人の可能性は無限だと誰かは言った。
人生には希望と夢が満ち溢れていると誰かが言った。
一体それは誰の言葉だったのか。少なくとも戦前の誰か、裕福な学者の言葉ということしか私には分からない。
人の可能性は有限だと誰かは言った。
人生には挫折と苦悩しか在り得ないと誰かが言った。
一体それは誰の言葉だったのか。少なくとも戦後の誰か、戦火の市民の言葉ということしか私には分からない。
それらの言葉はきっとどちらも正しくて、どちらも間違っているのだろうと私は思う。
人生に満ちる希望も悪意も、この身を以って私は知っている。
地獄への道は善意で舗装されていたし、悪意に背中を押されもした。
日の当たる日常への道は、善意で背中を押され悪意がお溢れを狙ってもいた。
酸いも甘いも噛み分けたというには短い15年の人生だけど、それでも断言できる。
善であることは素晴らしいことだ。
悪を成すことは忌避すべきことだ。
だけど、人は弱い。善でいられない。正しいことを成し続けるという苦痛に、誰もが耐えきれず足を止めてしまう。
だからきっと、ほんの少しだけ。
この世には悪とされる人が多い。
斯く言う私だって、世間的に見ればその悪に属する1人だ。
突き抜けた悪ではないけれど、決して善に属してはいない。
だからこそ、ふと思うことがある。
善のように、己がこれと定めた道をどこまでも突き進んでしまえる閃光らしく在れたら、どれほど良かっただろうと。
悪のように、己以外の何者も顧みることなく只管に壊してしまえる悪虐として在れたら、どれほど良かっただろうと。
或いはそのどちらにも染まらずに、あらゆる全てを0から見定める中庸として在れたら、どれほど良かっただろうと。
私は白黒区別を付けることも、透明であることも出来なかった。
私はずっと、灰色だ。
壊れて砕けた心が溶け出した、善悪が歪に入り乱れて、混じり合い、分け隔てられて存在する斑模様。どんな奇跡が起ころうと、私が私である限り2度と元には戻らない、燃え尽き落ちた炭と灰が描く綾模様。
そんなだからきっと──墜星の言葉が理解出来ない。
こんな世界を救う価値なんて、欠片もあるとは思えない。
むしろ世界なんて、滅んでしまえと心の底から願っている。
それが私、アヤメ・キリノという獣混じりの人間が抱えていた本性。以前よりも幾ばくか前向きに、マシに変わったものの変わらない。虚飾で蓋をした闇の底、悲嘆に熟成されたヘドロのような赫怒の本質。
今はアインが、愛する人が、隣にいてくれるからいい。
生きていたいと前を向いて歩き出せる。
まだ死にたくないと勇気を振り絞れる。
幸せになりたいと心の底から思えてる。
願えている。足掻けている。
だけどもし、アインを失った時。
私はこの破滅願望と破壊衝動に、抗うことが出来るのだろうか?
────自信は、ない。
「……ぅ」
耳をつんざく轟音と、戦場特有の焼けた空気の臭い。嗅ぎ慣れた地獄の気配に目が覚めた。
視界に一番最初に入ったのはアインの顔。次に見えたのは灰色の世界に
「起きたかと確認する」
「すみません、こんな時に」
「事情は当方も認識している。問題ない」
何が起きたのかを言葉にするのは簡単だ。聖剣に新たなシステムが生えてきて再起動が行われた結果、代償の取り立てて気絶した。それだけのことに過ぎない。起きてしまったことが大問題なのだが、普段戦闘後に意識を失うのと理屈は同じだ。
「私、どれくらい眠ってました?」
「数分程度だと計測している」
「金烏は……?」
「撤退したと認識している」
「現状は」
「戦闘は継続中。金烏の徹底後、何処からともなく出現した悪魔と交戦を開始した」
「船は」
「両艦隊とも無事に緊急着陸していると報告する」
「よかった……」
答えて、ホッと一息ついた。
どうしてこちらの世界にも【悪魔】がいるのかは疑問だが…いや、金烏が言っていたことが正しいならいるのが正常か。だとしても、天も地も見える程度の数しかいないのは妙だ。あまりにも、数が少な過ぎる。
「ところで、何で私はお姫様抱っこされてるんですか」
「当方がしたいからだが?」
「聖剣の起動というか、多分戦闘にも支障が……」
「この状態であれば、アヤメ自体が聖剣のようなものだ。問題ないと否定する」
その言葉を証明するかのように、空に無数の魔法が乱れ舞った。レイ級やメイジ級に魔法は効かない、だが魔法で生み出した物質で干渉することは出来る。つまり鋼の槍であれば悪魔は貫き通せるということで、アインの調子が絶好調であるという証明でもあった。
「分かりました……大人しく抱っこされておきます」
