転移魔法の暗転と浮遊感を抜けた先に広がっていたのは地獄だった。
空はレイ級の作る雲が覆い、海はビースト級が陸と埋めている。そんな中、眼前に屹立するのは一枚の鱗持つ壁──否、それこそがデストロイ級の悪魔という存在だった。
極めて発達した2対4本の剛腕と、鋭い牙の生えた口のみがある頭部。それらを支える筋肉質の人型胴体には、鱗を持つ蛇体が接続されている。人型の胴体部だけで4km、鎌首を擡げるように伸びる異形の頭部で1km、そして長く伸びる蛇体が遥か地平の向こうまで伸びている。
明らかに、生物としての常識を逸脱した生命体がそこにいた。
だが、それに呆気に取られる暇も観察する時間すら私たちには残っていない。何せ眼前の空高く、悪魔の口腔には悍ましいまでの密度で魔力が収束されているのだから。
見た限り大陸艦隊の防壁を突破できるまで魔力がチャージされるには……このペースだと60秒ほど。転移前に確認した時点から変化なし、ギリギリなタイミングだ。
「吶喊します、アインは援護を!」
「認識した!」
考えるのは後だ。そう言うが早いか、私たちはデストロイ級の頭部へ向けて飛翔した。アインは自前の飛行魔法で超高速の直線軌道で、私は半精霊の特性と義耳の浮遊機能を合わせ
そして当然、そんなあからさまな敵を悪魔が見逃す筈がない。奴等は馬鹿でも間抜けでもない、ヒトを殺す事にとことん特化した生命体なのだから──ほら、こうなる。
『
『
耳に響く不快な雑音のような言葉達。何故か聞き取れるようになってしまった悪魔の言葉が、黒い空中で害鳥の合唱の如く響き渡った。
「ッ、!」
「チィッ!?」
──次瞬、私とアインは衝撃に撃ち落とされた。
上空で雲のように群れる【レイ級】から爆撃だ。降り注ぐのは相対速度の問題もあり、
それらは私達の骨に罅が入る程度の火力しかないが、確実に私たちの推力を殺す。1秒を争うこの状況においてそれは実に効果的な時間稼ぎで、
『
『『『
『『『
何せ不気味なまでに沈黙を保つデストロイ級と違って、こんなにも腹立たしいほど饒舌な笑い声が聞こえてくるのだから。
「
「
残り40秒。
その他の悪魔と同様の、何も変わっていない悪辣さに感謝しながら心で中指を立てる。お陰で随分やりやすいと、アインと共に装填した魔剣の能力を解放した。
前面を翔ける私が展開するのは、光と万華鏡の
魔剣レッドキャップの能力で必中の加護を得た悪魔を殺す光が、縦横無尽に天空を乱舞する。本来なら1撃1撃別方向に放たなければならないⅠ型の光が、その力を失うまで悪魔の黒雲を切り刻んでいた。
『
残り30秒。
バラバラと、レイ級の死骸が雨のように落ちてくる。その度に脳内に鳴り響く、やけに人間的なヒトを馬鹿にしたような悲鳴の合唱。不快感と苛立ちしか感じないそれを噛み殺しつつ、減少した弾幕の中を放たれた矢のように駆け上がる。私がこのクラスの巨体に対して唯一出来る攻撃の、有効射程圏内に侵入する為に。
「設計図、展開!
簡易工房、解放!
実構造体、演算形成!」
集中を微かに乱されながらも、魔剣ユビキタスのお陰で跳ね上がった脳の演算能力をフル導引して切札の製造を開始する。
参考にするのは昔ママが作ったという規格外兵装の1つ、6連チェーンソーによる突撃剣。曰く常人が使えば反動で必ず死ぬ、神すら殺したという魔剣以前の決戦兵器の1つ。
だけど今の私が欲しいのは、そんな一点を穿ち削り滅する力じゃない。私が望むのは目の前の悪魔を全力で殴り飛ばす、速度と質量による衝撃と破壊の暴力それ一点!
