Fire Emblem ~漆黒の灰色 炎の紋章に導かれて~   作: ノーリ

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おはようございます、作者のノーリです。

今回でプロローグは終了し、次回から本編に入ります。

この物語はどんな物語になるのか、良ければ辿っていっていただけると幸いです。

では、どうぞ。


NO.00 Prologue 後編

戦闘後。

戦いが終わればそれで何もかも終わりになるわけではない。物資の補給や傷病兵の救護、糧食の配給など、軍単位で行動するとなればそれなりにやるべきこと、やらなければならないことが目白押しなのだ。

各人が己の仕事を遂行するために忙しそうに走り回っている中、一本の木の幹に背中を預けながら腕を組み、とある天幕を鋭く睨んでいる人物がいた。

視線の持ち主の名はカイン。アリティア宮廷騎士団の一人で、“猛牛”の異名をとる猛将である。

 

「よう」

 

そんなカインの許に近づく人影が一つ。

 

「アベル…」

 

視線を外した先にいる、己の相棒の名を呼ぶ。

 

「ほれ」

「ああ、サンキュ」

 

差し出された水筒を受け取ると、カインは蓋を開けて中の水を咽喉の奥に流し込んだ。一口飲んで止めるつもりだったが、その意に反して身体はどんどん水を欲していく。どうやら知らず知らずのうちに随分汗をかいていたようだった。

 

「ふーっ…」

 

十二分に水分を補給したところで、カインは水筒から口を離した。そして口元を拭うと大きく息を吐く。と、

 

「カイン」

 

同じように水分を補給していたアベルがカインの名を呼んだ。

 

「ん?」

 

カインがアベルに答える。

 

「お前、どう見た?」

 

“何を?”などという野暮なことは言わない。何故なら、何のことを聞いているかは十分にわかっているからだ。

 

「正直…向かい合ってるときは怖くて仕方なかった」

 

そして、率直な感想を述べる。

 

「お前やジェイガン隊長たち五人で対峙しているからどうにか立ち向かえてたが、もし一対一だったら、恥も外聞もなく逃げだしてと思う」

「後ろに王子がいたとしてもか?」

「…ああ」

 

少し逡巡したが、それでもカインは見栄を張ることなく正直に答えた。

 

「騎士としちゃあ、口が裂けても言っちゃいけないことだがな。主君を見捨てるどころか生け贄にして逃げるなんてよ。全く、情けないったらないぜ…」

 

そう言って、乾いた笑いを上げるカイン。おどけてはいるものの、己の素直な心情が情けなく、そして受け入れがたいものであるのが少なからずショックだった。現に、この場に誰もいなければこのまま蹲って泣いていたかもしれない。

だがカインにとって救いだったのは、相棒も同じように思っていたことだった。

 

「俺も同じさ」

 

カインと同じように天幕を睨み付けながらアベルが答えた。

 

「あん?」

「正直、震えが止まらなかったよ。今でも思い出せば震えがきちまう。もし一人で対峙してたら、俺もやっぱり逃げてただろうな」

「……」

 

アベルも自分と同じだと知り、しかし騎士としてはその行為に同意することもできず、カインは口を噤むしかなかった。それを慮ってか、アベルは自分にも言い聞かせるようにその先を続けた。

 

「だがな、俺たちはアリティアの騎士だ。どんなに怖かろうが恐ろしかろうが、足が竦もうが心が折れようが、主君を見捨てて逃げるわけにはいかない。ましてや、主君を贄に差し出すなんて以ての外だ」

「ああ」

「だから、次はあっちゃいけない。王子があの天幕の中であの男とどんな話し合いをしてるかわからないが、もし決裂したらその時は俺たちが盾にならなきゃいけない。そうだろう?」

「だな」

 

カインが頷いた。その顔にはまだ心なしか恐怖が見え隠れするものの、それでも吹っ切れたことが見受けられるものだった。

同時刻、カインたちの位置からほぼ正反対の位置に、同じように木の幹に背を預けて腕を組み、カインたちと同じ天幕を鋭く睨んでいる男がいた。

 

「ナバール」

 

と、この男に近づく人影が一つ。左頬に十字の傷が刻まれた、タリスが誇る剣の使い手であるオグマの姿だった。

 

「オグマか」

 

