《前書き》
これは小説である。この小説を読み進めると、これが小説ではないと思われるだろう。しかしこれは小説なのだ。この様なあまりに馬鹿馬鹿しい内容を、小説ではないと批判する者もいるだろう。
しかしどうだろうか。かの有名な推理小説家の、アガサクリスティーが1926年に出版した「アクロイド殺し」では、ポアロの隣人が書いた手記という体で、実はこの手記の書き手が犯人であったという結末を向かえる。この叙述トリックに対する批判は執筆当時はあったものの、現在では推理小説の名作として受け入れられている。
もっと身近な例を見てみると、インターネット掲示板に投稿されるssと呼ばれる類の小説が存在する。知らない人の為に例を示しておこう。
(例)
A「おはよう」
B「おはよう」
A「今日もいい天気だね」
B「うん、そうだね」
この様に、人物名の後に鉤括弧が付いて、ストーリーが展開されていく。しかしこれを見て、果たして小説と言えるのだろうか。私はどうしてもこれは戯曲にしか見えない。しかし世間一般(そもそもこのジャンルが世間一般であるか否かは別の問題として)では、これも小説の一種だとして受け入れられているのだ。
だいたい世の中にある既存の物に、新たな要素や仕組みを取り入れると、どこからか保守的な人々から根拠のよく分からない批判を浴びることになる。しかし時間が経てば、大体の人はそれを受け入れられる様になる。ほら、名前は・・・そうだ、パブロ・ピカソだ。彼の絵だって、未だに一部の人から批判を浴びているが、多くの人は彼の絵を、「絵」だとして見ているだろう。
なので私がここに執筆する小説だって、君達から見れば小説ではないかもしれない。しかし私はこれを小説だと思って書いている。思っていない。信念を持って書いている。じゃあ君達も私のこれを小説だとして受け入れては頂けないだろうか。
ところで私はこの前書きを、朝の7時から書き始めている。だいたいどれくらい書いていただろうか。
(時計を見るための一時的な中断。彼は一階のダイニングキッチン横まで時間を確認しに行く。この部屋にはエアコンやテレビだけでなく、時計も無いのだ。足音が聞こえる。筆者が戻って来る。その時間、約10分)
今時計を見ると、短い針が10を指し、長い針が5を指している。私は今、前書きを書いている場合では無いのだ。私は本当は彼のために昼ご飯を作らなければならない。別に私が彼のために作る必要はない。彼は手を2本持っている。指だって足を合わせると、20本あるのだ。私と大して変わらない。唯一違うとすれば、彼の手には感情があるが、私の指の様にはっきりと、それも喜びや悲しみだけではない。
さてどうしたものか。私はこの前書きを仕上げなければならない。あと1時間・・・ペン先がぐにゃりぐにゃりと曲がり、私の思いもしない方向にペンのキャップが飛んでいくのは些か不満ではあるが、ペン先はまた曲げ戻せばいい。キャップはまた拾えばいい。私は今、この前書きを書き続けなければならないのだ。
おっと、何処まで話しただろうか。そうだ、パブロ・ピカソの話は済んだのだ。君達は私が書く小説は、現代アートの様なものだと思って頂いていいだろう。やはりこの小説を読み進めると、大きな壁に当たるだろう。しかし現代アートだという言い訳で、簡単にその壁を乗り越える事ができる。魔法の言葉の様に、現代アートは全てにおいて優位に立つのだ。これは単なる言い訳かもしれないが、君が昨日書いたそのぐちゃぐちゃのオレンジ色に染まった画用紙に、私は価値があるとは思えない。しかし世界人口70億人の内の1人くらいは価値を見出すのかもしれないな。この小説だって、別に君に価値を見出して貰う必要は無い。現に私は今、昼ご飯のオムレツを食べながら、この章を書いている。ほら、この少し上に、ケチャップの赤いシミが付いているだろう。でも短針は既に4を指している。確かにオムレツを食べながら書いてはいるが、この時間まで我慢はしたのだよ。
疲れはたまる。朝から書いているのだから。君が見ているこの文章も、私が書かなければ見ることは無いのだ。私の仕事は無に文字を与える事である。無に文字を与えるのだから、そこに意味など存在はしないのだ。君の座っている椅子の、手の先の30cm、届くか届かないかの所にある国語の読解問題だって、別に解く必要は無い。その話の筆者が誰かなんて、私には興味が無いが、その筆者の文が問題にされる価値などないのだ。勿論私のこの文にだって、君にも私にも価値はない。私は無に文字を与えなければならないから、今ここに執筆しているだけなのだ。
そろそろ本文に入れと、今君は叫んだね。しかしまあ、焦らないでくれ。そもそもこれが前書きか本文かなんて、そんなに重要な問題ではない。ほら、これは確かに前書きかもしれない。しかしさっきから時間は常に進んでいる。前書きに時間が進むとすれば、時間が進むとすればそれは本文なのかもしれない。私は今20時の世界にいる。しかし君が何時の世界にいるかなんて、それを定める事などできるはずがない。もしかすると君の方が無の時間にいるのかもしれない。なぜならこの小説の主人公は、私でも君でも無い。この小説自身なのだから。まあそんな事はどうでもよくて、私はまたこ
(突然の中断。筆者は眠りについてしまった。時間が進む。1時間、2時間、3時間。下の階から1時間ごとにボーンボーンと鈍い音が響く。1時、2時、3時。時は進む。この文字の世界でも時は進む。筆者が起きたのは、翌朝7時の頃だった)
ああ、私は眠ってしまったんだね。しかし良いさ。君に伝えたいことは全て伝わったのだ。さて、ここで重要な事を言わなければならない。
これは小説である。この小説を読み進めると、これが小説ではないと思われるだろう。しかしこれは小説なのだ。