それは、絶死の聖域に満ちたニードヘッグの機体が『獣』に直撃した瞬間のことだった。
ゾッと、背筋を悪寒が走り抜けた。
このままでは死ぬ、そんな根拠のない確信。魔剣の反動でも、毒による汚染でもない、潰されて死ぬという未来予測じみた直感。だが私達にはそれを回避する術がなく──
「行くよ、
次瞬、転移特有の感覚がない空間移動によって私たちは空中へと飛び出していた。
理解が出来ない辺り、間違いなくママの魔法。次元を操作する系統の到達点、かつてお義母さんが得意としていた技。それにより脱出した私たちの目の前で、Ⅱ型魔剣ニードヘッグが崩壊していた。
「……ッ!」
機体は『獣』の体表に触れることすら出来ず、直前の空間で折り畳まれるように圧壊していく。唇を噛み締め口の端から血を流してリィンが見つめる中、たったの数秒でかつての偉大な竜はその存在を喪失した。
「今のは!?」
「『獣』は周囲の空間ごと自分を圧縮してる。だから、下手に近づくとああなる。だが……」
「どうしよ、私たちが戦った時より強くなってない?」
翼を広げたパパが静かに睥睨し、冷や汗を流しながらママが補足する。ミーニャ女王からすれば当然の疑問で、私たちも事前の知識で知っていたモノではあるが……
「文字通り、手負いの獣って訳ですか」
「厄介極まりないと否定する」
倒しきれなかったから封印した、それは確かに最善手だ。だけど、多少でも命のやり取りをしたことがある者なら誰でも知る常識に、こんな教訓がある。
即ち、『手負いの獣こそが最も恐ろしい』と。
死を覚悟した、明日を捨てたイキモノは捨て身だ。それは今を生き背負い進むモノとは別種の境地に至る。それはそう、例えば今のように。
「アイン、お願い」
「認識している。禁呪《
ならばこちらも、最初の最初から全力だ。出し惜しみしている余裕も、猶予も、有利もないのだから。
発生する負荷を『共存』の幻想世界で軽減して、7人の意識を始めとした心がアインを起点に接続される。
「ママ!」
「やるよアヤメ!」
だが、それでも私たちがやることは変わらない。
ママは大鎌を構え魔法陣を手前に展開して、私は愛剣を片手に魔法陣を背後に展開して、同じ技術を行使する。共に
「「
まずは私とママで、圧縮装甲を引き剥がす。そうしなければ、まず戦いそのものが成立しないが故に。
『荳肴ч蠢ォ縺?』
だが無論、そんなことをされて動かない『獣』ではない。普通の悪魔と違い何を言っているのか微塵も分からないが、それでも視線がこちらを向いた。不快感を隠すこともないそれに敵意が混じり、大樹のような剛腕が振り下ろされ──
「させる訳っ、」
「無いであろう!」
砕けた爪の端に雲を引く剛速の打撃を、物理法則をぶち破る獣の王と、呪いの銀河を背負う魔族の王が迎撃する。
交錯する
「──ッ、効きませんか!」
「ぬぅ、届かなんだか」
衝撃。大きく弾き飛ばしただけで、2人がかりの大斬撃は押し留められた。『獣』に与えた被害は腕を覆う鱗数枚の破壊だけ。禁呪で繋がった思考からは、粘性の高い泥を切り裂いたような感覚がしたと斬撃の感触が伝わってくる。
『豁サ縺ュ縲∬恭髮』
そして当然、『獣』の攻撃はそれだけに留まらない。
無事な3頭のうち2つが口腔に輝きを収束させる。それは戦略級魔法による壁を破壊した極光の片鱗。生身の私たちが直撃すれば跡形もなく消滅する、演算に集中し動けない私たちを狙い撃つ破滅の燐光。
「──収束臨界」
「たった2つか、あまり舐めてくれるなよ」
対するは黒に染まった大剣を構えた獣人界最強と、双剣を合体させ砲身のように構えた人族最強だった剣士。完全に整った迎撃体制に、知ったことかと破滅の燐光が吐き出され──
