再編された大陸艦隊と魔王国ユ=グ=エッダの航路は、人員の入れ替えや補充の影響もありゆっくりとした物だった。最高速なんて出せるはずもなく、進む速度は遅々としたもの。
獣人界が空へと昇ってから24日。大陸の半数が落ち、500万余人の命が散り、保有していた魔剣のうち約45%を喪失した。玉兎が【
それでも私たちは今日、人間界を囲む嵐の壁を目視可能な距離まで到達した。文明の維持もままならない500万人の生存者、2,000人の戦闘員、3256振りの魔剣。それだけが、犠牲を免れた全てだった。
「……よし、これで凍結処理されてた魔剣の解凍も完了です」
昨日1日休みを堪能した分を取り返すべく早朝から奮闘し、封印されていた試作型魔剣『地獄剣タルタロス』と『滅亡剣ラグナロク』の2振りを、通常駆動可能な範囲まで解凍していた時。
《冒険者アヤ・ティアードロップ、並びにアイン・ティアードロップ。両名は艦隊司令部まで出頭して下さい》
《繰り返します──……》
私とアインが館内放送で司令室に呼び出されたのは、そんな時だった。
「どうやら呼び出しのようなので、この2振りはお願いします」
「了解しました、
作業の途中から見学してたちょっとした弟子のような連中に、封印の表層を剥いだ2振りを手渡した。継げる血縁が失われて、通常駆動さえままならなかった試作型。だがきっと最低限は直したこれなら、私たちが死んだ後の役にも立ってくれるだろう。
「随分と機嫌がいいと疑問する」
「そうですか? まあ、ちょっとした夢みたいなものだったので」
むかしむかし、ほんの少しだけ抱いていた幼い夢。自分の工房を持って、技術を誰かに伝えて継いで貰う。そんな幻想のかけらが今、ここにあったのだから。
なんて淡い何かを心の内で切り捨てて、思考を切り替えながら正式に艦隊司令部となった司令室へ足を向ける。時計の針は昼飯時に差し掛かる頃、珍しく呼び出す以上何かが起きたのだろう。今朝の人間界を目視範囲内に捉えたという報告からして、多分ろくなことじゃない。
覚悟を決めて、玉座の後ろに親切された扉を開けた。
これまでのようにレーダー索敵やメインモニターの投影を邪魔しない形に変化している部屋に若干の感動を覚えつつ、右手上方の玉座に座るミーニャ女王に敬礼する。
もうすっかり軍人の真似事だ。残っている戦闘員の内1800人は冒険者で、まともな軍人なんてもう200人も残ってないのに。
「お二人とも、急に呼び出してすみません。ですが、至急確認して貰わねばならない光景を艦隊のレーダーが映しました」
「その光景とは」
「見てもらった方が早いです。シギント、もう望遠圏内には入ったでしょう。対抗魔法を展開しつつ、映像を!」
「了解!」
ミーニャ女王の司令で、見知ったレーダー担当の人がメインモニターの画像を切り替える。そこに映し出されるのは艦隊正面、接敵するにしろ直進するにしろ必須の情報で──確かに、明らかな異常がそこにはあった。
「これ、は……」
誰かがそう呟いたきり、総司令部がシンと静まり返る。それは、そんな光景だった。
地平線の遥か先、人間界という大陸を覆い尽くす白い壁。大嵐で作られた白亜の半球。かつてママの世界で見られたという、木星という惑星に近いだろうか。レーダーによれば温度がマイナスの下限に達している大白斑が所々に存在し、これまで侵入が禁止されていた理由がありありと見て取れる。
より注視しなければならない光景がその手前にある。
艦隊の前方100kmほど。そこには、日の光が差していた。
この天空が【悪魔】に、レイ級に覆われた暗い世界の中、その中域にだけ太陽の光が差し込んでいる。それもクリフォトの枝で乱反射し減退したものではない、本物の輝きが。
「確かこういうのを、
「ならばあそこにいる者は天使か。笑えない冗談だと否定する」
6年近く見ることが無かった本物の光にノスタルジーを感じたいが……そうする訳にはいかない理由が、そこには居た。
見てくれは女性、まるで別人の髪のような黒と金の2色入り混じった長髪をソレは風に靡かせている。
背中に背負うは、明らかに人の物ではない猛禽類の炎翼。浮遊しているのに羽ばたいていない辺り、飛行の方法は物理ではなく魔法式か。