設計根本の『巨大ロボットが使う武器を人体で使うようなサイズに押し込んだような兵装』はそのままに、義手のアタッチメントに接続出来るよう再構成。
武装は6連チェーンソーから巨大な鋼拳に。
魔力を原動力とするブースターを増設。
衝撃増幅の為にパパの義手から炸裂式加速装置と、杭打式の爆裂機構も再現配置。
聖剣による操作下に置き強制的に安定化、Ⅰ型魔剣クラッシャーの能力も付与!
「アイン!」
「認識した、当方が道を切り開く!」
残り20秒。
呼びかけた瞬間、以心伝心の勢いで更なる破壊が吹き荒れた。聖剣による最も簡単な破壊活動、エネルギーをプラスに振り切った獄炎の竜巻と、マイナスに振り切った絶氷の吹雪。悪魔に対してのみ本来の10倍の殺傷力を誇るそれらが反発することなく吹き荒れ、一時的に天空を焼き尽くし世界を
ギリギリ【メイジ級】までには通用する力の奔流が、一時的にレイ級の雲に風穴を開け結晶樹が覆う空を露出させた。防壁を打ち付ける黒い光線と爆撃が途絶え──射線が開けた。
「ブースター、点火!」
残り10秒。
巨大過ぎて引き摺るように背後へ流していた武装を、振り回すようにしてなんとか前面へ。開けた射線に鋼拳を突き出し、搭載した様々なシステムを起動。逆流してきた膨大な情報に頭を焼かれながら、聖剣を利用し空中に脚を突き刺し身体を固定する。
左腕を右手で支え義手を引き千切りそうな鋼拳の照準を合わせつつ、吹き飛ばされないよう炎を逆噴射し反動制御。
残り9秒。
義手に内蔵している魔力炉心のリミッターを解放、制御を手放して暴走させる。
残り8秒。
炉心が臨界。エネルギーが暴走を始め、爆発の前兆を見せ始めた。これで全てのピースが揃った。
残り7秒。
「義耳ミュート。ぶっ飛べ、悪魔!」
叫び、義手のロックを解除。
解き放たれるは、拳一軒家程度のサイズにまで膨れ上がった規格外の鋼拳。義手の炉心をエネルギー兼弾薬にしたロケットパンチが、音を置き去りにして発射された。
「最大防御ッ!!」
残り5秒。
反動で墜落した私を抱き止め、これまで攻撃に徹していたアインが聖剣の能力て防壁を展開。更に私達を中心に無数の魔法が展開され、私ですら一目では理解出来ない多重封印に包み込まれた。私自身も基礎フレームだけとなった義手を抱き締め、既に展開している防壁に最大限魔力を供給して性能を限界まで引き上げる。
ああ何せ、私がたった今しでかしたのは、ガソリンの混合気が満ちた空間に火をつけるような大暴挙なのだから。
まあ尤も、爆発寸前の制御されたエネルギー塊はガソリンなんて比じゃないエネルギーを生み出す濃縮魔力であるし、着火する拳も山程度なら割れる威力に魔力炉を積んだ物。
まず間違いなく砲撃は阻止できるが……結果引き起こされるのは、ざっと計算して爆心地は大体半径20km、その内10km圏内は消し炭になるだろう大災害となる。
「──」
「──ッ!」
残り3秒と数えた刹那、世界が白に染まり音が消えた。
最後に私が見た光景は、解き放たれた鋼拳が収束された魔力に飛び込み融解する姿。しかして止まることはなく、デストロイ級の頭部をかち上げた光景だった。
『██████████ッ!?』
破れた鼓膜の向こうから、身体をビリビリと揺らす悪魔の絶叫が轟いた。ざまあみろと、内心で舌を出す。閃光で目を盲いても、全ての耳が機能していなくても、身体と魔力で理解する。
間違いなく、デストロイ級の砲撃は失敗した。口腔に収束されていた魔力は、義手の炉心の爆発に触れ着火。私の展開していた物もアインの展開していた物も関係なく吹き飛ばす、圧倒的な破壊力として誘爆した。
それ自体は良い知らせだが、なのだが……
(やっぱり、これくらいじゃ殺せませんか)
(残念だが肯定する。反撃が来るぞ!)