少しだけ視線をオグマに移した男…ナバールがその姿を見止めてオグマの名を呼んだ。オグマはそのまま近づくと、少し距離を置いてナバールと肩を並べる。そして、ナバールと同じようにその天幕に鋭い視線を送った。

 

「何か動きは?」

 

短刀直入にオグマが尋ねる。

 

「いや…今のところ妙な動きはない」

「そうか…」

 

ナバールからの返答に、オグマが心からホッとしたように息を吐いた。

 

「護衛として立ち会うことを許可してくれれば、こんな面倒なことにはならずに済んだのだがな…」

 

ナバールは些か不満そうである。事実、天幕内の状況がわからないから面倒臭いのだろう。

 

「仕方ない。王子がそれを許さなかったのだ。あの男に敵意を示さないためにな」

「わかっている。だが万一のとき、あの二人でどうにかできるのか?」

 

ナバールが指したあの二人と言うのは、ジェイガンとモロドフのことである。今マルスはジェイガンとモロドフを伴って、天幕の中で話し合いの最中だった。

 

「その時のために、俺やお前がいるのだろうが」

「ふん、いいように使われるのは気に入らんな」

 

不満を隠そうともしないナバールの姿に、オグマは内心で苦笑しつつも、それを悟られないようにそのまま続ける。

 

「お前はあの男をどう見立てた?」

「正直、勝てんだろうな」

 

オグマの問いに、ナバールは言葉通り正直に答えた。

 

「俺とお前が組んでかかったとして、それでも二回に一回勝てればいいところだと思う」

「そうか」

 

自分の見立てとほぼ変わらないことに流石だなと思いつつ、オグマが頷いた。

 

「確かにそうだろうな。そして、加えて言うならもう一つ」

「ん?」

「純粋な戦闘の勝敗としてならもう少し率は上がるだろう。だが、あの男は存在自体が次元を超えているような気がする」

「成る程」

 

そのオグマの表現に、ナバールが感心したように頷いた。

 

「流石だな。上手く言うものだ」

「と言うことは、お前も?」

「ああ」

 

ナバールが静かに頷いた。

 

「あの仮面の奥に光る赤い目…。あそこから放たれる闘気と言うか殺気と言うか狂気は尋常なものではない。一般人は当然として、戦士や騎士でも並の実力の持ち主では、あの気に中てられたら立ち向かう意思を根こそぎ削り取られるだろう。人と言われるよりは魔の者と言われた方が余程納得するというものだ」

「確かにな」

「だからこそ、あの王子があの男に対してやろうとしていることには危惧しかない。あれは飼いならせん。己の意志以外には従うことはないだろう」

「だが、今更遅い」

 

オグマも鋭い表情で天幕を見つめる。

 

「だからこそ、俺たちがいる。もしもの時は突っ込むぞ、ナバール」

「俺にそこまでしてやる義理はないが、それでもあれほどの男との勝負となれば血は騒ぐ。例え結果は見えているとしてもな。もしそうなった時は、奴は俺に譲れ、オグマ」

「死ぬかもしれんぞ?」

「元より承知の上だ。それでも血が滾るのは止められん。我ながら面倒な性分だがな」

「わかった」

 

ナバールの覚悟にオグマもそれ以上は口を挟めなかった。その代わり、天幕内での話し合いが何事もなく終わってくれることを願う。

カインとアベル、オグマとナバールだけではなく、アリティア軍の主だった者たちがしきりにチラチラと様子を窺っている一つの天幕。その中では今まさにマルスと黒騎士の話し合いが行われているのだった。

 

 

 

「さて…」

 

黒騎士に椅子をすすめたマルスがその正面に座ると徐に口を開く。

 

「まずは自己紹介しようか。僕の名はマルス。今は亡国となっているが、アリティアの王子だ」

 

その言葉に、黒騎士が仮面の下で眉を顰めた。

 

(アリティア…だと?)

