Fire Emblem ~漆黒の灰色 炎の紋章に導かれて~ 作: ノーリ
前回の続き、今回は幕間回です。
以前あった祝宴イベントの第二弾となります。どういったお話なのかは本文を読んで確認頂ければと思います。
では、どうぞ。
パレスを取り戻し、ホルスたちアカネイアの旧臣たちをも迎え入れることに成功した解放軍は、遂にアカネイア全域を解放した。これまでの苦労が報われたことにむせび泣く者も多数出た中、パレスにてアカネイア解放の宴が催されることになった。
「ふむ…」
天幕にて姿見で己の姿をチェックしたガレスが軽く頷いた。
「まあ、こんなものだろう…」
急ごしらえの仕立てにしてはそれなりに格好のついた礼服に、ガレスはそう思っていた。今ガレスはいつもの漆黒の鎧ではなく、フォーマルな場の正装ともいえる礼服に身を包んでいた。手配したのは勿論ニーナ…ではなく、マルスであった。
オレルアン城での宴の一件で、マルスはガレスに公式の場で着ていくような正装を宛がうことの重要さを知った。あの時は、鎧しかないガレスが断ったのだが、ニーナの是非にという願いでそのまま甲冑姿で参加したのである。
乾杯だけ済ませてすぐにガレスは退散したものの、当然場の雰囲気はぶち壊しになり、暫くの間ギクシャクとした空気が流れたのはマルスも良く覚えていた。だが、起こってしまったことは仕方ない。大切なのは次である。そのため、二度とああいう雰囲気にならないようにマルスは手を打った。
一番手っ取り早いのはガレスをああいう公式の宴に出席させないことである。ガレス自身も堅苦しく思っているため双方の思惑は一致して願ったり叶ったりなのだが、何せ危ないところを救ったことがあってニーナはガレスにご執心なのだ。それこそ、ハーディンほどではないがまずいな…とマルスでさえも考えてしまうほどに。
そのニーナのたっての願いとあれば、全軍の総指揮官と言ってもニーナの臣下の身であるマルスには断りようがなかった。そのため、苦肉の策としてせめて格好がつくように礼服を用意したのだ。
パレスを取り戻したのであれば、戦勝の宴はいずれ行われるであろうと思い、マルスはパレス解放後にすぐにアカネイアの職人にガレスの礼服を仕立てさせた。マルスにとって幸運だったのは、パレス陥落後にすぐに宴が開かれたのではなく、アカネイア全土の解放後に開かれることであった。その分時間が確保できたため、余り余裕はなかったが、かと言って無理ないスケジュールでガレスの礼服を仕立てることができたのだった。
そして今、ガレスはその卸したての礼服に身を包んだということである。そして、それが意味することはただ一つ。
「ガレス」
不意に、天幕の外から名前を呼ばれた。
「ん?」
「レナです。入ってもいいですが?」
「ああ」
「失礼します」
ガレスの了承を得たレナが天幕へと入ってくる。
「マルス様から、用意ができたか見てくるように…と…」
「ああ」
振り返ったガレスの姿に、レナは思わず息を呑んだ。実に様になっているからだ。ワーレンでガレスの素顔は見ていたが、今の装いはそれを更に引き立てて凛々しくさせていた。
「……」
余りの予想だにしない光景に、レナはポーっとしてまじまじとガレスを見てしまう。と、
「どうした?」
反応が止まってしまったレナに、ガレスが訝しげな表情を向けた。
「! い、いえ…」
(まさか、見とれてたなんて言えないし…)
己を戒めるように、レナが軽く咳払いをした。
「支度はできているようですね」
「ああ」
「では、私はマルス様にその旨を伝えてきます。ガレス、貴方も早いうちにマルス様の許へ向かってください」
「わかった」
ガレスの返答を聞いたレナがベコリと一礼すると、ガレスの天幕を出て行った。一方で、
(やれやれ…)
