翌日。昨日あんなことがあったせいか、ただでさえヒリついていた街の空気は更に悪い方向へと変化していた。警備が強化され、人の声からは活気が少し失われて、空気に火の粉が混じっているような嫌な感覚。
戦時中と戦後すぐの頃にありふれていた、懐かしい荒廃と停滞に満ちた気配。そんな否応なく嫌な記憶が蘇る街を私たちは歩いていた。
「……ヤな気配ですね」
「肯定する。こういった雰囲気に、いい思い出がない」
思わず呟いた言葉に、同意見だとアインも頷いてくれた。今、街に満ちているこの空気は、戦中・戦後育ちにはあまりに毒だ。あまりにも懐かしくて、あまりにも辛く
私だって好き好んでこんな状況の街を歩きたくない。それでもこうしている理由は、人手不足により必要施設以外の転移業務が停止していること。そして、リィンからの呼び出しがあったからだ。
結局昨日は墜星が割り込んできた事により、やるべき仕事の内容などが話しきれなかった。その説明と、序でに私に渡さなければいけない物もあると言っていた。
「戦争が終わって、すぐの頃。あの時もこんな空気でした」
「当方は、どちらかと言えば戦前の空気だと感じる」
「戦前ですか……実は、あまり詳しくないんですよね」
ギルドで冒険者として働くのに必要なこと、そしてママが語っていたことを除き私は戦前を知らない。
「アヤメの現在の年齢は、15歳で間違いないかと確認する」
「戦争終結は9歳の頃でした。なんだか、釈然としない終わりだった気がします」
「認識した」
この煤けたような、火が着くようで着かないような気配がそっくりなのだという。そんな中にいるからなのだろう。普段2人で出かけた時には弾む会話も弾まず、ポツポツと散発的に言葉を交わすしか出来ないでいた。
だからこそ、なのだろう。
「アインは私を置いて、何処かに行っちゃったりしないですよね?」
柄にもない、弱音が零れた。
「肯定する。アヤメが『もう嫌だ』と言おうと、離すことはない」
「……あの、前に似た様なことを聞いた覚えがあるんですけど。その時より、答えが強くなってません?」
「こうでもしなければ、アヤメはすぐに自らの命を棄てかねないと学習した」
そして言葉でもそれを示さんと言わんばかりに、右手が強く握られた。少し、痛い。けどもう
「ふふっ」
「どうかしたのかと疑問する」
「いえ、多分私の方が先に死ぬのに、変な質問しちゃったなと思いまして」
「縁起でもないことを言うなと否定する」
そう言ってはくれるけど、多分アインもお互いの繋がりからそれを分かってる。私が全力で戦えるのは、多分あと数度が限界。片手で数えられる程度の時間しかない。殆ど同じだがこの調子なら、アインの方が少しだけ長生きできるだろう。
「それもそうですかね」
必ず来る未来の終わりより、噛み締める
1度目に来た時は八岐の斬撃によって見る影もなかった天を貫く魔の威容。ユ=グ=エッダ中央2番艦艦橋、この空飛ぶ小国の政治的中枢部。誰が呼んだか、魔王城。
実際に魔王として働き始めたリィンが、1度も私達の元へ帰宅して来れなくなった原因である、地獄の不夜城がそこにはあった。
◇
魔王城へ足を踏み入れてから、もはや顔馴染みとなったイトナミさんに通されたのは書類が山と積まれた貴賓室。その中央で突っ伏しているリィンの居場所だった。
昨日よりも更に死にそうな顔をしているリィンに薬を渡しつつ、休憩を挟みつつ会議すること大凡2時間。書類の山は変わらないが、私が眠っている間に積み上がっていた問題が大凡見えてきた。
「──と、大凡はそのような形になる。してアヤメよ、病み上がりのお前様に頼って悪いがどうにかなる物はあるか?」
「ええ。じゃあまずは、直接私が動かずに済みそうな物から」
