Fire Emblem ~漆黒の灰色 炎の紋章に導かれて~ 作: ノーリ
今回から本編となります。アカネイア大陸を舞台にした黒騎士ガレスの物語。完走できるように頑張りたいと思います。
では、どうぞ。
オレルアン平原での戦いを終えたアリティア軍は次なる目的地、オレルアン城に向かって行軍していた。その行軍の中に、一際注目を集める人物が一人。
「……」
「……」
「……」
誰も何も言わないものの、誰よりも注目を集めている漆黒の重騎士…そう、黒騎士ガレスである。指揮官級の面々が絶えずチラチラチラチラと視線を送っていた。その中身もまた恐怖に怯えているものもあれば、どう対応していいかわからないもの、そして一挙手一投足を見張っているものなど色々な思惑が込められていた。が、総じて感じられるのは
(警戒されているな…)
その一言だった。当事者であるガレスはそれを鋭敏に感じ取る。
(まあ、無理もない話か…)
何せファーストインパクトが余りにも強烈だった。加えてその後、マルスがガレスを味方に迎えると指揮官級の面々に告げた時の微妙な雰囲気というか、どう表現していいのかわからない表情が、ガレスの加入をどう思っているかというのを如実に表していた。それは、現在の行軍の位置でも現れている。
ガレスは後軍に置かれ、その中でも最後方に配置されていた。無論、重騎士ということで行軍速度が遅くなりがちということもある。が、それだけが理由ではない。
やはり全軍の指揮官であるマルスと離しておきたいという狙いがあるのだろう。他の指揮官級が欠けても勿論痛手だが、それでも代わりは立てようと思えば立てられる。だが、総指揮官であるマルスの代わりは誰にも務まらない。それを考えれば、危険分子と離しておこうと考えるのは至極当然である。
事実マルスの周りには、ジェイガンをはじめカインやアベル、シーダなど歩行速度の速い騎馬兵や飛兵が周囲を固めていた。そして、抵抗する手段を持たないが負傷者の救護には欠かせないレナやリフ、戦闘にはあまり適任でないジュリアン、射手ゆえに接近戦は対処できないゴードンやカシム、ノルンが中軍を担っていた。
結果後軍はそれ以外のメンバーで構成されることになる。そして彼らは、グルリとガレスを取り囲む形で行軍を続けていた。そして、全員がガレスに注意を払っていた。
(クク…ご苦労なことだ)
彼らの努力をガレスが嘲笑う。自分が何かをするつもりなら確かに必要なことだろう。だがそれはあくまでも、何かをするつもりなら…である。今のガレスには別に何をするつもりもなかった。
暗黒道に堕ち、暗黒道に呑まれたとはいえ、転生した影響…それも、異世界に転生した影響からか、ガレスには支配欲や世界を混乱させるつもりはなかった。ここが自分のいた本来の世界ではないことも影響しているのだろう。この世界を力で支配したところで、ゼテギネアが蘇るわけでも、エンドラが喜んでくれるわけでもない。それを考えると、そんなことに労力を使うのはバカバカしくなったのである。
ただ、暗黒道の支配から抜けられなかった部分もあり、その一つが戦闘に対してである。ガレスの戦闘意欲は尽きることがなかったのだ。そのため、いかに戦いで楽しませてくれるかということが今のガレスにとっては何よりも重要なことだった。
(転生…か)
ガレスがそのことに思いを馳せる。というのも、一つ、それが影響したと思われることがあったからだ。
(まさか、若返っているとはな…)
その時のことを思い出す。マルスとの話し合いが終わり、自部用に用意された天幕の中で、ガレスは久しぶりに兜を脱いだ。そして、鏡に映る己の姿を見て驚きに止まってしまったのだ。というのも、そこに映っている己の姿はどう見ても二十前後の若かりし頃の姿だったからだ。
暗黒道の影響でエンドラは時が止まったかのように己の若かりし頃の姿を保っていた。無論、ガレスも同じ力の恩恵を受けたために実年齢は六十を超えていたものの、若かりし頃の姿を保っていたのだが、一度死に、己の知らぬ世界に転生してきた今も尚、その時の姿のままなのである。
だが、己が最早完全には暗黒道の支配下にないことをガレスは理解していた。先述の通り、この世界に対する支配欲や世界を混沌に導くつもりがまるでなくなったことと、それに反するかのように戦闘意欲が尽きないことがいい例である。もし未だに己の全てが暗黒道に取り込まれていたら、どんな場所でどんな状況でもお構いなしに破滅と混沌に向かって突き進んでいただろう。そんな意識がまるでなくなったのが、完全にというわけではないとはいえ暗黒道の支配下から解放されているいい証拠だった。
(これも、縁もゆかりもない世界に転生してきたことによる影響なのか?)
