「ッ!」
全力で街を疾走する前方から、連続して響く衝撃音。何度も巻き上がる土埃。
私が向かっている先は、当然お義母さんを連れて行ってくれた馬の獣人がいるはずの集団。
それと合流できるかもと予想していた地点がこうなっているということは────つまり、そういうことだ。誰かが戦ってくれているか、それともただ殺されているのか。
そのどちらかしかない。
「お義母さん……!」
焦る気持ちに身を任せ、どうにか追いついた着いたそこには……地獄が、広がっていた。
子供が死んでいた。
男が死んでいた。
女が死んでいた。
老婆が、老爺が、少年が少女が生まれたばかりの赤子が死んでいた。
そしてその全てが、まるで子供が乱雑に遊んだ玩具のような様相を呈していた。
身体を構成するパーツが欠けているのなんてザラで、ど真ん中をぶち抜かれていたり、見るに堪えないほと丹念に叩き潰され搔き混ぜられていたり、正中線で真っ二つに裂けているモノすらある。
その中心にいるのは、悪魔。
殺すだけ殺して喰らった様子のないソイツは、死山血河となった往来でただただケタケタと嗤っていた。
言葉が通じなくてもわかる、蔑みと嘲りを込めて。
けれど、それを見ても私は動き出すことができない。
何故なら、私じゃ殺されるだけだから。遊びで人を殺したそいつに勝てないから。
嗤う悪魔の姿は、
大きく裂けた様な口のみが存在する頭部。大型肉食獣のような胴体。幾重にも触手が編み込まれて作られた長い尾。
その姿は、さっき私が惨敗した《ソルジャー級》の1つ上位種である《ビースト級》のそれに他ならなかった。
「ッ……!」
息を飲んだ。
冷や汗が流れた。
そして心底、まだ見つかっていないことに安堵した。
今ならまだ逃げることもできるし、落ち着いて人を探すことだってできる。
「お願い……」
生きていて。でも、ここにはいないで。
そう願いながら探すこと数秒。
探し人は、すぐに見つけることができた。──できて、しまった。
近くの八百屋だったと思われる店の入り口付近。そこに積んである、大きな木箱が積み重なっている影。
そこにお義母さんと、馬の獣人はいた。
お義母さんは返り血こそ浴びているけど無傷で、馬の獣人は死にかけている。
左肩口から右脇腹にかけて深く大きな爪創が刻まれており、中身が見えて溢れてきてしまっている。お義母さんは魔法でどうにか治そうとしているけど、明らかに出力不足で焼け石に水になっているかすら怪しい。
「何か、私に、出来ることは……」
託された。
お願いされた。
助けたい気持ちはある。
どうにかしないといけない自覚もある。
それでも、私は確定する死に立ち向かえない。
だけど、それでもと心を無理に奮い立たせる。
震える脚を押さえつけて、流れそうになる涙を押し留めて。そうして惨状を見渡し……ソレを見つけた。
ユッケのようになったモノに突き刺すように、血と肉片と臓物塗れだったが確かに──魔剣があった。2mの刃を持つ巨大な魔剣、スラッシャー。悪魔に対抗できる“力"が。
「《解析》」
見つけた一筋の光明。
ママの作品だけあって破損はなく、私でも手に取れば使える悪魔を殺すためだけの兵器。けれどミンチに刺さる魔剣は同時に、あの魔剣ではこの悪魔を殺せず逆に殺されたことも示している。
私は、そんな相手と戦えるのだろうか?
私は、死んだ兵士より強いのだろうか?
