それは街から逃げ出してから数日。私があてもなく草原を飛んでいる時のことだった。
「……血の臭い」
平和そのものであった空気が、微かに届いたその臭いで霧散する。普通の人間がどうなのかは分からないけど、獣人の血の影響かそういう臭いには少し敏感だった。
「右前方、かな?」
一旦箒を止めて耳を澄ませてみれば、そちらの方向から自然の音ではない音が聞こえてきていた。
目を凝らせば、点のようにしか見えないけれど、何か動き回っている影が幾つか見えた。それは2つの集団に分かれており、片方は大きなものに集まって動かず、もう一方はその周りを固めている。
それは、一方が一方を襲っている構図だった。
普段なら、襲われているのが人とは限らないし、そもそも助けて自分の正体がバレるリスクを負う必要もないので、無視していたような戦闘。けれど今は何故か、心の底から見逃すなという叫びが聞こえた気がしたのだ。
「助けなきゃ、寝覚めも良くないし、ね!」
考えを誘導されてる気配もしないし、あくまでこう思ったのは自分の考えだ。だったらと、私は全速力で箒をかっ飛ばした。
点に見えるような距離でしかなかったけれど、箒を全力で飛ばせば1分もかからない。そうして近づいていく内に、段々と姿ははっきりし声まで聞こえてきた。
「姫巫女殿を守れ!」
「死なせた場合、我々に未来はないぞ!」
そうして分かったことは、状況が絶望的ということ1つだった。
襲撃しているのは、レベルだけ見れば私と同帯の狼系統の魔物が14匹。名前は、単純に【イヴィルウルフ】らしい。
それらと戦闘中の冒険者と思しき人たちは3名、半壊した馬車を守るようにその周囲を固めている。既に冒険者側には3名死者が出ているようで、元は機動力であったのだろう馬も8頭分と合わせて死骸が散在している。
応戦している側のステータスはリーダー格の人は私より強いけど、他の2人は私より弱いし、どう考えても多勢に無勢。逃げるならともかく防衛となると、全滅は免れないだろう。でもみつけた以上、そう簡単にそうはさせない。
「固定して」
箒の設定を変えて、私の身体を固定する。いつか作ったボードと同じ原理で、機能を解除するか壊れるか、私が死ぬか以外で、私と箒の位置を固定する魔法は解除されることはない。つまり、箒に騎乗したまま戦闘する準備が出来たということ。
同時に私は、左手で魔剣を握って自分の力をブーストする。草原という地形柄炎は使えないし、高速移動中ってことも相まってあれくらいの相手に効く大規模魔法は使えない。地属性の魔法も、あの速度の相手に命中させることは困難だ。であれば、使える手段は1つ。
「《鍛冶魔法》!」
接敵まで残り10数秒。《無限収納》のスキルから取り出すように偽装して全開で行使した鍛冶魔法で、4本程直剣を作り出した。金属を圧縮しただけの、薄さと長さだけを求めた剣。それに闇属性重力系の魔法陣と空間属性追尾系の魔法陣を刻んで、右手の指に挟んで保持する。
ここまで数秒。本当はこんな武器を使い潰す方法は取りたくなかったけど、折角確保してる制空権と不意打ちの機会を捨ててまで戦う理由はない。
「シッ!」
そうして辿り着いた戦場。救援を告げる前に私は、握った剣を全力で投擲した。
「冒険者です、助太刀します!」
投擲した剣はそれぞれ緩く軌道を変更させつつ、過重力によって加速。私に対する反応が遅れた【イヴィルウルフ】4頭の頭蓋を粉砕し、己の刀身すら半壊させながら地面に突き刺さった。
旋回し戦況を見渡しながら、私は考える。
人も魔物も問わない幾つもの視線が私に突き刺さっている。リーダー格を見つけられず殺れなかったのは残念だけど、威嚇としてはこれで十分。打開の一手にはなるはずだ。でも、
「もう1発!」
まだ警戒が十分されてない状態で、数を削っておいて損はない。だから私は、もう一度同じ工程を経て4……いや、1匹回避したから3頭を絶命させた。そして、ここでようやく戦場が動きを取り戻す。
「助かる!」
「ガゥ!」
「バゥ!」
残った7匹の狼が吠え声を交わし、3匹が私に、もう4匹が冒険者側に向かって行った。防衛側からも声を掛けてもらったけど、不意打ちを終えた私に、実を言うと返事をするほどの余裕はない。
「思ったより、ちょっとマズイかも……!」
