「私たち獣人界は、これから人間界へ向かいます」
私がお昼も食べずに仮眠を取り、目を覚ましてすぐに聞いた言葉がそれだった。先ずは月衛星砲との接続構築に動くけど、それ以降はどうするのか? その答えが返ってきたのはありがたい話なのだが……
「正気なのかと否定する」
即座にアインが反応した通り、その点に尽きる。
人間界。戦前はともかく戦後のそこは、Sランク冒険者ですら立ち入りがほぼ許可されない死の領域だ。獣人界が空にあるいま意味はないが、大陸間連絡橋は落ち、分厚い嵐の壁が大陸自体を覆い隠し実態が掴めない未知の場所。
──そして、墜星たちがどうしても私を向かわせようとしている場所。加えて言えば、お義母さんが私に『目指せ』と言った場所でもある。だからこそ、確信を持って断言できる。
「行けば、ロクなことは起こりませんよ」
向かえばきっと、何かよくないことが起きる。かつての英雄である墜星2人、また墜星であったらしいお義母さんに名指して言われている以上、私がそれに巻き込まれることは疑いようもない。
それはつまり、このひと時の平和が消えることを意味している。そのことを理解していないミーニャ女王ではないと思うのだが……
「それでも、行かなければなりません」
決意の籠った目が、私を射抜いている。
見覚えのある目だ。冒険者として活動していた頃、死地へ向かう同僚がよくしていた目。捨て身で、やけっぱちで、それでも生き抜こうと覚悟を決めた者の眼差し。
「……分かりました。なら、出来る限り早く作業は進めますね」
これは折れることがないと理解させられて、私は首を縦に振った。どんな理由かは分からないけれど、こういう目をした相手は止めるだけ無駄だと知っている。
「良いのかと、確認する」
「ええ。こういう目をした人は、もう止まりませんから。国か、人か、個人の事情かは分かりませんけど」
そうして見送った相手は、殆ど全員帰ってこなかったことも覚えている。まあ、元々状況が状況なのだ。字面通り乗りかかった船、もう2ヶ月も生きられない身ながらに手は尽くすつもりだ。
しかしこちらとしても、そう判断するに至った理由が知りたい。当然話してはくれるのだろう? と視線を向ければ、変わらない目のままミーニャ女王は口を開いた。
「理由としては、一般向けには食料問題と安全の確保のためとしています。事実食料は海という恵みが消えたせいで消費に生産が追い付いていませんし、いつまでもこの空域に留まるわけにもいきませんから」
「本当の理由は、やっぱり」
「アヤメさんの想像通りです。この船のメインエンジンである『完成形悪魔焼却型炉心』の維持の為、ひいてはこの獣人界を存続させる為。世論を実利を同時に纏めなければなりません」
「そうなりますか……」
前者の収支はあのエンジンを調べ、墜落までの見積もりを出した技術者として。後者は獣人界の良い部分も悪い部分も見てきた、1人の冒険者として理解できる。
「了解しました、ミーニャ女王陛下。ではすぐにでも作業に戻りますね。アイン」
「認識した。当方も可能な限りサポートしよう」
くわぁと、大きな欠伸をしながら身体を伸ばす。ベキベキと身体から心地よい異音が響く中、時計を確認すれば今は既にベッドに潜った翌日の朝。都合10時間くらい、ぐっすりと私は眠っていたらしい。
やっぱり最近悪夢を見なくなったのは、アインと一緒に寝るようになったからだろうか。以前までは魔剣を酷使した後の気絶中でも、悪夢を見ない日はなかったのだし。
「あの、それでしたら一緒に朝食を取りませんか? 城の口煩い連中は排除しましたし、昔みたいに──」
「すみません、ミーニャ女王。謹んで遠慮申し上げます」
部屋を出る直前、そんな提案をしてくれたミーニャ女王へ私は頭を下げた。確かに王城の食事というものは気になるし、お邪魔して問題ない状況であるのも理解している。テーブルマナーは随分と錆び付いてるけど、失礼がない程度にはやれる自信だってある。だが──
「丁度4日……いえ、もう5日前ですか。それくらい前から私、どうにも固形物が食べられなくなったようで」
