艦隊の運航システム運用の為つい最近王城へ雇用された彼にとって、その日は何でもない1日で始まり、終わる筈だった。
いつもの通りの朝を過ごし、少し寂しくなった王都を歩き、王城へ参上し、かつて謁見の間であった現仕事場に通勤。一通りシステムを立ち上げる頃には、獣王国でも数少ないSランクの冒険者である【炎金の打ち手】ことアヤ・ティアードロップ女氏とそのパートナーであるアイン・ティアードロップ氏が現れる。
この仕事を始めてから毎日顔を合わせる彼女は、両足と左腕、右耳を義体で代替。アイン氏の方も、曰く相当な部位を義体で補っているらしい。そして2人揃って若い身空であるのに、もう2ヶ月程度しか生きられないのだということも聞かせてくれた。
その境遇に微かな憐憫と己の不甲斐なさから斬鬼の念を感じつつも、雑念は頭を振って振り払い目の前の仕事へと向き直る。馬の獣人特有の聴覚を買われ配属された、大陸艦隊ニライカナイのレーダー解析官。兄のように地力がない分、己が誇れる知恵と危機察知能力で貢献しなければ。
「アイン、そっちの3番と8番回路のパラメーター感度を5上げて、9番から11番のパラメーター感度を1ずつ下げてください。そしたら多分、衛星照準がもうちょっとマシになるはずです」
「認識した。だが、回線リンクが不安定になったと否定する」
「ですかー。じゃあこっちの回路をいい感じに調整して、リンクを変えれば……どうです?」
「かなり安定したと報告する。システム稼働率は回線リンクが75%、衛星照準が70%、出力が60%を維持している」
「せめて、全部8割くらいで安定させたいんですけどねぇ」
ああして身を寄せ合い仕事をしているのは微笑ましく思うが、銀狼族の夫婦にしては少し距離が遠く感じる。いち馬人としてそこは気になるが、何せ新婚。距離を測りかねていることも考えられる。何もせず、そっとしておくが吉だろう。
そうして時間は流れ昼。ある程度の人数が昼食のため席を外し、最低限の人員しかいなくなったシステムコントロール室は静かなものだった。作業や業務をこなしているのは各部門で1人程度。
中でもティアードロップ夫妻に至っては、食事も軍用レーションなどという不味い物で片手間に済ましている。自分にとっては子供のような年齢の夫妻を働かせておいて、自分だけが休むとは何事か。そう思い微力ながら力を尽くしていたお陰だろう。
誰よりも早く、レーダーに映ったその異常に気づくことができた。
遥か遠く、ずっと遠く、
「レーダーに感アリ! 大陸艦隊に向けて、巨大な高質量物が
思わず半狂乱になり叫んだが、どうか許してほしい。ソレは投擲物というにはあまりに大き過ぎた。石では足りない。岩でも足りない。言うなれば、そう、
言葉にしても意味がわからないソレが、仮想の天が覆う獣人界を墜とさんと迫っている。それだけが、私の理解できた現実だった。
「認識した。総員、第1種戦闘配備!!
奴らが、【悪魔】が来るぞッ!!」
刹那、混乱に陥りかけた空気を切り裂くように、言葉が世界を貫いた。見れば先程まで作業をしていた筈のアイン氏が、自分と同じようにレーダーの画面を苦々しく睨みつけながらも言葉を張り上げていた。
「もう一度だけ通達する。総員、第1種戦闘配備!