残りの戦闘時間を考えて減速した箒に、狼達は余裕で追いついてくる。しかも、連携しながら闇属性の魔法を撃ってくる辺りタチが悪い。高度を下げれば物理攻撃も加わるし、私が高度を上げ過ぎたり離脱したらまた劣勢に戻るから逃げられない。まあ、それは参戦した手前そもそも無い選択だけど。
それでいて、さっきよりマシになりはしたものの防衛側はまだまだ劣勢だ。あともう1匹引きつけられれば変わったかもしれないけど、そんなたらればの話に意味はない。
「ッ!」
前方に発生した過重力の球体を回避したところに、闇色の光線が飛来する。バレルロールでそれを回避すれば影の刃が発生し、それを振り払っても運動を減衰させる闇色の霧が待っている。
墜落こそしないけれど、攻撃できる余裕もない。つまり『Sランク冒険者のアヤ』では、この状況は打開できないと言うことだった。
せめて、炎が満足に使えれば……そう思わざるを得ない。
アヤとしての戦い方には、火属性の魔法が大きく影響しているのだ。大抵の生き物は、焼けば死ぬか障害が出る。炎というのは、それだけ単純に殺傷能力が高いのだ。だからそれが封じられると、アヤは途端に使い物にならなくなる。
魔法陣の鋳造も、魔剣の解放も、基本的にはアヤメとしての力だし。正体を隠す為には、それらを使って戦うわけにはいかない。流石に死にそうになったりしたら使うけど。
「ああもう!」
しつこくホーミングしてきた魔法に、チャフとフレア代わりに薄い火炎を撒き散らす。そのまま軌道を下に叩き落として、魔法を回避しつつ1匹だけを狙って急降下する。ミシッと、箒がいやに軋んだ。
「シッ!」
「ガウッ!」
箒のシールドに魔法が被弾する音、後方で私を見失った魔法が暴発する音、軋みをあげる箒、狼の吠え声に自分の息遣い。何もかもが重なって、それでも一瞬だけできた空白の時間。その刹那に、シールドを解除してエターナルを振り抜いた。
まるで何も切ってないかのような感触だったけれど、事実は違う。止めようとしたのか噛み合わされた牙ごと、一気に首を半分ほどまで断ち切ったのだ。
「1つ!」
即座に納刀しつつ箒の軌道を捻り上げ、ある程度上空まで退避する。その状態で戦場を見渡せば、状況は悪化の一途を辿っていた。
無事な防衛側の人はたった1人。1人は姿を消し、1人は死にかけ、リーダー格の人だけがまだ武器を持って戦闘中だ。対して狼側は残り3頭、些か不味い気配がする。
見殺しにしたくないから乱入したのに、なんて無様なのだろう。
「……うん」
魔力もそこまで残ってないし、やるならタイミングは今しかない。山火事みたいになる前に、私が責任持って食い止めよう。
「吹き飛んで!」
そうして私は、製鉄用の炎を解放した。本来ならば殺傷に使われる筈のない、炉に収められるべき煌々とした紅蓮の焔。私の魔力を喰って拡散したソレは、私を狙っていた2匹の狼を一瞬で炭化させながら、辺り一帯を焼き焦がしていく。
ガラス状に変質した地面。直撃した場所以外から発火しだす草原。その光景は、私にいくつもの後悔を焼き付けるようだった。
「っ、そんな場合じゃ!」
もっと早く使えば助けられたかもとか、山火事を止めないととか、そんなことを考えている暇はない。まずは助けること。それが第一だ。
「せい!」
爆心地に一度降りて、この前作った槍を持って周りを薙ぎ払う。風属性の魔法を込めて作ったそれはカマイタチを発生させ、燃える草原を切り払いつつ狼に向けて飛んだ。
その命中を確認する前に再び箒に飛び乗り、戦い続けている最後の1人の元へ飛んだ。牽制として幾つかの炎弾を放ちつつ、獣人ではないその1人の隣へ辿り着いた時には、その人は既に息も絶え絶えといった様子だった。
「大丈夫……ではなさそうですね」
「貴女こそ、無茶をしたようですが」
「いえ、私は魔力を削っただけですから」
そう言葉を交わしつつ、魔族の男性と背中合わせになって警戒する。私は炎を放つ準備を、魔族の人は片手剣を構えて狼たちと相対する。
「貴女は、どうして我々を助けに?」
「偶々、近くを飛んでたら見つけまして。見殺しにしたら寝覚めが悪いですからね!」
馬車を襲おうとしていた狼を、炎で牽制しつつ言葉を返す。事情を何も考えずに助けたけど、少しは探って起きたいから。姫巫女を守るとか言ってたから、悪人ではなさそうだけど。
「箒に乗って移動する、炎を使う、真紅の髪の女性……まさか」
そんなことを考えている時のことだった。
「貴女は、Sランク冒険者のアヤ・ティアードロップ殿で相違ないですか?」
「ええ、まあ。見ての通り、戦闘力はAランクの人とさして変わりないですけど」