ガレスは内心で溜め息をついていた。それは勿論、この後の時間についてのことであった。
(こういう肩の凝る席は、なるべくなら遠慮したいのが本音だが…)
ゼテギネアの皇子として、社交の場では何度となく場数を踏んだガレスである。別に気後れしたり緊張しているわけではない。では、何がガレスをゲンナリさせているかというとただ一つ。
(面倒なことだ…)
それに尽きるのだった。昔のまともだった頃の自分ならまだしも、暗黒道に堕ちた今の自分では(例え暗黒道の支配下から抜けつつある現状でも)、こういう社交の場は面倒の一言に尽きるのである。できれば遠慮したいというのがガレスの偽らざる本音だった。だが、そうできない理由があった。
(俺が出席を拒めば、マルスの立場が悪くなるかもしれんからな)
それが、ガレスが出席を拒まない理由だった。ニーナの肝いりだからこそ、断ったら解放軍内に余計な波風が立ちかねない。それが原因でマルスが微妙な立場になるのはガレスは望んではいなかった。
厳密に言えば臣下ではないため、知ったことかとぶん投げることもできるのだが、不自由なく好き勝手やらせてもらっている今の自分の立場を考えると、それは不義理だと思ったのである。
(クク…こんなことを考えるとは、順調に暗黒道の支配下から抜けてきているということか?)
それがいいことかどうかはわからないが、取りあえず出席すると決めた以上は己の責務を果たすまでである。
「行くか…」
一人そう呟くと、ガレスはゆっくりと己の天幕を後にしたのだった。
「入るぞ」
マルスの天幕の入り口までやってくると、ガレスはそう言って返答を待つことなくさっさと天幕へと入った。
「! 無礼な!」
「返事をするまで待たんか!」
マルスの両脇のジェイガンとモロドフが苦々しい表情になってガレスを糾弾した。
「フン…」
だが、ガレスはいつものように鬱陶しそうに鼻を鳴らすとマルスに視線を向ける。
「待っていたよ」
ヒートアップするジェイガンとモロドフとは対照的に、マルスはいつもの調子だった。そして椅子に座りながら、ゆっくりとガレスに視線を巡らせる。
「待たせたか、悪いことをしたな」
「え…」
ガレスの謝罪にマルスが固まってしまう。
「? どうした?」
そんなマルスに、ガレスが尋ねた。
「いやちょっと驚いてるんだ。まさか、ガレスの口から謝罪が出てくるとは思わなかったからね」
「…正直なのは感心だが、正直すぎるのは考え物だな」
「あはは、ゴメンゴメン」
楽しそうに笑うマルス。ガレスとそんな会話を楽しむ主君の姿に、ジェイガンとモロドフは驚いていた。
「さて、それじゃあ行こうか」
そう言って、マルスが椅子から立ち上がる。
「ああ」
ガレスも頷いた。
「他の招待客はいるのか?」
「うん。我が軍からは後一人」
「お待たせしました、マルス様」
と、その最後の一人が到着したのだろう。天幕の外から中へと声をかける。ガレスと違って、その後にずかずかと天幕へ入ってくることなどしない。
「あれが、普通の振る舞いだぞ」
「フン」
「どうぞ、お入りください」
モロドフがチクリと指摘し、ガレスはいつものように鼻を鳴らして答える。そして、ジェイガンは天幕の外へと声をかけた。
「失礼します」
中に入ってきたその人物は、ガレスも良く知っている人物だった。だが、いつもとは違って着飾っているせいか、いつもとはまた違う魅力があった。
「シーダか」
その人物…シーダの姿にガレスが思わず名前を呼んでしまった。
「あら、ガレス」
シーダもガレスの姿を見つけ、軽く微笑む。
「こんにちは」
「ああ」
そして挨拶を交わした。と、マルスが驚いたような表情になる。
「シーダ…知ってたのかい? 彼がガレスだって」
「ええ」
微笑んだままシーダが頷いた。
