Fire Emblem ~漆黒の灰色 炎の紋章に導かれて~ 作: ノーリ
今回は幕間回です。
原作にはないちょっとしたイベントですが、こういうお話こそ作者の力量が出てしまいますね。
どういったお話かは本文を読んで頂ければと思います。
では、どうぞ。
オレルアン本城。
アリティアとオレルアンの連合軍の初戦闘となったこの城の奪還戦で、無事に城を取り戻した翌日の夜。オレルアンの諸侯とアリティア軍の主だったものが大広間に集まり、戦勝の宴が始まろうとしていた。だが、その雰囲気は何ともギクシャクしていた。
オレルアンの諸侯が遠巻きながらこれ見よがしに注目し、そしてアリティア軍の面々も一定の距離を置いて決して近づこうとしない。そんな、それなりに込み合った城の大広間にもかかわらず、ポッカリと空白地ができたその中心にいたのは、当然ガレスだった。
「……」
ガレスは自分に向けられる好奇や畏怖の視線を黙殺しながら宴の始まりを待っている。鬱陶しいことこの上ないのだが、こういったどうしようもない有象無象がいるのは良くわかっているので無視していた。まさか、一人一人詰め寄って睨みを利かせたり脅したりするわけにもいかない。
そんな、お世辞にも気分のいいものではない視線を集めていたガレスは、黙りながらも仮面の下で何を考えているかというと、
(いつまで待たせる気だ…)
イラつきつつも呆れていた。こういうものに時間がかかるのは当然なのだが、それでも遅すぎる。進展なく進む時間に、いい加減帰ろうかと思っているところで、ようやく宴が始まろうとしていた。ニーナが挨拶のために立つ。
「本日、ここに集まってくれた諸侯にまずは感謝いたします。アリティアのマルス王子が軍を率いて我々に合流してくれたおかげで、長らく敵に支配されていたこの城を取り戻すことができました。明日からはまた厳しい戦いが始まるでしょう。そのための英気を養い、また城を取り戻した祝いとして、今夜は存分に楽しんでください。では、乾杯」
『乾杯!』
一斉にグラスをニーナに向けて掲げると、全員それに口を付けた。例外は一人、ガレスのみ。いつもの如くフルヘルムの兜をかぶっているので、グラスの中のアルコールを摂ろうにもそれができないのだ。いやそれ以前に、格好からして戦場と同じいつもの漆黒の鎧なのである。礼服の人々の中で唯一の戦姿とあって、浮いているというか場違い感が半端じゃなかった。だが、これはガレスには責任はないことである。
何しろ、ゼテギネアから転生でこの地に降臨したため、持ち物などこの鎧と得物しかなかったのだ。礼服の類など持っているわけはなかった。マルスが用意しようにも一日で、しかも戦時下にそんな真似ができるわけもない。
礼服を借りようにも、現段階で男で持っているのは王族であるマルスぐらいしかいなく、サイズが合うわけもなかった。
なので、流石に宴の席に甲冑姿で赴くわけにはいかないのでガレスは一度は招待を断ったのだが、ニーナが是非出席してくれとたっての願いを伝えてきたのだ。盟主である彼女の願いとあれば無下に断るわけにもいかず、妙な雰囲気になるのは百も承知でガレスはここに赴いたのだった。なるべく目立たないように大広間の隅に陣取っていたのだが、一人だけ甲冑姿…それも漆黒の鎧なので目立たないわけはないのである。そんな妙な雰囲気がこれまで大広間に流れていたのであった。
(まあ、場がどうなろうが俺の知ったことではない。何を考えているかは知らんが、恨むのならニーナを恨むんだな)
腕を組んだまま、微妙な雰囲気を醸し出すアリティア軍の面々やオレルアンの諸侯たちにそう内心で悪態をつく。
「では、存分にお楽しみを」
乾杯が終わり、場の空気が多少なりとも和らいだところでガレスは組んでいた腕を解く。そしてマントをたなびかせながら身を翻すと、義理は果たしたとばかりにそのまま大広間を出て行ったのだった。その瞬間、大広間の雰囲気が一変して柔らかいものになる。
「やれやれ、肝が冷えた」
「何ですの、あの不気味な騎士は」
「まるで死神みたいだったな」
「おお怖い。未だに震えが止まりませんわ」
オレルアンの諸侯が口々に好き勝手なことを言ってガレスに対して悪態をつく中、この場に招待されたアリティア軍の面々はホッとしていた。無遠慮な視線を投げかけてくるオレルアンの諸侯に、ガレスが何かやらかしはしないかと気が気じゃなかったからである。
そうなってしまったら最後、連合軍は空中分解し、ここですべてが終わってしまうだろう。そんな最悪の状況にならなかったことに、アリティア軍の面々は心から安堵していた。