「消し飛べ──
「戦略級転送魔法《
数十の光を飲み込む暗黒色の極大斬撃が燐光を飲み込み、砲身から伸びた影に飲み込まれた燐光が消滅した。
当たり前のように魔法が得手ではない筈の
「解析完了、魔力出力最大!」
「吹っ飛べ、
私とママの2人がかりでも肉体の圧縮解除には届かなかったが、空間圧縮による装甲の解除には手が届いた。まずは必要最低限、物質も魔法も通さない圧縮空間を根本から粉砕する。そして──
「《圧壊装甲》、展開!」
こんなにも便利な装甲、利用しない手はない。解析完了と宣言したのは伊達ではないのだ。魔力の燃費は最悪だが、その程度で生存率が挙げられるなら幾らでもくれてやる。都合7人分、気休めではない装甲を全力で展開した。
『螳医j繧貞翁縺?□縺九?∝ー冗飭縺ェ?』
訳の分からない言葉を叫びながら、『獣』が僅かに後退する。しかしそれは逃亡ではなく、次の攻撃に移る予備動作。現にその長大な尾が音速を軽く超えた速度で弧を描き──
「
「武技ーー」
迫る破壊に私は小さな愛剣を、ママは巨大な大鎌を構える。使う技は奇しくも同じ、人の身であろうといつか至る境地。世界を斬るという、
「「次元断!!」」
次元がズレる。
刃の描いた×の軌跡通りに、『獣』の尾を巻き込んで世界が4分に割断された。世界が止まったような須臾の静寂、瞬きの後に世界が爆発した。
修復される世界のズレ、割断された世界と世界が引き起こす大地震。そこに何1つとして例外はなく、斬閃に重なっていた世界を崩落させていく。
『██████████ッ!!!!』
当然、振われる途中にあった『獣』の尾も千切れ飛ぶ。禁呪で繋がった思考による連携技、×の字の中心に尾を置き威力を集中させたのだ。片方の斬撃では鱗を割る程度の火力でしかない。だが刃を重ね装甲も剥がした今、最早耐えられるべくもない。
「
そして、千切れた尾の断面に雷速の100倍に加速した必中弾が殺到する。1、2、3、4、合計6発。クイックリロードを挟み12発。私のアインの描く『呪滅』の幻想世界が傷口を汚染する。
最早不死殺しは意味を成さないが、今の私たちであってもこのくらいは造作もない。再生阻害、斬り落とした尾をむざむざ再生させてなるものか。
『蟆冗エー蟾・繧』
残るは1翼、2腕、3つ首、4光輪。一体なにを何処までどうすればいいのか、決着になるのか分からない。相手が手負いな事も含めて、戦いとしては最悪の部類だ。
「こっちがガス欠になる前に仕留め切るよ!」
「水中戦になるとこっちが不利だ、コイツが墜ちる前に倒しきる!」
号令に全員の魔力が唸りをあげる。勇者から受け取った幻想が軋む程に全員の出力が跳ね上がり、世界が悲鳴を上げるような異音が響き始めた。
『共存』『呪滅』『絶滅』『獣世』『和平』『求翔』『轢新』。7つの幻想という色が重なり、世界というキャンパスに穴が空きかけている。本当に短期決戦で済ませなければ、どうなるか予測もつかない。
「行くぞ獣王!」
「そちらこそ、遅れないでくださいよ魔王!」
戦場に生まれたほんの数瞬の空白を切り裂いて、最初に動いたのはミーニャ女王とリィンのコンビだった。狙いは首。滴り落ちる腐った血液を交わしながら、瞬きよりも早く駆け上がり巨剣と大刀による挟み込む斬撃が一閃し──
『荳崎誠』
世界を揺るがす大轟音を響かせながらも、堅牢な鱗が斬撃を受け止めていた。その結果に思わず舌打ちする。圧縮空間による装甲は剥がしたが、本体の圧縮が剥がせなかった弊害が出ている。
