空が、燃えながら墜ちてきた。
記憶に新しいのは金烏と戦う少し前にあった、悪魔の襲撃の際に行われた山岳の投擲。あれと同じだ。落ちてくる物体があまりにも大き過ぎて、遠近感がまるで機能していない。
幅が10キロ、長さ30キロに渡るクリフォト結晶。ギリギリだがユ=グ=エッダ全艦を、一撃で地上のシミにできる馬鹿げた構造体。蒼く透き通った結晶柱が、音の速度を突破して地上を目指して墜落する。
それはあんまりにも、馬鹿げた光景だった。
しかも結晶柱は1つじゃない。
雲を突き破り吹き散らし、遠雷に似た地響きを轟かせ、止まった時間を切り裂いて。無数の結晶柱が空から生えてくる。既に上空の悪魔を巻き込んだのか、所々に赤と黒の2色が見えるソレの数は、ゆうに千を超えている。
断言しよう、こんなもの人類が行使出来る魔法じゃない。
現状、人類種が使用可能な魔法の内、最大火力を誇るモノは戦略級破壊魔法になる。その威力は一点集中型の《
だがこの《流星群》は違う。そんな域に留まっていない。出力も、規模も、破壊力も何もかも、人の限界を鼻で笑って超えている。推定数千万トンOverの結晶柱が何千本と墜落するこの魔法は、殆ど宇宙規模の天体現象のそれに近い。
結晶柱が1つでも地表に激突したが最後。
大陸は消し飛び、惑星単位の気候変動や巨大地震を誘発。或いはそもそも、この惑星自体が耐えきれずに崩壊する可能性すらある。それも、極めて高い確率で。
「砕けろ」
だがそれは、術者であるイオリとて承知の上。
数多の悪魔を押し潰し、大地の染みへと変えた瞬間。結晶柱がガラスが砕けるような音を立てて爆発した。可能な限り多くの悪魔を巻き込むように、空に、大地に、鋭利な結晶が雨のようにばら撒かれ。
その全てが、動きの途中で静止する。
空中で、地中で、体内で、
何かを貫き、何かを潰し、何かを斬り裂いて。
顕現するのは結晶の大渓谷。
器用にもユ=グ=エッダとシヤルフ、有人のレギオンβだけは避け通して、悪魔を殺し尽くした殺戮の針山が完成する。あまりにも分かりやすく、世界が異世界に塗り潰された。
しかし当然、討ち漏らしは少なくない。
結晶柱並みの体躯を誇り、素の技と耐久力で耐え抜いた《デストロイ級》
幻想世界という別種の装甲により結晶柱を逆侵食した《ドラコー級》
数を頼みに、多くはないが辛うじて生き残った《メイジ級》
幾ら星を砕ける魔法とはいえ、あくまでただの攻撃魔法。幻想世界のように何か逸脱した例外の魔法ではないのだ。上位の悪魔であればあるほど魔法は効果を発揮せず、物理的な耐久力も段違いになる。
まだ効く方の物理的に押し潰す魔法であるのに、人の域を超えた御技であるのに殺しきれない。魔剣が開発された経緯がよく分かる、どうしようもない現実がそこにはあった。
「さて、準備運動も出来たし。大物狩りと行こっか」
「ああ。本格的に始まる前に、錆落としは済ませておこう」
だがそんな結果を馬耳東風と受け流し、あっけからんとイオリが言う。くるくると大鎌を弄びながら、まるで家のゴミを掃除するような気楽さで。
応じるロイドも同様に。鋼の翼に魔力を込めて、抜き放った双刃を鋭く構える。この程度、まだ敵ですらないと言うかのように。
「それじゃ」
「やるか」
瞬間、2つの影が戦場を蹂躙した。
時間が停滞した世界を駆け巡る2つの閃光。その軌跡には“死„という結果以外何も残らない。
振われる死神の大鎌は明らかに両断出来ないサイズの首すら両断し、緑色の颶風が吹き荒んだ後には四分五裂に刻まれた残骸だけが取り残される。
鎧袖一触とは正にこのこと。
まだ『獣』本体も出て来ていないのに、魔剣や聖剣なんかに頼ってなどいられない。この程度に苦戦などしていられないと、縦横無尽に力が走る。
その間、僅か10秒。たったそれだけの時間で、残敵が全て掃討された。かつての栄華をそのままに、再臨するは最後の英雄。誰も見届けられない止まった時間の中、その圧倒的な力を刻みつけて──
「そして、時は動き出す」
◇
それは本当に、一瞬の出来事だった。
全滅という言葉が脳裏をよぎる、絶望的な殲滅戦にして耐久戦にして持久戦の最中。
あり得ない魔力を感じた。
質や量という点も大概におかしなものだったが、それ以上に。ずっと、ずっと前に死んでしまった筈の、もうこの世にはいない筈の人物の魔力が認識出来て。
「…………………………うそ」
歪む視界で、瞬きを一つ。
直後に世界が変質
悪魔側蠢く黒い空は雲ひとつない青空に。
あれほどいた悪魔の姿は影も形もなく。