ユ=グ=エッダに関しては機関部の疲労が酷く、仮想海を展開することによる浮遊機能も不安定とのこと。運航スケジュールを見せて貰った限り、1日たりとも休まず獣人界を飛び回っているのだから当然だ。
前者に関しては、整備関連は何も手を出せない代わりに燃料の高濃縮オリハルコンを1t程魔法で直接精製して拠出。本来の製作費用や手間を何もかも吹き飛ばして魔法で作れる以上、これはやるしかないだろう。
後者に関しては、問題となっているのは船自体の航行に干渉しない飛行法とのこと。なので今は懐かしい飛行用箒の設計図を、丸々買い取って貰えることになった。
次に大陸航空艦隊、仮称ニライカナイについて。こちらに関しては私が直接出張らないといけない事案が多かった。
まずは急務であるのが、聖剣モチヅキを核とした主砲システムの作成。起動、システムの形成などを私が行ったうえ、情報の共有が出来ていないこと、そもそもシステムが暗号化されてるせいで私以外には実質作業が行えないようになっていた。
次に地中深くへ埋まっている動力炉の確認作業。そもそも動力炉の情報がシステムから読み取れないことが問題で、加えて防衛装置の問題もあって何も出来ていなかったそう。
最後に上記を行うためのシステム整備。これで丸ごと解決できるので、必然的にやらなければならなくなった。
それ以外の雑務は何とでもなるが、私個人でやるべきことはまだまだある。
1つ目は、昨日も話したように
2つ目が、獣王国・魔王国連盟での魔剣修復依頼。Ⅰ型超多量、Ⅱ型多数、試作型が2本というデスマーチが確定している依頼だ。報酬は白金貨らしいが死にそう。
3つ目が、私のオリジナルだったⅠ型魔剣改ディフェンダーの量産要請。攻めに特化した従来の魔剣より、今は守る為の力が欲しいらしい。
4つ目が、カンザキ家について。両党首が討ち死にしたこと、ジーク兄ぃが軍属であること、そしてどさくさに紛れて復活した
「ふぅ……リィン、1つ聞いていいですか?」
「うむ、構わぬぞ」
「人材、足りなくないです?」
「足りておれば、余もしっかりと眠れるのであろうなぁ!」
「ハッハッハ!」
「はっはっは!」
「「はぁ……」」
地獄の一端を見た気分だった。いや、技術屋寄りの私ですらこれなのだから、政治屋寄りのリィンはこんなものじゃない量の仕事を抱えているのだろう。玉兎による獣人界の6割近い人口消滅、その余波が思いっきり押し寄せてきていた。
「アヤメの予定は認識した。だが当方の予定は明示されていないようだが?」
「アインのやるべきことなど決まっておろう。アヤメが倒れ、うっかり野垂れ死になどせぬよう見張っておることだ。間違いなく此奴は倒れるぞ?」
「然と拝命した。当方はアヤメの守護に全力を尽くそう」
本来なら文句の1つでも言いたいところだけど、実際に今回はそうなりそうだから何も言えない。あまりにもやるべきこと、私にしかやれない作業が多かった。
どうしてこんなにも戦前レベルの腕を維持した技術者も魔法使いも少ないのか……戦争で死んだのと、戦後の粛清だった。これだから貴族は。
「さて、まずは潰せるものから潰しに行きましょう」
「認識した。当方は燃料の精製も並行しよう」
「助かります」
そんな愚痴を言っていても仕方がない。ユ=グ=エッダが獣人界の王都へ到着するのは明日、それまでに何とかここでの作業は終わらしてしまいたい。幸いにしてまだ時間は昼、今日中に1つくらいは終わらせることが出来るだろう。
「あいや、ちょっと待てアヤメよ。お前様に渡す物があると最初に連絡したであろう?」
「……ああ、そういえばそうでしたね」
そうでなければ、今まで通り通信越しに話して終了だった筈だ。魔王城までわざわざ足を運ぶ理由がない。
「それで、渡す物って何でしょうか?」
