いったい何日ぶりかも分からない、1時間を越えたまともな睡眠。貴賓室の柔らかいベッドではなく、硬い診察用のベッドでのものとはいえ、目が覚めた時点で明らかに体調は改善していた。
頭に霞はかかっていないし、頭痛や不調も特にるるるるない。精々硬いベッドで寝たせいか、身体が少し軋むくらいか。しかし軽いストレッチを行い魔界式の幻術による人工天の光を浴びる頃には、それも軽く消えてしまった。
こんなに体調が良いのは久しぶりで、軽く準備をしていざ仕事──と思っていたのだが。今日は艦隊再編の影響もあって、システムチェックやら何やらでやることがないらしい。加えてミーニャ女王、リィンの連盟で私たちを名指しして『休め』という命令まで下っている。
私やアインの手を借りずに運用する訓練も兼ねているとのことで、本当に一切手伝うことすらできない。つまり……時間感覚がおかしくなったせいで分からないが、完全に予定がないオフの日だった。
「……それにしても、一気に寒くなりましたね」
「使用可能なエネルギー総量が、激減した為だと把握している」
「くぁ……艦隊、だいぶ小さくなりましたもんね」
欠伸を噛み殺しながら、特に理由もなく王城の内部をアインと歩く。目に見えて人が減った回廊を満たす空気は、昨日までと違い物理的にも雰囲気的にも肌寒い。
単純に稼働艦の数が減ったことによる供給エネルギー量の減少に、炉心自体の稼働率を意図的に低下させ、それでもシールドとステルスを以前と同等の質で保つ。そんな生存のための皺寄せが、気候という部分に出ているのだ。
「当方の観測によれば、昨日と比較して気温は10℃ほど低下している」
「ということは、大体5℃くらいですか。道理で今朝から義肢のヒーターが作動してる訳です」
元々炉心のエネルギーは、ユ=グ=エッダのシステムを参考に生き残った農場などの食料生産艦に回すようにしていた。だがこれでは、農場の方もあまり期待は出来ないか。
そしてこの冷え切った気温は、大陸艦隊外の気温と大凡一致している。結晶樹クリフォトによりただでさえ遮られていた日光が、レイ級により完全遮断されたことで起きた極度の寒冷化。戦闘中には気にもならないが……こうして日常を過ごすには少し、辛いかもしれない。
「それは、アヤメの格好にも問題があると疑問する」
「仕方ないじゃないですか、普段使い出来る服なんてこれしかないんですから」
言いながら、着ている裾がほつれたワンピースを摘んで見せる。戦闘装束、礼服、貰い物、ボロ。いつ戦闘になるかも分からない今、その中で着れるのはボロしかない。尤も、このボロワンピースも在庫がそろそろ心許ないが。
「あと、そう思うならもうちょっと近くに寄って下さい。アインの方が体温高いんですから」
「認識した……が、少し確認したい」
「別に構わないですけど、確認って何をです?」
「アヤメは現在、正常に気温を……いや、正常な感覚を保っていないと推測する」
これまで1回も明言していなかったことを言い当てられ、言葉が止まった。やっぱり、アインには気付かれてしまったらしい。リィンにも、ミーニャ女王にも隠し通せたのに。
「よく、分かりましたね」
「当方はずっと隣を歩いてきた。それくらい分かると肯定する。……症状は」
「今朝からですし、大したことじゃないですよ。触れてるものの熱さと冷たさが分かりづらくなったくらいなので」
まあ、これで鍛冶屋は廃業でしょうねと言葉を続けた。触っているものの温度が分からないとなると、多分もう鋼は打てない。これからは、魔法方面で何かするしかないだろう。
「それは十分、大したことだと否定する!」
「見えてた結末です。大したことじゃないんですよ、ほんと」
切断された四肢の先に溜まった澱みか、あるいは身体に蓄積されている毒かは分からない。が、恐らくそういったものが、無理が祟って頭にまで回ってしまった。きっとそういうことだろう。