念話を起動し、決して逸れないよう手を繋ぎ、聖剣で推力を得て急速にその空間から離脱する。直後、白く染まった世界に暴風が吹き荒れた。同時に押し寄せる生物が焼け焦げた臭いと、探知魔法が伝える圧倒的質量の物体が近くを高速で通り抜けた実感。
どっと、冷や汗が出た。
知識では理解していたのだ。
(私は防御専念、アインは回復を!)
(もう実行済みだと報告する!)
だとしても、という話だ。身体に染み付いた動きとして回避はできているし、次への一手もアインが打っている。
だとしても、なのだ。ママの世界にあったという皇帝爆弾とまではいかないが、仮にも核兵器クラスの破壊力はあった筈の大誘爆。魔剣を介していないとはいえ、そこまでの力をぶつけても健在な相手は……少し、いやかなり、怖い。そう思ってしまうのは、ヒトの常だろう。
(デストロイ級の被害状況は心臓2つと頭部喪失、すでに再生が始まっていると報告する)
(厄介な……次、カウンターを入れます!)
じわりじわりと回復を始める白い視界と、僅かずつだが明瞭に音を聞き取り始める耳。できれば万全に戻るまで控えたかったが、ここで押さねば先程の誘爆すら無意味になりかねない。
そう判断して、暴れるデストロイ級の拳を躱しながら聖剣でエネルギーの運動力を制御。無事な右腕の延長線上、キロメートル単位で熱と電子を収束した溶断ブレードを形成。
(せい、やァッ!!」
気合い一閃。
振り下ろされた巨大な拳を回避し、返す刀でオレンジ色に輝くブレードを叩き込んだ。
「やっぱり斬れませんか」
──が、有効打とはなり得なかった。確かに直撃した部分は殆ど端かしているが、結局それだけ。斬れてもいなければ、動きを止めることも出来ていない。
「ならばこれで、どうだ!」
追撃としてアインが叩き込んだのは、生物としてあるべき体温を奪い去る絶対零度の完全凍結。須臾の内に悪魔の腕から温度というエネルギーを減退させ、凍獄へ繋ごうとしたのだが……
『██████ッ、!』
その効果が発揮される前に、デストロイ級自体が腕を自切した。同時、熱の簒奪スピードを遥かに超えて上昇する切除された腕のエネルギー。それはアインが操作するよりも早く臨界に達し──
「再展開!」
自爆によって、周囲の空間を焼き尽くした。
辛うじて防壁の再展開は間に合ったが……ああ、不味い。足を止められた。そう認識できたものの、時既に遅し。既に両手を組んで振り下ろされる、全力のアームハンマーが眼前に迫っていた。
「ぶっ──」
視界が、くろく、そまっていく。
防壁を破砕して直撃した力が、私とアインを海面に向けて弾き飛ばした。予期せぬ急加速に意識が飛びかけ、けれど今ここで気絶したら
「えんざん、さいかい。まずは最、大、減、速──ッ!!」
命がこぼれ落ちていく嫌な感覚に引き延ばされた思考の中で、
「まだ、だと、否定する!」
同時に、全身を包む魔力の光。
「尻尾がきます!」
全身の傷が内側から塞がっていく気持ち悪さを感じながら、迫ってくる壁を避けるべく私たちは上へと飛んだ。しかしながらそうすれば、待っているのは再びの剛拳乱舞。戦いにくいったらありゃしない。これで
「はぁ……はぁっ……」
「げほっ、ゴホッ」
上手くいったのは初撃だけ。指示を出しておいてなんだが、一体どうやってリィンやミーニャ女王はこんな化け物を殺せたのだろうか。不思議ではないが、不思議で仕方ない。
「しかし、アレですね……」
「皆まで言わずとも、認識、している」
こちらは聖剣、あちらは試作型魔剣。格としてはこちらが上らしき形であるのに、この差は何なのか。そう思うことがあったが、今身を持ってして全てを理解した。
「私たちの聖剣は──」
「──不死を殺すことに、特化、し過ぎていると認識する」
言うなれば、
『悪魔を殺す兵器である魔剣』に対して、
『不死身を滅ぼすための聖剣』だろうか。
玉兎の語った『聖剣は心で振るうもの』とは、なるほど言い得て妙な発言だった。
聖剣は魔剣としての側面も持っているが、本質的にはまるで別物だ。魔剣はどこまで行っても兵器だが、聖剣はそうじゃない。聖剣はきっと、その担い手の心の中を映した物。
聖剣とはヒトの想いや願い、感情、そういった物の結晶体。
そう考えれば、私の持っている魔剣の整備技術があの2振りに通用しなかったこと。私達の聖剣にだけ通用すること。魔剣を納める魔剣であるエターナルでは、起動すらできないこと。主砲の調整がいつまで経っても進まなかったこと……その全てに納得がいく。
──メ!