手が、震える。
そんな私のことなど知らず、悪魔は動き始めた。
ゴロゴロと転がして遊んでいた誰かの頭を飽きたのか踏み潰し、お義母さんたちが隠れる木箱の方へ。立てた尻尾をゆらゆらと揺らし、裂けたような笑みを浮かべ、ゆっくりと悪魔は歩みを進めて行く。
「いや……」
だめ。
「やめて」
殺さないで。
けれどそんな言葉が届くはずもなく、悪魔は歩みを進めていく。
動け。いま動かないでどうする私。
お義母さんを、最後の家族をどうして助けない。
恩人を助けることが、どうしてできない。
さあ、動け。
お前は、英雄の娘だろう。
「《アダマンタイト》ッ!!」
絶叫するように、魔法を使った。
生み出したのは私が知る限り、単体では最硬最重の金属。それを檻状にして、歩く悪魔に上から叩きつける。悪魔は暴れるが、まだ辛うじて檻は保っている。時間稼ぎはきっと出来る。
「あああぁぁぁァァァッ!!」
おかしくなってしまいそうな心を、叫び声で無理に誤魔化した。
自分に注意が向くとわかってても、そうしなければやってられないから。
物陰から飛び出し、血肉に塗れの魔剣に飛びつき引き抜いた。
思ったより軽い。
けれど両手で握った魔剣は、長く大きく、硬く鋭い。
その兵器としての存在感を実感しつつ、悪魔目がけて魔剣を引きずりながら走る。
《使用者の変更を確認。チュートリアルシステムで起動します》
瞬間、魔剣の刀身にそんな文字が流れた。
量産型の魔剣には搭載されている安全装置。力を悪用されないよう最初は制限し、暴走者の制圧を容易にするためのシステム。
便利なシステムだけど、今この瞬間は邪魔でしかなかった。
「
《コード承認。チュートリアル、演習モードを破棄。戦闘出力で起動します。I'm ready》
だから、今はもう私だけが出来る方法で介入した。
なりふり構っていられない。製作者として受け継いだ権限で、順路を壊して起動させる。
刀身に文字が流れる文字が変わり、全身に桁違いの力が漲る。体感にして1.5倍程、引き上げられた力の手綱をどうにか掴み──同時にアダマンタイトの檻が崩壊した。
『Wo bw vйvgp!』
「や、あァァァッ!!」
そして、辛うじて目に映った悪魔に長大な刃を叩きつけた。
鋼鉄に叩きつけたような異音と共に、魔剣の刃が停止する。
刃を受け止めていたのは、悪魔が前脚に持つ鋭い3爪。触手の尾を支えに空中にとどまる悪魔との、鍔迫り合いがここに発生した。
「きゃっ!?」
そして当然、敗北の天秤は私に傾いた。
拮抗は一瞬。魔剣は爪を1つ叩き折りはしたが、私の体は大きく吹き飛ばされ近くの店に叩きつけられた。
「が、ふっ……」
息が吐き出され、全身に痛みが走る。
生命線の魔剣こそ手放さなかったけど、また体から嫌な音が響いた。
きっと骨がどこか折れたし、痛くて辛くて、もうやりたない。
でも、私が逃げちゃ駄目だ。
ほら、立てよ私。
お前は、英雄の娘だろう。
『Wpingk kejoжфki』
意味のわからない言葉を漏らす悪魔が、舐めるように私を見つめる。
いたぶるかのようにゆっくりと、地面に倒れ伏す私に近づいて来る。
よかった、すぐに殺される訳じゃない。
なら、まだ出来る。
まだやれる。身体だって動いてくれる。
痛いけど、苦しいけど、体は死んでない。
真価を発揮させてない魔剣だってある。
──だから、
「燃えろ!!」
鍛冶魔法を全力で使い、可能な限り高温の炎をまき散らした。
吸うだけで気管支が灼け爛れる灼熱が吹き荒れ、悪魔も堪えるのか飛び退いた。一応、アレでも生命ではあるらしい。
「は、はは──」
焦げて砕けたかつて店だった場所で、私は無茶を通して立ち上がる。
何故か溢れる笑いを抑え込み、流れた涙が蒸発するのを肌で感じ、唸る悪魔を睨みつける。
「ぶっ殺す」
そして残り火が燃えるそこで、魔剣が持つ真の力を解放させた。