魔剣と魔法陣の鋳造を使えばランク相応の強さにはなるけど、使わなければ逆にランク以下の強さしか対魔物では発揮できない。代わりに対人戦闘と、飛び抜けた物の製作技術が評価されて昇格した、それがアヤという冒険者だった。
「では、その箒はあとどれくらい飛翔することが?」
「ただ飛ぶだけなら、1、2時間かそれ以上。戦闘軌道だと、30分が限界ですかね」
そう、何度もさっきみたいな飛翔を繰り返せば、その分だけ魔力が喰われて疲れるし飛べる時間も減っていく。それだけは、本当にどうしようもないのだ。
魔力を回復させる方法は、休むか魔力が含まれたものを食べるかの二択だから、ゲームみたいに即座に回復は出来ないし。一応MP自動回復スキルも持ってるけど、所詮焼け石に水に過ぎない。
「同乗出来る人数は?」
「私以外に、人間の成人男性1人くらいが限度ですね。鎧付けてたら無理です」
箒の最大荷重が150kgくらいで、私の重さが防具のせいで40kg弱。飛行中はずっと着けてるから……長時間飛行することを考えたら、防具捨てて乗って貰わないと壊れてしまう。
「であれば、壊れた馬車の中にいる少女を連れて逃げてください」
「理由は? あとどこに逃げろと?」
「理由は長くなりますので、あの子に聞いてください。逃げる場所は、北西に進んだ先あるルーファスという街へ。どうか」
そう言って、魔族の男性は黒い稲妻を放った。魔力がギリギリなのか連発は出来ないようだが、掠めただけで狼の足を一本捥いでいった。
「多分、周りの被害さえ気にしなければ、私たちで【イヴィルウルフ】は殺し尽くせますけど?」
「コイツらは、あくまで撤退時の転移に巻き込まれた下っ端ですので。すぐに来る本隊は、無理でしょう」
「何故ですか?」
足を失った狼を燃き殺しながら、私は聞き返した。
「率いているのは結晶憑きのイヴィルウルフの上位種が3頭で、コイツら自体も100や200じゃ効かない数ですので」
「それは……」
確かに、それは
悔しさが込み上げてくる。自分の、特定の魔法以外使えない体質が恨めしい。勝手な比較だって、意味のない比較だって頭では分かっている。それでも食いしばった歯は、そう簡単には動きそうにもなかった。
「引き受けてくれますでしょうか?」
「ええ。でも貴方、死ぬつもりですか?」
逃げろと言っておいて、自分に関して何も言及しないのはきっとそういうことだろう。戦場に来た時に覗いたステータスでは、この人は空間属性の魔法を使えないようだし。
「残念ながら、俺の秘呪は自死がトリガーなので」
「そう、ですか」
『秘呪』それは、魔族だけが使える特別な魔の術である。魔法とはまた別の技術であり、その能力は個人によって違う。共通点としては、なにかを代償として支払うことだろう。そうして発動された秘呪は、一見魔法に見えても最上位の悪魔にすら通用する。
同様に人族にも、命を削って放つ『武技』という必殺の一撃が。獣人族には『精霊術』が存在しているが……どれも基本的に、純粋なその種族でなければ使うことが出来ない。
故に私には触れる機会のない技術だったけれど、代わりにその威力は絶大である。下手をすれば、魔剣と同等なくらいには。
「では、その依頼を受けさせてもらいます」
そう言いつつ炎弾を放ち、着弾点ごと焼却して最後の狼を焼き尽くした。最後の餞別なんて言うのは、ちょっと傲慢だろうか。
「感謝する」
いえ、と返事を返しながら、私は箒から降り馬車に乗り込んだ。そこにいたのは、紅白の巫女服を纏った黒い髪の少女だった。
意識を失っているのかグッタリとしており、顔色も悪い。ステータスを覗かせて貰えば、過労と高濃度魔力酔いなる症状が出ているようだった。12歳の女の子に、何をさせたらこんなことになるのだろうか。
「まあ、それは後でかな」
その女の子をおんぶして馬車から連れ出し、箒に騎乗して私ごと座標を固定した。これでもう、いつでも出発することができる。
「なにか、伝えることとかはありますか?」
「なら、これを持って行ってくれ。事情も少しは通じやすくなるだろう」
そう言って渡されたのは、10枚のドッグタグ。受け取ったそれをポケットにしまいつつ、頷いて私は箒の柄を握った。
「ご武運を」
「そちらこそ」
そうして私は離陸し、北西に向けて一直線に飛び始めたのだった。結局私が助けられたのは、背中で眠る少女1人だけ。それが私には、ひどく情けなく感じた。