顕現した銀天の太陽と灰が舞い落ちる滅びの世界。
世界を塗りつぶした幻想世界。魔王リィン曰く、あのアヤメとアインが内に抱えるココロのカタチ。……つまりアレは、獣人界という世界が2人に背負わせた罪の象徴そのもの。
「うぶっ、ぉえ……」
最初は何ともなかった。けれど数秒、十数秒と見続けて、大陸艦隊の操舵をしていた1人が吐いた。彼はかつて、獣人界の政治派閥の中で中立派と呼ばれた、静観を主とする場所に属していた。
腐りきった獣人界を見限り、王には従うが現状維持を第一とする毒にも薬にもならない戦争帰り達の一団。つまり、アヤメ・キリノに行われている暴虐を知りながら無視し、ひいてはアルブレヒト・スノードロップの戦友でもあった者達だ。
だからこそ、耐えられない。
銀天の太陽を視界に入れる者が、善性であればあるほど。ことなかれ主義であればある程、その良心が陵辱される。
「悪意」「恐怖」「憤怒」「憎悪」「傲慢」
「絶望」「悲嘆」「殺意」「嫉妬」「憐憫」
「色欲」「痛み」「裏切り」
この世のありとあらゆる悪感情のドブを煮詰めたような中身の、けれど見た目だけは綺麗で荘厳な銀灰の世界。
「おい、何をこんな時に──」
「違う、ちがう。俺は、俺は見捨てたんじゃない。見捨ててなんか、ちがう、ちがう……!!」
「贖え……あがなえって、どうしろっていうのよ。私に何か出来るはずないじゃないの!!」
罪を背負え。罰を受けろ。貴様らが作った悪徳の蠱毒の果て、無限に積層した我から目を背けるな。贖え。
正気を保っていられた者はごく僅か。かつて改革派と呼ばれたミーニャ女王の派閥に属していた者たちと、暴風貪団からの間者として潜り込んでいた数名のみ。
怨嗟の呪いはじわじわと、心を確かに蝕んで。限界を迎えた者から精神を摩滅させ始め、司令室は一挙に阿鼻叫喚の渦へ飲み込まれた。
そして同時に、銀の太陽を目にしたほぼ全員がある1つの真実に辿り着く。
アレの発生源はアヤメ・キリノである、と。
アヤ・ティアードロップの正体は、大罪人の娘だと。
それは市井を生きる者は『忌々しい屑がまだ生きていたのか』『死んでしまえ』と悪態を吐き、ある計画の実行を強行させる真実で。人員不足で新兵古兵入り乱れ、情報の共有もままならぬ司令室を大混乱に陥れるには充分すぎる。
「殺す、殺す。あいつだけは殺してやる、殺してやる! 大罪人アヤメ・キリノォ!!!」
ならば、僅かばかりは真実を知らぬ者も出て来よう。
今回表出したその人物は、間の悪いことに大陸艦隊の火器管制を担う1人。悪魔を殺すため洗練され、奇しくもアヤメ自身が改良した砲が、その創造主に向けられるのは必然だった。
そうして単独で金烏との戦闘状態に突入したアヤメに向け、人なんて跡形も残らない出力の力が。絶滅剣によるエネルギー供給を受け、幻想世界すら切り裂いて届く殺意が向けられて──
「引き金を引こうとすれば、素っ首叩き落とします」
獣の王の刃が、鋼の静謐を以って首に添えられた。蛇に睨まれた蛙の如く、射手の彼の動きが止まる。凍りつく。突き付けられる力の差、捕食者と被捕食者の関係性。獣のルールを強く尊重する獣人にとって、それはどうにもならない立場の差そのもので。
「止めないで下さい、獣王陛下!」
けれど同時に人である以上、思いを止められるはずもなかった。
本来ならば不敬と断ぜられるような、澱み濁った瞳がミーニャ女王へ向けられる。いくら我らが王であろうと、怨敵を庇うのであれば許さないと。強い意志が込められていた。
「止める気はありません。ですが、何を甘ったれているんですか貴方は」
故に同じ熱量を持たぬ言葉であれば、獣人は絆されない。そんな獣と人の中間に近い性質を何よりもよく知っているが故に。一点の曇りもない笑顔で、ミーニャ女王は言い放った。
「は……?」
現状、自分にはあの世界に割って入る力がない。ならばせめて、邪魔だけはさせないようにと。そして何より獣の王として、目の前の若造の性根が気に入らなかったから。
「復讐、報復、大いに結構。ですがそこで、なぜあの子が作った武器を使うのですか。到底理解しがたい」
「な……」
「あなたが獣人と言うのであれば、望むものは力で勝ち取るもの。研鑽し、磨き上げた己の牙のみで。だというのに……なにを貴方は砲撃なんて真似で済ませようとしているのですか」