 

聞いたこともない国名に黒騎士が訝しがる。と、

 

「ん、んんっ!」

 

ジェイガンがわかりやすい咳払いをした。黒騎士がゆっくりとジェイガンに顔を向ける。と、

 

「こちらが…王子が名乗られたのだ。返すのが礼儀だと思うが?」

 

ギロリと黒騎士を睨んでそう注意した。カインやアベル、オグマやナバールが話していたように黒騎士の尋常じゃない気配は肌で感じているだろうが、それでも気後れしない辺りは流石は歴戦の勇士である。もっとも、十分生きた老骨と言うことで生命を惜しんでいないだけなのかもしれないが。

 

「いいよ、ジェイガン」

 

それを制したのは他でもないマルスだった。

 

「しかし、王子…」

「その気になれば話してくれるさ。そうだろう?」

 

そう言って、マルスは黒騎士に向けて微笑んだ。

 

(成る程…人懐っこい笑顔だ。こういった魅力で国や軍を統べるならば、大した器の小僧だ)

 

素直にそう思う。だが一方で、

 

(とは言え、少なからず無理をしているのもわかるがな)

 

それは黒騎士に見抜かれていた。だが、それは無理もない話である。何せ、馬の首ごと人の身体を真っ二つに両断してしまったのだ。それを目の当たりにし、その力に慄かない方がどうかしている。現にマルスもにこやかに黒騎士に接しているが、その内心には恐怖が渦巻いていたのは紛れもない事実だった。

とは言え、話し合いになってしまった以上はジタバタしても仕方なく、まな板の上のコイ同然に腹を括ってこの話し合いに臨んでいるというのがマルスの現状であった。

 

(まあ、いい…)

 

黒騎士はそう判断する。全てはこの話し合いの後の話である。話し合いの結果どう転ぶかは現時点ではわからないが、取りあえず己のために話を先に進めることにした。

 

「ああ」

 

黒騎士が答える。その返答にマルスがホッとしたように頷き、ジェイガンとモロドフは不満気な様子だったがそれでも主君の決めたことには逆らえず、取りあえず推移を見守ることにした。

 

「では、何か聞きたいことがあるかい? 僕が答えられることなら何でも答えるよ」

「ならば、お言葉に甘えさせてもらおうか。では最初に、この世界…と言うべきかこの大陸…と言うべきかはわからんが、それについて教えてもらおう」

「???」

 

黒騎士が切り出したことの意味がわからずに首を捻ったマルスだったが、取りあえず言われたことの回答を口に出す。

と言っても、それが黒騎士の求めている回答かどうかは自信が持てなかったため、聞きたいことが違うのならば遠慮なく言ってくれと一言断りを入れてから話し出した。

 

「…成る程」

 

一通りマルスの説明を聞き終えたところで、黒騎士は今の話を反芻するかのようにゆっくりと答えた。

 

「いいかな? 何故、そんなことを?」

 

疑問に思ったマルスが思わず尋ねた。何故なら、今話したことはこの大陸に生きる者ならば子供でも知っていることだからである。それをわざわざ聞きたいというのはどういう意図があってのことなのだろうかとマルスが訝しがるのも無理はない。そして、

 

「どうも、ここが俺の知っている世界とは途轍もなくかけ離れた場所のようなのでな」

 

それに対する返答がこれだった。その答えに、マルスは当然としてジェイガンやモロドフさえも眉を顰める。

 

「どういうことかな?」

 

口を開いたのはモロドフだった。主君を差し置いて差し出がましい真似をと思いもしたのだが、それも口に出した後では文字通り後の祭りだった。

 

「フン…」

 

黒騎士は軽く右手を上げると一本ずつ己の指を折っていく。

 

「ゼテギネア…ゼノビア…ローディス…どれか一つでもいい、この名に聞き覚えがあるか?」

「いや…」

 

否定したマルスが後ろのジェイガンとモロドフに振り返る。

 

「聞いたことがありませんな」

「私もです」

「そうか」

 

二人の重臣の答えを聞いたマルスが顔を戻した。

 

「と、言うことだけど」

「だろうな。それと同じように、俺もアカネイア…ドルーア…アリティア…オレルアン…マケドニア…グルニアなどと言った名は聞いたことがない」

「本当かい?」

 

マルスが驚き気味に尋ねた。

 

「嘘を言ってどうする。今ここでそんなことをしても、何の意味もないだろう」

「うん、確かにね」

 

マルスも頷いた。目的もわからないのに腹の探り合いをしても、確かに意味はないからだ。

 

「じゃあ貴方は、僕たちが知らないうんと遠くの国から来たってことなのかい?」

「…かもしれんな」

「? ハッキリしない言い方だね」

 

断定せず、含みを持たせた黒騎士の返答にマルスが訝しんだ。

 

