ……」
そういったロマンを矛盾せずに両立できるのが、完全魔法制御の義手のメリット。デメリットは死ぬほど燃費が悪い事。本来ならそれでも尚、動作精度と浪漫を取ってこの方式を採用したいのだが……私はもう、両足が義足で右獣耳が義耳だ。そこにこの方式の義手を付けたら、魔力が保たない。
となれば畢竟、パーツを削り出し螺子と鋼糸で繋ぎ、人工筋肉で駆動する筋電義手として作らざるを得ない。でもモーターは用意できず、用意したとて戦闘にも作業にも耐えられない。
よってそれらの折衷案、半々に要素を組み込んだ物を作るしかないのだが──手持ちの素材だけでそれは不可能だ。問題は主にママの設計図の方。使われている魔物素材が、あまりに多種多様で大量だ。それもこの時代にはもう、居ないとされている魔物の物が。
「魔物、か……」
思えば、もう随分と魔物と戦っていない。
旅に出てから戦ってきたのは、人、人、人、人、偶に悪魔、そして人。挙げ句の果てに、私は人を殺せなくなった。墜星の様な例外を除いて、首筋に刃を向けられなくなった。故に本来大物を相手にする用の大鎌も使えず、不覚を晒し続けている。
今なら何とかなるんじゃないか。
ふと、そんな魔が刺した。
クハクさんを殺してしまったあの日から、もう随分と時間が経った。あれ以降、私はこの手で何度も墜星を、過去の英雄達を斬り刻み、殺し、滅してきた。ならばもう、ヒトの首に刃を向けても平気な筈。
だからそう、本当に何の気なしに。
手頃なナイフをスキルから取り出して、自分の喉元へと突きつけた。
「……なんだ。大した事、ないじゃん」
僅かに首に刃が食い込み、つうと刃を血が伝う。けれどいつもの感覚は襲ってこない。全身の血の気が引ける様な感覚も、手足の震えも、歯が噛み合わない程の恐怖感も、嫌悪感も、吐き気もない。どこまで行っても心は凪いでいる平常運転。
本当は嬉しいことのはずなのに、身体と心を縛っていた呪いが解けた筈なのに、それがまるで
「今、戻ったと報告する」
「あっ」
そんな時だった。本来なら数十秒もあれば、痕跡すら残さず塞がる傷だ。何をやっているんだと自虐するだけで済む筈の話だ。だが無情にもドアの開く音がして、入ってきたアインと視線が交錯する。
即ち、リィン曰く心配になる顔で自らの首を掻き切っている私の姿を。何らかの理由で自殺に走っていると思われる光景を、最愛の人に私は見せつけていた。
「えっと……おかえりなさい、アイン。首尾はどうでし──」
「アヤメ!?」
だから何事もなかったかの様に振る舞おうとして、全てがとうに手遅れだった。指先すら動かせない程の封印魔法が私を瞬時に絡めとり、同時にアインが凄まじい速度で私に接近。手元のナイフは弾き飛ばされ、気がつけば私はベッドに押し倒されていた。
「……そういえば、処女の生き血と髪の毛ってことで錬金術に使ってましたけど、今の私はどっちに分類されるんでしょう?」
「そんなこと!」
「かなり重要なことなんですけど」
「それは、すまないと謝罪する。だが、今はそれよりもだと追求する!」
ことと次第によっては義手が作れなくなる程度には大切なことなのだけど、必死な表情のアインにそれ以上私は言葉を返せなかった。
「当方が、至らなかったと謝罪する」
「えっと……?」
「起きた時から、アヤメの様子がおかしい事は認識していた。だがそれが、自ら命を絶とうとするまでのものとは推察出来なかったと否定する」
泣きそうで、怒っていて、押し殺した後悔が見て取れるアインの顔に、申し訳なさよりも先に何か、満足感の様な感覚が心に満ちた。いっそこのまま身を委ねてしまいたい程の、暗くて甘い依存症にも似た感覚。
「どうすれば、当方はアヤメの助けになれる。
当方は、アヤメに何をすることが出来る。
アヤメは、どうすれば居なくならないでくれる……」
「大丈夫、私は居なくなったりなんてしませんよ」
意地で誘惑を振り払い、魔法的に杜撰な拘束を破壊。片方しか無くなった腕でアインを抱き止めた。私にとってはもう、殆どアインが生きる意味なのだ。だから絶対一人残して死ぬつもりもないし、死なせるつもりもない。