情けないと、射手の疑問を一刀両断で切り捨てる。王であれば政の適正は絡むが、それでも獣王国は基本的に力が全て。前時代の流れを汲んだ、実力こそが全ての国だ。復讐も公的には認めていないが、暗黙の了解として許されることもある。
だというのに、復讐を自らの手ではなく味気もなければ手答えもない機械に任せる? 全く馬鹿馬鹿しい。これだから彼女に、獣畜生などと呼ばれるのだ。ミーニャ女王はそう嘆息する。
「我が艦隊は現状、アヒムの魔剣すら使い戦域から離脱している最中です。砲撃なんて行う余裕はありません。ですが、貴方1人を戦域に飛ばすことは出来ます」
ただ、と冷たい目で見下ろしながら言葉が続く。
「望むならば送りましょう。しかし貴方が身に帯びる軍の正規装備である剣、槍、防具、そして魔剣。それらは全て、あの子が作り私が買い取り配備したものです。置いていきなさい。復讐相手の作り上げたものを身に纏い、戦に望む無様は許しません」
「それでは!!」
「何だというのです? よもや
図星を突かれた様子で、射手の言葉が止まった。がくりと項垂れて、引き金から指が離れる。その隙に、別の射手が照準を解除。砲塔が沈黙した。
「はぁ……情けない。確か貴方は、元中立派から保守派になった者の子でしたね。今年で確か、生を受けて25年」
「そうです、だからこそ俺は!!」
「ならば問います。あの子が、貴方に何をしましたか?」
答えは──何もしていない。それはどころか、世間で言われる大罪人があまりに不適格な呼び方だと、かつての戦争を生き延びた中立派であれば誰もが知っている。改革派であってもそれは同じだ。
「英雄戦争で──」
「6歳の子供に何が出来るというのですか。よもや家族に甘えるな、とでも? 過去の貴方にそれが出来ていましたか?」
1桁の年齢しか重ねない内に、大人と同じ思慮と知恵を持ち大局を見て行動しろとはあまりに無体な話だ。かつては少なくない数いたという、転生者でもなければ。
「なら、戦後は!」
「自業自得でしょう。止められなかった私にも責はありますが、殴ったのに殴り返すな? 成人も迎えていない子供を殴ってどの口が宣いますか」
確かにアヤメ・キリノがスラム街に落ち延びるまで、相当数の窃盗被害や死傷者が出ているのは事実だ。尤もそれ以上の数リンチに遭い、食う物や着る物にすら困り、アヤメは死にかけていたが。
「灰の襲撃事件をお忘れか!」
「アレは報道によって捻じ曲げられただけで、現地にいた者からは『まるで私たちを守るようだった』と王家に助命の嘆願が届いていますが」
だが、こうして言葉を交わす程度では何も変わらないだろう。思想教育とはそういうもので、止められなかった自分の罪だ。
「逆に問いますが、貴方は彼女が私達にもたらした物を分かってそれを語りますか?」
群がり始めた悪魔に対し、艦隊戦闘が始まる音を聞きながら。諭すようにミーニャ女王は問いかける。
「直近から遡りますが、先ずは新たな試作型魔剣の鍛造。次に凍結していた試作型魔剣2振りの解凍。軍用レーションの再生産。大陸艦隊ニライカナイの浮上、墜星・玉兎の撃退、魔剣の整備方法の拡散、魔王国との国交回復、及びそれに伴う外交再開。この時点で、どれだけ我が国が助けられているか理解出来ませんか?」
つまり現獣人界の衣食住のうち、食と住はアヤメがいなければ成り立っていないのだと。その相手を、身勝手な復讐心で殺そうとしているのだと、殺意の圧力を持って刻みつける。
「冒険者アヤ・ティアードロップの功績としては、戦死者の遺品回収に多大な貢献があります。先程も言いましたが、我が国の正規装備である剣と槍に鎧も3割ほどは彼女のものですね。残念ながら獣人に使える者は少ないですが、魔法大全への術式寄贈も300個は越えています」
「それ、は……」
何1つ嘘がないことは、他でもない射手自身が知っている。何せ彼は、冒険者アヤ・ティアードロップのファンだから。どれほど彼女が国に貢献していたか、その内容はこと細かに知っている。
「そして何より、戦争で拡大したスラム街の平定。これが何よりも大きい」
そして国王であるが故に、アヤメ自身もその周りも知らぬ事実をミーニャは知っている。
