緊迫した空気の中、初めに動いたのはクハクさんだった。向かい合う私から逃げるように、一足飛びで交代し屋根の上に。そこから更に、奥に向け逃げるように後退していく。
「っ、待て!」
それを追って私も飛び上がろうとした時、魔剣の綴る言葉が頭に響いた。
・宝石は輝きを放つ
・矢は狙いを過たない
・矢は光の如く疾る
・光とは力である
見れば、クハクさんの手元でチョークはその形をくの字に変形させていた。文字を綴る白い針と、己を虚空に突き刺して固定する銀の針が、まるで弓のように大きく開く。その間貼られた鉄色の弦は目一杯に引き絞られ、直視できないほど眩い何かが番られていた。
しかし、私がいるのは既に空中。それに、魔剣の言葉が現実になるならば、もう避けることは不可能だ。残された手段は迎撃しかないのだけど、それもあの光量から察するに難しい。
「《鍛冶魔法》!」
けれど私は、こんなザマでも、世界最高の鍛冶師の娘だ。宝石くらいなら秒で作れる。魔剣の加護を受けてる今なら、ワンアクションも要らない。
形成するのは、私の身体を覆い尽くす大きさのダイアモンド。見様見真似だけどカッティングまで終わった状態で形成。瞬間、目が潰れそうになる程の閃光が生まれた。
思わず目を瞑り、直後に轟音。
「行って!」
作り出した宝石が砕け散る音が響く中、私は狼たちにお願いする。私だけじゃ何もできない、だから助けてと。
機敏に反応してくれた狼たちが駆ける風を感じながら、私は魔法を組み立てていく。精霊術の転化状態は、自身に精霊を降ろして融合する為、物理攻撃が9割方効かなくなる。だからダメージを与える為に取れる手段は『魔法』『精霊術』『魔剣を含む、高位の魔法武器』の3種類。
でも、遠距離攻撃を主体にする人に対し、最初からリーチの短いエターナルで突撃するのは自殺行為だ。
「フッ」
息を短く吐き、魔剣に押し上げられた能力を以って全力で魔法陣を打ち出して成形する。
空間属性《範囲指定》、地属性の《高重力》、闇属性の《超重力》、結合と強化の為にブランクルーンを配置して、全て纏めた1つの魔法陣へ。私の身長くらいのそれを複製、巨大化し《浮遊》の魔法陣を別途結びつける。そして最後に、思いっきり上空にぶん投げた。
そうして戻ってきた視界の中では、狼たちが魔法陣の直下まで、クハクさんを下がらせているところだった。あと一手。それで私がやろうとしていたことは完成する。
「ユメウツツ!」
その足りない一手は、すぐに補うことができた。夢の中から出てきたような光り輝く植物がクハクさんの周囲に生まれ、網かごのようにしてクハクさんを閉じ込めた。
暖かな夢に包まれて、ほんの少しだけ緩んだ理性の引き金。氷の大狼が退避するのが見えた。故に、普段なら触りもしないソレは今、いとも容易く引きしぼられた。
「放て!」
まず感じたのは、空気が押し潰される鈍い音。次に黒い線で作られた四角柱が目に入ってきた。それは、指定した範囲内に異常な重力を発生させ、内部を捻り潰し押し潰す3属性複合高位魔法。魔法無効の存在を除き、必ず殺すための術だった。
・光は減衰しない
けれど、その程度打ち破ってこその魔剣である。空に一直線に伸びた光条が、一分のズレもなく魔法陣を撃ち抜いた。
その光景を見ても、私に落胆も恐れもなかった。あるのはただ、やっぱりという納得だけ。私なんかの術じゃ、悪魔を殺すための兵器には届かないという諦めにも近い感情だった。
「効かない、よね」
そう、私はそうなることを知っていた。だからこそ、今私はクハクさんを間合いの中に捉えている。上空へ向けて射撃した直後のクハクさんと、目が合った。
けれど無視する。もう目を見て、何か考えを推し量ろうともしない。だって、もう殺し合い以外の手段は残ってないから。
「シッ!」
底冷えするくらい冷たい殺意を、暖かい夢で誤魔化して。順手に持ち替えた右刃を、走って来た加速の勢いそのままに突き込んだ。
・鋭さは打撃力である
心臓を貫くルートを辿っていた右刃が接触する前に、そんな言葉が耳に届いた。つまり、必殺の不意打ちは間一髪のところで防がれたということだ。
手に伝わるのは、肉を貫く感触ではなく、肉を打つ感触。舞う筈の鮮血は少なく、盾とされた鉱石片がその数を大きく上回る。極め付けには、衝撃を逃がされた。その大きな胸と、足運びの2種類で。