そうとしか考えられなかった。転生の秘術が実際にはどのようなものかはガレスにはわからない。だが、それの影響としか考えられなかった。
(まあ、好都合なことには違いないがな)
ガレスが一人納得する。戦いをするのなら、若いに越したことはない。年輪を重ねれば成る程豊富な実戦経験というものが得られようが、それと引き換えに碌に戦えないのであれば、ガレスは若さを望むのだった。
とは言え、己がある程度しか暗黒道の影響下にないというのであれば、油断すれば普通に死ぬことになる。そこは注意しなければいけない。だが、それもガレスにとっては戦闘を楽しむためのスパイスでしかなかった。
(常に死と隣り合わせのこの感覚…久方ぶりに思い出したぞ。好き勝手に戦い続けるのもあれはあれで面白いが、己の生命を賭けるこの感覚。ククク…)
鎧の中で声を押し殺して笑うガレス。生命を懸けるという要素は実に今の自分を楽しませるものであった。周囲に悟られぬようにひとしきり笑った後、ガレスは己の現状について整理する。
(暗黒道の支配下ではなくなったのは確かだ。だが、完全に影響がなくなったかというとそうではない。目が真紅のままなのと、戦闘狂いのこの性と、自らの得物を苦も無く扱える身体能力。そしておそらくは暗黒道の力を借りて成す、あの力も健在だろう)
あの力に関しては、いずれどこかで試してみないことにはと思っていたが、それでもこうして考えると、戦闘に関する能力はそのままに、支配欲とか世界を混沌に導くという思惑が削ぎ落されただけということになる。ある意味、マルスが上手く扱えばとんでもない戦力になるのが今のガレスだった。
(だが…)
ガレスはそれをマルスには言わなかった。自分もてっぺんに近かった者として、てっぺんに立つ者によって、その下がどうなるかはよくわかっているからだ。マルスが自分を使うに値する者かどうか見極める必要があった。
もしその器でもないのにいいように使われたらガレスにとっては業腹である。その時はこの軍勢を敵に回す覚悟でマルスを惨殺しても気が納まらないだろう。故にガレスは口を噤んだ。先述の通り、まずはマルスの人となりを見極める必要があると判断したからだ。
もっとも指揮官の色というものは多かれ少なかれ率いる軍に表れるものである。指揮官が傍若無人なら兵士だって尊大になるだろうし、規律を守らないようなら、兵士たちも同じく軍規など守らなくなる。
(まずはそれを見させてもらうか)
当座の方針を決めると、ガレスは傍らに視線を向けた。
「おい」
「何だ」
その視線の先にいた者…モロドフが答えた。実はモロドフはガレスに道すがら、この世界の基礎知識を教えていたのである。だがこれも紆余曲折あった。
自分たちが想像もできない遠いところから来た(と思っている)ガレスにこの世界の基礎知識を教える役目をマルスは誰かに任せたかった。だが、指揮官級はほぼ全員顔を引き攣らせ、そうでない者もおよそ人に物を教えるのは不向きな面々だった。どうしたものかとマルスが頭を悩ませているのを見かねたモロドフが、その役目を買って出たのである。無論、モロドフにも買って出た理由はあった。
やはり一番は、自分が老い先短いというのがあったのだろう。いつ死んでも悔いはないという思いがあるためにこの危険な役目を買って出たのが一つ。そしてもう一つは、同じく老齢ながらも戦場に立てるジェイガンやリフとは違い、自分は戦場に立つことはできない。彼らが欠けることはそのまま戦力の低下を意味するため、戦力としては貢献できていない自分がこの役目を担うのが一番適任だと思ったからである。そのため、モロドフがマルスに名乗り出てその了承を得たのだった。
実際最初はマルスも気乗りしていなかったが、今の理を話してマルスを説き伏せた。こうして、モロドフは一時的にではあるがガレス付きとなったのであった。