「それは、一体どういう……?」
「絶滅剣の汚染と、他のⅡ型魔剣の毒が回ってきたんでしょう。ついに、内臓が機能してくれなくなったみたいです」
そう言いながら、腹部に痛々しく居座る傷口を手で押さえる。
具体的には一昨日、システム構築完了祝いで食べた肉を美味しく食べて、お腹を下して吐いた。それから私とアインでそれぞれ検査魔法に掛けてみた結果、もう殆ど私は固形物を受け付けなくなっていたという話だ。
「まだ粥とか具材が溶けきったスープとかなら、どうにか食べられなくもないんですが……たかだか私1人の為に、今から料理を用意してもらうわけにはいきませんから」
しかしこの状態もいつまで保つのか。食べられるうちに美味しい物を食べておきたい。そう考えると王城の厨房を頼るのは悪くない考えだと思うけど、それは間違いなく今じゃない。
「だったら尚更です。ちゃんとご飯、食べられてないんじゃないですか?」
「ミーニャ女王」
それは国を背負う女王の言葉ではないでしょうと、語気を強めて役職を付けて名前を呼んだ。私に家族はもういないのだ。どこにも、誰も。
「大丈夫です、食べられる物はちゃんと食べてますから。アイン、昨日作ったアレってまだ残ってましたっけ」
「肯定する。まだ量産体制は出来ていないが、先程言及していた食料問題の解決にもなる筈だ」
そう言ってアインが取り出したのは、見慣れた半透明の消しゴムと粘性の高い液体。即ち、戦時中から食べられている最高で最悪の食料。正式名称:第○世代戦闘糧食シリーズ。通称レーションであった。
ただ現行の透き通った蒼色の消しゴムと同色のラメが入ったピンクの液体ではなく、透明な消しゴムとショッキングピンクな液体という初期生産型だが。
「確かにそれであれば、間違いなく活動は出来るでしょうが……そんな、食べ物とは言えない物を」
「その点についても、炉心探索時に第1世代のレシピを見つけたので、一応改良と報告用のレポートも、上げ、て……」
と、言いかけてベッドに乱雑に投げ出されたままの紙束が目に入った。書き上げた記憶はあるから、提出する気力が残っていなかったのだろう。
味も匂いもせず食感も薄い消しゴムと、喉を焼くような甘味が凝縮された半固体の液体。私だってそんな物を食べ続けたくはないから、消しゴムの方には硬め〜柔らかめに調節できる食感を。半固体の液体は甘味を抑えてシュワシュワさせる程度の改良はしておいた。
「すみません。後で正規ルートから、報告させてもらいます」
そう頭を下げて、私は部屋を後にした。
私が死んだ後、これがミーニャ女王とリィンの助けになってくれれば幸いだ。なんて、らしくもない覚悟を決めて。
「さぁ、バリバリ働きますよ!」
「程々に休んでもらうと否定する」
「……ですね」
アインの言葉に、思っていたより自然に笑顔が溢れた。
なりふり構わず生き急ぐよりも、愛する人との今と、背負わせる誰かの未来を大切に。たった1週間で酷い心の変わりようだとは思うが、それでも、そうしようと決めたのだ。
◇
そんな新たな決意もあって。
軽く数時間魔剣と接続し、聖剣:神境偏在モチヅキの月衛星砲との魔法的なリンクを確立した時点で私は作業の手を止めた。その後お昼ご飯としてレーションを齧り、今は王城の練兵場に足を運んでいた。そんな場所で何をするかと言えば──
「えーと。今回、魔剣の整備に関して皆さんに教えることになった、Sランク冒険者【炎金の打ち手】ことアヤ・ティアードロップです。今日のうちに最低でも、Ⅰ型魔剣の整備と修復はできるように叩き込むのでよろしくお願いします」
知識と技術の継承、それ以外にない。単純に私に振られる仕事の量が限界なのもあるが、やっぱり私の死後に魔剣を整備できる人がいないのは不味い。だから、最低限担い手本人が整備できるⅡ型と試作型は兎も角、量産品のⅠ型程度は出来てもらわないと困る。
「たがだか15歳のチビな小娘に何を、と思う方もいらっしゃるでしょう。でも折角設けてもらった機会ですし、全員最低限は作業が出来るようになって貰います」
