その戦場は、端的に言って地獄だった。
大陸艦隊の防御フィールドを崩壊させた間隙に侵入して来た、無数の等級の悪魔たち。数十万体を超える数の暴力に、最初に蹂躙されたのは小さいながらも生き残っていた村々だった。
「助けてくれ! 助け──」
『
先の玉兎が引き起こした事件により、軍人を含めた多くの人が失われた。結果として、軍人に冒険者という別組織の人足を含めてなお、戦闘行為が可能な人員は約10,000人程度。師団が1つ組めるか否かといった程度しか、もう正規の戦闘員は残っていないのだ。
「この子だけでも、この子だかぺッ!?」
『
その分虎の子である魔剣の配備率は6割程であり、そもそも全員が一騎当千の精鋭揃い。一度悪魔と接敵すれば、間違いなく桁違いの成果を約束する最後の剣たち。
だとしても、その手が届かなければ何の意味もない。
誰もが忘れていた、忘れようとしていた6年前の悲劇が、絶望が。再び獣人界へ舞い降りた。
真っ黒な体表に覆われた、人の成人男性程の体躯。頭に耳目や鼻はなく、正中線から裂けるように開いた口からは人のような黄ばんだ歯が除く。腕の代わりに両肩と同じ高さの胸・背の部分から鋭い爪の生えた触手が生えた【レッサー級】
平たく6つの人の手を脚のように生やした胴に蠍のような形で触手が生え、複眼の代わりにレッサー級の頭部が付いているような形をした【ソルジャー級】
理由は不明だが、ヒトを探し出して殺すことを至上の喜びとする悪性生物。悪魔の中でも最下級の2種類数十匹が、この間に合わなかった村を襲う絶望の全てだった。
「軍の到着なんて待ってられるか! これでも俺は元冒険者、レッサーやソルジャー級の悪魔程度ッ!!」
村一番の力自慢が、殺戮の最中立ち上がった。かつて愛用した剣と鎧を引っ張りだして、命を捨てる覚悟を決めて。村を襲う最下級の悪魔程度ならば討ち取ってみせる。愛する家族を守って見せると。
Aランクには届かずとも、自分とてかつてはBランクにまで上り詰めた冒険者。鍛錬も欠かしていない。なればこそ一斬必殺。突撃の勢いも乗せて悪魔を穿たんと、彼は大きく振りかぶり──
『
『
『
──その剣は、
「は……?」
幸運だったのは、その時点で死なずに済んだこと。
不運だったのは、彼がかの戦争に不参加で悪魔と相対した経験がなかった事。
『『『
アヤメだけが何故が聞き取れる言葉で、悪魔達が嘲笑する。そして堪えきれない笑いに地面を叩いたレッサー級の腕が、特に意図もなく彼に叩きつけられた。
「──かきょ」
それだけで、首がグリンとあってはならない方向へ捻り折れた。
別に何もおかしなことはなく、特段彼が弱かったということでもない。寧ろ悪魔が現れる前の世界であれば、一角の実力者であったことは確かだ。
だが死んだ。
なす術もなく、殺そうとすらされずに、戯れの中で命を奪われた。
『
重ねて言おう。
魔剣とは、悪魔を殺す為に生まれた兵器であると。
最下級の存在ですら理不尽な悪魔に対し、人が生き残る為に1人の半神が生み出した叛逆の牙であると。
空を、大地を、海すらも埋め尽くす数の軍勢に対して、自分達を守る為に振りかざす、
──結論として、大陸艦隊ニライカナイのうち2隻がこの襲撃で墜落することになる。
◇
戦場へ跳んだ時と同様に、私たちを転移の暗転と浮遊感が全身を包み込む。数百km単位の超長距離転移とはいえ、事前にポイントをマーキングしていたお陰か行き程の不安定さはない。お陰で、なんとか痛む胃が中身を逆流させずに済んだ。
「ふぅ……これでなんとか、ひと段落──」
「着けそうにはないと否定する」
しかしそうして戻ってきたこの司令室も、また別の方向性の戦場だった。戦域と移動速度からして私達しか動ける存在がいなかったとはいえ、戦闘中に指揮官が出撃したことによる実質的な指揮系統の喪失。
たった数分、されど数分。未だ万全とはいえない体制の中、それは致命的としか言いようがなかった。
最低限の迎撃と航行は行えているが、あくまでそれだけだ。私たちが戻ってきたことにすら気づいていない。判別ができない程重なり合った声の群れ、慌てふためく人員に、マトモに通じていない報告の数々。もうこれは、一種の恐慌状態と言ってもおかしくない。
