そこには、熱狂が在った。
そこには、興奮が在った。
そこには、恐怖が在った。
そこには、愉悦が在った。
そこには、狂騒が在った。
そして何より、悪意と殺意と呪いが混沌と化し荒れていた。
夕焼けが差し込む王城前の広場。大罪人アヤメ・キリノの公開処刑場、つまり自分が殺される場所を私は真上から見ていた。
多分、いや間違いなくこれは夢だ。何せ自分の手のひらは半精霊化しているときより薄く透け、そもそも殆ど身動きすらままならない。声も聞こえないし、言葉も話せない。挙句視点は空中なのに、誰一人として私に気が付かない。なのに、
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
言語は無数で、語気も様々で、だけどそれを聞き取れてしまう。意味合いは多少違えども、皆一様に死を望んでいた。ミーニャ女王によって首を刎ねられ、
耳を
そんないつまで続くのか分からない地獄の中、獣王剣ライオンハートを手にミーニャ女王が壇上に登る。その光景を見た瞬間、鈍器で殴り倒されたかのような衝撃とともに、私の意識は暗転した。そして──
気が付けば、広場の中央。処刑台を取り囲む群衆のざわめきが、嫌に肉感的に感じ取れた。いつの間にか、私の意識は私の身代わりのその内に。歪んだ宴の中心に在った。
「私もこの罪は背負います。ですが
凛とした言葉の裏に苦悩を感じさせながら、ミーニャ女王が刑の口火を切る。そうして、見上げる程の大剣が大きく振り上げられ、刃が落ち、私の首は──
地獄のような刑場の中、胴から離れ、転がった。
痛みは無かった。それがミーニャ女王の腕による賜物なのか、或いは魔剣を以ってしても死が確定する頭部と身体の切断が為されたからなのかは分からない。
地面に転がった私に出来るのは、ただ身体から血が吹き出し、辺りを染め上げていく光景を見ていることだけ。最高潮に達した興奮の中、血を浴びているのに嬉しそうな住民を見ることだけ。震える手で魔剣を握り締め、俯きがちなミーニャ女王の姿を眺めることだけ。
だがそれにも限界が来たらしい。
だんだんと意識が薄れ、遠のき、ゆっくりと、何も聞こえない、無明の闇へと落ちて、落ちて、落ちて……────
◇
「────はぁっ、……ぁ」
気がついた時には、私は見知らぬ部屋のベッドの上にいた。やはり先程の光景は夢であったらしい。
「くび……は、ついてる」
反射的に首に手をやるが、当然無事に繋がっている。が、どうにも全身に力が入らなかった。手先足先の感覚もない。全身から冷や汗が吹き出して、手足が痺れて動かし辛い。思考がまとまらなくて、頭がボーッとする。
「ふねも、おちてない……」
それでも状況の確認はしなければならない。首を動かすとずり落ちてしまうんじゃないか、そんな恐怖に逆らって向きを変えれば、目に入ったのは点滴と時計。
「さん、じかん……?」
ぼやけた目を凝らして見ると、時計が指している時刻と日付は私が私を演じる放送をしてから3時間と数十分後。聖剣は解除されているが、あれだけ悪魔を斬ったお陰で然程消耗していなかったらしい。
「やすんでる、ばあいじゃ、ないのに……!」
それならばすぐにでもと、思う心に身体がついて来ない。舌足らずにしか言葉を喋れない時点で不味いが、身体がそもそも動いてくれないのだ。
理由は理解している。首を、あんなにも生々しい夢で首を切られたからだ。意識では夢だったと理解しているけど、無意識が斬られたと認識したまま。だから、違和感が強く動かせない。動いてくれない。
「今のアヤメに必要なのは、休養を取ることだと否定する」
ならばいっそ魔法でと思い発動させようとした時、横合いからそう声が掛けられた。恐怖を振り切って首を動かせば、薄いカーテンを払いかなり顔色の悪いアインが入ってきた。
「でも」
「でも、ではないと否定する。すぐそこにいた当方に気付けもしない状態のアヤメが、いま司令室に戻って何ができる」
「それは……そう、ですけど」
「分かっているなら、休めと命令する」
いつにも増して強い言葉に押されて、頬を膨らませながら仕方なく全身の力を抜いた。途端に強い眠気が襲ってくるが、寝てなどいられないので気合いで耐える。
「じゃあ、はなしくらいはきかせてください」
「肯定する。当方も休養を言い渡された身だが、その為にここにいる」
備え付けの椅子に腰を下ろし、疲れ切った様子でアインも息を吐いた。当然だ。アインだって方向性は違くとも、私と同じスケジュールで動いていたのだから。
「まずは船は無事という前提で、アヤメの診断結果からだ。当方には分からぬ記述も多いが、しっかりとした医者の診断だと報告する」
艦隊がある程度は無事なことは、戦闘音どころか航行音すら薄い状況から理解できる。本当はそっちの方が詳しく知りたいが……