「気にするな。ただの下らん推論だ」

「そういう言われ方をすると気になるな。できれば教えてもらえるとありがたいんだけど…」

 

食い下がってみる。だが答えは、

 

「…知りたがりは早死にするぞ」

 

一切の情を感じさせない冷たい答えだった。その物言いに思わずジェイガンとモロドフが反応しようとする。何せただでさえ強烈なインパクトだったのに、未だ立場がわからないのだ。過剰反応をしてしまうのも仕方のないことだろう。

 

「ジェイガン、爺」

 

そんな二人の変化を感じ取ったのか、マルスが少しだけ振り返るとジェイガンとモロドフを目で制した。

 

「は」

「申し訳ありません」

 

自分たちの失態を窘められ、二人はすぐに非礼を詫びた。

 

「うん」

 

マルスはジェイガンとモロドフの答えを受けるとすぐに顔を戻して黒騎士と再び対峙する。

 

「すまなかったね、気を悪くしないでもらいたい」

「構わん、臣下としては普通の反応だろう。一々咎める気はない」

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

そこでマルスは話を改めるかのように軽く咳払いをした。

 

「取りあえず、貴方が途轍もなく遠いところから来たのはわかった。それで、これからどうするんだい?」

 

マルスたちにとっても黒騎士にとっても一番核心に迫ることである。

 

「さて…」

 

マルスの質問を受けた黒騎士がゆっくりと足と腕を組んだ。

 

「どうするか…」

 

黒騎士が己に言い聞かせるかのように呟いた。今の言葉は紛れもない黒騎士の本心である。気が付いたら右も左もわからない世界で目を覚ましたのだ。選択肢などhほぼないに等しかった。指をトントンとやりながら己の今後に思いを馳せる。と、

 

「どうだろう、身の振り方が決まっていないなら、我々に協力してくれないか?」

 

マルスが率直に頼んだ。その瞬間、黒騎士の指がピタリと止まる。

 

「…正気か? 小僧」

「勿論」

 

黒騎士の圧力は感じているだろうが、それでも怯むことなくマルスが頷く。と、黒騎士がいかにも愉快そうに笑った。

 

「止めておけ」

 

そして、そう続ける。

 

「さっきの話を聞いたところ、お前たちは正義の軍勢なのだろう? 自分で言うのもなんだが、俺はその対極の存在だ。光と闇が交じり合うことはあるまい。遅かれ早かれ必ず歪みは起きる。結果、取り返しのつかんことになるかもしれんぞ?」

 

黒騎士が、彼には珍しく忠告した。そしてその意見にはジェイガンとモロドフも賛成だった。目の前の男の醸し出す雰囲気は決して我らにとって歓迎すべきものではない。それを肌で感じているからこそ、ジェイガンとモロドフはマルスの意見には反対だったし、黒騎士の意見には賛成だった。だが、

 

「でも、負けたら何にもならない」

 

一人、マルスだけは納得しなかった。

 

「率直に言うよ。我が軍はまだ旗揚げしたばかりの軍だ。指揮官級の人員も頑張ってくれてはいるが実力はまだ発展途上中の者が多い。つまり、圧倒的に人員が足りないんだ。だから…」

「俺に力を貸してほしい…と言うわけか?」

「うん。どうかな?」

 

マルスがジッと黒騎士を見つめた。今までの、ともすれば人のよさそうな好青年の姿とはまた違った雰囲気がその身体から醸し出されていた。

 

(成る程…)

 

これが目の前の男の有している違う側面か、と黒騎士は思った。まだ年端もいかぬ若者だが、それでもこの雰囲気は一軍を束ねるだけの器量は確かにある。決して綺麗ごとだけでは戦いには勝てないとその目が雄弁に物語っていた。

 

「清濁併せ吞む…というやつか」

「流石だね」

 

黒騎士の言葉に少し驚いた顔を見せた後、マルスは感心したように答えた。

 

「俺がお前たちを呑み込むかもしれんぞ?」

「そうはならない。…いや、僕がさせない」

「クク…面白い。ならば見せてもらおうか、貴様の手並みを」

 

肩を震わせて笑いながら、黒騎士は己の結論をマルスに聞かせる。

 

「いいだろう。そこまで言うのなら、暫く貴様たちに付き合ってやろう」

「本当かい?」

 

マルスが念を押して尋ねる。

 