「次の目的地はまだなのか」
そして、道すがらこのアカネイア大陸に関する色々なことをレクチャー受けながら行軍してきたガレスは、モロドフにそんな質問を浴びせかけた。
「そろそろ見えるはずだがな」
モロドフがそう答える。オレルアン平原からオレルアン城までの距離と、軍の行軍速度から推測するに、そろそろオレルアン城が見えてくるころだった。
「次は…オレルアン城とか言ったか」
ガレスはモロドフのレクチャーを思い出しながら一人ごちる。
「そうだ」
モロドフもガレスの呟きに頷く。
「クク…城攻めか。楽しいことになりそうだ」
愉快そうに肩を震わせるガレスを嫌悪感満載の目で睨み付けるモロドフ。それと同時に、ガレスを取り囲むように警戒している指揮官級の面々もさらに警戒心を上昇させた。
そんな微妙な緊張感に包まれたのも僅かの間。視界の先に城の姿が目に入ってきた。アリティア軍の次なる目的地、オレルアン城であった。
「よし、全軍出撃!」
マルスの号令と共に、アリティア軍がオレルアン城を目指して進軍する。迎え撃つのは先のオレルアン平原の時と同じく、マケドニア軍だった。
「騎馬部隊は先行してオレルアン城へ! 歩兵部隊は近辺の敵軍の掃討を!」
マルスの指示に従い、軍が動き始める。その指揮能力、そして用兵は年齢に反してなかなかのものだった。
(成る程な。どのぐらいの修羅場を潜り抜けてきたかは知らんが、中々の指揮官振りといったところか)
ガレスがその様子を見て率直に感じた感想である。まだ軍の規模がそれほど大きくないからというのもあるかもしれないが、手並みとしては取り敢えずは十分なものだった。
「フン!」
マルスに対する評価をしていたところで前線で討ち漏らした敵兵が向かって来たため、ガレスは斧を一閃してその敵兵を排除した。そして、そのまま斧を肩に担ぐ。
「…つまらんな」
思わず正直な感想を述べてしまった。というのも、ガレスに与えられた役割は先陣ではなく後詰めの護衛任務だからである。
物資の守備や、非戦闘員の警護なども軍単位で動くとなれば大切な任務ではある。だが、前線を始めとする戦闘地域であらかたの敵兵は排除されるため、後詰めの方まで迫ってくる敵はほぼいなかった。もっとも、後詰めが戦闘に晒される状況となったら、ほぼ軍が瓦解している…というか、敗北の状況になっているのだから、後詰めが暇なのはいいことなのだが。
だが、ガレスにとっては物足りないことこの上ない。せっかく戦えると思ったら、与えられた役割は後詰めの護衛なのだ。これではせっかくの力も振るいようがなかった。
(まあ、警戒しているのならば当然の措置だがな)
理解はしている。もし自分がマルス…アリティア軍を率いる者の立場だったら、底の見えない不気味で警戒すべき存在を前線で使うなど、危なっかしくてとてもできやしない。それ故に、前線に置くことはできなかった。となれば必然的に、ガレスが回されるのは後詰めしかなくなるのである。とは言え、ガレスによって非戦闘員や物資を壊滅させられる恐れもあるのだが、そうはさせじと今回の出撃に加わらなかった指揮官級の面々がガレスの身動きを封じるかのように目を光らせていた。
もっとも、ガレスがその気になればその連中ごと血の海に沈めるのはたやすいことだが、ガレスにはもうそういったつもりもなかった。別にアリティア軍に義理立てしているつもりはないが、かと言って寝返ったところで何かあてもあるわけではない。今更生命を惜しんだりはしないが、かと言って無駄に散らすようなバカバカしい真似もする気はなかった。
(まあいい。駒が足りなくなれば、そのうち前線にも出ることになるだろう)
それまでは身体慣らしにのんびりとさせてもらうか。そう割り切ると、ガレスは戦局を観察した。近辺の敵の掃討は終わり、残すは城周辺の敵のみになっている。そんな中、
(ん?)