「刃金に満ちよ、我が祈り──希望の
ドクンと、
魔剣には2つの形態がある。
1つは、鞘から抜いた時点で発動する通常駆動
もう1つは、詠唱によって解放される限界駆動
そして限界駆動発動時には、その魔剣固有の能力が発動する。
必殺と呼べる威力を持つ、限界に触れる力が。
笑えてくるほどの魔力が励起され、刀身から溢れて私に流れ込んでくる。
流れ込んだ魔力量は、私自身が持つ魔力の倍を優に突破。ああ、こんな物が量産型だなんて、ママはどれほどの高みにいたのだろうか? その万能感に、戦場にあって場違いな思考すら顔を足して来る。
「
刀身に赤い文字で1000という数字が表示され、全体が淡い光を纏う。Ⅱ型とか試作型ならもっとちゃんとした詠唱があるけど、量産型はこれだけ。
けれど効果は絶対だ。
端的に羅列するだけで『自身のステータスの倍加』『武器としての能力の倍加』『魔力を消費して光の刃を飛ばす』の3つ。
加えて握った時から発動する通常駆動の能力はⅠ型魔剣共通の能力は『自身のステータスの1.5倍化』お『悪魔に対しての殺傷力が6倍になる』という2種類。
1000秒の時間制限付きが、これに上乗せされて限界駆動は発動される。
3つの大陸3つの種族から認められたその力は、伊達でも酔狂でもない。明確な、殺戮の力だ。
『Шqig』
飛びかかって来た悪魔の姿が、今度は見える。
今度は体が動く。
さっきまでの私の倍の速度で、倍の力で、全てが進行する。
「シッ!」
突進を交わしたすれ違いざま、下から叩きつけるように魔剣を振り上げる。
一閃。光を纏う刃が走り、防御として出現した尾を切り裂いた。
「死ねぇっ!」
『Wo bw vйvgp!』
追撃、爪で防がれる。
爪撃、剣で弾き飛ばす。
──撃ちあえる。
爪と魔剣が幾度となく交差し、少しずつだがダメージを与えられる。
拮抗だ。
いや、むしろ私が押していると言えるかもしれない。
無論、装備込みでも体重が10倍近くある相手に力比べは出来ないけど……注意していれば戦える。
一合、二合、三合。4回目の交錯で、右前脚の爪を全て叩き折ることに成功した。
七合。8回目の交錯で、左前脚の爪も全て叩き折った。
九合。10回目の交錯で、完全に尾を切断した。
「残り、500秒!」
流れる血が熱い。心臓がおかしなリズムとスピードで脈打っている。
変な汗がダラダラと流れているし、少し視界もおかしくなってきた。
けれど、戦える。
殺せる。
お義母さんを助けられる。
「待て!」
そう、ほんの少し気が緩んだ瞬間のことだった、
悪魔が跳んだ。
目で追えなかったから場所は分からない。けど予想なんてするまでもない。この場で狙うのはただ1箇所。義母さんたちが隠れているあの場所だけだ。
「させない!!」
残り少ない魔力を込めて、悪魔を狙い魔剣を振るう。
吸い上げられた魔力は光になり、光は刃になり、空を裂いて飛翔する。
私を助けてくれた兵士の人たちが使ったものと同質の、けれど出力は上回った光刃だ。斬閃にしたがって走った閃光は、兵器としての役割を十分すぎるほど遂行。
ギリギリのタイミングで《ビースト級》を真っ二つに両断した。
「はぁ……はぁ……」
魔剣の起動を停止して、狂ったように拍を打つ心臓を抑えるように深呼吸を繰り返す。
5秒、10秒、30秒。猛る心臓を抑え込んで、魔剣を引き摺りながら私はお義母さんのところへ向う。
「お義母さん!」
「ん」
息も切れ切れの私と対照的に、血に濡れたお義母さんは極めて冷静だった。その隣には、目から光が失われた馬の獣人の姿があった。
「大丈夫、私は無事。よく、頑張った。お疲れ様」
「うん。でも、その人は……」
「ダメだった」
私を褒めた後、少し目を伏してお義母さんは言った。
やっぱり少し悲しいのかもしれない。もう少し、早く動ければ。悔いる私に、お義母さんが言う。