「ああ」

「ありがとう…と言えばいいのかな、この場合は?」

「礼など不要だ。それはすべて終わって、それでもまだ貴様たちが健在だったらにしろ。途中で瓦解するかもしれんからな」

 

俺という猛毒を引き込んだためにな、と付け足し、黒騎士はまたクククと不気味に咽喉を震わせたのだった。

 

「…じい」

 

そんな、実に楽しそうに笑っている黒騎士を見据えながら、マルスは口を開いた。

 

「はい」

「至急、天幕を一つ用意してくれ。彼の物を」

「…畏まりました」

 

モロドフとしては言いたいことが色々あったのだろう。それは表情に滲み出ている。だがそれでも、少なくともこの場は主君を立てて口を噤み、天幕を出て行った。

 

「では俺も失礼するぞ。少し外の空気を吸いたいのでな」

 

そう言うと、黒騎士が立ち上がった。

 

「わかった。何はともあれ、これからよろしく頼むよ。えっと…」

 

名前を呼ぼうとしたのだが、未だに黒騎士の名前を聞いていないことに気付いてマルスが言い淀む。と、

 

「…ガレスだ」

 

黒騎士が、不意に口を開いた。

 

「え?」

「俺はガレス。黒騎士ガレスだ」

「あ、ああ、そうなんだ」

 

先ほどとは違い、あっさりと自分の名を教えた黒騎士…ガレスに些か拍子抜けしながら、マルスは改めて言葉を向ける。

 

「よろしく頼むよ、ガレス」

「フッ…」

 

それに否とも応とも応えず、ガレスは軽く笑うと天幕を出て行ったのだった。

 

 

 

「ふーっ…」

 

ガレスが出て行った後、マルスは大きく息を吐いた。そして、目の前のテーブルに上半身を預ける。

 

「あー…」

 

そして唸るような声を上げた。普段のマルスからではおよそ想像もつかないような態度と声だった。

 

「大丈夫ですか、王子?」

 

この天幕に残っているもう一人、ジェイガンがマルスを慮って尋ねる。と、マルスはテーブルに突っ伏したまま顔だけをジェイガンに向け、

 

「大丈夫じゃ…ない」

 

と、疲労困憊といった様子でジェイガンに答えた。

 

「相対しているだけでこんなに肉体的にも精神的にも削り取られたのは初めてだよ。これならまだ、父上に怒られている方がよっぽどましだったかな」

 

ハハハと力なく笑うマルスにジェイガンは気の毒に思いつつも、どうしても聞いておきたいことを尋ねるために口を開いた。

 

「王子」

「何だい?」

「本気で、あの男を我が軍に加えるおつもりなのですか?」

 

そのジェイガンの疑問に、マルスから返ってきたのは、

 

「うん」

 

という、簡素な一言だった。その後、マルスはゆっくりと上半身を起こして改めてジェイガンに振り返る。

 

「ジェイガンは反対かい?」

「無論です」

 

躊躇なくジェイガンが答えた。

 

「あの男がどれほど危険なのかは、先の戦場でも今の話し合いでも良くお分かりになられたでしょう。また、あの男自身もそう言っております。確かにあの強さはまだ未熟な我が軍には咽喉から手がでるほど欲しいものですが、組み入れたとしても益よりも害の方が確実に大きくなると私は思っております」

「流石に的確な意見だね」

 

ジェイガンの返答に、マルスが満足そうに頷いた。

 

「もっともな意見だと思うよ。僕だって、自分が主の立場じゃなくて臣下の立場だったら同じように進言しただろうしね」

「では、何故?」

 

ジェイガンが重ねて尋ねる。すると、マルスの目がスッと細くなった。

 

「言っただろう? 綺麗ごとだけじゃ戦いには勝てない。僕たちがこれから相手にするのはグラをはじめマケドニア、グルニア、そしてドルーア…一筋縄じゃいかない強国ばかりだ。勿論、僕たちだって今のままでこれらの国と戦うわけじゃない。この先にはまだ見ぬ心強い味方もいるだろうし、戦闘経験を積むことで僕たち自身も強くなれる。けど、それでも勝負に絶対はない。勝つ確率が少しでも上がるなら、それを選ぶのは当然のことじゃないのかな? それに…」