「まだちゃんとした医者の人、生き残ってたんですね」
「肯定するが否定する。腕は確かで元々医者でもあったが、政争に巻き込まれて追放。今まで闇医者をしていたと聞いた」
「うぇ、知り合いです。お金ふんだくるんですよあの人」
だがその分、腕が確かで信頼があるのが闇医者というものだ。
アインから受け取った診断書に書いてあったのは、丹念に調べ上げられた私の身体の状態。過労、極度の睡眠不足、重度の精神的ストレス、軽度の栄養失調、高濃度の血液汚染に、多臓器不全、神経障害etc……あ、ご丁寧に2ヶ月という余命宣告までされている。体感、あと50日が良いところなのだが。
「問題はないと否定する。当方の診察分含め、既に代金は支払い済みだ」
「あぁ、ありがとうございます。どれくらい取られました?」
「2人合わせて、
「うへぇ……」
冒険者時代に数回お世話になったきりだが、あのアラクネは相変わらずお金にガメツイらしい。まあ、旧知の人が生き残っててくれたことを今は喜ぼう。それも私よりちゃんとした医学を学んだ人が。
「そろそろ今に至る経緯を簡単に説明したいが問題ないだろうか?」
「ええ、お願いします」
「認識した」
そう言ってアインが語ってくれたのは、私が気絶してから3時間強の話だった。
「アヤメの提案した作戦については、無事成功したと報告する。艦隊の半数を囮にした結果、当艦隊は悪魔の手から脱出。現在はユ=グ=エッダ同様、炉心の出力を落としたステルス航行で移動中だ」
「ということは、殆ど慣性航行ですか。それなら確かに、前よりは見つかりにくいかもしれませんね」
外には悪魔が溢れているとは言っても、それは通り抜けられない場所がないという話ではないのだ。空こそ覆われているものの、総数か少ないお陰か空中の密度は高くない。ステルス状態を見破られて襲撃された以上過信はできないが、それでも少しは時間を稼いでくれるだろう。
「アヤメの懸念していた民衆の暴発も、勃発直前にミーニャ女王が収めたと報告する」
「それって、つまり」
「アヤメ・キリノの公開処刑は、実行された」
その言葉に、チリリと首に刃を当てられたような幻痛が走った。なるほどつまり、アレは現実でもあったらしい。照応と見立て……詳しい理屈は省くが魔法の面倒な理論からして、私の意識だけが私の似姿に引き寄せられ、同じ経験をするなんて話はあり得なくもない。
「そうですか……死にましたか、私。アインは見ました?」
「否定する。恐らくだが、その光景を見た場合、当方は正気ではいられなくなる」
「そこまで言って貰えるなんて、女の子冥利につきますね」
漸く舌も回るようになってきた。相変わらず身体の反応は鈍いが、この調子ならそちらも何とかなるだろう。
「肯定するが、否定する。手を下したミーニャ女王も、準備をしたリィンも顔が暗かった。あんなものを見て喜んでいたのは民衆だけだ。アヤメは、何もないのかと心配する」
「そうですね。こういうと恥ずかしいんですが……もう、どれが私なんだか。分からなくなってきてて」
力の入らない両腕を天井に伸ばし、少し眩しいくらいの照明に透かす。右手は生身で、左手は義手。あまりにも歪で、今の自分らしい腕だ。
「
抱いていた恨みも、変わらない憐憫も、続いている無関心も、1つとして偽らざる私の真実だった。もう頭も心もおかしくなりそうだ。
伸ばした腕から力が抜けて、顔の上に落ちてくる。視界が暗闇に戻る。冷え切った鋼の腕を零れた涙が伝っていく。情けないことに、声を荒らげる気力すらなかった。静かに、声を押し殺して、涙を流すしか出来ない。
「これは独り言だと、最初に宣言しておく」
そんな中、ぽつりとアインが呟いた。
「当方が好きになった人物は、大層な肩書きを持っていたり、大仰な身分がある誰かではない。ただの女の子だ」
優しく頭を撫でられる。
「旅をすれば見知らぬ景色に目を輝かせ、暇さえあれば何かを作っていて、魔法を見ると予定を放り出しても飛びついていくような……少々趣味が特殊なそれだけの人だ」
鋼の手でも、小さな手でもない、ゴツゴツとした手。
「時代が許さないというのは理解している。だが当方はそれだけで、それだけでいいと思案する」
「……言ってて、恥ずかしくないんですか」
「あくまで独り言である以上、問題ないと否定する」
腕をズラし、涙で滲んだ視界でアインを見る。夕日などで誤魔化しようもないこの部屋で、間違いなく顔は赤く染まっていた。
「そもそもこういうのって、物語とかだともっと溜めて溜めて言うヤツだと思うんですけど」
「当方は
そう言う割には、一向に目線をこちらへ合わせようとはしてくれない。耳まで赤くなっていた、きっと私もそう変わらないだろうが。誰かから肯定されること、本当にそれは……慣れてない。
「寝ます」