「……任せても大丈夫ですか、アイン?」
「肯定する。アヤは主砲を」
「ええ。こんな戦闘、すぐにでも終わらせてみせます」
そう互いに頷いて、私は目の前の魔法陣に手を伸ばした。
聖剣がどんなものなのかは理解した。玉兎がどんな祈りで聖剣を振るっていたのかも知っている。ならば後は、その通りに調整するだけのこと。
「総員、傾注!」
同時、コントロールルームに銃撃の音が炸裂した。アインが天井へ向け撃った空砲に、にわかに部屋が静まり返る。耳に付けたユビキタスの機体が反応していることから、恐らくこれは広域通信。ユ=グ=エッダやリィン、ミーニャ女王にも届くものだった。
「これより当方達は、当初の予定通り人間界へ向けた撤退戦を再開する! 迎撃は試作型魔剣持ち或いは足の速い魔界のみに限り、獣人界軍は国土の防衛にのみ軍や冒険者を動員する!」
「ですが、それは……!」
「しなければ、堕ちるのは当方達だと否定する! 数の違いを理解できないのか!?」
魔法の多重詠唱の応用でバラバラに動かしていた四肢と口の動きを一旦止め、視線をレーダーに向ける。そこに映し出されているのは、相変わらず【悪魔】を示す赤一色に染まった世界。そう──
『私たちが吹き飛ばした20km球の空間も』
『リィンが抉り続ける数km単位の殲滅の嵐も』
『ミーニャ女王が描くkm単位幅の鏖殺の軌跡も』
そんな痕跡すら見られない赤一色。数秒から10秒あれば戦術級の破壊すら無かったことにされるクラスの、圧倒的では済まない数の差がそこには示されていた。
「リィン、ミーニャ女王、それで構わないかと確認する!」
『うむ、致し方あるまい。だが大陸艦隊の足は遅く、守るべき範囲は広大だ。余にも守り切れるかはわからぬぞ?』
『そうするしかないでしょう。せめて王として、露払いくらいは果たします。ですから──』
「認識している」
こんな数相手に、主砲ひとつ修復して何が変わるのだろうか? そう言われればそれまでだが、生存の目がこれしかないのもまた事実。だからこそ、いざ再び魔法陣を組み上げようとして──
「何のつもりですか?」
寸前、横合いから振われた拳に私は椅子から蹴落とされた。聖剣の加護もあり痛みすらないが、正直極めて不快だった。一体誰が何をしたのか? 疑問に思いつつ立ち上がろうとすれば、胸ぐらを掴まれ空中に釣り上げられた。
見れば私を空中に釣り上げているのは、若い虎の獣人男性だった。本来なら雄々しく在る筈の顔は絶望に青く染まり、耳も恐怖からかぺたんと閉じている。……思い出した、確か通信系の担当をしてる人だ。
「重ねて聞きます。何のつもりですか? 私はやらねばならない仕事があるのですが」
「そんなに、あん、あんなに強いなら、お前らも戦ってこいよ!」
所々が裏返った、ヒステリー1歩手前の叫びだった。先ほどとは別の意味で、司令室が静まり返る。だけど、こんな表情を見れば誰も責めることは出来ないだろう程、可哀想なくらいに怯えてる。
「今、言った筈ですが。私にはここでやらなければいけない仕事があると」
「そんなの知るかぁ! 魔法陣なんか弄ってないで守れよっ、強いんだから俺たちを守れよ!」
見覚えがある恐慌と狂乱だった。
例えば冒険者が初めて何かを殺した時のような、軍人が言葉を解する魔物を殺した時のような、そんな心が正常なヒトが限界を迎えた印。
確かこの人は……ああ、そうそう新兵だった。あんまりにも人手が足りないから、志願制でミーニャ女王が軍に編入した1人。ならまあ、仕方ないだろう。これ以降文句を言われないように利用させて貰うし、後で独房にぶち込むか家に送り返す。
「そうですか。ところで貴方は、この船が動いてる原理は分かりますか?」
「知らねぇよ!」
「私が直したんですよ。では迎撃砲が稼働してる原理は?」
「知るか!」
「私が直したんですよ、アヒムさんの協力もありますが。なら、シールドが展開されてる理由も知りませんよね?」
「……」
「私が直したんですよ、動力炉ごと。今こうして魔法陣を弄ってるのも、主砲を再接続しながら迎撃砲の自動化スプリクトを組んでた訳ですが……これでも、守ってないと?」