ガレスは妙なものに気付いた。見知らぬ顔がアリティア軍に加入して前線で戦っているのだ。五騎の騎馬に率いられた騎兵と騎馬弓兵の部隊がいつの間にかアリティア軍に加わっていた。その中で一際目立っていたのが、頭にターバンを巻いた一人の男の騎士だった。
(あれがハーディンか)
その姿を見てガレスがそう推察する。ここに来るまでにモロドフから聞いたオレルアンの騎士のこと。そして、その騎士団長は“草原の狼”の異名を冠する有能な騎士だということを。
(成る程、腕前は確かなようだな。脇を固めている連中がまだ頼りないからともいうのもあるが、あの男の戦果が際立っている)
冷静に分析する。
(それに、年恰好からしてもマルスたちよりも年上だ。その分の経験は、今後アリティア軍の中で生きてくるだろうな)
マルスとハーディンがどのような関係を築くかはわからないが、もし上手く協力できたら互いの至らない部分を補い合うことができ、アリティア軍としても強力な戦力を迎え入れることになるだろう。だが、そうならなかった場合は下手したら空中分解する恐れもあった。
(まあ、どちらに転ぼうが俺にはどうでもいいことだがな)
そうなるのだったら所詮、マルスはその程度の器である。自分を使いこなすなど夢のまた夢の話だとガレスは思っていた。そんなことを考えていると、前線から早馬が来た。
内容は、前線までの安全は確保したから後詰めもゆるゆると進軍してきてほしいというものだった。決着がついていないのに些か早計だと思いもしたが、後詰めが前線に到着する頃には戦闘が終了していると判断したのだろう。
(どちらにせよ、指揮官の命令ならば従わぬわけにはいくまい)
ガレスがそう判断した。既に、出撃していない他の指揮官級が後詰めの移動のために矢継ぎ早に指示を出しており、ガレス自身は何もやることがなかった。
(ククク…優秀な連中だ)
アリティア軍の指揮官級の手並みを心中で褒めるガレス。若年層が多いだけあって手際よく…とはいかなかったが、それでも必死になって立ち回っているのが手に取るようにわかった。
(さて、俺はどうするかな…)
予想外に暇になってしまい、手持無沙汰となったガレス。そんな時、ガレスはあることに気が付いた。
(ん…?)
グルリと首を回してある方向に視線を定める。
(これは…)
オレルアン城南方。渡河したアリティア軍本体を追って後詰めが城へ向かっている中、全くの逆方向に当たるこの場所に、一人の人物が歩いていた。漆黒の甲冑に身を包んだ黒騎士、ガレスである。
誰も側にいない中、悠然と一人目的地に向かって進むガレス。やがて、ガレスはとある場所で足を止めた。
(ここか…)
そして、目の前のものを見上げる。それは、一つの砦であった。
進軍方向と真逆の南方にあるこの砦にガレスが赴いた理由。それはただ一つだった。
(血の匂いがする…)
それが、先ほどガレスが気付いたことだった。ここは戦場だけに、血の匂いがするのは別に不思議なことではない。ガレスが気になったのは、非戦闘地域であるこの場所から血の匂いがしたことだった。
非戦闘地域で血の匂いがするということは、何かしらがあったのを意味することに他ならない。そして、血の匂いということはつまり、流血沙汰があったということである。
それを示すかのように砦の入り口付近は無防備にも開け放たれ、外から見える範囲に幾つかの死体があった。
(こんなこじんまりとした砦に何がある?)