「何でしょう?」

「“毒を以て毒を制す”っていう言葉もあるじゃないか。彼…ガレスがその役割を担ってくれるかもしれないしね。…それに、毒饅頭だとわかってても食べなきゃいけないときはあるよ」

 

マルスの覚悟を聞き届けたジェイガンだったが、しかしそれでも一抹の不安は拭えなかった。

 

「ですが王子、あの男が王子の考えている以上の強力な猛毒だったらどうします?」

「その時は…」

 

細めていたマルスの目が、ジェイガンの重ねての質問に更に細くなった。

 

「引き入れた者の責任を取らなきゃね。…例え、刺し違えることになっても」

「…畏まりました」

 

マルスの決心を聞き届けたジェイガンが恭しく頭を下げた。そしてその頭を上げた時、ジェイガンの目は確固たる決心を固めていたのだった。

 

 

 

「さて…」

 

同時刻、とある天幕の中。

奇妙な成り行きでこの軍に合力することになった黒騎士ガレスが椅子を引いてそこに腰を下ろした。

 

(妙なことになったものだ…)

 

単純にそう思う。死んだはずのこの身が生きていて、どこかもわからない場所で意識を取り戻し、場の流れがあったとはいえあれよあれよという間にまた戦争に首を突っ込むことになったのだから。とはいえ、

 

(まあ、退屈はせんか…)

 

咽喉の奥でクククと笑う。これが平和で豊かで繁栄している世界とかだったら退屈で仕方ないが、そんなことはなく戦争の真っただ中なのだ。ガレスとしては望ましい環境であるのは間違いない。

 

(しかし…)

 

そんな中、ある疑問が浮かんでくる。それは単純に、この世界は何処なのかということだった。意識を取り戻す前に最後に覚えているのがゼノビアの軍勢に討たれた己の姿だった。それを考えると、ここはあの世…死後の世界だと考えるのが一番しっくりする。

 

(だが…)

 

ガレスは首を回して己の左肩を見た。そこには、先ほどの戦いでベンソンに貫かれた傷痕があった。あの後、僧侶から回復を受けたために外傷は塞がっているが、あの時の鮮血と鋭い痛みは紛れもなくこれが現実のものだとガレスに教えていた。

ならば、ここは何処なのか…。それの答えかもしれない言葉を、ガレスは自然と呟いていた。

 

「転生…」

 

己を暗黒道に導いた魔導士ラシュディ…彼が度々口にしていた言葉である。細かいところは詳しくは覚えていないが、意味合いとしては生をやり直す。新たな生を歩むといったところであろうか。先ほどの話し合いでマルスが引っかかり、そして下らん推論とガレスが述べたのがこのことだった。自分は転生してこの世界にやってきたのではないかと。

 

(あの時は聞き流していたが、今のこの状況は奴が言っていた転生によく似ている気がする。だが、何故俺が? そして、何故こんな世界なのだ?)

 

仮にこれが転生の結果だとして、ガレスはそこが引っかかった。暗黒道に堕ち、暗黒魔法も使えるとはいえガレスは純然とした戦士である。転生に必要な要件など知らないし、儀式を行えるほどの魔力もない。何より引っかかったのは、何故自分に縁もゆかりもないこの世界に自分が墜ちてきたのかということだった。

 

(引き金が死であることは間違いない。俺の死が偶然にも転生の条件を満たした。だが、何らかの要素が欠けていたために、転生自体は成功したものの、こんな縁もゆかりもない世界に墜ちてきた…そう考えるのが一番妥当か)

 

そう推察する。だがこれも所詮は只の推論。何の裏付けもない空論にすぎないのである。

 

「まあいい…」

 

故に、ガレスはこれ以上考えるのをやめた。そして、今目の前にある現実に目を向ける。

 

「神の気まぐれか悪魔の所業かはわからんが、ここにこうして俺がいるのは事実。ならば、せいぜい楽しませてもらうまでのことだ…ククク…ハハハ…アッハッハッハッハッ…」

 

実に愉快そうにガレスが高笑いを上げた。その姿は、正しくゼノビアの旧臣たちが評したようにまさにオウガそのもののような姿だった。

 

 

 

こうして、かつてとある世界を恐怖に叩き落した一人の黒騎士が異なる時間、異なる空間の世界で復活を遂げた。

そしてこの小さな歪みがこの先何をこの世界にもたらすのか、今はまだ誰にもわからなかった。

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