「それにさっきだって、別に死のうとしてた訳じゃないですから」
「だが……」
「ただ、何となく今の自分が首を切れるか知りたくなったんです。序でに私の血も素材として欲しかったので、お得じゃないですか?」
「全く、お得ではないと否定する」
抱き締めたアインの匂いに何とも言えない感情を抱きつつ、無言で否定を受け止めた。こうも心配させてしまった以上、まず間違いなく私の取った手段は失敗だったのだろう。それくらいは考えずとも分かる。それに──
「──確かに、普段の私ならしない浅慮でしたね」
私だって、自分の異常くらいは把握できている。対処が出来ているとは言えないが。今日、目を覚ましてからの私は間違いなく異常だった。
「こういうことは、もうしないと要求する」
「……はい」
だから、私が寄りかかれる最後の1人に全力で甘えることにする。リィンに言われたっていう、大義名分だってあるのだから。
「……ねぇ、アイン。ちょっとだけ、聞いてくれますか?」
そうして、自分のものではない温かさを感じていたお陰だろう。他の誰にも、リィンに対してすら言えなかった言葉が、不意にぽろりと口から溢れた。
「認識した」
「リュートさんとレーナさんは、ママとパパが戦争で死んで、私が何度も何度も死のうとしてた頃に、見つけて拾ってくれた、育ての親だったんです」
自分の弱みを見せるなんて、誰かにつけ込まれる隙を晒すだけなのに。アインにだけは、私を知っていて欲しい。そんな風に思うのだ。
「玉兎も……いえ、クラネル・レイカー師匠だって知らない仲じゃないんです。私を取り上げた医者だったらしいですし、本当に小さい頃でしたけど、医術に魔法、錬金術を教えて貰いました」
「初めて聞く話だと、驚愕する」
「八岐だってそうです。殆どもう覚えてないけど、パパと一緒に剣を教えてもらいました」
私の精霊術と武技の知識は、間違いなくそこにある。そして戦い方や知識だって、源流にあるのは間違いなくあの時代だ。
「それを私は恩も知らずに殺して、意味も理解せずに殺して、私なんかに託されて、色々なものを背負わされて………………もう、嫌なんです」
これまでずっとひた隠しにして、自分でも気づかない様に忘れ続けてきた心の弱さ。それを口に出した瞬間、堰を切ったように言葉が溢れ出した。
「八岐があと4人いるって言っていた墜星は、やっぱり私の知ってる誰かなんじゃないかって。何かを背負わされるんじゃないかって。
私は、ただアインと一緒にいられるだけで満足なのに。みんな、私を英雄の娘としか見てない。想いなんて引き継ぎたくないのに背負わせてくる。もう、2ヶ月しか生きていられないのに。
心にぽっかり穴が空いたみたいに辛いのに、みんなみんな私を頼ってくる。どうやって休めばいいのかもわからないし、1人でいるのは怖い。なのに、助けの求め方も忘れちゃったんです。
そんなことを全部理解したうえで、クハクさんが
静かな病室の中に、叫ぶ様な私の言葉が溶けていく。誰にも言ったことのない心の奥底、私の一番弱い部分。誰かを呪う怒りでもなく、世界を嘆く涙でもなく、自分の中で完結している偽り続けた私の深奥。
ずっとずっと昔に時間が止まった、孤独に泣き続けている子供の部分。外を恐れて、人を鏡で写し取って、斯く在るべしと"
「よく、頑張ったと、当方はアヤメを肯定する」
瞬間、知らず涙が溢れてきた。
私の一番弱い部分を、私が一番大切な人に受け止めて貰えて、心に纏っていた鎧が剥がれ落ちた。頑張ったと、良くやったと、受け止めてくれただけで情けない。そう思っているのに、
「当方はあくまで、背負ってきた側に近いと認識している。故にアヤメに共感することは許されない。だがそれでも……当方はアヤメのパートナーだ。胸を貸すことくらいなら、幾らでも可能だ」
「……っ!」
それにしては体勢が逆だと、口にすることもできなかった。
最後の寄る辺に情けなくもしがみついて、わんわんと声をあげて私は泣きじゃくるしか出来なかった。