それを確かめるべく、ガレスはゆっくりと中に入っていったのだった。
「下がりなさい、下郎!」
その頃、砦の最上階ではちょっとした修羅場が繰り広げられていた。飢えた目つきのした数名の兵士が、一人の少女を取り囲んでいたのである。
少女は、まだ少女という年齢ではありながら威厳と気品が端々に滲み出ていた。只者ではないことは一目でわかる雰囲気を醸し出している。対して兵士たちは飢えた野獣のような目つきで少女を品定めしていた。こちらは逆に、雑魚であることが手に取るようにわかる小物っぷりであった。
「ヒヒヒ…」
兵士の一人が下卑た笑い声をあげる。
「まさか、こんこんなところにいたとはな」
「ああ。落ち延びる最中に偶然見つけたのだが、運がいい。何せ、大賞首よりも余程価値があるからな」
「ドルーアに引き渡せば、俺たちの将来は間違いなく安泰だ。…だがその前に、楽しませてもらおうか」
兵士たちの下卑た顔が更に歪んだ。
「来ないで! 来れば今ここで生命を断ちます!」
男たちの欲望に晒された少女が精一杯の虚勢を張る。こうなっては、どうあがいても自分の将来は目に見えていた。どうせ死ぬのならば、凌辱されて純潔を奪われる前に己の運命を決めようと考えるのは当然のことである。だが、
「ふん、あんたにそんなことはできないよ」
兵士の一人が少女の覚悟を鼻で笑った。
「愚弄しないで! これでも私は王族の端くれです! 自害の覚悟くらいできています!」
「そう言う意味じゃないんだよ、お姫さま」
他の兵士が補足した。
「何ですって?」
少女が鋭く眼前の兵士を睨んだ。
「わからないか? あんたが死ねば、アカネイア王家はすべて死に絶える。そうなれば、反乱軍は今度こそ終わりだろう。戴く盟主がいなくなるんだからな。その結果、夢も希望も無くなった連中は一生を奴隷として生きていくのさ。あんたはそういった連中の希望や未来よりも、己の誇りや純潔を選んで逃げだすのか?」
「ッ!」
兵士の指摘に少女が唇を噛んだ。
「ですが、貴方たちに捕まったところでどうせ殺されるのは同じでしょう!?」
「だが、すぐにはそうはならない。ドルーア本国に護送される間に助けがくるかもしれないし、公開処刑ならその時に助けがくるかもしれない。限りなく可能性は低いが、無ではない。だがここで自決すれば、ここですべて終わりだ。どちらを選ぶかはわかりそうなもんだがな」
「……」
少女が悔しそうに唇を噛んだ。名もない雑兵にここまで言われるのは屈辱だが、もっと屈辱なのは向こうの方に理のあることがわかってしまったからである。一々、その言葉が胸に突き刺さった。
“王族としての責任を投げ出すおつもりか?”
戦火の中、あの時言われた一言を思い出す。
(カミュ…)
その姿を思い出し、少女の心は重く沈んだ。
(私はまた、同じ過ちを繰り返そうとしていたのですね…)
少女の身体から力が抜け、その場にへたり込んた。その様子に、兵士たちがニヤリと表情を歪ませる。
「まあ、俺たちは死体でも構わないけどな。楽しめないのが残念だが、どちらにしろ死ぬ運命だから、それが早くなるか遅くなるかの違いだ」
兵士たちがジリジリと少女に近づく。己の目の前に迫る絶望的な運命に彼女の視界がぼやけ、そして何も見えなくなろうかとしたところで、それは起こった。
「…随分と面白いことをしているな」
少女、そして兵士たちの背後から第三者の声が突然響き渡った。
「!」
「誰だ!」
全員が振り返って声のした方向に首を向ける。少女も、砦の壁に背を預けながらよろよろと立ち上がった。そこには、全身を漆黒の鎧で固めた一人の重騎士、ガレスの姿があった。
「何だ、お前!?」
兵士の一人がガレスをジロリとねめつける。だが、ガレスはそんな兵士を気にも留めずに辺りを見渡した。
(女に群がる男の集団か…わかりやすい構図だ)
鎧の中でガレスが侮蔑気味に唇を歪めた。しかも、女とは言え彼女はどう見ても少女だった。それに襲い掛かろうとは、
(こいつら、余程堪っていたのか? それとも、ガキにしか興味のない変態どもの集まりか?)