もしくは寿命だろうか。体感で私の寿命が50日を切ったのが今日なのだから、恐らく原因はそこにもあるのだろう。最悪の場合、2つの理由が相互作用していることも考えられるが。
「あと、鈍いだけで感じない訳じゃないので。というか、アインの方は何ともないんですか?」
「否定する。当方の義肢を構成する魔剣だが……恐らく、既にひび割れている」
「具体的な症状は?」
「義眼となっているホルスが視界を霞ませていること、右腕のユビキタスも時折震えることが自覚症状だと報告する。また正直、体調も全般的に悪いと否定する」
アインのようなガンナーにとって、それは死刑宣告に等しい言葉だった。一応聖剣の銃撃は発射後に弾道を捻じ曲げたり、概念的に必中にしたり出来るが、それでも基本は銃という機構に忠実だ。見えず、腕がブレるというのは大問題だろう。
「んー……ちょっと目、見せて下さい」
「認識した」
取り敢えず確認してみなければ始まらない。足を止めてアインの肩に手を置いて、少し背伸びをしながらアインの右目を覗き込んだ。
今は私の左目の色でもある、アメジストのように綺麗な紫。しかしよく覗き込んで注視すると、瞳の奥で魔力がスパークしている。解析魔法を掛けた結果、帰ってきた判定は諾。つまり──
「中破といったところでしょうかね。魔剣としての事故修復力を超えて一部が壊れてます」
「やはりか、と安心する。当方の自己診断と変わらない結果だ。……恐らく、原因は」
「聖剣ですよね」
私の言葉に、静かにアインは頷いた。
そう、私たちの持つ聖剣、比翼天昇アインは端的に言って異形の剣なのだ。八岐のアマノムラクモとも、玉兎のモチヅキとも違う。2振りの試作型魔剣と1振りのⅡ型魔剣を繋ぎ合わせた物をベースに、私の義足である純試作型魔剣と、愛剣だった番外魔剣のエターナル、そしてアインの義体として埋め込まれた魔剣全てを使い組み上げたパズルのような剣。
それでいて本来では成し得ない超高出力と異能を発揮させているのだから、いずれは壊れて消えるが定めだ。一番その中でも耐久性が悪いアインの義体に、最初に限界が来たということだ。
「取り敢えずかかる負荷のバランスは、まだ余裕のあるこっちの義足に多めの配分に変えますが……あんまり、大きい力は使わない方がいいかもですね」
「肯定する。やらねばならなかったが、あの山を打ち返した辺りから限界が来た」
「ですかぁ……」
ほぅと吐いた息が白く染まり流れていく。聖剣の代償。過負荷による終わりの時。残り50日を切った命の時間。見えていた終わりが、刻一刻と迫ってきていた。目を瞑ればそれが、ありありと感じられて。
「ねぇ、アイんっ──!?」
それを話す前に、アインに唇を奪われていた。
「んなっ、いきなり何するんですか!?」
恥ずかしさで反射的に飛び退き、両手を振り上げて威嚇する。いや別に構わないけど、こんな誰でも見れる場所というか、不意打ちでそんなことされるのは流石に恥ずかしいというかなんというか。
「そういう表情だったと推定した」
「つまり?」
「つい」
「ついで奪っていいほど、乙女の唇は安くないんです! 何様ですかー!」
「旦那様だと自認している」
反論に隙がなかった。八つ当たりでアインを叩くが、流石に素の能力では倍近くアインが強い。ポカポカという擬音が似合いそうな絵面になってしまう。
「……良かったと安堵する」
「良かったって、何がですか。こっちは──」
「ようやくアヤメの、そんな態度が見れた」
反撃しようとした言葉は、優しい笑顔に封殺された。
「ここ数日アヤメは、ずっと張り詰めた限界ギリギリの顔をしていた。それを崩せたのだから後悔はないと否定する。どのような罰で甘んじて受けよう」