(無分別な戦闘狂じゃないのかな…)
今までの戦いぶりを見ているととてもそうは思えないが、マルスはワインを軽く嗜みながらニーナにチラッと目をやってそんなことを考えていた。
オレルアン城内での戦闘後にオレルアン軍の者から、ガレスがニーナを助けたと聞かされた。そのことに、マルスは信じられずに目を丸くしたのだ。
これまでのガレスの言動を見、そして昨日のこの城でのマリオネスの惨殺具合を見た身としては、とてもガレスが人助けなどをやるように思えなかったからだ。だが彼らは間違いないといい、そしてニーナもガレスを名指しでここに招待するようにマルスに頼んできたのだ。それも、頼むというよりはどちらかと言えば命令に近い感じであった。
(俄かには信じられないけど…)
ガレスの人となりを判断するにはまだ材料が必要だ。そう思ったマルスは、グラスを給仕に渡すとそのままニーナの許へと足を運んだ。オレルアンの諸侯たちのご機嫌伺いが一段落しそうなのを見計らっての行動である。
「ニーナ様」
程なく自分が挨拶する段になり、マルスは恭しく頭を下げた。
「マルス王子」
ニーナが嬉しそうなホッとしたような口調でマルスの名を呼ぶ。
「御挨拶が遅れて申し訳ありません」
「よいのです、そのようなことは。さあ、顔を上げてください」
「はい」
ニーナの言葉に従い、マルスは顔を上げた。ニーナと、その隣には彼女を護るかのようにハーディンの姿があった。
「ハーディン公」
「マルス殿、こうやって改めて言葉を交わすのは初めてだな。何しろ戦場ではこんな真似はできんからな。無礼は許されよ」
「いえ、私こそ公に早めにご挨拶するべきでしたが、遅くなって申し訳ありません」
「そう言ってくれるな。それはお互いさまではないか」
「そうですね」
「ふふふ…」
二人の軽妙な言葉のやり取りに、ニーナが思わず顔を綻ばせた。
「楽しんでくれていますか? マルス」
「はい。ここにいる我が軍の者も、場外の我が軍の者も、ニーナ様のお心遣いにはとても感謝しております」
「そう、よかった。ところで…」
ニーナがコホンと咳ばらいをすると、軽く頬を赤らめた。
「はい?」
「彼は…ガレスはどうしたのです?」
その名を聞き、ハーディンの顔が僅かながらに不快そうに歪んだ。まあ、愉快な思い出はないのだから仕方のないことではあるが。
「さあ?」
返答できず、困ったように苦笑してマルスが首を左右に振った。
「わからないのですか?」
ニーナの表情が曇った。
「申し訳ありません。ハーディン公にはお話ししましたが、何しろ彼は天より落ちてきた戦士。僕としても未だにわからないことだらけで」
「天より…?」
そこでニーナが傍らのハーディンに振り返って仰ぎ見た。
「本当なのですか? ハーディン」
「マルス殿からはそう伺っております」
「そんな…」
流石にそんな回答は予想外だったのだろう、ニーナは何と言っていいかわからず、二の句が継げなくなってしまった。
「一応、彼は我々に対する協力者という立場なのですが、今はまだどうにも手綱を握ることはできなくて…。申し訳ありません」
「いえ、いいのです」
そうは言うものの、ガッカリとした表情になったのをハーディンは見逃さなかった。
「しかし、ガレスに何か用でもあったのですか?」
そのことが気にかかり、マルスが尋ねた。そもそも、ガレスをこの場に呼んだのはニーナのたっての希望だからである。それを考えれば、何かしらの用件があるのは容易に推察できることだった。
「え、ええ。彼に一度きちんとお礼を言いたかったのですが」
「そのことですか」
ああ…と言った感じでマルスが理解した。
「ハーディン公から伺いました。なんでも、ここから南にある砦でガレスがニーナ様を助けたと」
「ええ。その時は色々あって助けてくれたお礼もできなかったので、一度改めてお礼を言いたかったのですが」
「そう気にすることもないかと」
表情を変えず口を挟んできたのは、この場のもう一人の当事者であるハーディンだった。
「え? ハーディン?」
「ニーナ様は我らの盟主の身。友軍の者とは言え、一介の騎士に一々そんなことで声をかけるのも如何かと思われます。どうしてもとあれば、我が配下の者にニーナ様の感謝の言葉を届けさせます」
「え、ですが…」
ニーナは不満そうである。その姿が、ハーディンを僅かながらも苛立たせた。そこにマルスが口を挟む。
「いえ、僕もハーディン公の意見には賛成です」
マルスの同意にハーディンは我が意を得たりとばかりに頷き、ニーナは残念そうな表情になった。