ガレスがそう推察するのは仕方のないことだった。だが、すぐに頭を切り替える。
(フン、まあいい)
ガレスの興味は既に兵士ではなく、少女に向いていた。呆然とした表情で自分を見ている少女と目が合う。と言っても、フルヘルムの兜をかぶっているガレスと目が合ったとは少女は認識していないかもしれないが。
(ここに来る前に一通り聞いた情報。そして、年恰好に姿形を考えれば…)
ガレスの頭脳が一つの答えを弾き出した。
「…お前がニーナか?」
己の名を呼ばれ、少女…アカネイアの王女ニーナが唇を震わせながら尋ねる。
「あ、貴方は一体…?」
「フン、さてな」
はぐらかすと、視線をニーナから兵士たちに移す。
「どう見ても、王女様を護る護衛の者には見えないが、貴様らはマケドニア軍の残党か?」
「だったら?」
「失せろ。貴様らのような雑兵、殺す気にもならん。生命だけは助けてやる」
ガレスの尊大な物言いに兵士たちは一瞬面喰らったが、すぐに口々に噴き出した。
「貴様、バカか」
「丸腰の癖に、何ほざいてやがる!」
「身の程を知るのは、テメーだよ」
そして次々と兵士たちが得物を抜いた。そう、兵士たちの言う通り、ガレスは己の得物を手にしてなかった。武器を持つことなく、ここにやってきたのだ。人数的にも状況的にも、自分たちの絶対的優位を信じて疑わない兵士たちはニーナを離れてガレスに近寄り始めた。まずは邪魔者を始末してからゆっくり楽しもうという腹積もりに変えたのだろう。
「フン」
ガレスはそんな兵士たちを鼻で笑うと、兵士たちに合わせていた視線を再びニーナに合わせる。
「おい」
そして、ニーナに声をかけた。
「な、何か?」
ニーナが答えた。
「目を瞑っていろ」
「え?」
「目を瞑っていろ。理由はすぐにわかる。何だったら、耳も塞いでおけ」
「あ…う…」
ガレスの雰囲気に気圧され、ニーナは機械仕掛けの人形のようにコクコクと頷いた。言われた通り、ニーナはその場で目を瞑る。直後、
「ぎゃあっ!」
一人の兵士の断末魔の悲鳴と、とんでもない衝撃音が響き渡った。
「ヒッ!」
身を竦ませたニーナの耳に、次々と言葉が届く。
「テメエ!」
「やりやがったな!」
「ぶっ殺してやる!」
直後、先ほどと同じような断末魔と轟音。そして、肉を挽き潰したような不快な音がニーナの耳に届いた。慌ててニーナは耳も塞ぎ、嵐が過ぎるのを待った。
どのくらいの時間が流れた後だったろうか、不意に、ニーナの肩に手が置かれた。
「! いやあっ!」
条件反射的にニーナが手を振り回す。だが、すぐにそれは拘束された。そして、
「慌てるな」
ガレスの言葉がその耳朶を打った。
「あ、貴方…」
その声色にホッとしたニーナが目を開こうとする。が、
「目を開くのはまだ早い」
ガレスがそれを制した。そして、
「歩けるか?」
ニーナにそう尋ねたのだった。
「え、ええ…」
ふらつきながらもニーナが立ち上がる。
「結構。では行くぞ」
ガレスはそのままニーナの手を取ると、遠慮なく歩き出した。
「あ…」
男に手を引かれて歩くことなど久しぶりのことだったからか、ニーナは少し戸惑った感じでガレスに引かれてその場を歩き始めた。
「ここからは階段だ。足元に注意しろ」
「はい」
すっかり大人しくなったニーナを先導しながらガレスが少し階段を降りる。そして、
「もう目を開けてもいいぞ」
階段の降下途中でニーナの手を放すと、ガレスはそう伝えた。
(あ…)
鎧のためにその温もりは感じられなかったが、それでも頼りになる大きくがっしりした手が離れてゆき、ニーナは寂しさを感じた。だが、それも一瞬。己を顧みずにズンズンと先へ進むガレスを、ニーナは慌てて追いかけた。
「その…」
ガレスに追いついたニーナが躊躇いがちに口を開く。
「何だ?」
後ろを振り返ることなく、ガレスが口を開いた。
「幾つか質問しても構わないでしょうか?」
「ああ」
「ではまず一つ。何故私にあの時、目を瞑れなどと?」
ニーナがその真意を尋ねた。
「…お前は、人の内臓が飛び散っている光景や、グシャグシャに潰れた顔が見たいのか?」
その質問に関するガレスの返答は実に明快で簡潔なものだった。その場面を心ならずも想像してしまい、ニーナの表情が蒼ざめた。
「そういうことだ…」
「わ、わかりました」