ぐるりぐるりと、戦闘中なのに気が付いてしまった真実への思考が止まらない。
─ヤメ!
つまりは、物質化した禁呪か秘奥が一番近いのか。
世界を自分色に染め尽くす《
「アヤメッ!」
「ぅ……ぁ?」
悲鳴のように私を呼ぶ声が、暴走を始めていた思考を断ち切った。ぱちくりと目を瞬かせながら、やってしまったと唇を噛む。全ての謎が解けたとはいえやり過ぎだ。頭を切り替え、改めてエターナルを握ったのだが……
「デストロイ級は撃破された。アヤメの調子も悪いことから、帰還を提案する」
「げき、は……? え……?」
目の前には、アレだけ猛威を振るっていたデストロイ級の姿はない。そこにあるのは、
「何が、あったんですか……?」
それは、異常極まる現象だった。
サイコロ状に悪魔を刻むのはまだいい。時間さえあればリィンやミーニャ女王でも出来よう。だが、だが、その状態で時間を止めたかのように、血液一滴噴出させず停止しているのはおかしい。悪魔とて生命体、斬れば血が流れるのだ。それをこんな真似──
「理解不能だったと報告する。動けなくなったアヤメを連れ、回避運動を行った一瞬だった。1秒ほど目を離した直後、既にこうなっていた」
「──墜星」
「同意する」
状況と理由を聞くに、そうとしか思えない有様だった。
だが、何故私たちを助けたのか皆目検討がつかない。墜星は私たちを狙っている。ならば隙だらけの私を殺すくらいは出来た筈で……
「ああ、もう!」
墜星特有の視線は感じない。なのに目の前には、そうとしか思えない物体がある。そのそこはかとない気持ち悪さに、乱暴に頭を掻き毟る。
真実を掴んだのは確かで、
生き残ったのも確かで、
助かったのも確かだ。
なのに、新たな疑問が噴出した。1つ疑問が解決すれば次の、次の次の次の次の次のと、まるで私達を試すかのように問いが投げ付けられる。その癖、私達に何を知らせたいのか、させたいのかがハッキリしない。
「分かりました、帰還しましょう。私たちがやれることは、もうやり尽くしました」
「認識した。長距離転移魔法を起動する」
そうアインが言った直後、まるで糸でも切れたようにデストロイ級の残骸が海面へと落ちていく。何処からか私たちを見て、聞いている存在がいるような気持ち悪さだ。
「戻ったら、主砲を完成させます。こんな戦闘、さっさと終結させましょう」
だが、それよりも今は優先すべき事があると頭を切り替える。先ずは、この戦闘を終結させる。全てはそれからだと思い──ギリ、と胃が悲鳴を上げる。
次の墜星も、また、きっと……
血臭に紛れて、ツンと鼻につく臭いがした。