「ワーレンで休暇を取ろうとした時、素顔を見ましたから。もっとも、敵襲のおかげで休暇どころじゃなくなくなってしまいましたけどね」
「成る程」
シーダの説明に納得したのか、マルスが頻りに頷いた。
「さて、それじゃあ全員そろったことだし、行こうか」
「はい」
「わかった」
二人の返事を聞くと、マルスはモロドフとジェイガンへと振り返る。
「それじゃあじい、ジェイガン、留守を頼んだよ」
「はっ」
「お任せください」
「うん。それじゃあ行こうか、二人とも」
「ええ」
「わかった」
二人を引き連れ、マルスは天幕から出て行く。そして、会場であるパレスの大広間へと向かったのだった。
会場であるパレスの大広間には、もう既に人がごった返していた。ボーっと歩いていたらすぐに人とぶつかってしまうほど、人口密度は高くなっている。
「うわぁ…」
その光景に、シーダは思わず驚きの声を上げていた。
「驚いてるのかい? シーダ」
マルスがシーダに尋ねる。
「はい」
「そうか。…でも君だってタリスの王女じゃないか。社交の場の場数は踏んでいるはずだろう?」
「ええ。でも、タリスはご存知のように東方の小国の島国です。こんなに盛大な社交の場なんて、とてもではないですけど経験したことなくって…」
そこでシーダが不意に自分の身体に視線を落とし、ジロジロと自分の装いを見た。
「? どうしたんだい?」
その、突然のシーダの行動に不思議に思ったマルスが尋ねる。
「その…マルス様、もしそうならハッキリ仰ってほしいんですけど」
「うん」
「私…浮いてませんか?」
「え?」
シーダの言ったことの意味がわからず、マルスがキョトンとした顔になった。
「だ、だって…」
シーダが所在なし気にもじもじしながら口を開く。
「周りの方たちって、皆様衣装もお化粧も素敵な方ばかりなんですもの。どうしても気後れしちゃって」
「…ぷっ」
言葉の意味をようやく理解したマルス。そして次の瞬間には思わず吹き出していた。
「まぁ!」
口元を抑え、肩を震わせながら笑いをこらえているマルスの姿に、シーダがムッとする。
「酷いですわ、マルス様。人が真剣に聞いてるのに!」
そして、プイっとそっぽを向いてしまった。
「ゴメンゴメン」
流石にやり過ぎたと思ったのだろうか、マルスが謝る。しかしそれでもまだ笑いが収まらないのだろうか、その表情は崩れていたが。
「もう…」
むくれたままのシーダが拗ねたように不満を口にした。
「ふーっ…」
呼吸を整えるため、そして笑いを収めるためにマルスが何度か深呼吸をした。
「でも大丈夫だよ、シーダ」
そしてようやく、マルスは先ほどのシーダの質問に答えたのだった。
「え?」
「君は周囲の人間に引けを取ったりはしていないさ。もっと自信を持っていい」
「! ほ、本当…ですか?」
伺うようにシーダがマルスをおずおずと見上げた。頬も赤く染めている。
「うん。何処に出しても引けを取らないよ、シーダなら」
「ま、マルス様ったら…」
赤くなっていた頬を更に真っ赤に染めてシーダが俯いてしまった。恥ずかしいというのも勿論あるのだろうが、嬉しいのと今のこの顔を見られたくないというのもあるのだろう。
(青臭いことを言ってるものだな…)
そんな傍らの二人に対し、ガレスは何処までも冷静だった。この場の雰囲気にのまれてかどうかはわからないが、マルスとシーダがいつもとは微妙に違った空気であることを、傍で見ていたガレスは理解していた。
(もっとも、自分たちは気づいていないだろうが)
一歩引いて冷静に見ているガレスには、それが良くわかっていた。
(まあ、こいつらの好きにさせてやりたいが…)
恋仲…というにはまだぎこちない二人だが、初々しくもあって周囲で見ている分には微笑ましい二人である。だが、場所が場所なだけにそういった雰囲気にいつまでも浸らせておくことはできなかった。
