ヒューヒューとこちらを茶化すイトナミさんを無視しつつ、アインに車椅子を押してもらい街へ向かう。そんな道中のこと。
「甲板なのに、ここら辺からは地面になってるんですね」
「肯定します。かつての地上にあった街を再現する為、農業が可能な程度の深さの大地は甲板上に存在しています」
段々と甲板の様子が金属から大地へ変わってゆく。そんな奇妙な光景に思わずイトナミさんに聞けば、そんな事情を教えてくれた。
ただ、再現という言葉がどこか引っかかる。同じ生活をするためにとかの方が、どちらかといえば適切な気がするのだが。
「自給自足が可能と認識して良いのか?」
「肯定します。当艦の食料は、肉・魚・米の一粒に至るまで当艦内で生産されています」
「あ、お米あるんですね」
「肯定します。全艦艦長が転生者であるため、積極的に生産されております。是非お楽しみください」
そんな話を聞きながら、市壁どころか警備の人員すら姿を見ないまま、私たちは建物が密集する場所へ進入した。
そのまま裏路地と呼ぶべき小道を通り、大通りに出た瞬間だった。これまでとは根底から異なる空気と、私にとっては莫大な音の圧がそこには溢れていた。
見渡す大通りには無数の店。そこに立つ店主と思しき人が安さをアピールする呼び込みに、獣人の女性と半分鉱石の体の男性カップルがいちゃつく声。おばさん達の井戸端会議に、
「ッ!」
おもわず耳を塞ぎ、獣耳の方もペタンと閉じる。それでもなんとか音を拾い始めれば、この街に満ちる異質極まりない空気が漸く感じ取ることが出来た。
私の知る街は特有の、戦後の煤けた気配に満ちていた。決して子供が笑顔で子供が走り回れはしない、荒れたままな街の気配。そんな感じ慣れ、慣れ親しんだ空気が此処には、一切感じ取れなかった。
「アイリス様、どうかされましたか?」
「……いえ。ただ、私が知る街とは、雰囲気が違いすぎて」
「アヤメに同意する。ここは、言葉で表すなら、あまりにも争いの気配がない」
そう、それこそ話にだけ聞いたことのある──戦争が起きる前の世界のように。
それはきっと、こんなものだったんじゃないかと。私には想像しか出来ないけれど、そう思える程の、物語の中でしか知らない日常がここでは営まれていた。
「肯定します」
そんな私の疑問とアインの困惑に、イトナミさんは首を縦に振ることで答えた。
「この街は、我々が守り抜いてきた光景とは、平和であることなのですから」
「それは……」
確か、ラプティスさんも似たようなことを言っていた。守り抜いた光景がどうとか。きっと気にいる筈だとか。
それがこのご時世に、“平和”そのものだと感じられる空気なら。私のみたいな人間でも、それを感じられる光景であるなら。確かにこの場所は、何物にも変え難い価値あるものだ。
「そして、アイン様のお陰で種火が保たれ、生まれた光景でもあります」
「これを、当方
「不服でしょうか?」
自分1人じゃないと言い直しつつ、噛み締めるようにアインは街を見つめていた。車椅子に乗った私を押しているから注目が集まっているのだが、それすらも気にならないといった様子だ。
「否定する。故に当方は、もっと見て回りたいと要望する」
「良いですよ。私もこの街、見てみたくなりましたから」
だからこそ、アインが躊躇わないように言葉で背を押す。私に出来ることは、今はそれくらいしかないから。それ以外にも、食品や消耗品の品揃えも見ておきたいという現金な考えもあるが。
「……認識した。では、当方の好きなように行動する」
「私もみたい場所があるので、それは寄ってくださいね?」
「当然だ、認識している」
言ってアインは歩き出し、私も車椅子に乗ったままなため進む。普段の自分の歩調よりもかなり速い速度で流れる景色が、なんとなく不思議に感じる。
そんな感じでアインに行先を任せ、街をぶらつくこと1時間と少し。リィンさんが戻ってくる気配は未だないが、その分街のことは少しだけ知ることができた。
全体的にまずこの街は綺麗だ。道の舗装も街中の大通りは石畳が敷き詰められ、路地裏は清掃のしやすさ優先なのか土を敷き詰めたまま。そのどちらも、酷い汚れというものは存在していない。