「戦後の移民流入によって、我が国のスラム街には特級の危険人物が紛れ込んでいます。魔王国の『傾国』、我が国の『暴風貪団』、人族国の『麻薬王』、把握していないだけで他にも数多くの者が潜んでいることでしょう」
それはアヤメからすれば『ギルドの受付嬢』、『気の合う
「それがいま均衡を保ち、この瞬間でなお国を乗っ取りに掛からないのは……
冒険者ギルドで呼ばれていた『お
「まだ今年で15になったばかりの子供に、自分たちが一体ナニを背負わせ、戦わせているのか。改めて目に焼き付け、自覚しなさい」
首元から刃が退いた代わりに、万力のような力で射手の頭が固定される。先程から一切見ようとしていなかった、銀天の太陽へ。
それで、完全に終わり。憎悪で保たれていた心は容易く折れて、意識を、恐らく正気ごと闇に叩き落とされる。
「さて、若者を絞り上げるのはこれで良いでしょう。手の空いている者からまずは清掃を、この惨状では指揮もままなりません!」
幻想世界にまつわる騒動はここで一区切り、数少ない魔法を使える獣人と魔王国から出向してきているエクスプローラー達によって、見る間に司令室は清掃されていく。
『……思わず映像通信を切断しておったが、もう繋いでも問題はないであろうか?』
「ええ、見苦しい状況ではなくなりました」
『あい分かった』
その個人間の通信を境に、ユ=グ=エッダとの映像通信が復活する。見ればこちらと違い、皆一様に不快そうな顔をしてはいるものの、向こうは大惨事とはならなかったらしい。
「そちらは、いいですね」
『誰かを呪っておるくらいなら、明日の糧を探す方が重要であっただけ。その程度の差であろうよ』
そうして清潔さの戻った司令室に、再び戦場の気配が舞い戻った。
「ところで魔王、そちらの船では何かアレについて分かりましたか?」
『全くもって分からぬ。精々が幻想世界であること、展開しておるのがアヤメとアイン、そして金烏であること。強いて言えば、あの周囲の空間は時間の流れが狂っておること程度であるな』
「そちらでも、やはり内部は分かりませんか」
『済まぬ』
銀灰色の蒼が混じり合った境界面の向こう、何が起きているのかをこちらからは判別できない。あまりにももどかしい時間であった。
「やはり、あそこに割って入るならば、同じ幻想世界を使うしかないのでしょうか」
『そちらのケラウノスであれば、或いは。余は術式こそ知っておるが信念が足りず、お前様では魔法への理解が足りぬ。手詰まりと言うほか無かろうよ』
「ふむ……」
ならば今から練習を、或いはアヒムを向かわせると言う真似は出来ない。前者は時間の問題で、後者は大陸艦隊を飛ばすエネルギーの問題で。やれることは、先程のようなこと程度しかなかった……筈だった。
「艦隊後部に異常反応!」
司令室になる筈のない警報が鳴り響いた。展開していた魔剣、レギオンαによって付近の悪魔は殲滅済み。金烏もアヤメ達が抗戦中であり、分身は全て悪魔同様殲滅した筈。
ならば一体何が。その疑問は、オペレーターの報告で明らかになった。
「艦隊後部の水源、山、山岳都市の2艦が連結を手動解除。艦隊から離れ、降下を開始しています!」
「ッ、こんな時に!!」
それは、以前より懸念されていて暴走の1つであった。この地球といつ地に降り立ってから、あんな世界に戻るよりもこちらで永住すると表明していた一派。この地が放射能の毒に汚染されていると説明しても、一切聞き入れなかった強情な獣達。
きっと幻想世界同士の激突に当てられたのだろう。こんな旅路には共を出来ないと離脱した。勝手に、獣人界の大切な資源を切り取って。到底許せることではないが、
「仕方ありません、見捨てます。ユ=グ=エッダ、確かそちらにアナリューゼ=アインスの回収してきた、融合炉と転送装置がありましたよね?」
『うむ。こちらとしては、艦隊運動のデッドウェイトとしかなっておらぬ。引き取ってくれるか?』
「受領します。艦隊再編!」
自死を選んだ連中よりも、今を生きる皆を優先する。自分が王に戴冠してから、何かを切り捨ててばかりだとミーニャが内心悪態を吐く。けれどそうしなければならないのだ。ならない以上、そうすることが王の役目だ。
「その後は、幻想世界より出てくる者によって適宜対応!