(…しかし、何故俺がこんな引率の教師みたいな真似をしなくければならんのか)
そうは思わんでもなかったが、他に人がいない以上仕方がない。お邪魔虫になるのは気が引けたが、ガレスは口を挟むことにした。
「いい雰囲気のところ悪いが…」
「えっ!?」
「や、やだ…」
マルスは鳩が豆鉄砲くらったような顔をし、シーダはまた頬を赤らめた。
「いい雰囲気のところなんて…」
「そ、そうだよガレス。僕たちはそんなつもりじゃ…」
「あぁ、わかったわかった」
面倒臭そうにガレスがヒラヒラと手を振った。こういう反論も想定内であるので、その想定通りの反応を返したことにガレスは辟易していた。
(全く、尻の青いガキどもだ…)
あれだけイチャコラしておいて何を今更…と思わないでもないガレスだったが、そこを指摘すると余計に話が拗れそうなので収めておくことにした。
「そろそろ大人しくしておいたほうがいい。始まるぞ」
「そ、そうだね。わかったよ」
マルスがそう返した。しかし、シーダは何か引っかかるところがあったのか、ガレスをジッと見上げている。
「…何だ?」
ガレスが口を開いた。シーダの視線に気付いていないわけではなかったが、これ以上面倒なことになるのは避けたかったので放置しておいたのだ。しかし、放置したにも関わらずシーダの視線が外れることはなかったので、渋々口を開いたのだった。
「不思議に思ってたんだけど…」
「何がだ?」
「ガレス、貴方随分落ち着いてるわね」
「そう言えば…」
マルスもそのシーダの意見に思うことがあるのだろう、シーダと同じようにガレスに視線を向けていた。
「…そう見えるか?」
ガレスは二人にそう答えながらも、まあ、当然だなと内心で思っていた。ゼテギネアでは皇子であったガレスである。社交の場は何度も経験しているから、場数は数えきれないほど踏んでいるのだ。その経験があるからこそ、気後れることも浮かれることも緊張することもなくこの場にいることができるのだった。
だがそんなことは知らない二人は、ガレスが落ち着き払って余裕の態度でいたことが不思議でしょうがなかった。厳密に言えば、少なくともマルスはガレスが自身のことについて話したからある国の皇子であったことは知っているために、それを考えれば何も不思議なものではないとわかるのだが、この場の雰囲気がそれを失念させていたのだろう。シーダはガレスの生い立ち…というか、元々ガレス自身がどういう立場の者であったか知っているかどうかわからないので何とも言えないが。
(大体、俺がどういう立場の人間で、何処からここへやってきたのか、軍の人間がどれほど把握しているかも知らんからな)
戻れもしない元の世界のことなど、どうでもいいことだと既に割り切っているため放置しておいた結果がこれである。もっとも、それすらどうでもいいと思っているのだが。
「うん」
マルスが頷いた。
「こういう場の出席経験、あるの?」
シーダは気になるのか、更に尋ねてくる。
「…まあな」
それに対してガレスは短くそう答えた。一々説明するのも面倒だからである。しかし、シーダは
「へぇ…」
と、短く呟くにとどまったが、俄然興味が湧いたようだった。
「ねえ、それって「どうやら、お喋りはここまでのようだな」」
詳細を聞こうとしていたシーダだったが、ガレスが機先を制するかのように遮った。
「え?」
頭に?マークを浮かべたシーダに、ガレスがちょんちょんと前方を指さす。シーダが振り返ると、そこには大広間に姿を現したニーナの姿があった。
「あ、ニーナ様…」
「シーダ、これからニーナ様のご挨拶だ。ガレスの言った通り、お喋りはここまでだよ」
「そうですね…」
ガッカリしないでもなかったが、主催が現れては仕方ない。シーダは口を噤んで前方に視線を向けた。