落ち着かせるように、隠れて手元に催眠系の魔法陣を作成・起動しながらゆっくりと諭していく。話題もすり替えて、目を逸らさせて、何とかこれで……と、思っていたのだが。
「離してください」
相手の目から、猜疑も私を見下す気配も消えていない。ここまで一切実力で誰かを捩じ伏せず、それでいて高い位にいた反発だろうか。時間がなかったとはいえ失敗した。
「はぁ……」
そろそろ服も破れそうだし仕方がない。手荒い真似はしたくなかったのだが、そろそろ作業に戻らないと流石に支障が出る。
面倒臭さを溜め息で吐き出して、単純に体術のみで私を吊り上げる腕に身体を絡み付ける。そのまま絞め技の要領で肘を破壊し、振り落とされる落下の勢いを利用して投げを──って、左腕今はないんだった。
「せいっ!」
不甲斐なく左腕は聖剣の力場で代用したが、両腕を軸に全身の力で新兵くんを床に叩きつけた。これでよし。
「ああ、誰でもいいのでこの人運んでおいてください。大分お疲れみたいですから」
かなり厳しい戦局なのは違いないが、悪魔との戦争なんてこんな物だ。冒険者時代に経験した地獄を味わえとは言わないが、恐怖に狂った程度で邪魔をしないで欲しい。
おかしくなるのは理解できる。怖いということも理解している。守って欲しいと誰かに頼るのもまあ分かる。だが邪魔だ。私には指揮官の器なんてないから、こうして排除するしかなくなってしまう。
「手を出さないでくれて、ありがとうございます」
「当方とて獣人のコミュニケーションは理解しているつもりだ。だが、次からは介入すると否定する」
「……ですか」
気絶で済ませた虎獣人が運ばれていくのを見ながら、再び魔法陣を弄り倒す位置についた。今のうちに普段着から、ちゃんと戦闘装束に着替えておこう。
「さてっと」
左腕はないけれど、魔法陣を弄るならばこちらの方が好都合だ。
「5分で片付けます。だからこそれまで、なんとか持ち堪えてください。ミーニャ女王、リィン、ユ=グ=エッダの皆さん」
広域通信を起動、流したお願いに対する返事を聞きながら私は一気に陣の改良を開始した。といってもやることは簡単だ。根本的な部分は既に作成済みな為、数百のパラメーターを最適な構成に調整するだけ。
だからこそ最も難航していて、遅々として作業が進まなかったのだが今は別。基本形はある、仕組みは理解した、最後に辿りつくべき解も得た。ならば最早、これは難関になり得ない。
「通信解放、システム稼働率95%、全システムオールグリーン。アイン、撤退命令を!」
「認識した。全軍撤退! ただちに獣人界内部へ帰投せよ!
主砲発射用意!」
最終セーフティ解除
リクエスト承認ーー機動衛星砲モチヅキ起動
指揮艦からの座標入力を確認
目標:大陸艦隊ニライカナイ周辺空域
当該区域への砲撃準備
「了解、先ずは空を晴らします!」
聖剣:神境偏在モチヅキの力はこの身を持って理解している。だがそれはあくまで、正当な使い手が振るっていた時のもの。だから──
砲撃収束率変更
対星殲滅兵装起動
エネルギーチャージ開始
「発射10秒前、対ショック、対閃光防御!」
まずは空を覆うレイ級を撃ち落とす。
月のない空に、いま月を浮かべよう。
「マルチロックオンシステム起動、照準固定」
砲撃まで3秒
砲撃まで2秒
砲撃まで1秒
「撃て!」
「
アインの号令で引き金を引き、
しかしその威力は当然ながら健在。月光を背負った輝きの群れが、抵抗すら許さずレイ級の黒雲を吹き散らしていく。それはまるで、いつかの夜に見た
「敵影大幅に減少! ですがこれは……」
過去の思い出に飲み込まれかけた思考が、レーダー担当の方向から聞こえた声に引き戻された。
そうだ、ここで立ち止まってはいけない。赤一色だった筈のレーダーを見れば、確かに大陸艦隊周辺からは敵影がほぼ0となっている。だがジワジワと、空いた空白を埋めるように外縁部から赤色に染まっている。インクが滲むようにゆっくりと、しかし確実に、際限なく。
「【悪魔】の再展開まで、推定78秒! 主砲の効果ありません!」
悲鳴に等しい叫び声と、どうしようもない動揺が部屋に響き渡った。