「その前に本人確認だ。アヤメは『アウル・デイドリーム』『アマル・デイドリーム』という名に覚えはあるか?」
「ええ、姓は聞いたことがありませんでしたが。獣人界を出てからは、大陸違いな事もあって連絡すら取れてませんでしたけど……友人です」
その2人の名前は忘れる筈もない。私が初めて受け取ったⅡ型魔剣ユメウツツの所有者とその兄、そして数少ない銀狼族の同族。私は1/4だが。魔界へ落ち延びるまでは、そこそこの頻度で連絡も取り合っていた。
「当方の、知らぬ名だ」
「アインと会う前、旅に出て一番最初に会った人ですから」
「……うむ、なら間違いなかろ。アヤメに、正確にはアヤ・ティアードロップ宛と渡された遺書と遺品になる」
「は……?」
突然の訃報に思考が止まった私に、リィンは二つのものを手渡した。片方は封蝋の押された手紙、もう片方は透き通る雪の結晶飾りがついた血色の組紐。それからはまごう事なく2人の気配と、同時に時間が進まなくなったような雰囲気を発していた。
「え、と、遺書と遺品、ですか?」
「うむ。このニライカナイが浮上して以来、大陸外が悪魔どもとその瘴気に包まれたことは知っておろう? 奴等が侵入する際、やはり狙われるのは大陸外縁。かつて漁村や街として栄えていた場所であってな」
「確かに2人とも、漁村の方にお世話になってるって話はしてましたが……」
数少ない知人の死に、ちょっと思考が追いつかない。関係性こそ薄かったけど、数少ない私の正体を知る人で、
「大陸浮上の際に、無数の悪魔が海から上がってきたのはアヤメも見たであろう? その謂わば第1波から街の住民が避難する時間を、たった2人で稼いだらしい」
「それ、は」
幾らなんでも無理な話だった。せめてⅠ型、いやⅡ型魔剣による無限の継戦能力があれば別だったかもしれないが──その希望になり得たユメウツツは、今も私の手の内にある。つまり私は、いつの間にか友人を見殺しにしていたらしい。迷惑だろうけど、後で献花の1つでも持っていかなければ。
「何を考えているのか予想出来るゆえ口を出すが、アヤメが気に病むことはない。あの時の余らに、他者を気にかける余裕は無かった」
「肯定する。アヤメが1人向かったところで、どうにかなるという話でもない。それでもと言うのであれば、それは傲慢だと否定する」
「
もしこの遺書の中身が何であろうと、私は受け止める義務がある。そう覚悟しながら、受け取ったナイフで遺書の封蝋を外した。
瞬間、弾けたのは封印・隠匿系の魔法術式。中の文書の保護が解かれたのを確認し、意を決して中にある便箋を開いたのだが──
「……そういえば、優しい人たちでしたっけ」
そこに書かれていた内容は、予想していた恨みや呪いではなく至って普通の内容が記された手紙だった。内容からして恐らく後々出そうと書き溜めてあっただろう、複数枚の便箋が重ねられている。それらの中で最も上にあった、血と煤に汚れたノートの切れ端のような紙。最後に書かれたと思しきそれに目を走らせた。
.
○.これが読まれているということは、俺たちは死んだか最善で
○.も身動きが取れない状況にあるのだろう。貴女が俺たちを覚
○.えているかは分からないが、どうせ碌な身よりもない身だ。
○.アヤ・ティアードロップ、恩人であるヤツに最後に文を残す
○.ことにする。公には死んだことになっていたが、最近ギルド
○.で帰ってきたと噂を聞いた。どうかこれを届けてくれ。
○.本題だが、もし組み紐がその場に届いているならば使って欲
○.しい。最後の銀狼族が氷を使えないってのもおかしな話だ。
○.使い切りになるが、極大の精霊術を込めておいた。
○.俺達が生きた証を、何かの役に立ててくれれば幸いだ。
○.
