「なん、で……」
余りにも唐突に現れた、確実に現状を打開し得る戦力。私を守るように現れた旧知の人物に、思わずそんな声が漏れた。しかし背を向けたその姿は何も答えない。代わりに、極めて高密度の魔力が爆発的に溢れ出た。その属性は、光。
「いいのかよ、軍大将サマよ。あんたがそいつを、国賊であるアヤメ・キリノを守ったりなんてしてよ」
「何を勘違いしている?」
鍛え抜かれた刀のような、冷たく鋭利な声が響いた。その声に応じて、風が吹き抜ける。
「俺がいつ、そこの少女を守る為に来たと言った」
「なら見捨てるってのか? 獣人界における力の象徴が、目の前で死に掛けている子供を」
「戯れるな」
そうアヒムさんが告げた瞬間、鮮血が噴き上がった。とは言ってもそれは私やアインの物ではなく、セプテントリオさんの肩から切断された両腕から噴出した物。逆に私は四肢を拘束していた氷が砕け、アインは吊り上げられていた状態から解放されていた。
そして私には、何をしたのか一切見えない。バルト相手の時と違って、音も残光すら見つけられなかった。
「そも、国賊という認識自体が誤りだ。それを知らぬ貴様ではあるまい、セプテントリオ元少将」
「捨てた名だ、それにもう見合わねぇ。2度と呼ぶな大将」
へたり込んだままそれを聞いている中、焼け付いたような……戦場の空気を感じた。手足の感覚はまだ戻ってこない。逃げることも戦うことも、ましてやアインを助けることすら出来ない。今の私は、ひたすらに無力だった。
「そうだな。俺の感傷でしかない、か」
背負った2mを超える両刃の大剣を抜き放ち、片手で構えながらアヒムさんは首を横に振った。一瞬だけそこに見えた懐古のような気配は、魔剣が青白い燐光を発した途端に切り替わった。
見ているだけで心臓を握られているような悪寒の、命を握られている危機感を感じ燐光。それに照らされ黄金の刃に反射したその姿は、鋭く研がれた鋼の気配を纏っていた。
「女王からは『殺すな』と命令されたが、貴様相手に遠慮する理由もあるまい」
「もう勝ったつもりかよ大将ォッ!」
笑みを浮かべながら、セプテントリオさんが孔雀のような氷の翼を広げた。恐らくアレが、正真正銘最後の隠し玉。その顔には汗が浮かんでおり、最早足元に転がるアインに意識さえ向けていない。当然だ、そんなことをしたら死ぬしかないのだから。
アヒム・ロイス・ケラウノスという人間は、獣人界に3本しか現存しない試作型魔剣は、絶滅剣ティタノマキアは、そんなどうしようもない存在なのだから。
「ああ、その翼を出すまで消耗した貴様など、どうとでもできる」
「そうかよッ!」
裂帛の気合いと共に気温が更に低下し、身を低くしてセプテントリオさんが突撃した。切り落とされたはずの両腕は、いつの間にか凍りつきながらも元に戻っている。
「貴様の持つ秘呪も、俺との相性は最悪だ」
だが、意味がなかった。そんな私だったら為す術もなく凍らされる突撃を、アヒムさんは正面から受け止める。それでいて無傷で魔剣を一閃し、終わり。深く深く一文字に、セプテントリオさんの胸を斬り裂き吹き飛ばした。
「ああ、だがアンタは、こういう手には弱い。限界駆動してなきゃ、こっちのもんだ!」
しかしそれ自体が、セプテントリオさんの狙いだったらしい。血を噴出させながらも、背負っている氷の孔雀羽に紫色が満ちた。それはよく見なくても分かる、次元の属性。
「空間歪曲、対象指定、転移目標設定完了」
舌打ちをして踏み出したアヒムさんの姿が、その場所から殆ど動かない。空間を捻じ曲げて距離を稼ぐなんていう、次元魔法の極致の効果だ。仕組みと陣は知っていても、実際に目にしてこれ程までに意味のわからない光景もなかった。
「あばよ大将、炎金の打ち手、ナーハフート!」
そんな爆弾を放った直後、セプテントリオさんの姿は魔法陣に包まれ消えてしまった。極寒の空間が解除されたことからして、完全に立ち去ったらしい。倒れたアインの隣にあった封印球が消えている辺り、ちゃっかりと仲間も全員回収して。