「ぐっ、こほっ」
「やって」
自ら吹き飛びながら咳き込むクハクさんの背後から、2匹の大狼が飛びかかった。単純な挟撃だけど、このタイミングなら効果は覿面だ。
「きゃあっ!?」
白の狼はチョークの持つ銀の針で振り払われたが、銀の大狼は無理だった。チョークを構えていない左手に噛み付き、凍結させた左手を噛み砕いて破砕した。血こそ凍結したお陰で見えないが、歪んだクハクさんの顔から痛みのほどは察して余りある。
そんな表情を見てしまって、あと一歩を踏み出せなかった。出来ていれば、どちらかの刃は届いたかもしれないのに。啖呵を切ったのに、まだ私は人を殺すということに踏ん切りをつけられていなかった。
・弦は意思で引かれる
結果、光が来た。文字通り意思のみで引かれた弦から放たれた、光輝を纏う宝石の矢群。たった1つでも直撃すれば、私を殺して余りある暴威。けれどそれは、『私』を『狙う』あまり、互いに衝突し砕け散ってしまった。
「ッ!」
そして、『矢』としての形が崩れたソレなら、顔さえ覆ってしまえば問題なく切り抜けられる。防具に覆われていない場所に痛みを感じながら走り抜けた先には、またもや光が待っていた。
直視できないほど眩いそれを無理に注視してみれば、数個の事実が分かった。クハクさんの傷は再生してないこと、最大威力の攻撃が番られていること、銀の大狼が砕かれ散らばっていることと、白の大狼が銀の針で繋がれていること。
クハクさんは笑みを浮かべているけれど、この状況はもう、私の勝ちに等しかった。心情は、どうあがいても最悪としか言えないけど。
「ユメウツツ」
魔剣に呼びかけた瞬間、大狼が爆発する氷となってクハクさんを凍結させた。本当に一瞬で行われた、抵抗の余地すらない完全凍結。そもそも生き物を殺す威力は持ってないから、魔剣を握ってる限り死ぬことはないだろう。ただ、砕けやすく動けなくなるだけ。
だから、手早く近づき魔剣を一閃した。発揮されるはずだった切断力は、チョークの力により打撃力へと変換される。つまり芯まで凍結したクハクさんの右手は、再生可能な切断ではなく不可能な破断となる。
「……ごめんなさい」
不快な破砕音が響き、細い右腕と握られたチョークが地面に落ちた。そのままチョークを握る手を割り砕き、エターナルにチョークを納刀した。
瞬間、世界が激変した。大嵐が変化した雪が止み、整備されていた道は荒れ、建物は朽ちかけた姿を取り戻した。耳に届いた紙が散らばるような音は、子供たちが元の姿に戻った音だろうか。それら全てを受け止めて。私に残ったのは、澄み切った青空とは真逆のどんよりと曇った感情だけだった。
「なんで、こんなことばっかりなんだろ」
そんな、突然現実に引き戻されるような言葉を呟いたせいだろうか。確かに発動していたユメウツツの能力が消え、凍りついていたクハクさんが私の足元に投げ出された。
「あら、殺してくれないのかしら? あんな顔で、殺すって言ったのに」
「どうせ、このまま放っておいたらクハクさん、死にますから」
私を見上げて問いかけてくるクハクさんに、私は出来るだけ感情を押し殺して答えた。
凍結していた名残なのか、砕けた両腕から流れる血はまだ少なく勢いも弱い。けれどそれも時間の問題だろう。転化も解除されており、ステータスを覗き見してみるにクハクさんに生き長らえる手段はない。そして私も、クハクさんを助ける気は無かった。
「それは、流石に酷いんじゃないんじゃないかしら? 殺すと宣言して、致命傷を与えて、それで相手を放置するなんて、何もかもが二流よ」
「それは……」
頷いてしまった私がいた。今やりたくないと思っている心以外、今すぐ殺すのが一番という判断を下している。啖呵を切った。致命傷を与えた。だからこそ、トドメを刺すのが正しいことなのは明白で……それでも、構えた刃が動かない。
「ッ!」
意思と身体の間にある歯車が欠けたような感覚。頭では分かっていて命令しているのに、身体が言うことを聞いてくれない。振り上げたエターナルは、手と同じく震えるだけだった。
「あは、はは、あははははは!!」
「何がおかしいんですか」