今ここで対応出来なければ、この大陸ごと当方たちは死ぬ! それを望まぬのであれば、動け!!」
その言葉に、全員が尻を蹴り上げられたかのように動き出した。鳴り響く警報とサイレン、回転する赤色灯。異常事態を示す音が大陸全土に響き渡り、このシステムコントロール室も灯りが1段階落ちフルクスクリーンで戦場が映し出される。
「ミーニャ獣王陛下が到着するまで、遺憾ながら当方が艦隊を指揮する! 今だけでいい、死にたくなければ当方に従え!」
「「「「了解!!!!」」」」
まるでかつて大部隊を率いていたかのような、この人に従えば死なないという謎の確信にこの場の誰もが頷いた。更に遅れて辿り着いた者たちも、自然と彼の指揮下に入っていく。
「機関、順次戦闘速へ移行。艦隊を維持しながら加速準備、アナウンスを入れます」
「第一、第二、第三シールド展開! 艦隊防御に入ります」
「外縁部副砲群と接続、エネルギーライン良好。シールド間に巻き込んだ【悪魔】の掃討を開始!」
「魔界とのホットライン繋がりました、
「冒険者ギルドへ緊急通達、各地へ転送による戦力配備開始!」
「認識した。嫌な予感がする、警戒を厳に!」
了解、と声を張り上げレーダーモニターに視線を戻す。そこに映るのは、相も変わらず【レイ級】が作り出した空を覆う暗雲、大陸艦隊に突撃する【メイジ級】が率いる低級悪魔、海面を覆い尽くす【ビースト級】の黒潮のみ。
「アヤメ、山を打ち返す。手伝って欲しいと要請する!」
「そう言うと思ってました。
耳馴染みのない異様な
「座標補足。軌道演算完了。ベクトル変換用意。余剰エネルギー計算完了。誤差なし。矛盾許容。出力全開! アイン、トリガーはそっちに。ユー・ハブ・コントロール!」
「アイ・ハブ・コントロール!
「広域探知、用意!」
そんな圧倒的過ぎる魔力の圧に耐えながら、気圧されたままの同僚に発破をかける。事実自分も、嫌な予感が止まらないのだ。かつて従軍した英雄戦争で悪魔と殺し合い続けていたあの頃に感じていた、言い知れぬ悪寒のような気配が先程から止まらない。きっと、何か良くないことが起きる。確信めいたそんな予感がある。
「投擲山脈、艦隊直上! 回避出来ません!」
「問題ないと否定する」
「「ぶっ飛べ!!」
そして、更に非現実的なことが連続した。
艦のモニターを埋め尽くす程の巨大な質量体が、ティアードロップ夫妻が繋いだ手を振り下ろすと同時に跳ねた。まるで物理法則なんて知ったものかと言うように。当人たちは何事もないように。
時間が止まったかのように山脈は不自然に急停止し、爆炎を撒き散らしながら映像を逆再生したかのように跳ね返っていく。同時に何故か発生した炎の爆発が空を焼き尽くし、天を覆う【レイ級】の黒雲すら一部は抉り取り世界が蹂躙されていった。
意味が分からない。
脳が現実を理解してくれない。
多少の岩塊や砂、取り付いていたらしき悪魔は落ちてきているが、シールドと副砲が防ぎ切っているため誤差だろう。否、否、だからこそ。そんな所業がたった2人で、直接敵を視認する事ともなしに行われた現実が信じられない。
「ば、化け物……」
こんなもの、たかだが一個人が持って良い力の範疇を超えている。あの数多の英雄が散った戦争を見た自分ですらそう思うのだから、戦後を生きた若者がそんな言葉を口にするのも当然だ。
「化け物で結構! それより観測結果を下さい!」
「は、はい! ──ッ、艦隊直下と上空に高魔力反応!
絶望感に満ちた叫びが上がり、同時に世界が激震した。理由なんてレーダーを見ずとも分かる。ああ、何せ──空を、化け物が覆っている。
「第三、第二シールド崩壊! 船体に取り付かれましたッ!?」
レーダーが壊れていなければ、その蛇のような身体は長さが十数キロ、幅が数キロもある生命として破綻したサイズ。それが王都という都市に幾重にも巻きつき、視界を黒で汚染していた。
当然それだけじゃない、嫌になる程「人」に似た胴体が。そこから生える2対4本の巨腕が。街の区画1つならば一口で呑めそうな、鋭い牙の生えた口のみがある頭部が──伽藍堂のままこちらを見ている。
大陸という形を失った獣人界の中心を、船を守る最も大きな結界も、次の戦闘用シールドも一撃で突き破り、今まさに喰らわんと鎌首をもたげている。捕食者と被捕食者、そんな言葉が脳裏によぎった。
「大きさが、違い過ぎる……」
それが2匹。
絶望という単語がよく似合う状況だった。
大きさというのは、単純に力なのだ。
力の総量が違う相手には、そもそも勝負すら成立しない。自分たちが持つのは高々数メートルの刀剣で、相手は数キロ単位のサイズを持つ化け物。生半可な腕では傷すら与えられない鱗に包まれ、そもそもの動きも機敏。一体なんの冗談だ?