黒鉛ではダイヤモンドを削れないように、或いは氷柱で鉄板を叩き割れないように鱗に刃が通らない。加えてその奥、肉や骨の密度も桁違いなのだから威力は推して知るべしだろう。
『辟シ蜊エ縺吶k』
そして相手はサンドバッグではないのだ。『獣』は止まらない。攻撃されていない2つの首が顎門に光輝を湛え、己が首を切り落とさんとしたら2人に迫る。
長い首を利用したその速度は機敏。或いは、そういう幻想のルールでも敷かれているのだろうか。光の牙はミーニャ女王にすら追いついて──
パパとアヒムさん、最強の剣士2人の姿が消えていることに気がついてプランを切り替えた。
「アイン、もう一個の首を押さえに行きます!」
「認識した!」
平時とは比べ物にならないくらい跳ね上がった身体能力で空を駆ける。向かう先はこれまでずっと静観を決めていた『獣』の中央頭部。危険を承知で2人が一本ずつ誘き寄せた首、それを斬り落とす邪魔をさせはしない。
「「
ミーニャ女王やリィンで首を落とせなかった以上、私では武技を載せても刃は通らず、アインの弾丸も有効打にはなり得ないだろう。それ以前に私もアインも、そういった大火力の技を持っていない。
「──
「──
だがそれは別に、打つ手がないという事を意味していない。
光の魔法で作った影に無数の金属針を突き刺しチョークの能力で首を縫い止めつつ、アインの放ったオネイロイの能力で夢の中に閉じ込める。
100倍に拡大されている筈なのに、恐らく拘束が保つ時間はあと数秒。だがそれは、値千金の数秒だ。だって、ほら。
「秘剣抜刀──次元断!」
「吹き飛べ──
「借りるぞ人王、武技ーー次元断・双!」
首が飛んだ。
リィンが引きつけていた方の頭部に集中した3種の斬撃。リィンの秘呪による世界を分つ斬撃。アヒムさんの生ある物全てに有毒な極光斬。当然のように左右から繰り出された次元を斬る双撃。それぞれ3方向から直撃した致命の一撃は、容易く『獣』の首を刈り取った。
「ッ──!」
だが、即座にその傷口が泡立ち始める。見れば分かる再生の予兆、千切れた首と傷口双方から溢れた血と肉は、悍ましい速度で再度繋がろうとして。
「させる訳ないだろう」
寸前、双方の傷口を囲むように発生したクリフォト結晶に妨害される。結晶の発生源はパパが握る双剣、溢れ出た肉に突き刺した部分から侵食した結晶が全てを飲み込んでいた。
「砕けろぉっ!!!」
結晶はそのまま、切り離した頭と残った首を覆い尽くして。気合の叫びと共に、結晶ごと砕け散った。まるで取り込んだようにも感じる、再生の余地を残さない破砕。
「そぉれッ!」
「ガァぁぁぁッ!」
同時、反対側でも激音が響いた。大鎌によるフルスイングとミーニャ女王の極大打撃、その2種に迎撃され『獣』の頭が打ち上がる。その口元で起きている小さな爆発は、暴発した光輝の牙か。
「退避を推奨する!」
そんな私の思考を遮ったのは、焦りを含んだアインの言葉だった。2種類の魔剣による頭部の拘束が壊れかけている。失態だ。禁呪の影響下だからとはいえ、思考に潜り過ぎた。
『
舌打ちしながら後退する最中、
『
背負った巨大な黒光輪の中に、未知の言語で、未知の形式で、未知の法則に則って、未知の魔法が紡がれていく。
『
術式解析──失敗。
ハッキング不能。だめだ、間に合わない。フォーマットが違う。理論が違う。何もかもが私達の魔法とは根本から異なっている。未知のシステムに乗って動く異言語の更に異言語を、この場で解体なんて出来ない。
『
魔法の完成まであと僅か。私と同じように破壊を試みたが失敗したのだろう、苦々しい表情を浮かべたママと視線が合う。……つまり、この魔法は英雄戦争の時にも使われていない。