万雷の拍手の中をニーナが静々と歩く。それを護衛するかのように、ハーディンがその脇を固めている。そして程なく、玉座にゆっくりと腰を下ろしたのだった。
「アカネイアの諸侯、本日はよく来てくださいました」
ニーナからの最初の一言に、場が水を打ったように静まり返る。しかし、
「まず初めに、私は皆に詫びねばなりません」
謝罪から始まったニーナの挨拶に、少し場がざわついたが。だがすぐに、そのざわつきも終わって静まり返る。流石に主催の挨拶をいつまでも遮るような不調法者はこの場にはいなかった。
「今は私一人だけになってしまいましたが、我々王家が力不足だったため、皆には一方ならぬ苦労をさせてしまいました。この日を迎えるまで皆がどれだけの苦労をしたのか、若輩である私には想像も及びません。言葉では語りつくせぬような艱難辛苦を強いられた者もいるでしょう」
アカネイアの諸侯たちはそのニーナの言葉に、これまでの苦労を思い出している者もいるのだろうか、眉を顰めたり目元を抑えている者がいる。が、それと同数かあるいはそれ以上が何の感慨もなく聞いているか、あるいは感動している振りをしている者だった。
(…まあ、よくある光景だ)
ほぼ最後尾から、ガレスはその様子というか空気を敏感に感じ取っていた。戦勝国に寝返る…あるいは取り入るのは別に不思議なことじゃない。生命のため、金のため、家族のため、地位のため、或いは先だってのホルスのように治めている領地の民衆のため…。
理由は様々だが、誰だって生命は惜しいし、家族は大事だし、金や地位は欲しい。それを考えれば、ドルーアに寝返っていたのも別に非難されるようなことではない。アカネイア王家が…ニーナが非難されるとしたら、それは戦争に負けたことである。
(もっとも、あんな小娘がどれだけ上手く立ち回ろうが、大勢に変化はなかっただろうがな)
そう思ったガレスだが、それと同時にそれは仕方のないことだとも思っていた。王家の人間だからと言って年端のいかない小娘一人に何が出来るというのだろう。あるいは、かつての己のように暗黒道に足を踏み入れればまた違った結末になったかもしれないが、今更そんなことを言っても意味のないことである。
それよりも、ドルーア統治下で甘い汁を吸っていたであろう連中の、取り繕うような表情にらしくもなくムカムカして気分が悪かった。
だがそれはニーナ自身も百も承知なのだろう。それでもそれを表面に表すことなく気にも留めずに言葉を続けていった。そして、
「グラスを」
立ち上がってそう促したニーナに従い、アカネイアの諸侯たちが次々に周囲のメイドや給仕たちからグラスを手に取った。そして、ニーナが音頭を取る。
「乾杯」
『乾杯』
少しの間、グラスのアルコールを飲む音のみが大広間に響き渡り、そして誰彼ともなくグラスを口から話す。
「今宵はゆるりと楽しんでください」
そう告げたニーナの言葉が口火になったかのように大広間は喧騒に包まれた。
「ふーっ…」
グラスに入っていたアルコール…ワインを軽く飲み干すと、ガレスは軽く一息ついた。そして、近くにいたメイドのトレイの上にそのグラスを戻し、それと同時にまだ口のついていないグラスを手に取った。
「もらうぞ」
「はい」
メイドはそう言ったが、許可などなくてもガレスは飲むつもりだった。もっとも、一介のメイドが不条理でもない客の申し出を断るわけはないのだが。
「あまり飲みすぎないようにね」
そんなガレスを見て、マルスが苦笑しながらやんわりとたしなめる。
「わかっている。こんなところで酔い潰れるつもりなどない」
「ならいいけど…」
「それよりマルス様、ニーナ様にご挨拶に伺いませんか?」
「そうだね」
マルスはシーダの意見に頷くと、そのままガレスに視線を向けた。
「ガレス、貴方もどうだい?」