「後でこの砦は焼き払うなり取り潰すなりするのだな。アカネイアの姫君が犯されかけた砦など、お前たちにとっては縁起の悪いものでしかないだろう」
「それは、ハーディンの決めることです」
「フン、まあいい。俺には関係のないことだ。お前たちの好きにするがいいさ」
危機が去って大分落ち着いてきたからか、ニーナの様子も徐々にいつも通りに戻っていく。
「では次に、何故丸腰なのです? 助けてくれたことに礼は言います。ですが、武器も持たずして立ち向かうなど、あまりに不用心ではありませんか?」
次にニーナが尋ねたのはガレスが得物をもっていないことだった。さっきの兵士たちが嘲っていたように、ガレスは丸腰でここに来たのである。普通ならば武器を手にした集団に、無手で挑むのは無謀以外のなにものでもない。
「俺の得物は長柄の斧でな。あんな狭い室内でそんなものを振り回すわけにもいかんだろう。だったら、最初から持っていないほうがいい」
「で、でも、丸腰で立ち向かうなんて…」
「あのバカどももそう思っただろうさ。だからこそ、ナメてかかってきてくれた。結果は言うまでもないだろう」
「それは、それこそ結果論でしょう? あの中に、一騎当千の兵がいたらどうします?」
「そんな連中は、我欲を満たすために無抵抗な女に襲い掛かるようなゲスな真似はしないだろうよ。それに…」
「? それに?」
「いや…」
言いかけてガレスは口を噤んだ。得物はなくとも、ガレスにはもう一つの力があった。だがそれは、まだこの世界では使ったことのない力である。もしかしたら使えなくなっているかもしれない以上、口にするのは憚られた。
(まあ、先ほどあれが使えることがわかったからな。だったら、暗黒魔道も心配はないと思うがな…)
それでも、実際にそれがわかるまでは油断は禁物である。と、
「では、最後に一つ」
ニーナが再び口を開いた。
「ん?」
「貴方、一体何者なのです?」
「俺か? 俺はな」
砦の出口に辿り着き、口を開きかけたところでガレスがその身を止めた。
「???」
どうしたの? と尋ねようとしたところで、ニーナの耳に聞き覚えのある声が届いた。
『貴様、何者だ!?』
その声を聴いた途端、ガレスの影からニーナが砦の入り口に姿を現した。
「お待ちなさい!」
ニーナの目の前には、見知った顔の二人の騎士がいた。
「! ニーナ様!」
「御無事でしたか!」
ニーナの無事を確認し、その二人の騎士が表情を綻ばせた。
「ウルフ! ロシェ! 武器を収めなさい!」
「ニーナ様!?」
「しかし…」
名を呼ばれた二人の騎士、ウルフとロシェが逡巡する。ニーナの横に立つガレスが何者かわからないのだから当然だが。
「この者は私を助けてくれたのです。恩人に刃を向けることは私が許しません!」
「ニーナ様…」
「畏まりました」
そこまで言われては武器を収めないわけにもいかず、不承不承ながらウルフとロシェは武器を収めた。
「失礼しました」
「構わんさ、少し驚きはしたがな。だが、臣下としては当然の行いだろう」
そこでガレスはニーナを置き去りにして歩き始めた。
「あ…」
「迎えが来たのなら、俺はもういいだろう。後はこの連中に任せる」
そのまま、ウルフとロシェの横を通り抜けようとしたところで、
「待て」
不意に、ウルフが口を開いた。
「…何だ?」
足を止め、ガレスがウルフに振り返る。
(! 何だ、こいつの醸し出す雰囲気は…)
ガレスの尋常ならざる気配を向けられ、ウルフは思わず気圧された。それでも、それを表面に出さなかったのは流石である。同じようにロシェもガレスのその尋常ならざる気配に畏怖の念を感じたが、それでも表面上はそれを見せることはなかった。
「貴様…何者だ?」
ゆっくりと口を開き、先ほどと同じことをウルフが尋ねた。ウルフとロシェの登場で有耶無耶になってしまったそのことを聞く機会が訪れ、ニーナも耳をそばだててガレスの返答を待った。
「あの女…ニーナを助けたことからわかるだろう?」
「…アリティア軍の者だとでもいうのか?」
「そうだ」
ガレスが頷く。
「だが貴様のような輩、先ほどの戦場では見なかったぞ」
「その辺はマルス王子に聞くのだな。縁があれば次の戦場で会うだろう」
それだけ言い残すと、ガレスはその場を後にした。取り残されたニーナたち三人はガレスの背中を見送ったまま、少しの間固まってしまったかのように動けなくなったのだった。