銀灰の神楽   作:銀鈴

95 / 224
呪海を征く楽園の船【04】

「……まあ、無理ですよね」

 

 アヤメ・キリノは街へ入れられない。かつて飽きる程聞いたその言葉に、私は最早何の感情も浮かんでこなかった。ああ、またかとそれだけ。達観した考えしか浮かんでこない。だが、2人にとってはそう易々と受け入れられるような言葉ではなかったらしい。

 

「巫山戯るな!」

 

 何か反論しようとしたリィンさんの声を掻き消して、アインの声が轟いた。普段聞くことのない、それどころか変わり果てたかつての同僚を前にしても聞くことのなかったアインの怒声。そして見たことのない表情に、二の句が紡げなくなる。

 

「何故、いつもいつもそうなるんだ。誰も彼もアヤメ・キリノという個人を知りもしないくせに、その名前だけで悪と決めつける!」

「あ、あの、アイン?」

「ですが公的記録によれば、アヤメ・キリノは15歳まではリュート公爵夫妻による保護観察下で育つも、今年に悪魔を無数に呼び寄せ獣人界の王都を襲撃。その後行方不明になるも、数週間前に数少ないSクラスの冒険者アヤ・ティアードロップさんを殺害しています。そのことをどう説明するので?」

 

 アヤ・ティアードロップはアヤメ・キリノに殺害された……公式の記録としては、アヒムさんは約束通りそういうことにしてくれたらしい。最後が視線の主、墜星の乱入で有耶無耶になったうえ、私たちは逃げたのに。

 

「後者については当方が否定できる! 前者は……」

「いいですよアイン。こう扱われるのは慣れてますから」

 

 言われのない罪で言われるのは慣れている。だから別に気にする必要はないとアインを嗜める。とは言っても、車椅子を押してもらっている立場上、口だけになるが。

 

「だが、それでは──」

「それにさっきの言い方だと、何かまだ有りますよね? 言葉が矛盾してましたし」

 

 さっきタツミヤさんが口にした『私たちの乗船と滞在を認める』という言葉と、『アヤメ・キリノの乗船は認めない』という言葉は矛盾している。それどころか、少々とんちを聞かせれば両立し得る発言だ。

 

「ええ、勿論。それにしても、アヤメ様は随分の慕われているようで」

 

 だからこそ、いや、そうであることを信じてカマをかけ、タツミヤさんが首を縦に振ったことで思わず安堵の溜息が溢れる。

 そんな私の様子を見て、怒気を漏らしていたリィンさんの気配も平時のものへと戻っていく。私なんかのせいで、ここまで来て話がご破算に……なんてことにならなくて、心底良かったと思う。

 

「私なんかに有難いことです」

「つまるところ、どういうことだ?」

 

 人の良さそうな笑顔を向けてくるタツミヤさんを同じような笑顔で牽制していると、痺れを切らしたようにリィンさんが言った。顔は見えないけれど、アインからも似たような雰囲気を感じる。なら、こんな得のない牽制をしている意味はないか。

 

「多分ですが、私がアヤメ・キリノという名前じゃ無くなればいいんですよね?」

「ええ、そういうことです。かつて貴女が、アヤ・ティアードロップと名乗っていたように」

 

 ニコニコと笑顔でタツミヤさんが言っているのは、とんちや虚言の類だ。つまり私がここで偽名を名乗ればそれで終わり。記録として重犯罪者は乗船させられないが、公的記録に残らなければ別に構わないということだ。

 

「……そこまで知ってるなら、わざわざアインを煽らなくても良かったのでは?」

「俺も歳ですからね、目の前で青春している子を見ると揶揄いたくなるんですよ」

「ッ、不愉快だ」

「ハハッ、この街を守った英雄が青春してるんですよ? 俺じゃなくてもこうなります」

 

 少し声を荒らげて反論するアインと、それを笑って受け流するタツミヤさん。睨み合うその姿からは少なくとも、今すぐに武器を抜く様な雰囲気は霧散していた。

 

「折角ですし、アインも一緒に偽名名乗りますか? この街での英雄ってことは、面倒な絡みも多いでしょうし」

「当方は、遠慮する。当時とは髪色などが違うとはいえ、見る者が当方を見れば即刻正体が露見すると推測する」

「そうですか……」

 

 確かにアインの言う通り、今までも色々な人がアインを一目で人造人間だと見抜いていた。だったら偽名を名乗ったところで意味はないか。

 

「偽名……リィンは何かいい案あります? 私の偽名」

「余か? 余がつけて良いものなのか、己の名前だぞ?」

 