身に纏う古めかしいツギハギの鎧は、何処となく八岐が身に付けていた物に似ている気がする。
その白目が黒に、黒目が金に変わった瞳と死人のような血の気が失せ、ひび割れのようにクリフォト結晶が走る青褪めた肌は正しく墜星の特徴だ。だが──
「八岐の言葉を信じるなら……多分、金烏になるんでしょうか?」
「勇者ではないだろうと推測する。天使どころか、当方は寧ろ【悪魔】に近しい何かを感じる」
八岐が示した墜星の数は八岐、金烏、玉兎、勇者の4人。そのうち私達が殺めたのは八岐と玉兎、ならば必然そういう考えになる。だがそれでも、
2m強の大きさや顔につけている金属製の面頬は良い。だが2対4腕に3脚の生き物なんて、私は2種類しかその存在を知らない。
1人はかつてのアインの同僚であったアインス達が慣れの果て。魔剣アムネシアとオネイロイを振るった勇士達だったもの。そしてもう1つは、彼らが散った原因であり私たちも苦渋を飲まされたばかりの【デストロイ級】に他ならない。寧ろ身体の特徴はこちらの方が近い。
「それが聞けただけでも満足です。やはり、アレは墜星でしたか……」
ミーニャ女王の言葉に縦に首を振る。八岐と刃を直接交えたのは、現状私たちとリィンだけ。玉兎とはミーニャ女王も交戦しているけれど、交戦経験のある全員で認識を共有したかったというところか。
「恐らくでしかないと否定する。リィンにも確認を取ることを当方は推奨する」
『うむ、それなら既に済んでおる。余を含め、墜星との交戦経験のある全員がアレを墜星の可能性が高いと断じておる』
そんな私の予想を裏付けるように、耳元からそんな声がした。魔剣ユビキタスによる広域通信、余りにも偉大なその力は今日も万全に駆動していた。
伝わってくる音からして、リィンの居場所はユ=グ=エッダの艦橋か。戦略級術式の起動シークエンスまでしているらしい。
「状況は把握しました。それで、あの墜星は何を?」
「何も」
ミーニャ女王が、強い困惑の入った否定を答えた。
「何もって……」
「何も、していないんです。私たちのレーダーがかの墜星を捉えてから数時間、微動だにせずただあの空域に」
「随分と、不気味だと困惑する」
アインの言う通り不気味で、どうにも異質だ。
これまでの墜星とは、あまりにも性質が違いすぎる。襲ってくることもなく、私に視線を向けることもなく、動くことすらない。違和感があまりにも強かった。
「さて、確認も取れましたしもういいでしょう」
そんな最中、ミーニャ女王が告げた。
「現時刻を以て、
目標、仮称【墜星・金烏】
作戦の第一フェイズとして、ユ=グ=エッダの戦略級魔法により目標を撃滅。
フェイズ2として私こと獣王ミーニャ及び、魔王リィン、ティアードロップ夫妻の最大戦力4人による、電撃戦を敢行します!」
轟く号令に宿るのは、紛れもなく王の風格。有無を言わせぬ言葉の圧が、静寂を貫いた。
「「「Positive!」」」
一糸乱れぬ返事と、起動していく戦闘用システムの数々。鳴り渡る戦時突入を知らせる警報とサイレンに、出力を上げるエンジンの駆動音、滞らず上がってくる無数の報告。私やアインが臨時的に指揮をしていた時とは違い、明らかに組織だった動きが実現していた。
そんな光景に微かな劣等感を覚えつつも、戦うために心を落ち着かせようとして──ガァと、耳に届く嗄れた鴉の鳴き声。
「目標に高エネルギー反応!」
「町内への魔力供給カット、シールド補強展開!」
意識を切り替える間隙に差し込まれた異物に邪魔をされ、一瞬思考が乱れ止まる。そんな中、静かに映像内の金烏が動き、頭を、ゆっくりと見えていない筈のこちらに向け──
「──ッ!」
金烏と、目があった。
ゾゾゾゾソッ、と背筋に悪寒が走った。灼けつくような、粘つくような、しかしそれを抑え込んでいるような、吐き気を催す気持ちの悪い視線。目を合わせてはいけない類の生き物と同じ、なにかが致命的に壊れ堕ちた深淵の瞳。
『ステルス航行解除、照準固定! ユ=グ=エッダ、主砲展開する!』
一瞬飲み込まれそうになった意識を、アインと繋いだ手を頼りに引き戻す。何が起きても良いように聖剣を握り締めるが、あまりにも金烏は遠い。なればこそせめて、何が起きても良いよう備えることしか私には出来ない。