あまりこうして見つめ合っていても恥ずかしいので、反対側を向き毛布を被る。最近使っていた貴賓室のそれとは違い、年季の入った硬いベッドと枕だ。だけど貴賓室の物と同じ様に広くて、寒くて──ここは、寂しい。
「認識した。では当方も、隣室で休ませて──」
「何言ってるんですか、一緒に寝るんです。アインがいないとろくに寝れない身体にしたんですから、責任とってください」
「……認識した」
何故か緊張した様子のアインをベッドに引き摺り込み、全身を密着させながら目を閉じる。言い方はあれだが、実際そんな身体になってしまっているのだ。アインと一緒に眠れば悪夢を見ない、フラッシュバックで目が覚めることもない。それがどれだけありがたいか、きっと多くの人には分からないだろう。
「アインが、独り言って言っていたので、これは寝言なんですが」
「うむ」
「私、思ってたよりもずっと、自分が想像してたよりもずっとずっと……この国の人が、嫌いでした」
アイン以外には聞こえないように、懺悔するように耳元で呟いた。
「最初は演技のはずだったのに、途中からドンドン気持ちが溢れてきて、気持ちよくなるくらい言葉を吐き出して……沢山、人を殺しました。1人や2人じゃなくて、何千何万、いえもっと……何百万人も囮にして見捨てたんです」
「うむ」
「それじゃあ、本当に何も変わらない。私もアイツらと何も変わらない。そう、思っちゃって」
数が悪を正当化する。そんなことを言いたくはないが、そうとでも思わなければやってられない。ずっと心が壊れそうで、悲鳴を上げていて、同じ存在にまで成れ果てた私は。私は。私、は…………
「なにも、言ってくれないんですね」
「肯定する。何せそれは、寝言なのだろう?」
「ええ。こんなの寝言です。誰が聞いても困るような、ただの妄言でしかないんです」
ただそれでも、震える私を抱きしめてくれる温かさは優しくて。心地よくて。疲れ切った心と身体は、気が付かないうちに安らぎの揺り籠へと沈んでいった。深く深く、少しでも何かを癒やすために。
◇
そうして破滅への歯車が回り始めた頃。
今はまだ遠い人間界、その外縁。悪魔の黒に染まった世界の中で目が痛いほど真っ白な嵐の外壁に、1つの影が落ちている。むろん墜星、かつての英雄が成れの果て。だがその姿は、あまりに人から外れていた。
背中に背負った炎の翼。黒金入り混じった奇妙な長髪に、古めかしい和風のツギハギ鎧。墜星の特徴である白目が黒に、黒目が金に変わった目と死人のような血の気の失せた白い肌。しかし何より特徴的であるのは、2腕2脚の人型ではなく4腕3脚1翼の異形であること。そして顔の下半分を覆う面頬を付けていること。
墜星・金烏
最も悲惨で無惨で残忍で、最も壊れた墜ちた星。
「そう、あれくらいは突破できるのね」
火の粉が舞い散る黒天の空で、何も存在しない
「さすが、あの方の娘ですわ。しかしあの程度の有象無象、片手間に排除してくれなければ困ります」
直前の自分の言葉と会話するように、まるで別人のような口調の言葉が面頬の下で零れ落ちる。何かが、致命的に狂っている。そんな印象を抱かせるような異様だった。
「このままだと、人間界に辿り着くのは明日かしらね?」「その時こそ、遂に私たちの出番ですわね?」
思えば、随分と遠くまで来たと金烏は思った。
何せかつては5名いた墜星も最早2人。最初に弾けた泡影、──への道を拓き魔王に過去を託した八岐、やりたい放題暴れたものの残す物は遺した玉兎。残る墜星・勇者を含め、長い、長い付き合いの連中だった。
だがそれも明日で終わり、そんな確信が鼓動を止めた胸にある。
何せ墜星・金烏は、既に単体戦力としてアヤメ・キリノ/アイン・ナーハフートを下回っている。持てる不死身と相性差もあり以前は助けることが出来たが、その相性差すらタネさえ割れればあの聖剣は突破する。
八岐が見出し鍛え、玉兎が継がせた器は伊達じゃない。最もそれ以上に強い天然物の英雄が3人も生き残っているのは、かなり予想から外れてしまったが。
「邪魔されるのは、癪に触ります」「露払いくらいはしておきましょう」
まあ、戦力は多ければ多いほどいい。無能な
自分は門番。
墓守りである彼の座すこの大陸を、我らが終なる神の目を覚ます最後の1人を、かつて地球と呼ばれた世界における最後の生き残りを、無粋な輩から守る扉の主。
選定の時間は終わり、埋伏の期間は過ぎ去り、後は破滅へ墜ちるだけ。
「「汝等この門を潜りし時、一切の希望を捨てよ」」
かつて────・───と呼ばれた誰かの残骸に残る記憶が、自然と歪んだ
降り注ぐ炎の羽根。
舞い降りる異形の影
停滞と慚愧と祈りの国──人間界。
未だ静寂に満ちたそこに動きはなく、
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