だからこそ、機会をなんとか設けてもらった。思考回路がまともでそれなりの腕がある技術者が、貰った資料によると大体100名。数名来てない上に集まってくれた連中の中、半数以上の相手が不満気だったがやるしかない。
そうして、いざ始めようとしたそんな時だった。
「なあ、本当にあんたがあの炎金なのか? 俺が噂に聞いてた話じゃ、大鎌を振り回す女傑って話だったんだが」
「残念ながら、このようにちんちくりんです。大鎌ももう使えませんよ、この通り義手なので」
まあ本来は短剣使いですが、と出来るだけ愛想良く疑問に答える。そうして義手を見せたことで、それなりの人数が納得してくれたようだった。
「けっ、今まで技術をひた隠しにしてきやがったアバズレが。冒険者なんて無法者から学ぶ技術なんて、本当にあんのかねぇ?」
「貴方みたいな人に技術を悪用されたら、単純に国が滅ぶからですよ」
何か強大な魔法を使おうとしたアインを手で制しつつ、未だに嘲りと侮蔑の視線を向けてきている狐の獣人に視線を向ける。犯罪歴は……なし。名簿では……ああ、貴族下りの装飾武器の専門家。
悪くいうつもりはないが、単純に向いてない。まあそもそも、こんな相手にママから受け継いだ技術を教えるつもりはないが。
「技術に関してはまあ、元この王城及び軍部のお抱えだったとだけ。取り敢えず、貴方は邪魔なのでどうぞお帰りください」
「きさ──」
わざと逆鱗を逆撫でて逆上した相手に、アインの魔法が炸裂し姿を消した。次元系統の魔法で……転移先は分からないけど、流石に生きてはいる筈だしいいか。
「さあ、始めましょうか」
満面の笑みを作って、私の知るⅠ型魔剣についての講義を始めた。
まず大前提として、魔剣とは何か?
刀身、
その次に、そんな武器として乱雑にも使う精密コンピュータのような魔剣の整備方法について。
血糊や油を拭く単純な刃物の手入れではなく、内部に焼き付けられた魔法陣の再生という最も大切な作業。それを遥か昔、私自身が習ったのと同じ方法で参加者の脳へ刻み込んだ。直接禁呪に近い魔法で情報を刻み込んだ所為で、何人かが吐いていたが誤差の範囲だ。私の時よりはマシだし。
最後に対悪魔用決戦兵器である魔剣が作られた目的と、魔剣がⅠ型・Ⅱ型・試作型と成長する可能性についての話をして、日が暮れたこともあって講義を終わりにした。
本当に急拵えの突貫工事に近い話だったけれど、集まってくれた全員が3+1種類のⅠ型魔剣のうち、どれか1種は整備できるようにはなってくれた。
「Ⅱ型魔剣の整備が出来そうな人物は、今日の連中の中にいたのかと確認する」
「まだ、正直なんとも。筋が良さそうな人は2〜3人。あとはひたすら数をこなして、慣れるくらいしかないので」
集まってくれた94人中、このままⅠ型を弄り続ければ全種類を整備・修復が出来そうな人が30人程度。Ⅱ型の整備に関しては、必要な知識の量や種類からして違うし、柔軟性や個人に合わせた変質をそのままに直す必要もある。そう考えると今日見た限りの腕ではよくて2〜3人、最悪1人も出来ない気がする。
ただ、
「認識した。しかしその、アヤは人にものを教えるのが致命的に下手だなと、確認する」
「仕方がないじゃないですか。自分の感覚でだけ理解・把握していたことを言語化するのも面倒なのに、どこからが一般常識なのかも分からないんですから」
歩き慣れてしまった王城の通路を歩きながら、ペシペシとアインを軽く叩く。非常に遺憾ながら、その点で見れば私は英才教育を受けているに等しい。
王都に住んでる子供は字が読めて、辺境の子供は字が読めない。
そんな慣用句の例えと同じくらい、冗談や洒落抜きで知識に隔たりがあった。魔剣に関する技術の殆どが遺失しているとはいえあまりに酷い。それを最低限なんとかしたのだから、むしろ褒めて欲しいくらいだ。
「アインに手伝って貰えなかったら、一体どうなってたことか」
《WARNING! WARNING!》
《これより10分後、当艦及び艦隊は待機状態から航行状態へ移行します》
《仮想海航行術式、システム良好》