無限に湧き出る悪魔の軍勢、闇の進撃が止まらない。数百キロ範囲は消し飛ばしたというのに、数があまりに多く埒があかない無限地獄。既に万は降らない数の悪魔を撃滅せしめた筈なのに、撤退の予兆すら感じられない大攻勢。なるほど、確かにこれは【
「問題ありません、これで視線は通りました」
だが、聖剣もこれで終わりじゃない。
私たちを苦しめたのは、この衛星砲だけではないのだ。現実改変は安全性の懸念から使えないが、もう1つ。あの夜の始まり、全てを夢に落とした超広範囲幻術は使える。
『ああ、そうだ。その通り撃てば何の問題もねぇ』
耳元で囁くように玉兎の……英雄クラネル・レイカーの声が聞こえた気がして──
』」
自然と幻聴と声が重なり、今はない親指を立てた左腕を下向きに変え画面に突きつける。その行為をトリガーとして、暗雲が晴れた空の向こう。天を覆うクリフォトの枝葉の先で歪んだ
特段これといった音はない。
先程の砲撃のような光もなければ、衝撃だって発生していない。
だがこれまでのどんな攻撃よりも刻明に、聖剣の破壊力を示す結果だけが目の前には広がっていた。
1匹、また1匹と、空を覆うレイ級が力尽きた虫のように落ちていく。同様に空を飛んでいたメイジ級も、地平線の向こうまで広がっていた戦線ごと海へ落ちていく。そして海に落ちると表現した通り、海を埋め尽くしていたビースト級も沈んでいく。
1匹残らず。例外なく。知性体である以上、
「……状況の報告を要求する」
呵呵大笑する玉兎の幻聴を聞きながら、押し寄せて来た疲れに椅子へ寄りかかった。身体は聖剣のお陰でまだ動くが、そろそろ頭が限界だ。使い過ぎて頭痛がしてきた。
「れ、レーダー探知圏内に活動中の敵影なし。全て、眠っています……」
「敵増援の影なし。レイ級は集結しつつありますが、砲撃も爆撃も行なっていません」
「つまり、どういうことか」
アインの重ねての問いかけに、まるで現実感がないといった様子でレーダー担当の人が呟いた。私もレーダーを確認してみるが、探知限界の外縁部に赤色はあるが本当に悪魔の反応は消えている。
「悪魔が、撤退していきます。まだ戦闘開始から、1時間も経ってないのに……」
半信半疑といった様子で何度も何度もレーダーを確認し、艦の望遠術式越しに肉眼でも確認して、それで漸く現実だと脳が認められたらしい。初めは1人が、釣られて2人が、3人が、次々と司令室から歓声が上がっていく。
「【悪魔】の、撃退に成功! 繰り返します、【悪魔】の撃退に成功しました!」
通信担当の人が喜色もあらわに通信を飛ばす姿を見て、私もホッと息を吐いた。私が半分以上手を加えた大陸艦隊の初戦は、なんとか凌ぎ切ることが出来たらしい。
「認識した。これより第1種から第2種戦闘配置へ移行。安全が確保でき次第、第3種へ移行する。まだ警戒は解けないが……当方の拙い指揮に付き合ってくれたこと、感謝する」
再び歓声が部屋を包み込み、私もひらひらと手を振って挨拶だけは返しておく。なんとか凌ぎ切ったんじゃない、聖剣まで持ち出して凌ぐことしか出来なかったのだ。
「ふぅ……」
そう考えると、やることはまだ山積みだ。
優先は義手の再作成、次が艦隊のシステム改良、同列で破損した魔剣の修理と教導etc……考え始めたらキリがない。いつになったら、私は満足に眠れるのやら。
「あまり、根を詰め過ぎるのは良くないと否定する」
「わぷ」
そんな算盤を頭の中で弾いていると、優しく顔に何かを被せられた。下手人はアインと分かっている。けど一体何をと手を伸ばし取ってみれば、大きな、けれどシンプルな色とデザインの帽子がそこにはあった。しかもちゃんと、獣人用に獣耳を出す穴まで完備されているタイプだ。
「何故、帽子を……?」
「ここ数日アヤは外で日の光を浴びる事すら、目が痛み辛そうだったと記憶している。故に、当方なりに考えたプレゼントだったのだが……不要なら、回収する」
「不要なんて、言うはずないじゃないですか。一生大切にしますね」
語気を弾ませる余裕すらないけれど、お陰で少し落ち着いた。今日はもう、緊急時以外はゆっくりとしていよう。
こうして私たちは【終末】の中を飛び続けた。
最後の希望が残された地へ。
その道行の代償も知らず、けれど救いはあると信じて。
終末へと続く旅が、始まった。