「断る」
『え…』
その返答に、マルスだけでなくシーダも絶句してしまった。臣下である以上、ニーナに挨拶に出向かないわけにはいかない。それに、ガレスはニーナがたっての希望で参加している身だ。であれば、余計に出向かないわけにはいかないはずだった。
「いや、でも…」
それがわかっているからこそ、マルスは言葉を濁した。
「それはちょっと失礼じゃない?」
シーダも同意見である。それどころか、マルスよりもガレスに対する非難を強めているように見えた。
(チッ…)
面倒な連中だと思わないわけではない。だが、ガレスにも言い分はあった。
「心配するな、後で出向く」
「後で?」
そのガレスの言葉に、マルスが首を捻った。
「後で行くんなら、私たちと一緒に今行っても良くない?」
シーダも引っかかったのだろう、ガレスの顔を覗き込む。が、
「バカを言うな」
鼻で笑うと、ガレスはスッと腕を伸ばした。
「有象無象どもが引きも切らずに並んでいるのに、あんなところに出向けるか。バカどもが落ち着いてからでも問題はあるまい」
(うわ…)
(辛辣…)
ガレスの、らしいと言えばとてもらしい傲岸不遜な物言いにマルスとシーダは思わず引きつってしまった。
「そ、そうかい。それじゃあ取りあえず僕たちは行ってくるよ。さ、シーダ」
「はい、マルス様」
そう言って微妙な笑顔を向けると、マルスとシーダは連れ立ってニーナの許へ…正確に言えばニーナの許へと続く長蛇の列の最後尾へと向かったのだった。
「ご苦労なことだな…」
その後ろ姿を見送りながらガレスは思わず呟いた。臣下であり、全軍の総指揮官という立場から仕方ないのかもしれないが、それでもこんな長蛇の列に並ぶなどバカバカしいにもほどがある。先ほどマルスたちに言ったように、ニーナのたっての願いで出席している以上、ちゃんとした正装ということもあって今回は前回と違って挨拶ぐらいはするつもりだが、もし最後までこんな状況だったらほっといて帰るかとも思っていた。
(付き合っていられるか)
そう決めて、取りあえず今は飲食を楽しむことにした。が、そんなガレスを遮るかのように来客が足を運んできた。
「おい」
声をかけられる。だが、ガレスはそれを無視した。別に意地悪でそんな真似をしたわけではなく、自分に声をかけてくる人間などこの場にはいないと思っていたからだ。唯一、その可能性がありそうなマルスとシーダは今はニーナへと向かう長蛇の列の一因だ。
そんなわけで、ガレスは自分とは無関係だと思っていた。が、
「おい」
今度は声をかけると同時にその肩に手が置かれた。
(ん?)
ここでようやく、先ほどからの呼び声は自分に向けられたものだとわかり、ガレスは振り返る。そこには、ドレスアップした三人の男女の姿があった。そしてその顔には見覚えがある。
「貴様らは…」
「こんばんわ」
「お初に」
声をかけてきた人物以外の残りの二人が挨拶した。
「ミディアと…お前はジョルジュだったな」
三人組のうち、二人の名を呼んだ。
「ええ」
「ああ」
二人が頷くが、ジョルジュは少し不服そうであった。解放軍に入ったのはミディアより大分以前なのに、思い出すような素振りをされたことが気に障ったのだろう。ないがしろにされたように感じてムッとしたのだ。
(……)
ガレスは視線や表情からジョルジュが何となく面白くなさそうにしているのに気づいたが、相手にするのも面倒臭いので放っておいた。そして、残りの一人に視線を向ける。
「貴様は?」
「! …お初にお目にかかる。私はホルス」
ほぼ初対面でいきなりの貴様呼ばわりにホルスも内心でムッとしたが、それを表面に出すこともなくホルスが受け答えした。流石に領主として今まで苦労してきただけに、腹芸はお手の物のようだった。
「ほぉ…そうか、お前が」