アヤメ・アイン両名の場合は回収し、我らの世界に帰還!
墜星・金烏が出現した場合、両名は見捨てて撃滅へ移行!」
「「「Positive!!」」」
『ならば迎えの船は余らが出そう。今そちらの船に2人を帰還させるのは、得策とは言えまい』
「頼みます」
と、言葉を交わした瞬間だった。
幻想世界と思われる境界面から、蒼の色が消え去った。銀灰色だけが残り、傍目に見てわかる暴走が開始した。
「観測器、異常値に振り切れています!」
「灰の、壁が……」
これまでは安定していた銀灰色の境界面、それが歪み、うねり、渦を巻きながら拡大する。まるで次の獲物を求めるように、大陸艦隊とユ=グ=エッダへ向けて。
「離脱艦、壁面に接触! 消滅、しました……」
「艦隊、全速後退!! 壁に触れたら死にます!」
『もしもの場合、余がダメ元で時間を稼ぐ!』
しかしそんな警告が行き渡り、実行されるよりも早く灰の壁は迫り。そして──
『────────ッ!!』
壁に飲み込まれる刹那、人の耳にも、獣人の耳にも聞こえない、可聴域を遥かに超えた高音が響き渡った。同時に、壁の向こうから伝わる大爆発を起こした魔力の波濤。信じられないほも莫大な魔力が、壁の向こうから放出される。
同時に、両艦隊を須臾のうちに呑み込んだ大規模な魔法陣。
アヤメとは違い、それを即座に判別できる者はここにいない。だがそれでも、第6感が次に何が起きるかを理解して。
『総員、何かに掴まれ!』
「総員、何かに掴まってください!」
発生した地面へと押さえつけられる強烈な圧力と激震に。禁呪の《異世界転移》に備えることができ──
『魔王陛下、転送先に干渉させて!』
『認識した。余が許可する、やれアカネ!』
何かに気づいた魔王国が、転移の術式に干渉。そうして次瞬、見慣れた黒い空を見た。
レイ級の悪魔に天を覆われた暗い世界。
【
本来の使用方法とは違えども、両艦隊は本来の目的地へと帰還していた。
「ッ、2人は!?」
ならば気になる事はもう、アヤメとアインの行方のみ。もしやあの世界に取り残してきたのでは、そんな心配は即座に杞憂に終わる。前方数キロ先の空域に、幻想世界の剥がれた2人の姿があった。
取り残していなかった。ならば早く連れ戻して、人間界へと突入しよう。リィンやミーニャの巡らせていたそんな思考を分断するようにして、異常は連続する。
人間界を覆う、白き嵐の壁。それが割れていた。
真っ二つに、半球を更に半分にするように。
そして。
「「────!!」」
一陣の風が吹き抜けて、今回の功労者である2人が力なく墜落を開始した。分からない、分からない、何が起きたのか何1つとして理解ができない。だが、やるべきことだけは理解ができた。
「ニライカナイ」
『ユ=グ=エッダ』
「「全速前進!」」
『アヤメ達を確保し』
「人間界へ侵入します!」
そうして、時は収束する。
新たな古き地を踏みしめ、最後の冒険の時が始まった。