「刃金を満たせ、理の残響──世界の██を█く為」
ノイズ混じりの言葉の未知の詠唱。私の知識にはないそれは、私の知らないナニカを原動力にして、私の知らないナニカを発現させようとしていた。
決して私のものではない、狂気的な密度の感情。本来からは捻り曲がった、受け入れるべきではない歪み。嗚呼、だけど悲しきかな拒絶できない。直前まで祈っていたことがほんの少し似通っていて、私に力を受け止める下地が出来てしまっていて。何かもう一つ、致命的な要因が、私をこの停滞の理に染め上げていた。
「
口遊む詠唱は日本語。勝手に動く左腕が綴るのは、文字自体はほぼ知っているけれど読めない謎の言語。
「
文字1つ、音1つを聞くたびに、自分の中でナニカが致命的な、不可逆の変化をしていくのがわかる。どうにかして止めなければと思うけど、身体が一切自由に動かない。まるでゴースト系の魔物に憑依でもされ……憑依?
「
そこまで考えが巡って、漸く思い出した。かつてニードヘッグと呼ばれていた意思が私を指して言った言葉。「神楽舞い散る憐れな巫女」、その言葉が正しければ私は巫女ということになる。
「
巫女とは神に使える者。神を奉じる者。私にそんな自覚はないけれど、であるなら、今のこの状況はまさしくなのではないか。さっき私が考えた、ゴースト系に憑かれたソレと同様の現象。つまり、
「
神憑き。或いは神降ろし。
考えがそこまで至った瞬間、対抗策を練る間もなく詠唱は完成し、歪みが解き放たれた。
私を中心にして放射状の蒼い波導が解き放たれる。その蒼に触れた瞬間、何もかもが停滞を始めた。吹き荒れるこの風も、私の乗る箒の動きも、ニードヘッグの動きも、降りしきる斬撃の雨も、そして時間の流れさえ。
「何、これ……」
何もかもが停止に近い停滞に包まれた世界の中、思わず私は呟き、身体の自由が戻ってきたことと、自分が何故か一切の停滞に囚われていないことに気がついた。
仮に魔剣の効果だとしても、幾つもの性質が試作型級に届くような異常風景。であるのに、まだ蒼の波導は拡大を続けていた。
そして波導が大地に、正確にはそこに咲く夢の花と、はびこる【悪魔】共に触れた瞬間また異常が起きた。逃げる間も無く、波導に飲み込まれた花と悪魔が蒼い結晶体に姿を変えていく。
見覚えのある色。見覚えのある光沢。仮にでも扱ったことのある素材だから、この距離でもわかる。
「知らない。私こんなの、知らない……!」
眼前の光景は物理法則からも、魔法法則からも、魔剣の理からも外れている。本当に意味不明な力。ただ知らない。それが、そんなことがこんなにも気持ち悪くて怖いなんて、思いもしなかった。
いいや、今はそんなことを考えてる場合じゃない。花も悪魔もクリフォトの結晶に変えてしまったこの蒼い波導。性質はほぼ分からないけど、生きているモノは手当たり次第に変えているように見える。それはつまり──
「リィン! アイン!」
2人ももしかしたら、クリフォトの結晶になってしまっているのではないか。そんな最悪の想像が頭をよぎる。だが今私がここを離れれば、停滞してるだけで止まっていない斬撃がニードヘッグに直撃する。
『余は無事だ。ニードヘッグの稼働速度が低下しているが、それだけで問題はない』
「当方も問題は発生していない。だが、当方もあまり長くは保たないぞ」
脳裏をよぎった最悪は、なんとか現実にはならないで済んだらしい。そのことにホッと胸を撫で下ろし、右腕の激痛が意識を現実に引き戻した。
「私も正直もう破られます。なので、出来るだけ早く!」
『分かっておる、あまり急かすな! それと、この状況についても後で説明して貰うぞ!』
「私も分からないことばかりですよ! でも猶予時間は生まれてます!」