しかもこんな図体でいて魔法が効かず、真っ先にこの王都を狙う程度の識別能力と知性がある。アリが象に挑む方がまだ幾分かマシだろう。
「第一シールドもう保ちません!! このままじゃ……」
システムルームに鳴り響く警報音。ギシリギシリと結界が軋む悲鳴が嫌に耳に響き、自分達を嘲笑う悪魔の声が幻聴される。このままじゃ、みんな死ぬ。自分たちが死ねば、頭を失った獣人界は墜ちる。
そう、誰もが理解している筈なのに、動けない。
恐怖や絶望なんてもの、普通は耐え切れる筈がない。長い時間訓練を重ねるか、それ以上の過負荷で壊れた職業軍人でさえも、飼い慣らす事が精々なのだ。自分のような退役軍人や、寄せ集められた一般人なら言うまでもない。
足がすくむ、心が乾く。喉が絞られ、知らず頬を涙が伝う。
結局これが、どこまでいっても壊れることの出来なかった存在の限界で──
「リィン、遠慮は入りません」
「ミーニャ女王」
「ぶった斬って下さい」
「火力支援を要請する」
こういう局面で動くことの出来る気狂いどもを、ヒトは『
『『
『
『
閃光、そして衝撃。
もうダメだと、引き絞られた破壊の4腕に目を瞑った時……
叛逆せよと、一歩を踏み出させる鬨の声が。
負けるなと、心を震わせる勇気の声が。
「魔剣って言うのは、握れば数倍強くなる便利な道具なんかじゃ断じてない」
朗々と、静まり返った部屋にアヤ女氏の言葉が響く。
「どれだけ効率良く、多くの悪魔を殺せるかを目指し作られた、対悪魔用の決戦兵装なんです」
「試作型相手に、デストロイ級が僅か2体? 役不足にも程があると否定する」
◇
モニターの向こうで、バラバラに刻まれた肉塊が下へと落ちていく。念のため私達も聖剣で燃やしているが、そんなことが不要なほど2人の技量は飛び抜けていた。
デストロイ級と呼ばれた肉塊が、その形を保っていられたのは僅か5秒。物理の極限を踏み越えたミーニャ女王の乱舞にも、傷口と内部から解放させられた秘呪にも耐えられず、的確に弱点である6つの心臓が破壊されていた。
『『剣を取れ、我が
『今こそ我ら
『多くは語りません。
広域通信に乗せて響く、剣を翳す2人の王の号令。
龍翼を羽撃かせるリィンと、
その声と姿を見ただけで、一目で見て分かるほど部屋の士気が回復した。私とアインによる臨時の司令なんか目じゃない。『王が陣頭に立っている』それだけで人は、王政下の民は奮い立つということだろう。ただ──
「劣勢に違いはないと否定する! 我々は我々で敵を討つ!」
「第一シールド損壊率65%、出力維持できません!?」
「シールド再展開急いで下さい! 街中に侵入する悪魔を、少しでも減らさないと」
悪魔の攻勢が、あまりにも大規模すぎる。
幸いにして向こうの最大戦略であるデストロイ級2体は何とかなったが、まず間違いなくこの程度では収まらない数がいる。山脈を投擲なんて真似をしてくる相手が居たのだから、それは間違いない。最低でもあと1体は残っている。なのに。
「守るべき場所が、多すぎる……」
何せこちらが守らなければならないのは、大陸そのものなのだ。艦隊として浮上したことで幾分か面積は狭まり、それこそデストロイ級が巻き付ける程度に細分化されているが、それでもまだ広大が過ぎる。
「第一シールド崩壊! 【悪魔】が侵入します!」
「侵入敵数1300、5000、9000、以前増加中!」
「IFF識別、間に合いません!?」
思わず内心で舌打ちしたところで、耳に付けているユビキタスの機体が振動した。先程の広域通信とは違う、念話に違い個別通信だ。
『アヤメよ、これより余はユ=グ=エッダと共に出撃する。指揮は頼めるか?』