元々の7艦に加え兵装として追加された2艦による9艦編隊によるユ=グ=エッダが、メインスクリーンの中で透明のベールを剥がれ落ちた。代わりに新造された左右舷1番艦が割れるように展開、金烏に向けて無数の魔法陣が積み重なった
そして、その最奥。際限なく注ぎ込まれるエネルギーが、集中し、歪み、縮退し、闇系統魔法による紛い物ではないソレを現出させていく。光すら飲み込み、超重力で圧殺する黒い閃光。闇の極限。
『戦略級破壊魔法《
通信越しに聞こえるリィンの号令で、一条の黒が空を走った。反動や音もなければ、塗り潰すような黒以外に光もない、射線上にある全てを飲み込む破滅の闇にして牢獄。さしもの墜星も、直撃すれば事象の彼方へ消滅する筈のそれが、伸び、て──
『目標、直撃せずと報告します!』
『理解不能、耐えられる道理はないと困惑します』
「目標健在! 理屈は不明なれど、完全に防御されています!」
金烏に黒閃が直撃する、その寸前。撚り合わせた糸が解けるように、魔法がバラバラに分解されていた。
魔法が届く直前に金烏が背負う形で展開した、日輪のような火の粉の輪。細い糸のように解けた闇が、それに吸い込まれて消えていく。細部はかなりアレンジされているが、こんな現象を引き起こせる
「まず──!!」
「アヤさん!?」
『一体何なのだ、アレは!』
「禁呪です! だから一刻も早く、防御体勢を整えて!」
起動した聖剣で最低限この部屋にだけ守りを展開、半精霊としての特徴で浮かび注目を集めて叫ぶ。
「金烏は捉えた《指向性暗黒天体》のエネルギーを打ち消すために、別次元の時空にエネルギーを相転移させようとしてます。その衝撃波に巻き込まれたら、船が吹き飛びますよ!」
黒々とした光を内に孕み、段々と黒閃を受け止めた日輪が収縮していく。もう一刻の猶予もない。
かつて人間界の王族に一子相伝で受け継がれ、英雄戦争後に獣人界へ流出した禁呪《
「《
激震。腹に響く、ズンと重たい衝撃音。
同じ考えに至ったらしいアインが叫んだ直後、立っていることすらままならない程の振動が私たちを襲う。浮遊していた私ごと叩き落とす、八岐が引き起こしていた物によく似た次元の震動。映像がホワイトアウトする直前、金烏自身をも破砕したそれが到達した。
「ッ、損害報告!」
「第1、第2、第3シールド崩壊! 第4シールド中破!」
「ステルス航行システムにもエラー多数、維持が出来ません!」
「観測機器系被害甚大、システム復旧まで30秒!」
『ユ=グ=エッダは航行不能! あと60秒は浮いておることしか出来ぬ!』
様々な計器類が軒並みアラートを発し、俄かに部屋が騒然とし始める。何せ使われたのは、最上級の防御とカウンターの禁呪。この程度の被害で済んだのが奇跡のような物だ。ユ=グ=エッダはビフレストが、こちらは私達の聖剣が防御していなければこの程度では済んでいない。
「市街地から緊急警報! 各地で大規模な炎上が始まっています!」
「自然環境保持班からも同様の報告あり! 森が、世界樹が炎上している模様!」
「機関部より報告! エンジンに不調発生、最大出力の維持不能!」
『仮想海展開術式の破損を確認と報告します』
『航行不能、30秒で修復しろとイトナミは勧告します』
『主砲破損、再使用までは数時間を要すると報告します』
だがそれでも、両艦ともに被害はあまりに甚大だ。暫くの間ユ=グ=エッダは文字通り置物に、ニライカナイ艦隊も食糧と精神的支柱が炎上を始めている。
「王権により手続きを無視、大陸の炎上している区域の天候を雨に! 消火を急がせて下さい!」
『警報! 両艦隊のステルスが解除されたことにより、悪魔の部隊にも捕捉されたと警告します!』
そして更に不幸は続く。逃げる為に行使していたステルスが解除された以上、道理とはいえ悪魔にも捕捉された。まだレーダーは復旧していないが、きっと無数の敵を映すだろう。
「──ッ、大陸艦隊の通信システムに侵入者あり! ハッキング……止められません、音声システムが乗っ取られます!!」
悲鳴のような声と共に、通信担当のモニターが炎色のスパークを発した。ユビキタス=ネットワークとは別の艦隊間通信システム、急拵えの脆弱性を突かれてかそれがハッキングされているらしい。
「ッ、変わります!」