地上、空中、全てにクリフォトの結晶が存在する異空間へ。
「一体何が起きたのかと、疑問する……」
「余の感知にも引っかからなんだぞ!?」
アインとリィンの驚愕する声に、思わず愛剣を取り落とした。つい数瞬前まで、絶滅剣を宿し振るっていた事実すら忘れて。結晶の大渓谷と化した世界を呆然として見上げる。
「どうして、いまさら……」
言葉が続かない。喉が締まって、自然と涙が流れ出す。滲む視界で遠く見上げた先、陽光眩しい空を背にした2つの影があった。
2対4枚の鋼翼を羽撃かせ、機械的な双剣を振るう青年。
8つの棺桶を背負いながら、機械的な大鎌を振るう少女。
渦巻く魔力は衰え知れず、物理的な圧力すら感じさせる程圧倒的。流星のように
「こんなタイミングで、帰って来たの」
頭では理解している。理解しているつもりだ。
きっと2人は味方じゃない。信を置いていいような相手じゃないし、墜星という前例がある以上むしろ敵である可能性の方が高い。
だけど、それでも、獣人界や魔界が破滅に向け蝋翼で飛翔していたのを止めたのは2人であることは明らかで。あまりにもその姿は、英雄然としていたから。
「ママ、パパ……!」
ああいや、違う。我ながらもっと本音は単純だ。
もう2度と会えないと思っていたパパとママに会えたから。
たったそれだけで、情けないことに駄目だった。敵かもしれない──敵であると推測しているのに。わかっているのに、心が叫んで仕方がない。
嬉しくて、憎くて、幸せで、哀しくて、嬉しくて、苛ついて、好きで、嫌いで、もう分からない。滅茶苦茶だ。そんなどうすれば良いのかも分からない感情に、心が悲鳴を上げていた。
それでも現実は、どこまでも残酷に。
『高々この程度で呆けてないで頂戴!
無数の飛翔体が接近中、凄まじい速度よ!』
通信越しにアカネさんの激が飛んだ。いつの間に通信が復旧したのか、どうやら思いに浸る暇も猶予も与えてくれないらしい。いや、そういう空気にしてくれたのか。
「ッ、助かります」
「位置は何処かと疑問する!」
落としていた愛剣を拾い強く握り込む。そのまま深呼吸、心を凍結させる様に押さえ込む。
ただでさえ戦える人が少ない今、私たちがなんとかしなければならないのだ。そう改めて胸に刻み1歩を踏み出して──
『あー、てすてす。これで回線に割り込めてるかな? 全く、セキュリティが5段階も進歩してたから30秒もかかっちゃった』
──聞こえる筈のない声が耳に届き、足が止まった。
聞こえてきたのは6年前から何も変わっていない、まだ子供と言っても通じそうな高い声。不思議と落ち着いて心が温かくなる、小さな私を優しく撫でていた大好きな声。そして、笑いながら理不尽を押し付けてくる大嫌いな声。
『……繋がっているわ。どうやってユビキタスのネットワークに介入したのかは知らないけれど』
『よかったよかった、繋がってた』
介入方法は適当にハッキングしただけ、などと宣いながら。私たちに向けて笑顔とピースサインを向けて、私のママは言い放った。
接続する端末なしに自力の演算力のみでネットワークに接続する。そんな離業を適当に、片手間でやっているあたり間違いなく本人だ。
『積もる話はあるだろうけど、今は都市艦の合流を勧めるよ。見た限り魔界はともかく、獣人界はもう保たないでしょ?』
『それは……そうですが』
戦いに出ていた全員が薄々気が付いていた事実に、苦しそうな声でミーニャ女王が答える。このままでは獣人界が保たない、それは否定のしようもない真実だ。私たちでは足りなかった、それは結果が厳然たる事実として示している。
『増援は私たちが食い止める。だから、守りたいものが1つでもあるなら、躊躇わないことをおすすめするよ』
そう最後に言い放ち、通信が解除された。
同時、爆発的に膨れ上がる魔力の総量。通信にノイズが走り、地面に押さえつけられるような圧力が空から放たれる。
何をするつもりなのかと空の
「何、これ。こんなの私、知らない……!」
それは私の知らない、完全に未知の魔法。
何処から何処までが1つの魔法を示す陣なのか読み取れず、そのせいで魔法の規模すら推測がつかない。それは明らかに人の域を超えた力技の極致で、だからこそ目が離せない。
「ロイド、さっきからこっちを狙ってる戦闘機の相手お願い」
「了解だ。壊さない程度には加減して落としてくる」
実体を持たない筈の魔力の重みに釘付けにされ、震える手で思わずアインの手を握る。セプテントリオさん率いる