蒼の波導が広がり続ける中、ほんの少し生まれた猶予時間。値千金を超える今、極限状況から僅かに脱せた今だからこそ、冷静に頭を働かせることが出来た。
恐らくこのままだと、リィンさんの駆るニードヘッグの砲撃が敵に直撃するより早く、アインはともかく私の防御は破られる。
「リィン、今のニードヘッグは納刀中ですよね?」
『うむ。戦闘中はそちらの方が正常であるからな』
「ですけど、今すぐ抜刀状態に移行してください」
外部からのエネルギーを一定値までしか吸収できない納刀状態より、限界を超えて吸収できる抜刀状態の方が良い。その方がきっと、私の守りが崩れても保ってくれる。
『何故だ?』
「一分一秒でも長く砲撃を持続させるためです。アインはともかく、私の防御はもう保ちません……ごめんなさい」
『そうか。だが防いでくれただけで重畳だ。あまりそう卑下するな』
そう言ってくれただけで、ほんの少し気持ちが軽くなった気がした。
『敵を捕捉した。だがこれは、本物か?』
「報告を要求する」
『あい分かった。左腕が身の丈以上の巨大な剣になっている、ボロを纏った大柄な人型だ。顔は見えぬが、屍人のような枯れた身体と白い色をしておる。そして、余達を今もはっきりと見ている。挑発としか思えぬな』
「でも、間違いなく本体でしょうし、他の相手を探す暇もないです」
本格的に、私の展開するディフェンダーの光陣が崩壊を始めている。無数の大きなヒビが入り、ギリギリ斬撃を踏み留めてはいるが……もう無理だ。
『……仕方あるまい。
これよりニードヘッグ主砲による超長距離砲撃を実行する! その後アヤメとアインを転移にて艦内に収容、対砲撃状態にて撃墜阻止を図る。問題ないな!』
「認識した」
「問題ないです」
そんな私の戦う意思に呼応するように、急速に蒼の波導による影響が消滅していく。結晶化していた悪魔や草花は砕け散り始め、停滞していた空気の流れも何もかもが、ゆっくりと元の速度に戻り始める。
「よく分からないですけど、停滞が解除されます!」
『認識している!』
同時に私の中で編み上げられていた何かも、どうしようもない速度でほつれて、解けて消え始めている。つまり、この
『ロックビーム照射、照準固定。魔力反応炉縮退域へ。エネルギー流路、砲塔へ直接接続。仮装砲塔展開!』
刻限が刻一刻と迫る中、開いたニードヘッグの口腔を覆い隠すように、濃密な魔力で造られた砲身が展開されて行く。パッと見500mはある砲塔が、私には見えない敵を照準し──
『縮退臨界。貫けぇぇッ!!』
リィンさんの初めて聞く叫び声と共に、黒く染まった複数属性混合の魔力が瞬く間に空の彼方まで貫き通した。僅かに残った空間の汚染を炎の要素が焼き払い、水と風の混合要素で清め、その中心を最速の光と龍の属性が駆けて行く。
そしてその行く末を見ることなく私の視界は暗転し、身体は艦内の食堂へと放り出されていた。一瞬遅れてアインも現れ、テーブルや椅子を蹴散らしながら墜落気味に制動する。
『総員、対ショック姿勢!』
その警告に魔剣の限界駆動を解除。箒に刺している分もスキルの中に収納し、箒による防壁を全力で展開。しかしそんな努力は無駄だというかのように、空間全てをシェイクする衝撃に襲われた。
そして私の意識は闇に堕ちていく。自分が生きているのか死んだのか、どれくらいの傷を負ったのか、その程度のことを確認すら出来ない場所へ。命の溢れる音を聞きながら。
◇
同時刻、高空1万m地点にて。左腕を振り終えた人影が呟く。
「落ちたか。だがアイツの娘も、まだこの程度か」
たった今、ニードヘッグの主砲を左手と同化した大剣で斬り払ったこの人物こそが斬撃の雨を降らしていた張本人。墜星であった。
薄汚れたマントを頭から被っているせいで、その姿を正確に測ることはできない。だがそれでも大柄と断じられる程度ではあり、枯れていると断じられる程度には枯れた身体をしていた。