それはとても良いことだ。良いこと……なのだが、石畳の道は、なんと言っても車椅子が走り辛いが大問題だった。
「これは、明日以降の改良点ですね」
後輪は問題ないけれど、前輪が石畳の隙間に落ちそうになることが何度もあった。その度にアインがカバーしてくれるけど、正直あまり落ち着いていられない。
「まあそれはいいとして。確かに良いお店、沢山ありますね」
「そうなのか?」
「ええ。物価も安いですし、野菜の品質はとても良いです。魚類はまだ生簀で生きてましたし、お肉の目利きはちょっと自信ないですが……良い物だった筈です」
しかもそれが特別という訳ではなく、主婦っぽい人が店主と談笑していたり、その隣で足運びが戦う者のソレな人が特売品を前に唸っていたりする。ということは、私の知る価格より少し安い物価も、この雰囲気も、この街においては日常でしかないということなのだろう。
「まあ、何をするにも明日ですけどね」
そう見てきた街の様子を思い返しつつ、言葉を切って一息つく。私達がいる場所は、既にイトナミさんが案内してくれたこの街唯一の宿屋。ベッドが並んだツインの部屋の中だった。
「認識した。僅かな時間で見て回るには、この街は広すぎる」
「今日は色々ありましたしね。それにずっと私の車椅子を押させちゃいました、ありがとうございます」
「問題ない。あの程度であれば、幾らでも頼って欲しい」
漸く動くようになってきた身体で頭を下げたのだけれど、感謝は受け取っては貰えなかった。この程度なら幾らでも頼って欲しい、そう言われても割と困るのだけれど。
「……分かりました。そういうことにしておきます」
「納得はいかないが……認識した」
けど態々それを口にして、意味のない言葉の応酬に発展させる気は毛頭ない。
「じゃあ私はもう寝ますけど、寝てても手を出されたら分かりますからね? アインはそういうことはしないって、私は信じてますけど」
「今更の前提であると再認識する」
不満そうに言うアインに苦笑を返して、ベッドに潜り込みつつ略式で結界を展開する。魔力不足で普段とは違って、結界には侵入防止も遮音も今も私を見続ける視線を防ぐ機能もない。そんな物でもまあ、今日くらいは問題はないと思う。隣にアインがいる以上、何かことが起きても何とかなるはずだ。アイン自身に襲われでもしない限り。
「おやすみなさい」
最後にそう言ってから目を閉じ、それだけで一気に意識が遠ざかるのを実感する。
今日はあんまりにも、色々なことがあり過ぎた。義足……アイリスを作って、墜星の攻撃を受けて墜落して。気がつけば研究所にいて、そこでアインの元同僚と戦って、そしてこの街に来て。それに墜星と戦った時に私が使えた謎の力も、魔剣ではあるけれど能力が分からないアイリスのことも問題だ。
それ以外にも、私がやらなければいけないことだけは無数に積み上がっていて──駄目だ、頭がもう回らない。
「ぁふ」
欠伸を1つ。それだけで私は、近くにアインという異性がいるにも関わらず、無防備に夢の世界へと落ちて行ったのだった。
◇
アヤメが布団に潜ってから数分。すぅすぅと静かな寝息が聞こえてきたことを確認して、アインは深くため息をついた。
何せ、今日は己のワガママに付き合わせて、すぐにでも休みたかったであろうアヤメを付き合わせてしまったのだ。本人は気にする必要はないと言っていたが、どうしても心配になるというものだった。
「当方達が、守った街がここなのか……」
だからこそ、アヤメの展開している結界を確認し踵を返す。そしてそのまま、部屋に備え付けられた窓から街を見下ろしてアインは呟いた。
余りにも異質な空気の、けれど己が想いを寄せる人に対しては、これまでと何ら変わらぬ扱いをする街。そして今の自分になる前の自分が、最後に命を賭して守り抜いた街……らしい。
「まだ、当方も混乱したままか」
らしい、だろう、そうに違いない。アインがそう考えることしか出来ない理由は1つ。アヤメやリィンと同様、表面上は普段となんら変わりないが、アインが最もこの長い1日で混乱していたからに他ならない。