「逃したか……やはり俺は、あの方のようには」
そうなるとこの場に残るのは、4人だけ。手足が満足に動かない私。限界を迎えて倒れているアイン。気絶したままのリヨンさん。そして、軍のトップであるアヒムさん。
最大の問題が、世間的に
「アヤメ・キリノ……いや、アヤ・ティアードロップと呼んだ方がいいか?」
「なんですか?」
剣を納め少し躊躇いがちにかけられた声に、自嘲を込めて答えた。もう
「随分と、変わったな」
「そう、ですね……自覚はあります」
そう、私は変わった、変わってしまった。もうお義母さんといた頃みたいに、笑える自信がないくらいに。どんな顔をして笑っていたのか、思い出せないくらいに。
「それで、捕まえるんですよね。私を」
「……ああ。戦争の真実を知っている身として、処刑されないよう手は尽くす。だが、2度と城から出ることは叶わないだろう」
「ですか。殺されないだけ、マシですかね」
なんとか、笑顔を作って答えた。ここで下手に抵抗して殺されるより、セプテントリオさんの道具になるより、よっぽどマシな結末だ。
そう自分に言い聞かせ、炎のドレスを解除して服を着た。いい加減馬鹿らしいし、武装解除にも見えるだろうから。
「抵抗はしません。魔剣は、手放すと気絶すると思うのでもう少しだけ持たせてもらいますけど」
「問題ない」
顔を伏せたアヒムさんに、念のため両手を挙げて答える。魔剣は手放せば意識も手放すことになるだろうから話せないけど、これで完全に戦う意思はないと示せたと思う。
「ありがとうございます。それと、連行前に2、3お願いがあるんですけどいいでしょうか?」
「俺の立場で答えられるものなら」
まだ手足は動かなくて歩けないけど、助かった。これで私ももう、未練なく終われるかもしれない。
「1つが、ママとパパのお墓に行かせてください。近くの山のすぐそこにあるので」
「構わない」
どうせ私は、今回のお墓参りで旅を止めようと思っていたのだ。その後のことは何も考えてなかったし、それなら行き着く先が獄中でも良い。どうせなら、魔剣関係の技術は絶やしたくない程度の考えしかないし。
「2つ目が、アヤ・ティアードロップは死んだことにしてください。セプテントリオさんと私で殺したようなものですから」
「構わない」
今まで私が関わって来た人に、私が原因で不幸にはなって欲しくないから。世の中には、元7英雄や私が関わっているだけで、それを忌避し迫害する連中がいる。それなら、いっそ死んだことにした方が都合が良い。
「それと、最後のお願いが……って、あれ?」
と、最後にアインのことをお願いしようとした時のことだった。先程まで倒れていた場所から、アインの姿が消えていた。それではなんとなく頼みにくく、辺りを見渡すようにして──
「アヤ!」
いつの間にかこちらに来ていたアインが、私を抱き抱えるようにして飛んだ。何が、と思った瞬間襲って来たのは熱。正確には、そうと見紛う程の痛みだった。
「え……?」
アインを貫通し、私のお腹の半ば程まで突き刺さっていたそれは、見覚えがあり過ぎる木製の槍だった。紫色の毒々しい線が走るその魔剣の銘は、
「咲きなさい、マンチニール!」
気絶していたはずの、リヨンさんに他ならない。そう遅過ぎる認識に至った時には、全てが手遅れだった。
血に濡れた枝が、アインの全身を内側から食い破る。腹、胸、肩、腰、どの箇所の傷も、医療や魔術知識がない人が見ても、致命傷と判断するような物だった。
そして私自身も、魔剣を握っていなければ即死の致命傷を貰っていた。マンチニールの穂先が刺さっていた部分から、内臓を食い荒らすように無茶苦茶に枝が伸びている。息も殆ど出来ないから、多分肺もやられている気がする。
「ゴボッ……」
枝が縮小し、引き抜かれる感覚を感じながら、逆流してきた血を吐き出した。そしてそのまま、力が入れられずアインに抱えられたまま地面に投げ捨てられた。
治癒系の魔法陣を思いつく限り生成、魔力を注ぎ込み起動したけど、ダメだ。これじゃアインは助からないし、私も確実に悪影響が残る治り方しかしていない。