行き着いてしまった魔法の頂。自分の両親が人の身を捨てていることを、どうしようもなく理解させられて。
「炉心直結──戦略級殲滅魔法《熾凍咆哮・改》、吹き飛べ!」
閃光。光が魔法陣へと収束し、ママを中心とした円環状の32方位全てに輝きが放たれた。蒼色の閃光は瞬く間もなく空を駆け抜け、探知可能範囲に迫っていた悪魔の群勢へと着弾。
巻き込んだ悪魔を問答無用で結晶化させつつ、軍勢の奥深くで7方向へ拡散分裂。結晶の牢獄を作り出しながら、その動きは止まらない。分裂した光条の着弾点、
「冗談で、あろう……?」
重なり合いながら展開された、触れるモノ全てを結晶化する224個の大竜巻。それはまるで、人間界を守っていた嵐の壁のようで。
信じたくないとった様子でリィンが呟いた。
気持ちは痛いほどによくわかる。だってこんなの、現実感がない。物語から出てきた英雄かナニカの所業だ。
艦隊1つを使ってようやく発動できる戦略級魔法を単独で36個同時に起動し、息を乱す事なく涼しい顔をしている? なんだそれは、冗談じゃない。
「さて! 3日くらい持続するように封鎖したし、落ち着いて素早く復旧しようか!」
眩しいほどの笑顔でそう言いながら、こちらへ手を差し伸べてママは言う。
確かに私自身の探知にも、艦隊から共有されるデータにも探知可能範囲に悪魔の反応はない。結晶の大竜巻を越えて侵入してくるようなことも、今のところ起きていないらしい。艦隊を立て直すには絶好のタイミングと言えよう。だが……
「……感謝はします。でも話し掛けないで下さい、お母さん」
少し、考えなければならないことが多すぎる。思考の整理も気持ちの整理も、まるで全然追いつかない。
勇者との連戦の影響か、或いはティタノマキアなんていう自らも汚染する絶滅剣の影響か全身が鉛のように重いし。戦闘へ集中することで目を逸らしていた心の軋みも無視できないし、安全だと言うなら1時間でいいから眠ってしまいたい。
「えっ」
笑顔のまま固まったママに背を向け、愛剣を納刀し一度深く深呼吸。戦闘の方面に入っていた心を、日常側へと切り替える。まだ聖剣の起動は解除していないのに、それだけでどっと疲れが襲ってきた。
こんな状況で、万全の状態でも疲れるママの相手をする? 心情的にも体調的にも無理だ、やめて欲しい。本当に。薬はもう滅多なことでは使わないと、アインと約束したのだから。
「当方としては、アヤメの御母堂には挨拶をしたいのだが……」
「魔剣とか魔法弄ってる時の私より、常時ママのテンション高いですけど?」
「前言を撤回すると表明する」
リィンにはあまり上手く伝わっていないみたいだが、アインはそれで意味が分かってくれたらしい。即座に前言を撤回して隣に並んでくれた。多分私のそういう部分、ママから遺伝したんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、ユビキタスの通信をオンラインに。ミーニャ女王へと通信を繋げた。
「後の対処は、リィンとミーニャ女王に任せます。絶滅剣の返却と……後は手持ちのポーション類は放出するので、好きに使ってください」
『了解です。出来ればお2人も手伝って欲しいことがあるのですが……』
「あまり、この姿を晒してる訳にもいきませんから」
言いながら、アヤメ・キリノと一目でわかるミスリル色の髪を弄る。そんなことを気にしていられる場合じゃなかったので無視していたが、それなりの数いるであろうスラム街に逃げ延びた連中と衝突はしたくない。
早く表舞台からは姿を消して、アヤ・T・カンザキとして出戻るしかない。折角、この姿を見られていたとしても知り合いの冒険者連中に留まっているのだ。10年近く連れ添ってきた名前は、捨てるには心情的にも利益的にも惜しい。
『そう、ならいつも通り魔界で休むといいわ。こっちであれば、そういう
「認識した。そちらへ連れて帰ると申告する」
そう頼もしく返事をしてくれたので、甘えるようにアインに身を寄せる。
これからの動向、何処からか来た
よって──ひとまず、問題は先送りすることにした。
そしてそのまま、一足先に休ませてもらう。
「どうしようロイド……アヤメが反抗期になっちゃった!」
「そういう問題じゃないと思うんだが……」
背後から聞こえてきた、あんまりにも明るい言葉。それに墜星と違い、パパやママが何も変わっていないことだけは理解して。
きっとロクでもない事が起きる。寝て起きた後はまたデスマーチが始まるのだろう。そんな確信に近い予感を胸に、私たちはその場を後にした。