『問題ないです。でもやっぱり、私も出た方が……』
『ならぬ! お前様は、まともに戦ってはならぬ身であろう』
ギリ、と噛み締めた歯が鳴った。確かに私は寿命的に戦ってはいけない身だし、そもそもこの数は
『安心せよ。悪魔の千や万、余が捻り潰して見せようぞ』
『待っ──』
一方的に通信が切られ、秘呪の銀河を纏った影が空へ飛んだ。ジグザグに描かれる魔力の軌跡は、レーダー上に一時的な空白を生むくらい悪魔を駆逐し続けていく。
そんな中やっと、ユ=グ=エッダが弾幕を張りながら浮上した。まだ5分しか経っていない。そんな事実に愕然としつつも、シールド再展開の為に稼働中のプラグラムを最適化し続ける手だけは止めない。
これが必要なことだと、私にしか出来ないことだと理解はしている。だけど、それでも、力はあるのに発揮出来ない現状が悲しくて、悔しくて……
「一旦、落ち着いた方が良いと提案する」
優しく頭に乗せられたアインの手に、沸騰していた思考が冷やされた。
「でも!」
「よく、モニターを見るべきだと忠言する。当方たちは、もう2人だけではない」
そう言われて見た艦外モニターには、黒く渦巻く悪魔という絶望がそのままに。ミーニャ女王が単独でエリア単位の悪魔を刻み続け、ユ=グ=エッダから出撃したらしい魔剣メメント・モリと魔剣アトラク・ナチャが、更に殲滅に拍車を掛けている。
けれど大陸内のモニターには、まるで別の光景が映っていた。
弾幕を張るユ=グ=エッダとリィンによって墜とされていく、天上のシールドが崩壊したことにより侵入した無数の悪魔。それでも生まれる撃ち漏らしは、ここぞとばかりに
「指揮官が焦れば、それは指揮下の相手にも伝播する。当方達は腰を据えて、耐えなければならない」
「──ッ、わかりました。でも、どうしようも無くなったら出ますから」
「認識している」
お陰で、少し頭が冷えた。私が背負わなければならないものは多いけど、決してそれは全てを背負わなければならない訳じゃない。
ガリガリと乱雑に頭を掻き、一度両手で頬を叩き深呼吸。乱雑極まるが、これで一度リセットとする。
「防衛システムのリプログラミング完了、もう再展開できる筈です!」
「了解! 第三、第二シールド再展開。悪魔を隔離します!」
間に合った、と安堵するのも束の間。大陸内に侵入した悪魔の数は、私のシステムが正しければ数十万単位。余裕も余談もありはしない。なのに──
「南西20kmの地点に、超高エネルギー反応!」
「モニター出します!」
「やっぱりいましたか……もう1体のデストロイ級」
まるでこちらが盾を出すのを待っていたと言わんばかりに、次の苦難が訪れる。映像に映し出されたのは、暗い光を口元に集めるデストロイ級の姿。間違いなく
そして光をも呑み込む程の膨大な魔力量は、直撃を喰らった場合大陸が墜ちることを明確に示している。概算で発射まであと1分程度、リィンもミーニャ女王もあの場所は間に合わない。余程のことが起きてしまった。
「当方とアヤで、デストロイ級を討つ! それまで、一旦指揮権を譲渡すると宣言する!」
「Positive!」
やっと、軍用のちゃんとした返事が返ってきた。アインが認められたのか、それとも落ち着いてきたのかは分からないが、これならきっと大丈夫。そう判断して、長距離転移用の魔法陣を作成。帰還用のアンカーとして、床に刻み込んでおく。
「アイン、準備はいいですか?」
「肯定する」
「アヤ・ティアードロップ」
「アイン・ティアードロップ」
「「出撃する!」」
そうして私達は、再び戦場に足を踏み入れた。