「……じゃあ、買い物付き合って下さい。服、買いに行こうと思ってたので」
「認識した。エスコートさせて貰おう」
顔を直視出来ずそっぽを向いたままだが、今度はしっかりと手だけは繋いで。お互いの体温すら伝わる距離に寄り添いながら、一気に凍えた城を歩いていく。
「だが、こんな状況で営業している服屋があるのかと疑問する」
「ありますよ、確実に1店舗だけは。【運び屋】の本業ですし」
転移魔法とアイテムボックスという流通の概念を根底から破壊する技術を持つ人物が、最も手っ取り早くお金を稼ぐには何をするか。当然流通に携わること、そして自分の店だけ既存の流通システムを破壊して販売すること。
そうして最終的に市場を独占したからこそ、彼は国の王とも手を組む権力を得て、冒険者としてもSランクの頂に上り詰め大成したのだ。流通王【
「そこまでの人物だったとは、知らなかったと驚嘆する」
「あの人とあの人が気付き上げた流通網が無かったら、とっくに獣人界は滅んでますし墜ちてるくらいには重要人物ですね」
あんな処刑があった筈なのに、不気味な程何も変わっていない街。それに薄ら寒い何かを覚えつつも、そんなちょっとした昔話をしながら歩くこと十数分。目的地にはすぐ辿り着くことが出来た。
王都シヤルフの一等地に立つ貴族・高給人を対象とした豪華絢爛な店ではなく、住宅街に近い庶民向けの店。国の終わりに近い状況だというのに、相変わらず通常運転でここは営業してくれていた。
「ラッシャーセー」
「何と言えばいいのか、気の抜けた掛け声だと困惑する」
「なんでも地球の方の言語らしいですよ」
訛り過ぎていて意味の通じない言葉に出迎えられつつ、アインと一緒に店内へ。その時に入口で投げ売りされている10着で銀貨1枚の古着を、入り口で受け取った店内用の鞄へ詰めておく。
「よし、これであとは安いコートでも買って……」
「少し待ってほしいと嘆願する」
「別に構いませんけど」
「当方の勘違いでなければ、それで買い物は終わりなのだろうか?」
「……? えぇ。お洒落なんて、やっぱり私には似合いませんから」
そうして気を抜いたせいで、また昨日のようなことがまた起きては堪らない。やっぱり私はある程度弁えて、着れる服を着てればいいのだ。コートくらいは羽織らせてもらうけど。
「なるほど、認識した。当方はその考えを否定する」
「えっ、ちょっと!」
手頃なコートをねじ込もうとした店内鞄を、アインが頭上高くへ持ち上げてしまった。取りに行く気になれば取れるが、背伸びをしても絶妙に届かない高さだ。
「酷いじゃないですか」
「酷いのはアヤだと否定する。普段の姿や礼服が嫌という訳ではないが、当方だって可愛く着飾ったアヤを見たいと要望する!」
「ん゛なっ」
何か話そうとしていた内容が一気に吹っ飛んだ。パクパクと口だけが空気を求める魚のようになり、言葉が出てこない。アインが、ストレートにそんなことを言ってきたのは初めてだ。
「ぅ、あー……えと、ドレスとかじゃダメです?」
「ダメだと否定する。可愛い服のアヤを当方は見たことがない」
だいぶ頑なだった。目が真剣で、譲るつもりは一切感じ取れない。そして買い物カゴも返してくれない。きっと、アインが言うような可愛い服を私が着るまでは。
「…………アインが、どうしてもって言うなら。でも私、服とか全然わからないですよ? これまでずっと礼服か古着か、戦装束しか着て来なかったんですから」
その着てきた物にしたって、大体実用性重視でお洒落さは殆どない。アインが言うから百歩譲って着るとしてもだ。流行りもトレンドもまるで知らない、似合うかも分からない服なんてどうすればいいんだろうか。
「だから、アインが選んで下さい。私に似合いそうな可愛い服」
「……認識した。全霊をもって取り組もう」