それ以上に特徴的なのが、その大柄な体格に匹敵する刃が左腕の前腕部と同化するように存在していることだった。無数のヒビ割れが走るその剣は、まるで生きているような雰囲気を放っている。
「そう言ってやるなよ八岐」
「玉兎か。いつからそこにいた?」
冷たい目で墜落するニードヘッグを睥睨する八岐と呼ばれた墜星に、そんな声が掛けられた。振り向けば、いつからそこにいたのか薄汚れた白衣の姿。玉兎と呼ばれる墜星がニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「今さっきだよ。あんたが余計な追撃で、あいつら3人を殺さないようにな」
「俺とてその程度は弁えている。新芽を摘むような愚は犯さない」
「どうだか。手加減してるとはいえ、あんたの斬撃雨を生き残ったんだ。私らも成りたてはあの程度だったってのに、厳しすぎんだよ八岐は」
ケッケッケッと笑う玉兎に、八岐は露骨に嫌そうに眉を顰めた。更にはその白目が黒に、黒目が真紅に変わった双眸で玉兎を睨みつけながら言う。
「だが、最早ゆっくりと成長を見守る、なんてことが出来ないのは貴様も分かっているだろう?」
「まあな」
今度は玉兎が顔を顰めて言った。そして何処から取り出したのか、タバコのような物体を咥え空を見上げて呟く。
「クリフォトの崩壊は近い。私らが全力で駆け回ってまあ……どんくらいだ? ちったぁ伸びて1年保たねぇくらいか」
「だろうな。そして、クリフォトが崩壊した時こそ、この世界の終わりだ」
「分かってるっての」
吐き捨てるような言葉の後、墜落したニードヘッグが別の魔剣の勢力圏に囚われるまで沈黙が続いた。
「最悪のシナリオに対する状況はどうなってる?」
「ボチボチだな。金烏がクソ悪魔共を鏖してクソ共の親玉のリソースを削り中。大和は決戦に備えて人間界で待機中。私が最悪に至らねぇように調整中。で、今は八岐……あんたが、今は奴らの見極め役だ」
「やはり、手が足りんな」
「ああ、でも私らしかやれねぇんだから諦めろ。それが役目ってやつだ」
「そうだな」
再び二者間に沈黙が広がる。それもその筈、本来であれば2人は敵対者であり天敵同士。ウマが合うなんてことは、有るはずもないのだ。長い時を過ごしてきても、それは変わらない。
「まあ、時間がないのは確かだしな。次は無理だろうが、それ以降なら介入して良いとさ」
「そうか、半ば促成栽培になり兼ねんが良いのか。だがあの程度の力量に俺を当てるとなれば、殺すことになるぞ?」
怒りを殺したような声音で八岐が言う。見ず知らずの他人が聞いても不機嫌であるとわかるようなそれに、変わらない呆気からんとした態度で玉兎も答える。
「どうせ元より、1回は死んでもらわなきゃ話になんねぇんだ。それが遅いか早いかの違いでしかないだろ?」
「それもそうか」
「そうだよ。だからまあ、魔界での権利は全部お前に渡すんだと」
「有り難いな。俺の裁量でやれるなら、悪くない。ああ、悪くない」
言って八岐が嗤い、その様子を見て玉兎が嫌そうに表情を歪める。そして関わりたくもないと手をプラプラと振り、八岐に背を向けた。
「ってなわけで、あばよ。ああそうだ。死ぬ前に1回くらい、金烏と大和に挨拶してから逝けよ」
「お前こそ、まだ確か弟子が生きていただろう。忘れるなよ」
「あたぼうよ。というより、私はアイツ以外に殺されるつもりは無ぇ」
言いながら、玉兎が長距離転移の術式を完成させる。この場所に来たのも、この魔法を使ってのことだったのだろう。
「お互い、弟子には恵まれた生だったよな」
「ああ、その事は疑う余地もない」
「だな。あばよ、オウサマ」
最後にそんな会話を交わしつつ、玉兎の姿が掻き消える。
そうして残された八岐も、すぐに魔界の闇の中に消えて行った。
未だ全ては掌の中。