微睡みの中、以前よりも良くなった嗅覚が美味しそうな匂いを嗅ぎ取った。それに続くのは、トントンと響く包丁の音。どこか懐かしい記憶を呼び起こしながら、私はゆっくりと目を開けた。
「…………んむ」
一番最初に目に入ったのは、見慣れた我が家の天井。入ってくる日の光の傾きからして、まだ午前中ではあるらしい。眠気の靄に包まれた頭でそんなことを考えつつ、私は身体を起こした。
ヌイグルミが散乱したベッド。旅行に行った時の写真が収められた写真立て。色んな物が整理はしたけど雑多においてある机。いつもの私の部屋だ。違和感
「とりあえず、起きないと……」
幾ら何でも寝過ぎた気がする。幾ら私が……私、が? 昨日は、私は何をしてたんだっけ? 記憶が靄がかっていて思い出せない。でもとりあえず、お腹が空いた。
「ガチャン?」
そう思って立ち上がった時、そんな金属音が足元から鳴った。何か落し物でもしていたのだろうか? そう思って脚を見れば、そこにあったのは肌の色ではなく金属の光沢。私の脚は、ミスリル色の義足に変わっていた。違和感
「なんでだっけ……?」
思い出せない。けど、もう普段通りに動いてくれるらしい。だったらまあ、良いんじゃないだろうか。多分悪いことには、ならない筈だから。
一旦思考を切り上げて、手櫛で髪を整えながら靴を履いて部屋を出る。部屋を出てすぐそこにあるのは鍛冶場。珍しく火が入ってないそこを通り過ぎて外に出れば、青く、青く晴れ渡った何もない空が広がっていた。違和感違和感違和感
「っ!」
何故かその
なんてことを考えながら、歩き慣れた我が家に向かう道を歩く。綺麗な門違和感、きちんと整備された家の屋根違和感、平和という一言で表せそうな街並み違和感。
何か夢を見てるような感覚のまま、台所に向かって歩いて行く。そうだ、お義母さんの為にも私が朝ごはんを作らなきゃ──
「おはよう、アヤメ。寝る子は育つって言うけど、こんな時間まで寝てるのは良くないと思うよ?」
その、後ろ姿を見て、全ての思考が吹き飛んだ。
私よりも低い身長。銀色の長い髪。赤と蒼のオッドアイ。狼の耳はピクピクと動き、楽しそうに尻尾も揺れている。そして踏み台を使って、エプロンを着けて料理をしてるその姿は、
「マ、マ?」
「うん? どしたの? そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」
紛れもなく、もう会える筈も無いママの姿だった。幻術か、それとも幻覚か、あるいは走馬灯か。魔法のハッキングや古典的なほっぺをつねる方法を試しても、私の五感は狂っていないことが分かる。つまり、
「本、物?」
「私は私だもん。そりゃあ、本物だよ?」
何もかもが、私の知ってるそのままだった。姿も、匂いも、雰囲気も、何もかもが。その現実にやっと意識が追いついて、我慢出来ず涙が溢れた。それにもう、立っていられなかった。
「ど、どうしたの!? 怖い夢でも見た?」
「うん……うん……」
へたり込んだ私に駆け寄ったママが抱きしめてくれた。だめだ、考えも安定してない。心の中もぐちゃぐちゃで、嬉しいとか悲しいが混じりすぎていて、形容しがたいほど混沌としている。
「そう、かも。こわいゆめ、みてたのかもしれない……」
多分この喪失感も、悲しみも、懐郷感も、きっと何か嫌な夢でも見ていたのだろう。もうその内容は覚えてないけど、きっとそう。
「そっか。でも大丈夫だよ、ママはちゃんとここにいるから」
優しく抱きしめてくれる感触に、アヤメ・キリノという仮面が保てない。お義母さんが死んでからずっと保っていた仮面が、ぐずぐずに崩れて壊れていく。
「わたし、わたしね……」
「何があったのかママには分からないけど、よく頑張りました。もう大丈夫だから」
優しく撫でられる感覚に、普段なら絶対に使わない? 取り繕わない言葉遣いまで戻ってきてしまう。私を私としていた最後の一線が解けてしまう。そうなったらもう、耐えられる訳がなかった。
堰を切ったように、今までの不満が口から溢れる。押し殺していた感情の奔流が止められない。そうして抱えてた全部を吐き出してからの記憶は、ふわふわとした曖昧なもので覚えてない。