「は、ハハ、やったわ! 確実に一手!」
見上げたリヨンさんの目は、見知った親しみの篭ったそれからよく見慣れたものに変容していた。憎悪、殺意、歓喜、悪意、全部が入り混じったような、
ああ、そうだ。そうだった。普通
「死になさい、クソ野郎の娘!」
歓喜と殺意に満ちた声をあげ、リヨンさんがマンチニールが振り下ろす。狙いは首、魔剣を持っていても断たれたら死ぬ部位。避けることも守ることも出来ないそれに、せめてアインが助かることを祈り目を瞑って──
「私刑を許すと思ったか」
訪れるはずの終わりは、そんな声に断ち切られた。目を開ければ、リヨンさんの腕ごと断ち切られたマンチニールが空を舞っていた。そんなことを行えるのは、この場にはもう1人しかいない。
「なんで……なんで軍大将が、悪魔の娘の味方をするのよ!!」
「既に罪人の身柄は軍が引き受け済だ。であるというのに、私刑によりその命を奪うのは、明確に法を犯している」
そう答えながら、精霊術による回復がアインにだけ掛かったのを感じた。当事者である私には手を貸せないけれど、アインだけなら巻き込まれたということにできるのだろう。
「だとしても、だとしても私は! そこの悪魔の娘を殺さないといけないのよ! 魔剣のせいで、何もかもを壊された私たちは!」
「話にならないな」
「何も知らないくせに囀るな!」
「いいや、全て知っているとも。後天的魔剣適合研究所を全て斬滅したのは俺だからな」
激昂するリヨンさんに対し、あくまで淡々とアヒムさんは答える。
「名の通り、担い手がいなくなった魔剣を後天的に別の人物に適合させる為の異端技術を研究していた研究所だったか。その過程に無数の獣人や魔人を実験動物とし壊していたな。壊滅のきっかけは、俺と当時部下であったセプテントリオを含めた少将までを使った、少数精鋭での電撃作戦。その後セプテントリオが姿を消し、北風貪団を結成したことからそちらも調査はしてある」
「なら、なんでよ……なんで理解してくれないのよ!」
「今は感情ではなく、法の話をしている。治安維持機構の長である俺が貴様の私刑を見逃せば、国が緩む。そうなれば、辛うじて国としての体裁を保てている最後の国が崩壊する。その意味は自明だろう」
そんなやり取りが行われる中もアインの回復は続けられているけれど、アインはピクリとも動かない。聞こえる呼吸の音も、心臓の音も小さいし、体温もゾッとするほど低い。蘇生の見込みは、もう殆どない。
「ははは……は、は……」
いつも、いつもそうだ。いつだって世界は、私から大切なものを奪っていく。ママも、パパも、お義母さんも、趣味も、自由も、時間も、食べ物も、住まいも、尊厳も、大切な人も。全部一方的に奪い去って返してくれない。
この世には、手を差し伸べてくれる救世主はいない。夢を守ってくれるヒーローはいない。いるのは、皆殺しの英雄だけ。そして英雄は、殺すか壊すかしか出来ない。知らない誰かを助けることは出来ても、泣いている子供1人助けてくれなかった。
《さざざ、ざ──》
それなのに、そんなこと分かりきっているのに、私はずっと目を背けていた。良い人なんてどうせもういないのに、成り行きで助けてくれる人しか、もうこの世にはいないのに。
「ばかみたい」
視界が歪む。目から溢れる熱い何かが止まらない。それでいて、悲しさは幾らでも湧いてくるのに、怒りは悲しいくらい自分にしか湧いてこない辺り、やっぱり私は生きるのに向いてない。それでいて死にたくないなんて思っている辺り、我ながら本当に救いがない。
「全部、壊れちゃえばいいのに」
自分も世界も呪うように、思わずそんな言葉が口から溢れた瞬間だった。煩いほど鳴り響いていた砂嵐が、ピタリと止んだ。
《条件を達成しました》
《旧世界運営システムと接続します》
そうして聞こえてしまったのは、聞かないようにしていたステータスの音声と同じ、しかしどこか違うクリアな音声だった。砂嵐はもう鳴らず、代わりに何かが壊れた音がした。