舌打ちをしながらモニターに走り、推定墜星の魔力を逆ハッキング。対抗戦を始めるが……ダメだ間に合わない。侵攻速度が早すぎるし、侵食され過ぎている。まるで2人の術者を相手にしているみたいだ。
辛うじて稼いだ時間で被害を受けた場所を、総合システムから切り離してスタンドアロン化。他のシステムにハッキングをかけられないようにすることが精一杯だった。
「クソっ!」
思わず毒を吐き出すと同時に、炎色のスパークが弾け辺りにいた全員を吹き飛ばした。
《手洗い歓迎どうもありがとう、人類の生き残りども》
そして同時に、完全にジャックされた放送から声が流れた。呪詛や魔法はかかっていない、単純に呼び掛ける女性の声。受け止めてくれたアインの手を借りて立ち上がりつつ、最大限の警戒を保ち耳をそばだてる。
《私の
《人間界を守る
それは、気持ちの悪い声だった。まるで2人の人間を無理矢理に混ぜ合わせて、別々に喋っている言葉を無理に混ぜ合わせたような違和感が煮凝った声。
「モニター復旧! 観測結果、出ます!」
そんな一方的な宣戦布告が告げられる中、漸く復旧した観測機器類が正常な結果を吐き始める。そうして映し出されたのは、雨に濡れながらも燃え盛る街と森、死骸を漁る鴉のように集まり始めたレイ級の群れ、そして同様の状況に陥っているユ=グ=エッダの姿。
「金烏の反応、ロストしています!」
「光学、魔学、熱源、全ての探知に反応がありません!」
「くっ……仕方がありません。作戦をフェイズ2に移行! ナーハフート部隊による転送で電撃戦を敢行します!」
ミーニャ女王かそう告げた瞬間だった。広げていた次元式の広域探知に、異質な反応が1つ浮かび上がる。位置は王城の直上500m地点、この反応は間違いない。
《あら、奇遇ですね。丁度こちらも、そうしようとしていたところよ》
辛うじて気がつく事はできたが、反応は出来なかった。隠密能力が高すぎる、まるで伝え聞く忍者か何かだ。
そうして力が、振り下ろされる。炎熱の塊、まるで極まったガスバーナーか何かのような光柱が、冗談のように
「ッ、アイン合わせて!」
「認識した!」
あまりにも綺麗な太刀筋に一瞬見惚れ、しかしなんとか聖剣による防壁を司令室に限って再展開。それ以上は守れないが、ここだけは何としてもとエネルギーの運動を停止させる結界を敷いて──
「《ごきげんよう、クソども。そして我らが銀灰の巫女》」
それすらぶち破り司令室の天井を溶断。風穴を開けた悪魔の空を背景に、炎を纏った金烏が舞い降りた。王城すら両断せしめた武器。それは明らかに、人ではない生物が振るうための剣だった。3本の腕がある存在が振るうことを前提とした、言うなればスリーハンデッドソード。
「貴女が墜星・金烏ですか。念のため聞きます、刃を納めるつもりはありますか?」
「いいえ、新しき獣王。宣戦ふこ──」
「通告はしました」
刹那、金烏は全身をバラバラに刻まれ砕け散った。
映像越しに見たのと同じ姿、同じ視線、そして混ざり合ったような異様な魔力。間違いなく金烏本人であった存在は、血色に染まり物理法則を破却した獣王に砕かれていた。
一瞬遅れ、アインが放った不死殺しの弾丸が金烏であった結晶片の山に直撃。不死の権能を停止させ、墜星・金烏は消滅した。
「終わっ、た……?」
ポツリと、荒れ果てた司令室で誰かが呟く。
確かに金烏は撃破され、私自身確実に息の根を止めた感触が残っている。残っている、のだが違和感が拭えない。本当に墜星が……かつて、世界を救わんとした英雄がこの程度で終わるのか?
《あらあら、今の獣人は待ても出来ないのかしら?》
そんな疑問の答えは、数秒と経たずに現れた。
『こちらユ=グ=エッダ、金烏を確認したと報告します!』
『総数125!? 理解したくないと否定します!』
「レーダーに反応多数! 全てが墜星・金烏です!?」
溶け落ちた天井から覗く、火の粉が舞い散る黒天の空。
「ここが第4の始まり、運命の終着点。
加速した歯車が織りなす、転醒の特異点!
さあ、刮目するがいい。貴様らが葬り去った過去を、昨日を、真実を!
戦争の惨禍に煤けた剣墓、世界の果てで懺悔しろ」
数百体を超える数の、
「刃金を穢せ、我が絶望──無明の
絶望が、輪唱した。