《光学迷彩術式、システム良好》
《重力制御術式、システム良好》
《メインシステム、オールグリーン》
《これより当艦及び艦隊は、西南西の方向へ移動を開始します》
《つきましては移動開始後数分の間、物の落下や破損などが考えられます》
《食器や家具、道具類の固定をお願いします》
《繰り返します》
《────》
などと、考えていた時だった。ぶつりとスピーカーに魔力が通る鈍い音が鳴り、そんなミーニャ女王のアナウンスが流れ始めた。私がシステム整備の途中で、本来の国営放送システムと接続させられた簡易通信システム。繰り返される放送を聞く限り、その動作は良好らしい。
「当方達の部屋に、何か固定するべき物はあっただろうか?」
「積み上がった書類が崩れたら、多分地獄を見ることになるかと」
「……速やかな帰宅を提案する」
「私も今、同じことを言おうと思ってました」
実家の方は殆ど物もなく、落ちるとしても困るものはない。だからあくまで、寝泊まりしている貴賓室の方が優先。これ以上やるべき仕事が増えるなんて、堪ったもんじゃない。
「それで、その。今日はその後は何もせずに、ゆっくり休もうと思うんです。部屋も掃除して、綺麗になるでしょうから」
「認識した。当方も手伝うことを確約しよう」
「それはありがたいんですけど、そうじゃなくて……一緒にその、寝ませんか?」
「? ここ数日、同じベッドで睡眠は取っていると当方は記憶しているが」
察しが悪いというか、なんというか。出来るだけ直球にならない言葉を選んだのが悪かったらしい。望んだ意味で言葉は伝わっていないらしかった。
「はぁ……」
どうせ周囲には誰もいないし、わざわざ聞き耳を立てている相手も居るまい。溜め息を大きく1つ吐いて、熱い頬と耳を押して口を開いた。
「つまりですね、アイン。今日の夜、夢の中でしたようなことをシませんか? って誘ってるんです。私も悪いですけど、言わせないで下さいよ」
「……えっ」
「えっ、じゃないですよ。こういうのって普通、男の子から誘ってくるものだと思うんですけど」
顔の熱さを誤魔化すようにそっぽを向き、顔を赤くして固まったアインに言葉を投げかける。向こうからそう誘われるなら兎も角、こっちから提案するのは、なんというかこう……なんか嫌だ。
「だが、城の貴賓室でそういう行為をするのは──」
「獣人ってそういう欲が強い種族も多いので、貴賓室には色々と役割があってですね」
毎朝掃除に来てくれているメイドさん達に、本当にこの2人は夫婦なのかと疑いの目すら向けられている。机上に山のように積まれた書類を見て、憐れみの目を向けられるまでがセットだ。それに……
「それと、そういうことが出来る機会、ここ数日以降は無い気がするんです。多分、私が健康でいられるのって今が最後で、後は衰弱していくだけだと思いますし……」
明確じゃない予感のような理由だけど、もう1つ。
なんだか、もの凄く嫌な予感がするのだ。間違いなく何か、きっとよくないことが起きる。起きてしまう気がする、原理不明の第七感。
「認識、した」
そうまごまごと予防線を張り、自分自身の物を含めた逃げ道を潰していると、覚悟を決めたような返事が聞こえた。優しく肩に置かれた手に、ビクリと思わず反応しながらも振り返れば、多分私と同じくらい顔を赤くしたアインがこちらを見ていた。
「当方も、アヤメが欲しい」
「ぇぁ、は、はい……」
そして、想像以上に直球の言葉をぶつけられて頭が真っ白になった。いや、うん、私から誘っておいて誘って欲しいと言っておいて誘われてこの反応って?って思わないこともないんだけど、だけど、その。
気まずい沈黙が、通路に降りた。
響くのはごうんごうんと地中奥深くから響いてくる、メインエンジンの駆動音だけ。お互い初めては済ませた筈なのに、何故、どうしてこうあの時よりドキドキするのか……
「2度目なのに、なんか恥ずかしいですね」
「肯定する。当方も、顔から火が出そうだ」
「……部屋、片付けましょうか」
「認識した」
大陸中に静かに響く遠雷のような音だけが、その日の夜には響いていた。