「この人から、伝言。『約束は破っちまったが、ちゃんとお義母さんは守ったぞ。だから、ちゃんと親孝行するんだぞ』って」
「……うん。わかった」
しっかりと頷きながら、物言わぬ骸となってしまった人の言葉を噛みしめる。
背負え。そう言われているような気がした。
「ごめんなさい。それと、ありがとうございました」
光を写さなくなった眼を閉じて、頭を下げて両手を合わせる。
「お義母さん、早く避難所行こ。ここからだから……えっと、ギルドと王城が同じくらいの距離だし、どっちでもいけるけど」
だけど、今はしっかりと弔っている時間はない。
心を切り替えて立ち上がり……ズキンと走った痛みに顔をしかめる。
さっきまではアドレナリンで忘れられてたけど……全身ががすごく痛い。我慢は出来るし動きに支障はない。だから致命的ではないが、少し良くないかもしれない。
ポーションを頭から被るか、魔法陣を書いて魔法を使うか……迷っていると、急に少し痛みが引いた。
「お義母さん?」
「これくらいは、させて。背負ってもらったままでも、出来るから」
「分かった。それじゃ乗って」
頷いたお義母さんを背負い、魔剣を引き摺りながら私は走り出す。
向かう先は王城。
さっきの公園をまた通ることになるけど、その方が良いと判断した。
本来頼るべき軍は既に出動中。私のホームである冒険者ギルドはかなり遠い。あと無遠慮な奴らしかないからお義母さんが怪我をしてしまう。
だったら、少し危険性は増すけど、カンザキ邸の近くも通れる王城ルートの方が良い。
「アヤメ、ストップ」
考えながら走り続けること数分。
公園を抜け、王城が近くに見えてきた時のことだった。背負っていたお義母さんが、そう私を制止した。
「──来る」
その言葉に、感じていた嫌な予感がピークに達した。
直感に従って足を止めて横に跳ぶ。そのまま片手で魔剣を握りつつ、物陰に隠れて様子を伺う。……するとその数秒後、そいつらは現れた。
「嘘、でしょ……」
「現実」
路地の向こう。お義母さんに訂正されてしまったけど、思わずそんなことを言いたいくらいの相手が居た。
《ビースト級》が、
1対1であれほど苦労した相手が、同時に5体。
流石にこれは、無理と判断せざるを得なかった。
「あと、もう気付かれてる。だから早く、私を捨てる。じゃないと、アヤメが助からない」
「いや!」
嫌だ。
ここでお義母さんを助けるのを諦めるなんて、絶対に嫌だ。
そんなことをするくらいなら、アヤメとして戦ってでも時間を作る。
どうにかお義母さんを助ける。
そうじゃなきゃ、あの馬の獣人も報われない。なによりも私が納得できない。
「だから、私がなんとかするから、お義母さんはまた隠れてて」
「駄目。今のアヤメじゃ、戦ってもきっと殺されるだけ」
背から下ろしたお義母さんは、まっすぐ私を見つめてそう言った。
その目からは嘘や虚飾は一切見えず、真実しか言っていないのがわかる。だけど、私1人が生き残ったところでなんの意味もない。だから──
「でも、それでもって抗ってこそ、英雄でしょ?」
──戦うしかない。
お前は英雄の娘だろう
焼き切れそうな恐怖を抑え、私は頭を切り替える。
それがお義母さんにも分かったようで、意外と素直にお店の中に隠れてくれた。出し惜しみは無しだ、身体は壊れちゃいそうだけどやるしかない。
「刃金に満ちよ、我が祈り──希望の
魔力が励起される。
心臓が早鐘を打つように鼓動を始める。
少し遠退いた意識をどうにか引き戻し、スキルを全開にして、魔法を使う準備も整える。
「
そして、魔剣を起動させた。
能力の名前のように、全てを薙ぎ払えるようにと祈りを込めて。
魔剣が発光し、魔力が流れ込み、全身の力が賦活される。
そうして、絶望的な戦いに挑もうとした時のことだった。
「刃金に満ちよ、我が祈り──希望の
そんな男の人の詠唱が、耳に届いた。