 そんな空気にわざわざ首を突っ込む気にはならないので、どこか遠くを見つめていたリィンさんに話を振ってみた。するとリィンさんはとても驚いた様に振り返って首を傾げた。

 

「一応リィンって魔王じゃないですか。だったら、魔族としての身分の名前は、折角ですしリィンに付けてもらいたいかなと思いまして」

「うむ……それなら、うむ、そうだな。名前とは己の存在を証明する特別で、大切な物だ。それを任せて貰えるなら、余も精一杯考えよう」

 

 そう言うと、リィンさんは顎に手を当てて動きを止めてしまった。真剣に考えてくれるのは嬉しいけど、私が呼ばれてとっさに反応しやすい方が良いしなぁ……

 

「やっぱり、記憶喪失が無難ですかね。私も、街としても、バレやすい代わりに誤魔化しも効きやすいと思いますし」

「なら、アイリスでどうだ? アイリス・エターナル。余たちがアヤメと呼んでも、愛称として捨て置ける。そしてアヤメの身に着けている物の名前の組み合わせだ。不自然さも少ないないであろう?」

 

 リィンさんが即座に言った名前を、胸の中で何度も噛みしめる。アイリス、アイリス・エターナル……特に違和感も嫌な感じもしない。それに呼ばれても反応しやすそうだ。

 

「いいですね。魔族としての私の名前は、アイリス・エターナルということで。ありがとうございます、リィン」

「気に入ってくれたなら何よりだ」

 

 お礼を言っただけなのに、何故かリィンさんに頭を撫でられた。嫌ではないけれど、不思議な気分だ。いや、今のうちに慣れておいた方がいいのか。

 

「さて、では貴女のことは魔族のアイリス・エターナル。種族は……適当にライカンスロープとかにしておきましょう。すみませんね、お手数おかけして」

「いいえ。この程度の手間で、街に入れてくれるだけありがたいです」

 

 だがこれで、本格的に名前程度は偽装できる道具を作る必要が生まれてしまった。何時、何処で、何に巻き込まれるかも知れない以上、明日にでもさっさと作らなければ。

 

「さて、では後のことはイトナミ、貴女に任せます。3人を適当に案内してください」

「認識しました。ハハッ、体よくイトナミに仕事を押し付けられて、さそ楽しいでしょうねぇと、誠心誠意心を込めて煽ります」

「なんでこの子だけ、こんなにも個性が発達したんだ……いいことではあるけど……」

 

 そう言って、タツミヤさんが頭を抱えた。そうして深く重いため息を吐くタツミヤさんに唾を吐く様な動きをして、何も変わらない微笑を浮かべたイトナミさんが振り向いた。

 

「ということですので、これより街の案内を開始します。準備はよろしいでしょうか?」

 

 これまで散々待たされたのだ。嫌ということも、準備が整っていないということもなく、私たちは大人しく案内してもらったのだった。

 

 

 魔王国第3首都ユ=グ=エッダ、分類上はユグドラシル級戦艦都市となるここは、同じような大きさの船7艦による船団で作られていた。左右2艦が縦列、中央に3艦が縦列の複縦陣。

 

 そう説明を受けながら、昇降機に乗って辿り着いた甲板に当たる場所。そこには、ありえない光景が広がっていた。

 

 青い空に白い雲。そして燦々と光る太陽。私たちが外で見てきた光景を、一瞬疑いそうになる程自然で精巧な作り物の空。それが見渡す限り、どこまでも広がっていた。

 私達がいるこの場所は船の端らしく殺風景だが、中心部に向かうにつれ無数の建造物も見受けられた。船の上だからか高層建築物はほぼ見当たらないが、間違いなく街がそこには存在している。

 

「これは……凄まじいですね」

「肯定します。我々が作り出した超大規模結界を褒めるとは、アイリス様もお目が高い」

「アイリス……あ、そうでした。私だって、物を作る者の端くれですから」

 

 一瞬自分が呼ばれたとは分からず、イトナミさんの言葉に反応するのがワンテンポ遅れてしまった。もし誰かに会って疑われる前に、早く慣れなければ。

 

「アヤメ、アイン。少しの間、余1人で動いても良いか?」

 

 そんな風に気を引き締め直していた時のことだった。リィンさんがそんなことを口にした。その視線は私たちではなくて、またどこか遠くに向けられている。

 

「私は構いませんよ。リィンはずっと、何処かに行きたそうにしてましたから。アインはどうです?」

「アヤメに同意する。当方たちによって、リィンの行動を縛ることはない」

「すまない、感謝する」

 