多分この魔法は、当たれば死ぬ。
『
「全員、最大防御ッ!!」
魔法が完成する直前、辛うじて7人が空中の一点に集結する。先陣に立つのはママ、私、アインの3人。解き放たれんとする魔法を目前に、
「
「「
「──
「──
持ち得る防御の手札を全て叩きつけた。
私達を囲う三十五層に渡る次元の裂け目、夢の具現化による不落の要塞、威力を拡散させる万華鏡の防壁。光陣による結果。幻想世界による防盾。各々が持ち得る防御の術が限り展開されて──
『
その全てが、ただの一撃で砕け散った。
『獣』が背負う黒い光輪、恐らくあれと同質の光だった。魔法名の通りなら杖である筈の、特大の光柱。それが直撃した瞬間、次元の裂け目は砕け散り、要塞は崩れ、万華鏡は衝撃を分散しながらも破砕された。光陣は言うまでもなく、幻想世界の領域までもが例外でない。
「が──……!?」
「く、アヤ、メ……!」
撃墜。悪魔で黒く染まり切った水面に向けて落ちていく。
被害は大きい。義体は大部分がエラーを吐き出し、多分肋骨はそこそこの数が折れている。内臓も衝撃でシェイクされ可笑しくなりそうだ。幸い脳は無事らしい。首も付いてる。心臓も止まっていない。
「な゛ら゛、まだ死なな゛い゛!」
辛うじてアインだけは一緒だが、他のみんなはどうなった。いや、違う。考えるべきはそんな事じゃない。魔剣とは、聖剣とは、そういうものだから。こういう事態を想定して作られているのだから。
私が今やるべきことは違う。やるべきはこの身に感覚と魔力と記憶が残留している間に、追撃が来る前に、魔法の正体を暴くこと!
「
魔剣の過剰な装填に愛剣が軋む。悲鳴を上げている。無理筋を通している以上、きっと長くは保たない。だがそれでも、今じゃなければ出来ない事は果たせる筈だ。
思考没入
魔剣、魔法、精霊術、武技、秘呪、幻想世界。それらは出自も、タイプも、出力の根源もバラバラの力だ。加えてどれも本来ならば、あの程度の魔力量しかない魔法は防げた筈の力でもある。
だのに、その全てが一律に例外なく粉砕された。
対魔法に特化している訳ではない。物理に特化している訳でもない。ならばその全てに共通している部分に、何かしら特効があるような魔法になる。
「仕組みは、暴きました」
墜落から体勢を立て直し、人理剣の範囲内に侵入した悪魔を吸い殺しながら、血を吐き捨て告げる。大問題な話であるが、分かってしまえば単純だ。向こうも、こちらと同じ力を手にしたというだけに過ぎない。
「今の魔法は、
暫定的に、魔剣魔法とでも命名しようか。
禁呪越しに響いたアインの言葉に戦慄が帰ってきた。ママやパパですら知らないと言うことは、封印されていた間に編み出したのか。厄介な。
弱者が強者に抗うための武器を、強者が弱者に振るったら終わりだろうそんなもの。内心そんな悪態を吐きつつも、新たに愛剣を構え直す。
『鄒ス陌ォ縺ゥ繧ゅ′』
意味がわからない言葉。つまり魔剣魔法の詠唱ではない。だが、何処となくこちらを侮ったような、鬱陶しがるような感じであることは理解できる。
「アイン、動けますか?」
「問題はあるが、可能だと肯定する」
相手にこちらを即死させ得る手札が増えたが、元よりあの巨体なのだ。攻撃をまともに受ければ最後、
「なら、ぶっ放しましょう。墜星の聖剣が反応してくれない以上、そのものを使います」
「だがそれでは……いや、認識した。死ぬよりはマシだと断定する」
やはり思考が繋がっていると、話が通りやすくて助かる。どうせ反動も1/7だ。
「禁呪《
刹那、現実は捻れ曲がり私達の負傷は全快した。