ガレスは先日の戦いで加入したホルスに、自然とそんな感想を漏らしていた。
「で?」
挨拶が済んだところで、ガレスが改めて口を開く。
「え?」
どういうこととばかりに、ミディアが首を傾げた。
「アカネイア連中が雁首揃えて何の用だ?」
「あ、ああ。ええ…」
用件を聞かれ、ミディアが軽く咳払いをして用向きを伝えようとする。が、
「お前の見張りだよ」
それよりも早くジョルジュがそうガレスに伝えた。
「何?」
「ちょっと、ジョルジュ!」
ミディアが慌ててジョルジュを叱責するが、ジョルジュはお構いなしとばかりに一歩前に踏み出すと、ガレスを鋭く睨み付けた。
(こいつにこんな顔をされる筋合いはないのだがな…)
そんなことを考える。そもそも、解放軍に加入以降こうやってまともに話したのも初めてなのに、敵意を剥き出しにされる理由がわからない。とはいえ、この様子なら放っておけば勝手にベラベラ喋ってくれるだろうと思って黙っていた。
「フン」
いつもガレスがやるように、ジョルジュが鼻を鳴らす。
「随分と、ニーナ様に目をかけられているようだな」
(やはり、それが気に食わないのか)
予想通りの答えに、いっそ苦笑するガレスだった。勿論、そんな表情を顔に出したらますます面倒なことになるので内心で苦笑するにとどめたのだが。
「俺とあいつの関係について、仔細は聞いているのだろう? それだけのことだ」
「そのことについては、我らアカネイアの旧臣、深くお礼を申し上げる」
ホルスが深々と頭を下げた。だが、ジョルジュはまだ納得いかないというか面白くなさそうな表情をしている。ミディアはどうすればいいのかといった感じの思案顔だ。
「それで? 見張りというのは俺がこの場で何かやらかすかもしれないとでも思ったか?」
「あ…う…」
魂胆を見透かされ、ミディアが顔を赤くして黙ってしまった。
(ジョルジュったら、なんでバカ正直に言っちゃうのよ…)
恨めしそうにジョルジュを見る。少し落ち着いたのか、ジョルジュは先ほどよりいくらか雰囲気がいつもの感じに戻っていた。
「ニーナがそんなことを言うとは思えんが…ハーディンの差し金か?」
「ちが「あの男とは関係ない」」
ミディアの返答に被せるようにジョルジュが答えた。その表情は、先ほどにも勝るとも劣らない面白くなさそうな顔をしている。
(ほぉ…)
その表情を見て、ガレスはアカネイアとオレルアンの関係も一枚岩ではないということがわかった。少なくとも、アカネイア側にはオレルアンに不満を持つ者がいることは間違いなかった。
(何が気に入らないのかは知らないがな)
自分にとってはどうでもいいことである。ガレスはそのままワインを飲み干すと、近くのメイドのトレイの上にワイングラスを置いた。
「まあ、見張りでも何でも好きにすればいい」
面倒臭くなったガレスがそう答える。ハナから何も起こす気はないので、好きにさせることにした。鬱陶しいが、まあそれも主君への忠義故と思えばわからないでもない気はする。
(忠臣か…)
かつてのことに思いを馳せる。ハイランド四天王、そして大将軍。自分たちの下にも間違いなくいたかつての忠臣たちの姿を思い浮かべ、ガレスは暫し似合わない干渉に耽っていた。
「言われなくてもそうするさ」
ジョルジュがメイドからワインをもらう。ミディアとホルスも同じようにワインを手に取り、咽喉を潤わせていた。特にミディアは緊張からか咽喉がカラカラになっていたので非常にありがたかった。
「そう言えば…」
自分を取り囲むように集まったミディアたち三人に目を向けながら、ガレスが口を開く。
「何か?」
ホルスが答えた。
「お前らだけか?」
「と、言うと?」
「他にも何人かアカネイアの連中がいただろう。そいつらはどうした」
「ああ、それは…」
「あいつらは、平民だからな」