言うと、アインはすぐに店内を散策しに行った。こういうのは……うん、悪くない。滅多にしないことだから恥ずかしいが、きっと。
「さて」
探して貰っているだけじゃ面目が立たないし、私自身も少しは何か探しておこう。しかし可愛いなんて、私には遠く似合わない言葉だと思っていたし今もそれは変わらない。曰く、それでも変わるのがお洒落という魔法らしいが。
「うーん……何がいいのかさっぱりわからない」
私がわかることなんて、精々使われている素材と作られた技量の良し悪し程度。アウターとインナーは分かるが、タテイトパイルやらウラキモーやら知らない言葉が商品紹介ポップに踊っている。暖かくなる呪文か何かだろうか、なんて冗談だが思ってしまう。
「ふむ……」
悩んでいる私を見かねて店員さんが提案と説明をしてくれるが、言っていることの8割がわからない。なんなんだ、その専門用語の羅列は。正直もう、払い下げの軍用のコートでもいい気がしてきたんだけど。
「それでは、こちらはどうでしょうか? 昨年はお客様の年頃の方に大ヒットのセットなのですが……」
「じゃあそれで。試着って出来ますか?」
「ええ、こちらに!」
嬉しそうな店員さんに連れられ試着室に案内された。とりあえず着てみるかとは思うが、こんなヒラヒラとしたパーツの多い服本当に売れていたのだろうか。もっとこう、防刃とか対衝撃とか、そもそもスカートとか耐寒性……
「……そういうの、気にしちゃいけないのがお洒落なんでしたっけ」
なんて、友人の言葉が脳をよぎった。秘密の酒場とはいえ、酒場は酒場。私が防具作りはプロであるのに対して、向こうは着飾るプロなのだ。彼女の言っていたことの方が正しいのだろう。
仕方なく、ボロいワンピースを脱ぎ渡された服を身につけていく。
多分コートを着ることを前提とした、胸元にワンポイントリボンがあるトップス。ヒラヒラとした飾りが多めの白いスカート、その上から着るアインの瞳と同じ濃い紫のチェスターコート。帽子は……珍しい、獣耳でぶち抜いて固定する物なんてあったのか。だがブーツは義足の都合上ダメだ、特注品以外だと靴も義足も壊しかねない。けど──
「思ったより、可愛い……のかも?」
このご時世には貴重な歪みも曇りもない大鏡、その前でくるりと回ってみる。思ったより、服に着られている感じはしない。それに補完色だったか、髪の色とコートの色が反発していない。悪くは、ないんじゃないだろうか。
アインに見てもらいたい、自然にそう思った。
まるて何処にでもいるような普通の女の子のように。私からはかけ離れた、陽だまる日常で笑える女の子のように。
「アヤ、一応当方も選んでみたのだが……」
「あ、はい。今開けますね」
逡巡の後、アインから物を受け取るためにカーテンを開けた。アインが持って来てくれたのは、何処となく軍服の気配を感じるアイボリーのショート丈のコート。ボトムスやインナーもそれに合わせて無難に纏まっている……の、だろうか。正直わからない。
「思ったより似合ってると思うんですけど、アインから見てどうですかね?」
「とても、似合っていると肯定する。かわいい」
少しだけ心が暖かくなった気がする。そう言ってくれるなら、買うだけ買っておこう。それにしても、私がかわいいなんて背筋がゾワゾワとする言葉だ。ほんの少し前までなら、絶対に受け取れなかったような。
「じゃあ、アインの選んでくれたやつも着てみますね!」
そうして新しい服を買って、何気ない話をして、理由もなく街を歩いて……ただそれだけで、私はきっと幸せだったのだろう。何も食べれず、遊べず、街中で顔を合わせた知り合いには揶揄われて。いつの間にか、ギルドの連中に囲まれて──そんな、まだ微かに残っている日常を満喫して、時間はゆっくりと過ぎていった。
そして、翌日。
人間界にたどり着いた私たちを、炎が出迎えた。