「認識した。これくらいの役得は許して欲しい」
「でも、流石に危なくなったら動きますからね」
「その時は遠慮はいらないと肯定する」
「防御は任せて下さい」
「攻撃は当方が担当しよう」
ため息を一つ吐き、仕方なくアインの首に手を回し防御に専念。魔力消費が馬鹿にならないので、魔剣の能力を主軸とした防壁を展開する。
「ところで、先程のアレは何が起きたのかと疑問する。聖剣が再起動したのは当方にも理解出来たのだが」
「実際再起動はしてます。けど、アインが知りたいのは原因の方ですよね」
話しながら下へ深く意識を伸ばす。
地上では不時着した両艦隊から、数少ない精鋭たちが出撃しているらしいことがが確認できた。
顔見知りの冒険者達もⅠ型やⅡ型を手に、空戦から地上戦に変わった戦場で悪魔と渡り合っている。これなら私たちは、支援弾幕と一緒に制空権を確保しているだけで良さそうだ。少しは話をする余裕もあるだろう。
「肯定する。書き加えられたのは……当方の感覚が正しければ《
「何も。ただ、そうですね……気せずしてですけど、私が《幻想世界》を使う資格を得ちゃったと言いますか。そのきっかけが金烏だったと言いますか……」
遺失魔法《
自身を魔法の核として、自身の強い想いを世界というキャンバスに投影。絵を塗り潰すように自分の世界を展開する魔法の奥義。深奥。或いは最終到達点。その行き着く先は、自らが塗り潰した法則を延々と描き、垂れ流し続ける「神」と呼ばれる存在に成り果てること。
「認識した。つまり、自然に発生したと」
「金烏にそう誘導されたとは思いますけど、間違いなく」
漸く判明した墜星の目的、私たちを神と同格の存在にしてなにかを殺させること。その目的を満たすなら、最も簡単に条件を満たせるものが《幻想世界》だ。多分玉兎の物を見て、術式を知ってしまった事も災いした。
覚えてしまったのだから、使うことも理論上は出来る。今考えるとほれも布石か。私はまんまとノせられたのだろう。
「ならば、使うことはない方が良いかと思案する」
「同意見です。アインなら知ってると思いますけど……資格がないと、魔法に喰われますし」
この《幻想世界》という魔法は、そういった類の魔法だ。遺失していなければ、禁呪指定されることを免れ得ないだろう。
「それに資格があっても……私みたいな人間が使ったら、ダメな魔法です。これは」
「ならば当方もだろうと推定する。アヤメと同じ願いで、当方も聖剣を起動している」
そして、使うことが出来るか否かで言えば、確かに私はこの魔法を展開できる。そう直感している。だが私が、私たちがこの魔法を起動したが最後──多分、待っているのは【
何せ私たちの願いは『愛する人と短い人生を最後まで駆け抜けること』だ。そんな思いで世界を塗り潰したが最後、世界は『誰も彼もがパートナーを見つけた途端、無謀な戦いに挑んで心中する』なんて地獄に変わりかねない。
ましてや、もう1つの私の想いなんてもっての外だ。世界を滅ぼそうの激る赫怒の炎に、嘆きと虚飾からの解放──そんなもの、ただの破滅でしかない。もしかしたら、全てが消えた焦土から何かは始まるのかもしれないけど……やっぱり、論外だ。
「金烏は私たちを神にするって言ってましたけど……」
「とんだ邪神だと否定する」
苦笑するアインに頷きを返した。欠片もこの気持ちは疑っていないし、どちらも今更変わるものじゃない。だがこんなのは、正気の願いではない。極限状況で誓った想いなんて、総じて狂気そのものなのだから。
「まだ分からないことだらけですが……取り敢えず、可能な限り触れないということで」
「認識した。藪を突かねば蛇は滅多に出てくることはない」
「そうですね……天に昇らずんば龍は怒らずです」
地球の諺では、触らぬ神に祟りなしだったか。そんな話をしている間に、ユ=グ=エッダから箒に乗った空戦部隊が空へと上がってきた。これで私たちはお役御免、軽く情報の共有だけは済まして地上へ降りていく。
「あぁ、そうだアイン。ちょっとお願いがあるんですけどいいですか?」
「構わないと肯定する」
「少し遠回りになりますけど、あそこと、あそこに飛んで下さい。比較的破損してない物を見繕っておいたので、回収します」
そう言いながら指差したのは、地球人類が悪魔に対抗するために使っていたと思われる機工兵器群。即ち、多脚戦車と戦闘機だ。見た限り突き立っている朽ちた魔剣も、Ⅰ型の初期型が大半だ。これなら、まだ使えるだろう。
「認識したが……なにに使うのか?」
「決まってるじゃないですか。打ち直すんですよ、魔剣として」