ホルスが答えようとしたが、ジョルジュが先に答えた。
「成る程」
その一言で十分に理解したガレスはそれ以上の追及は止めた。つまりはそういうことなのである。この場に来ていない解放軍の面々も、来ていないのはそういう理由だからである。人数的な理由も勿論あるだろうし、アカネイア戦勝の宴だからというのもあるのだが、一番の理由は何と言っても身分的なものだった。
ゼテギネアの皇子(これをどの程度信じているのかにもよるが)であったとしても、この世界では何の後ろ盾もバックボーンもないガレスがこの場に招かれているのが異常なのである。それだけでも、ニーナの鶴の一声であることは疑いの余地はなかった。
厳密に言えば、他にも招待された人員はいたのだ。それが、ミネルバとマリアだった。二人はマケドニアの王族であるから当然と言えば当然である。しかし、ミネルバは少し前までドルーアに与していたということもあって丁重に断った。マリアはマリアで、姉様が行かないんだったら、私も行かない! と、いうことだったので二人ともこの場にいないのである。
「ボア様は、裏で忙しくされているけどね」
「そうか」
苦笑してそう付け加えたミディアにガレスが答えた。といっても、ガレスにはボアが誰なのか今一つハッキリとした確証が持てない。それだけ人の加入がここ最近は目まぐるしいのだ。
(まあ、縁があればそのうちわかる。わからなければ、そいつとは縁がないだけだ)
そんなことを考えながら大広間に目を向けた。相変わらず、ニーナの前には長蛇の列が並んでいるが、それでも大分落ち着いてきたのか、その列も最初の頃と比べれば随分と短くなっていた。
(ふぅ…)
その様子を見て、ガレスは内心で溜め息をついた。そして、そのまま歩き出す。
「何処へ行く」
そんなガレスに、ジョルジュがすぐに釘を刺した。だが、ガレスがそんなものを気にするはずはない。
「ニーナのところへ」
その返答に、三人の顔色が変わった。中立っぽかったミディアや、どちらかといえば友好的だったホルスも厳しい表情に変わる。
(大した忠臣っぷりだ…)
あの小娘にそれほどのカリスマがあるのかと思わないでもないが…というのがガレスの正直な感想だった。
「おい、俺がさっき言ったことを聞いてなかったのか?」
先鋒役と言っていいジョルジュが視線を鋭くする。
「無論、覚えている」
「だったら、何故ニーナ様の許へ出向く」
「ただの招待の返礼だ。まさか、一応は招待客である俺に、主催者であるニーナの許に返礼へ出向くなとでもいうほどアカネイアの連中は礼儀知らずでもあるまい」
「それは…」
「文句があるなら貴様らもついてくればいいだろう」
「ああ、そうするさ」
「無論」
ジョルジュとホルスがすぐにガレスの左右斜め後ろに並んだ。ミディアも一つ遅れ、ガレスの真後ろにつく。傍から見ればガレスがジョルジュたち三人を引き連れているようにも見えなくもない、奇妙な一団はこうしてニーナへの挨拶に向かった。
(キナ臭くなってきたな…)
短くなってきたとはいえ、相も変らぬ長蛇の列に辟易としながらガレスは解放軍について考えていた。戴いているのはアカネイアの王女ではあるが、全軍の総司令官はアリティアの王子。大きな勢力を誇るのはオレルアンの騎士団。そこにアカネイアの旧臣たちが少しずつ数を増やしている現状。一見まとまってはいるが、それは酷く危ういバランスに思えたのだ。
(蟻の穴から堤も崩れるというしな)
世話にはなってはいるが、不協和音が出たり空中分解したら止める手立てはない。そんな力も人望も自分にはないことはよくわかっている。
(今後の身の振り方を、少しは考えた方が良いかもしれんな…)
最悪の事態になったときのことも想定しつつ、ガレスは素知らぬ顔で拝謁の順番を待ったのであった。