アヤメを守ることが出来ず、寧ろ負担を強いてなおニードヘッグごと墜落させてしまったこと。その上で、魔剣に見せられた夢に己がアヤメに抱いていた感情を自覚させられたこと。そして、一気にナーハフート・アインスとして戦っていた記憶
はっきり言って、この時点でアインの自我は崩壊しかけていた。かつての自分と、記憶を失ってからの自分。2つの意識がごちゃごちゃに、滅茶苦茶に、ぐちゃぐちゃに搔き混ぜれて……それでも正気と己を保てたのは、思い人であるアヤメが隣に居たから。今までと変わらず、少し心配になるくらい無防備なまま居てくれたから。
そして遭遇したラプティスと名乗る剣士。リィンは兎も角、アヤメに心配を掛けない為に最低限に口を噤み、このユ=グ=エッダへ乗り込んだ。
「当方も、いつのまにかアヤメに影響されていた……か」
ぐしゃりと、少し伸びてきた髪を握り潰すようにしてアインが呟いた。常々やめて欲しいと、最近やっとそう思っていると自覚した「何もかもを抱え込んで外に出さない」アヤメの悪癖が自分にも移っていることに、呆れたような笑顔が浮かぶ。
実感を伴う記憶、伴わない記憶。壊れて混ざり合った中で、アヤメと街をぶらぶらと歩くことが出来たのは幸いだった。夢で見た光景に似た心地よい時間は、アインの心を大分落ち着かせている。
「はぁ……当方も、寝ておこう」
だからこそ、何をするにも明日だと一旦アインも思考を放棄てきた。どうせ今自分が動いたところで、何を変えられる訳でもないと、明日の自分に問題を丸投げした。
開けていた窓を閉め、念の為アヤメが普段使いしている結界を展開する。1ヶ月近く隣で旅をしてやっと再現に成功したそれは、未だ満足できる完成度ではないが、それでも十分に役割は果たしてくれるだろう。
「うぅ……あぁぁ!!」
外から聞こえていた雑音も鳴りを潜め、さっさと眠るべく布団に入った、そんな時だった。先程まで静かに寝息を立てていた隣のベッドから、呻き声と叫び声が響き渡った。
「アヤメ!?」
「いや……ぃゃ……パパ、ママ、おかあさん……」
異常を察知してアインが飛び起きるも、特に部屋に異常は見当たらない。縋るような、諦めているような涙目濡れたその声は、ただのアヤメの寝言であったらしい。眠ったまま空へ手を伸ばし、うわごとのように繰り返し両親を呼んでいた。
「やだよ……置いてかないでよ……1人に、しないでよ……」
「当方が、何か力になれれば良いのだがな……」
思わずその手を取ろうとし、信頼を裏切るわけにはいかないと手を止める。普段の結界とは違い、あと数歩アインが足を踏み出せば、手を握って安心させることは出来るかもしれない。だがそれをしてしまえば、今までの関係が全て壊れてしまうとアインは直感していた。
「……がまん、するから。私が黙ってれば、いいだけだから。独りは──」
「アヤメ1人だけが、我慢する必要はないと断定する。リィンにでも、当方にでも、幾らでも頼っていいと言うのに」
たった数歩の遠い距離に、言葉を掛けることしかアインにはできなかった。今だに自分は心の底から信頼されていない。時折アヤメが零す言葉に、アインの名前がないことがその証左だった。
「だが、当然のことと認識する。当方とはたかが数ヶ月の付き合いでしか、その程度の関係でしかない。
それでも、当方はアヤメが──」
と、今日初めて自覚した思いを口にしかけ、咄嗟にアインは口を噤んた。これは、今この場で言うべき言葉ではない。この場で口にすることは、己にのみ都合の良いズルで、アヤメに対する不義理だ。
「いいや、何でもないと否定する。当方に出来ることは少ないが、出来るだけ良い眠りを得てくれれば幸いだ」
故に言葉を濁し誤魔化して、改めてアヤメを囲うように結界を展開する。お香を焚くなどの手段はあるだろうが、これが今アインに出来るせめてもの安眠手段だった。
忘れがちですがアヤメちゃんまだ15歳で、最後の家族を目の前で失ってからそんなに経ってませんからね!
当然、精神なんてぐっちゃぐちゃです。本人が、限界を超えて抱え込む性質なので表には一切出しませんけどね!