最後にそう署名で区切られて、アウルさんからの手紙は終わっていた。律儀に文面上でもその名前で呼んでくれる辺り、本当に私の正体を口外していなかったらしい。
紙を裏返せばそこにはアマルさんからの言葉がびっしりと書かれており、私が生きていて嬉しかったこと。でももう会えないことが悲しいこと。どうせなら最後に、私たちの恩人に愛用している物を残すこと。最後に「またいつか」と、叶わない約束が刻まれていた。
「内容は、満足いくようなものであったか?」
「いいえ、全く。こんな形じゃなくて、生きて渡して貰いたかったです」
組紐を握り締め、遺書となってしまった手紙をスキルに放り込む。顔を合わせていたのは1週間に満たない、薄い関係の相手ではあった。だがそれでも、数少ない友人だったのだ。もう1度くらい、会って話したかった。
だが、そんなのは"たられば"だ。涙を流す資格は私にないし、切り替えなければ何も始められない。だからこそ割り切らねばと、組紐で長い髪を1つに縛り上げる。そうして頬をバチンと叩けば、無理矢理だが切り替えられた。
「もう何もありませんか? リィン」
「うむ。だが問題ないのか? 余としてはこんな話をした以上、働くのは明日以降でも良いのだが」
「これ以上休んだら、残りの命を仕事に使い切っちゃいそうなので」
もう5分は全力で悲しんだ。だから切り捨てられる、なんて言うほど人の心は捨てていないつもりだが……それでも、私に出来ることは背負うこと以外ない。涙も、思いも、願いも、祈りも、何もかもを。背を押されて、押され続けてきたのだから。
「さあ、バリバリ働きますよ。まずは飛行用箒の売り込みからで問題ないですよね。行き先は何処です?」
「右舷2番艦ニダリヴェルに、魔法開発と生産担当がおるが……」
「分かりました。ならオリハルコンの受け渡しもそこで大丈夫そうですね」
そうと決まれば忙しくなる。箒に関してはちゃんと私やアインみたいな、魔力操作が熟達していない人たちに対応できるよう設計し直す必要がある。片手間でオリハルコンは作れるから良いが、その後に待つ魔界分の魔剣修復は大仕事だ。全力を出せば間違いなく倒れる以上、明日に響かないようセーブしなければ。
「アインよ、分かっておるだろうが……」
「認識している。今ようやく、リィンが当方をアヤメの補佐につけた理由を理解した」
今のアヤメは、不安定な進化めいて尖っている。いつか自重にすら耐えきれず折れるだろう。隣で誰かが支えていなければ、間違いなく。
部屋を出る直前、何か2人が話していたが片獣耳では上手く聞き取れなかった。もう少し義耳の集音性能、上げた方が良いかもしれない。そんなことを考えながら、少し遅れたアインと目的地へ足を向けた。
◇
そうして、ヒトの世界で諸々の動きが活発化し始めたと同時刻。ユ=グ=エッダを越え、ビフレストの光帯を越え、数多の街を越え、大陸艦隊を越え、悪魔の侵入を阻む力場さえも越えた更に先。青い空と青い海を漆黒に染めた、人類非生存領域と化した悪魔の世界でも1つの動きが起きていた。
嵐の壁に閉ざされた人間界でも、遥か空へと逃亡した獣人界でもなく、そもそも呪詛と悪魔に汚染されていた魔界、その一角にて。
「──」
大地を喰らい、海を飲み、急速に身体を再生させていくそれらは、異形という他にない。
極めて発達した2対4本の剛腕と、鋭い牙の生えた口のみがある頭部。それらを支える筋肉質の人型胴体には、鱗を持つ蛇体が接続されている。しかし何よりも目を見張るのは、その生物の異常な大きさだろう。人型の胴体部だけで4km、鎌首を擡げるように伸びる異形の頭部で1km、そして長く伸びる蛇体が遥か地平の向こうまで伸びている。
明らかに、生物としての常識を逸脱した生命体がそこにいた。
その名を【悪魔】、人類種が付けた区分の呼び名は【デストロイ級】。かつての時代、数多の英雄達が文字通り血と肉を削り討ち滅ぼした悪魔側の最終戦力。それが何故か、かつて魔界と呼ばれた大地に君臨していた。
「───」
「────」
それが1体だけであれば、どれほど良かったか。
現状確認できる【デストロイ級】の数は6、その全てが遥か空の向こう。陽光を翳らせる、空に浮かぶ大陸に存在しない視線を向けていた。
7大ダンジョンなる憎たらしい
「─────」
「─」
伸ばされた破壊の魔の手は未だ天へは届かず。されど遠くない未来には、必ず掴み取られることを意味していた。
レッサー級、ソルジャー級、ビースト級は今か今かとデストロイ級の背で時を待ち侘び、レイ級とメイジ級は、