ただ私と、ママと、パパと、お義母さんの4人揃って、私の主観で6年以上ぶりにテーブルを囲んでの団欒が出来たことだけは、なんとなく覚えてる。そしてその時間が、何処までも幸せであったことも。
感じていた違和感も、何処か遠くへ消えてしまうくらいに。
◇
「久し振りに戦いたい?」
「うん、夢のせいかも知れないけど、改めてパパと戦ってみたくて」
涙が出そうな一家団欒から少し経って。私は、庭の開けた場所でパパと向かい合っていた。一応訓練だから、お互いに握るのは木剣。
戦う理由は明白。あの夢……夢じゃないかも知れないけど、あのずっと命を奪い奪われの関係の中にいた私が、今ならもしかしたらパパに届くかもと、そう思ったから。
「俺は構わないが……アヤメはいいのか? イオリ……じゃなくて、ママと一緒じゃなくて」
「うん。ママとはいつでも居られるけど、パパは仕事もあるし」
「まあそうか。じゃあ始める前に確認だ。魔法はなし、飛行はありとなしどっちにする?」
「遠慮なく飛んでいいよ」
「分かった」
言うと、パパの背中に機械仕掛けの羽が広がった。アレと右手の義手、両の手に握った長短一対の剣こそが、ロイドという英雄を象徴する武器だ。
戦い方は基本的には我流。冒険者として鍛えられたそれに、分かりやすい型も弱点もない。生き残り、より多くを殺す為の一撃離脱戦術。それが晩年に剣聖と呼ばれてた……筈のパパの剣術だ。
対する私は、簡単に言えばそのデッドコピー。同じ双剣使いで、ただ私は両手ともに短剣。もう1つ、前時代の武術……確か正式名称白虎式生存殺法という体術は修めているけどそれだけ。それでも、自分に最適化はしてきた。それが理想に何処まで通用するのか知りたくて──
「それじゃあ、行くか」
瞬間、既に長剣の切っ先が目の前まで迫っていた。
反射的に身を逸らして回避し、足りない分も何とか左手の斬撃を間に合わせる。長剣の刀身を滑らせるようにして刺突を捌いた流れで、私も全力で鏡写しの刺突を返す。
そして私が捌けた刺突がパパに捌けない筈もなく、同じだが数段上の技術で流される。そしてお互いの両手が流れた以上、魔法を除いた使える手札は残り2つ。頭か、足か。
「シッ!」
「セァッ!」
奇しくも、私もパパも脚による攻撃を選んでいた。
超速で私を撃ち抜くべく放たれた膝に合わせるように、開いた両手を軸にして
この体勢だとやれることが殆どない。舌打ちしつつ、せめてもの抵抗として、尻尾を追撃の目を誤魔化すように動かす。コンマ数秒の逡巡の間に右手を引き戻し背中に回しつつ、反動で左腕を突き出し斬撃を繰り出して──
「あれ?」
当たるはずのない私の左の斬撃はパパの頬を掠め、直後防げるはずもない斬撃を右の短剣の腹が受け止めていた。無論衝撃が消えるわけではないから、私の軽い身体は勢いよく吹き飛ばされる。
それでも特に何処かを痛めることなく着地して振り返れば、パパの左頬に一本の赤い線が走っていた。強烈な違和感その跡はすぐに癒えて消えてゆくけれど、ぽりぽりと頬を掻いてパパは笑顔だった。
「まさか1発当てられるなんてな。少し見ない間に、強くなったじゃないかアヤメ」
木刀を手離したパパが記憶通りに頭を撫でてくれるけど、なんだか釈然としない。手加減をされたのは性格的にありえない、だから私の実力が上がっているというのが、理性的な結論ではあるけど……どこか、拭いきれない違和感がある。けれどそこには、霞みがかったような違和感が邪魔してたどり着けない。
そして何より、私の中にある感覚がパパを越えたどころか匹敵した……いや、それ以前に影を踏めてすらいないと言っているのだ。信じられない、端的に言うのであれば私の抱いている感情はこれだった。
「ううん、多分今のはまぐれだと思う」
「ならもう一本やるか?」
「うん! 出来れば、空中戦のやり方も教えてほしい!」
でも、そんな考えは今は邪魔でしかない。久しぶりに、本当に久しぶりにパパと戦えてるのだ。1分1秒が惜しい身の上である以上、無駄にする、訳に、は……?
あれ? なんで私、1分1秒が惜しいなんて思ってるんだっけ?