 言ってリィンさんは、待ちきれないといった様子で飛んで行ってしまった。しかしその方向は目の前に見える街ではない。方向的に別の船だろうか? 正確な船の配置が分からないから推測しかできない。でもきっと、その方向にリィンさんにとって大切な何かはあるのだろう。

 

「さて、ではイトナミは何処へ案内すれば良いでしょうか」

「取り敢えず宿を取って……それからどうします?」

 

 速やかに済ますべき用事は、精々それくらいだろう。どうにもまだ気を失うような兆候はないし、それならどう行動するかアインに聞いてみる。

 

「当方は、アヤメが良ければだが、この街がどのような生活をしているのか見てみたい。かつて、当方達が命を賭して守った街を

 

 すると珍しく、そんな答えが返ってきた。見上げるようにしてアインを見れば、その視線は広がる街に向けられていた。

 最後、聞き漏らしそうなほど小さな声で呟かれた言葉こそ、多分アインの本心なのだろう。そしてその領域は、向こうから話してくれるなら別だが、部外者が立ち入るべきじゃない場所だ。

 

「そうと決まれば、ちゃっちゃと行きましょう。まずは宿屋まで案内をお願いします」

「認識しました。最高級の宿屋へ案内させていただきます」

「え、あっ、ちょっと待ってください」

 

 さらっと最高級の宿屋とかいう場所に、案内をしようとしたイトナミさんを止める。アヤ・ティアードロップが死亡したということは、(アヤメ)は私の物であるのに(アヤ)のお金を使えないことになる。

 

「……よく考えたら、私今ほぼ無一文でした」

「おやまあ、と驚嘆します」

 

 手持ちには確か小銭として銅貨が少し有ったはずだが、私の全財産は基本的にアヤ・ティアードロップとしての物。一縷の望みをかけてアヤとしてのギルドカードを取り出してみたが、当然のように機能は停止していた。

 

「仕方ありません。今日の夜は適当な路地で野宿──」

「否定する。アヤメの分程度であれば、当方が出す」

 

 本当はベッドで寝たかったけれど仕方ない。適当に結界を張って、車椅子ごと身体をどこかに拘束して寝よう。そんな算段をつける中、アインがそんなことは許さないとばかりに割り込んできた。

 

「賢明な判断だと賞賛します。ユ=グ=エッダは航空艦ですので、路地裏等でお眠りになられた場合、最悪何処かへ振り落とされると忠告します」

「認識した。野宿させることはやはり容認できない」

 

 そう言われてしまっては、断りきれない。誰かに私の為のお金を使って貰うことは非常に申し訳ないし、受け入れ難いことだけど……アインならばまあ、変な要求をされることもないだろうし……

 

「料金は?」

「一泊食事・風呂付きで、金貨1枚*1となっております」

「……2人で、2泊が限界だ」

 

 その随分と高額な値段に、アインが苦しそうな声をあげた。1人で2泊するだけで金貨2枚、それが2人なのだから倍。安全を天秤にかける以上、妥協は出来ないラインだが……申し訳なさが凄まじい。

 

「因みにツインの部屋であれば、1泊金貨1枚と銀貨5枚の案内となっていると報告します」

 

 成る程それなら、私とアインの部屋が同じになるというデメリットはあるが、1泊2付きから銀貨5枚分宿代が浮く。

 

「なお、当艦では絶賛貴金属が不足していると進言します。ですので、もしオリハルコン等の貴金属をお持ちならば、ぜひ買い取らせて欲しいと懇願します」

 

 頭の中で算盤を弾いていると、あからさまに私を見てイトナミさんが言った。あからさまに名前を出してきたということはつまり、私がオリハルコンを作れると知っているのだろう。

 

「そう、ですか。私の体調が万全なら、宿代くらいは稼げそうですね」

 

 借金をしても返すアテが出来たなら……仕方ない、アインならいいか。リィンさんに関しては、自分でなんとかして貰うしかしないだろうが。

 

「仕方ないですね。ツインの部屋でいいです」

「アヤメ!?」

「まあ、アインが何もしてこないという前提を信頼しての話です。それに街を見て回るなら、少しはお金持っておかないとまずいじゃないですか」

 

 私に襲う価値はないと思うから、メインの理由はそっちだ。だからヒューヒューと口笛を吹いて茶化すのはやめてほしい。部屋にもよるが、すぐに部屋は取り直すつもりなのだから。

 

*1
円換算≒10万円


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。