仰向けに転がったクハクさんが、そんな私を見て大きな声で笑い始めた。嫌な予感がして、振り上げた腕を戻して距離をとった。
「そう、そう! あなたまだ、人を殺したことがないのね!」
「……悪いですか」
「いいえ? ただ、漸く合点がいったのよ! 見た目は同じ、技量も噂以上、それなのに噛み合わなかったイメージが今、漸く噛み合ったわ!」
笑い声に合わせて、段々のその両腕から溢れる血の量は増大していった。
「私みたいな犯罪者1人殺せない子が、王都を壊滅させるなんてできっこないじゃない。あはは! やっぱり大人なんて、揃いも揃って馬鹿と塵しかいないわ!!」
「良い人だって、居ます」
リュートさん達に、アウルさん達。それにリュートさんの屋敷にいた人たち。私みたいな小娘が知ってるだけでそれだけいるんだから、広い目で見ればもっと沢山良い人はいるだろう。同じくらい、悪い奴もいるだろうけど。
「だからこそ、あなたはそんなに真っ直ぐ育てたんでしょうね。妬ましいわ」
そんなことを言いながら、血塗れの姿でクハクさんが立ち上がった。その鬼気迫る表情に、思わず一歩引いてしまった。
「妬ましい、妬ましいから……殺してあげる!」
一瞬だけ転化したクハクさんが、地面を蹴ってこちらに向かってきた。散々した訓練のお陰で、反射的に身体が動く。精彩を欠いた突進を躱しつつ、逆手持ちの右刃を振り被る。肩か脇腹辺りを斬り裂く軌道のそれを、止めようとしたけど間に合わなかった。
「ぁっ」
突然クハクさんが動いた。まるで自分の首を差し出すように、刃の軌道上に己の首を投げ出したのだ。結果、刃はその役目を十全に果たし、差し出された首を斬り裂いた。
真紅の噴水が、狂った勢いで噴出した。
「どうして!」
エターナルを自身のスキルの中に投げ捨て、崩れ落ちたクハクさんの首を両手で抑えた。なんで私は、こんなことをしてるんだろう。分からない。分からない。分からないけど……クハクさんの命の灯火が尽きたことだけは、嫌に分かってしまった。
氷から解放された時点で死まで秒読みだったというのに、転化なんて大技で魔力を減らし、果てには頸動脈まで断ち切られてはもう望みもない。
「言ったでしょう、私は、子供の、味方よ」
私の手を振り払い、仰向けに身体を返してクハクさんがそう告げた。それは一体、どういうことなのだろう。満足そうな笑みを浮かべているけど、まるで意味が……いや、待って。まさか、まさか、私にコレを経験させるため?
「あなたの初めて、貰ったわ……ああ、」
空が綺麗ね。
最後は口の動きだけだったが、それを最後に、クハクさんの身体から全ての力が抜けたのが確認できた。ステータスを覗いてみても、死亡の2文字がハッキリと書き加えられている。問いを投げる前に、答えを持ち逃げして、クハクさんは死んだ。私が、殺した。この手で。
「あ、あぁ」
生暖かく鉄臭い液体を被りながら、自分の両手を見て私は、そんな声とも言えぬ声しか出せなかった。感触が残っている。声がこびりついている。2度と忘れることが出来ないくらい、深く、深く、記憶に根を張ってしまっている。
旅って、何かに巻き込まれるって、こんなに辛いことだったのだろうか。読んでいた本も、ママたちが話してくれた内容とも、全然違う。想像してなかったとは言えない、それでも、理想と現実の差に技術以外追いついていなかった。
「こんなに辛いことばっかりなら、もう旅なんて──」
やめちゃおうかなと、呟きかけた瞬間のことだった。
今まで感じたことのないレベルの、恐ろしい殺気を感じた。そしてすぐに直感する。これは、ユメウツツを回収した時に感じた、例の目線の人物が放っていると。
蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れず、もし取れても、エターナルを握ろうとすら思えないほどの隔絶した何かを感じ取れた。
「きゃっ」
どうしようもない恐怖に固まっていた私を動かしたのは、クハクさんの精霊である亀だった。何故か
クハクさんの死体と、精霊亀と、血に濡れた私以外、何も存在しない朽ちた街。殺気の主の気配なんてかけらもなく、生き物の音すらロクにしない死んだ街。
「うぅ、ぁ……」
知らず、涙が流れていた。ぐちゃぐちゃの感情で見上げた空は、歪みながらも憎たらしいほどに綺麗だった。