そうして数時間みっちりと稽古をして汗を流した後、私は着替えを探しに自分の部屋へ歩いていた。
パパと斬り結んでいる間から、ずっと頭の中にある靄が取れない。だからいっそお風呂にでも入れば取れるんじゃないかと思って、提案したら全員で入ることになって……違和感それでだ。まあうちの風呂は広いから、パパに加えて子供体系3人が入ってもなんの問題もない。
「ふぅ……」
何故か未だに火が灯っていない炉を通り過ぎ、私の部屋に入る。そうしてどこか懐かしい違和感服と下着を漁り、適当に見繕ってベッドの上に放り投げる。
「そういえば、今日は色々ありすぎて挨拶してなかったっけ」
その服を追って目線を動かし、机に飾ってあるロケットが目が入った。そんなもの朝置いてあったっけ? という疑問と、いつも朝から挨拶してたのに忘れていたという、相反する考えが交錯する。それでもとロケットを手にとって、いつもの様に蓋を開いた。当然ロケットには写真が収められていて……
「あ……」
そこに写っているのは、いつも通り私が小さな頃の家族写真。
そう、それは私が6年以上ずっと見続けてきた写真。
パパとママの遺影代わりに、ずっと見ていた写真だ。
震える手からロケットが落ちる。脳内の靄が消えて散っていく。思い出が、記憶が、爆発する。
「ああ、そうだ。そうだよ。こんな、こんな都合がいい世界あり得るわけがない」
ああ、全部思い出した。
ママとパパは死んだ。とっくの昔に死んでしまっている。
お義母さんも死んだ。私が助けられなかったから目の前で。
私の家はもうない。リュートさんが差し押さえてはいるらしいけど、それでもこんな綺麗な家はもうない。
私に残ってるものは、私以外何もない。身1つ以外何も、もうこの頃の残滓は残ってないのだ。
今はアインとリィンさんがいてくれているけど、それだけだ。
「……こんなの、あり得るはずがない」
フラつきながら外に出て、いつもはママの作品が飾ってあった場所に私が打った刀があるのを見て確信した。ここは、確実に現実の世界じゃない。
だって、私のあの刀がママの作品に及んでいるところなんて、込めた思いを除いて何もないのだから。
そして今私の隣には、アインもリィンさんもいない。いない?どこにも?なんで?なんで?なんで?
「何処? どこにいるの? ねぇ、返事してよ……」
虚空へ伸ばした手は空を切り、返事は当然返ってこない。つまり本当に私は今1人になってしまっている。それでもニードヘッグの時みたく、首を今すぐにでも掻き切りたいとは思わなかった。それはきっと、さっきまで幸せな思い出の中に浸れていたからで──
「思い出?」
思い出、そう思い出だ。そういう絡め手を使ってくる魔物か何かが居なかったか? ……思い出した、夢魔とかそういう系統。サキュバス……は私の性別的になしとして、ならインキュバスとか? いや、違う。それにしては、細部が鮮明に過ぎる。私はこんな細部まで家の構造は覚えてない。加えて、今日の最初に確認した魔法によるハッキングに引っかかる。
「なら、魔剣?」
瞬間、世界が揺らいだ気がした。気がしただけだが、きっと今の感覚は間違いではないだろう。つまり私は今、誰かの魔剣の術中にある。きっと、幸せな夢を見せるようなそれの効果の中だ。願わくばずっと、この幸せな夢で微睡んでいたい。
けど、ダメだ。
「許せない」
私の中に、消えかけたいた怒りの炎が灯る。
「許さない」
虚飾を許すなと、私の中の何かが吼えている。
「人の夢を、思い出を好き勝手にして」
それも私にとって、とびっきりに大切な思い出。それを勝手に弄り回して、改変して。人の逆さ鱗に触れて、生きて帰れると思うな。
「エターナル……は、無いんだ」
感情の奔流を何かにぶつけようと愛剣を探したが、何処を探しても見つからない。腰のいつも吊ってある場所にも、スキルの中にも、私の部屋の中にも。それどころか、探知した限り魔剣の「ま」の字すらこの世界には無いらしい。
それはそうだ、自分の能力に干渉出来るような要素、取り込む時に私でも削除する。だが、この場には1つだけ魔剣が存在している。
「……うん。2人とも、応えてくれてありがとう。ひなき、エティ」
それこそ私の義足、躯永剣脚アイリス。ついさっきまではただの義足としか認識できていなかったけど、今なら魔剣だと、祈りが篭った大切な魔剣だと分かる。
「だからお願い、力を貸して」
そしてアインの魔剣式でもあるアイリスは、常時通常駆動の状態にある。主に身体の代替としての機能だけど、馴染んでくれたお陰で解放するための
「
優しく私の命を吸って、未だ形の定まらない魔剣が解放される。それ故にただ力の塊のようなものが溢れ出て、世界がガラスのように割れ砕けた。
本当は
heredium(ヘレディウム)
じゃなくて
κληρονομιά(クリロノミア)
だったんですがボツになりました。fgoめ
あ、因みにどちらも遺産という意味です