獣人界の正規軍と冒険者は約2,000名程度しかもういない。魔王軍の
「新しいⅠ型魔剣は開発できて、Ⅱ型魔剣を修理し続け改造もしました。試作型魔剣の修復をして、変則的ですが聖剣も打って……なら、次にやるべき事は決まってます」
未だ私の手元には、呪われていたり修復不可能なほど壊れたⅡ型魔剣が無数にある。なればこそ、調整しないというのはママにも魔剣達にも失礼だろう。
「新たに打ちます、試作型魔剣を。この現状を打破する為に」
まだ誰に渡すのかは決めていないが、そうしなければ多分滅ぶ。こんな風に滅亡した地球を見て確信した。金烏の言っていた言葉じゃないが、【終末】の果てに世界はこうなると。
「存在しない筈の16本目の試作型魔剣です。唆るでしょう?」
「肯定する。惹かれない筈がないだろう」
金烏が次、襲撃してくるその前に可能であれば完成させたい。アインの手の中で、そんな覚悟を胸に灯した。大分、いやかなり格好はつかないが。
◇
「っ、がぁ、はぁッ、はぁ……」
そうして、アヤメ達が行動を再開したのと同時刻。地球の、かつて学校の校舎であったと思しき場所の屋上にて。翼をたたんだ金烏か、息を切らしたように、或いは空気を求める魚のように苦痛に喘いでいた。
「やはり、この身体でも、ダメね……」
そう、何もこの環境がアウェイであるのはアヤメ達だけに限らない。クリフォトとの接続が出来ず、保有魔力を聖剣の連続起動で補う金烏にとっても、魔力が薄いこの環境は地獄に等しい。
普段と同じように戦闘を行なっては、瞬く間にガス欠を起こしてしまう。禁呪なんてもってのほか、いかな墜星であろうと尋常ならざる消耗は免れない。身体の再生にも魔力を使うのだから尚更だ。
未だこちらの世界にも残る悪魔を斬り殺し、聖剣による
「だと、しても」
████・████が愛した人間界を、何も知らぬ無粋な輩に攻め込まれるよりはいい。
███・████が奉じた人が守ろうとした世界を、知られないまま終わらせるよりは遥かにいい。
想いと心を震わせて、最後の役目を果たさんと金烏は翼を羽撃かせる。再び日輪を背負う為に。長大な剣であり、魔力の蓄積機でもある愛剣を抱え込みながら金烏が言葉を絞り出す。
「まだ、ここで倒れるわけには……」
今のところ、大凡の目的は達成出来ている。
人間界へあんな程度の連中が侵入することを防げた。銀灰の巫女に自覚と覚醒を促した。そして何より、生き残り連中をこちらの世界に引き摺り込み避難させられた。
もはや【終末】が過ぎ去り滅んだ地球であれば、アヴルムの世界よりかは幾らか時間が稼げる。彼らが容易に滅ぼされない程度の力をつけるための時間も、勇者が行い続けている儀式が完遂されるまでの時間も。
だが、その代償は甚大だった。
「ぐぅっ……」
金烏がその場で崩れ落ちる。
アヤメとアインが振るうのは不死殺しに特化した聖剣。それも正確に言えば、墜星という不死存在を殺すことのみを目的とした聖剣なのだ。対悪魔という点では試作型に劣ることも多いが……本来の目的、墜星が受けて無事で済む筈がない。
影響下から出たとはいえ、アインとアヤメが打ち込んだ不死殺しはウイルスのように金烏を侵食し蝕んでいた。砕けた身体の再生が遅い、失った魔力の回復が鈍い、全身の魔力循環が阻害され、思考が激痛に邪魔をされる。
「ここで不死を手放せば、星座にでもなれるのかしら」
かつて何かで聞き齧った、人馬の英雄の末路を思い浮かべて金烏が自嘲の笑みを浮かべる。そんな未来が訪れないことは、とうの昔に理解している。そもそも天の星すら悪魔に食い尽くされて、この世界には存在していないのだから。
「先生、お姉さま、八岐、勇者……少しだけ、
聖剣:フツノミタマは何千時間だろうと稼働し続けられる、だから焦る必要は何処にもない。かつてのようなことにはなり得ない。
だからこそ、同じ失敗はしないように時間をかけよう。回復と痛みへの順応は、恐らく数日あれば問題ない。生き残りどもがこの世界を知るのにも、凡そそれくらいの時間があれば十分だろう。
「今度こそ、わたしは、役目を……」
初接触は痛み分け。
アヴルムの生き残りは艦隊に甚大な被害を負い、修復をせざるを得ない状況に陥った。
金烏は不死殺しが直撃した結果、数日間の行動不能状態に陥った。
これより続くは、逆回しの英雄譚が辿り着いた
銀に煌めく夢が始まり、拒絶によって灰と終わった
あり得たかもしれない幸福から、外れて
全ては残火、終わりを迎えた物語。
残るは墓標、魔剣が示す命の痕跡。
生きながらえた勇者達に向けられた、後奏の葬送曲。
それではしばし、ご歓談。