「マルス王子」
「ニーナ様、お気持ちはありがたく頂戴します。ですが、ハッキリ申し上げます。今はまだ、ガレスにはあまり近づかない方が良いかと」
「何故です?」
間髪入れずにニーナが尋ねた。
「まだ彼を見定めていないからです」
「え?」
「正直に申し上げて、今彼は我が軍に協力者として力を貸してくれていますが、この先どう転ぶかはわかりません。それを考えた時、あまり彼と接点を持ってない方が良いと思っておりますので」
「ちょっと待ってマルス王子、それはどういう…」
「いずれ、いやでもわかる時が来るかと思います。それまでは、どうか自重ください。では」
最初と同じように恭しく頭を下げると、マルスはその場から退いたのだった。
「あ…」
最後、マルスが言ったことの意味を聞くことができず、ニーナが珍しくムッとした表情になった。
「…もう!」
そして、小さく悪態をつく。
「ハーディン、貴方もマルスと同じ意見なのですよね?」
「はい」
ハーディンが頷いた。
「そう…」
その答えに、ニーナがやはりガッカリとした表情になる。
「生命の恩人にお礼を言うのが、そんなにいけないことかしら…」
「それ自体には文句はありませんが、それも相手によりますな」
そしてハーディンの言葉に、今度はニーナは少し拗ねたような表情になった。
「ハーディンやマルスが言うほど、私には彼が危険人物とは思えないわ」
「かもしれません。ですが、ニーナ様の御身のことを考えれば、警戒しすぎても十分とは言えません。先ほどマルス殿が言われたように、どうか自重のほどを」
「ふぅ…わかりました」
そこまで言われたらどうしようもできず、ニーナは諦めたように溜め息をついた。
「ご理解いただけて幸いです。それはさておき、我らだけではなくニーナ様も宴をお楽しみください」
「ええ」
頷くニーナ。とは言え、主催者であり、旗頭である彼女の許には詣でる人物が引きも切らない。にこやかに対応することに追われ、ニーナが宴を楽しむ暇などはなかった。
「ふぅ…」
マルスが辞してから暫くの間客の応対を行い、ようやく一段落ついたところでニーナは一息ついた。そして、徐に玉座から立ち上がる。
「ニーナ様、どちらへ?」
ハーディンが尋ねた。
「少し疲れました。別室で少々休みます」
「では、部屋まで我が配下の者を随行させましょう」
「いえ、一人で大丈夫。それに、宴が終わるまでには戻ってきます」
「…かしこまりました」
「では、少し失礼しますね」
そう言い残すと、ニーナはなるべく目立たないように大広間を出た。その後ろ姿を見送った後、ハーディンは側にいる配下の者を手招きする。そして、
「ザガロを呼べ」
その人物にそう命じたのだった。
「はっ…はっ…はっ…」
大広間を辞したニーナはすぐにその場を小走りで走り出した。目的地は決まっているのだが、行先は不明。その行き先を求め、ニーナは途中であう下働きの者たちから情報収集に励んだ。
そして暫くの後、ついに有力な情報を手に入れる。ニーナはその情報をもとに、逸る気持ちを抑えながら目的地へと向かった。
(城を出たところを見た者はいない。ならまだ城内にいるはず…)
そして城内にいるのであれば、これから向かうところにいる確率が最も高い。そのため、ニーナはその場所へと急いでいた。そしてその場所…大広間からずいぶん離れたところにあるとあるテラスに近づくと、ニーナは走るスピードを落とす。そしてゆっくりと呼吸を整えると、少しずつ近づいてそのテラスの様子を窺った。
(! いた…)
果たして、ニーナのお目当てはそこにいた。漆黒の鎧に身を包み、テラスの手摺に体重をかけながらグラスを傾けているガレスの姿がそこにあった。
(そう言えば、素顔を見るのは初めてになるわね)
ニーナが何とはなしにそう思う。ワインを嗜んでいるのだから当たり前だが、ガレスはいつも被っているフルヘルムの兜を脇に置いていた。まだそれなりに距離があるのでハッキリとその容貌はわからないが、金髪なのだけはわかった。
(すぅ…はぁ…すぅ…はぁ…)
その場でもう一度ゆっくりと呼吸を整えると、ニーナはガレスへと近づいていったのだった。
(ふむ…)
ニーナがガレスを見つける少し前、大広間を辞したガレスは城の廊下を歩きながら下働きの娘を一人捕まえた。そして泣きそうな表情になったその娘からグラス一つとワインを二本ほどせしめると、大広間とほぼ反対側の位置にあるこのテラスへと赴き、徐にグラスにワインを注いで一人酒を始めたのだった。
義理は果たしたのでそのまま退出しても良かったのだが、晒し物にされた挙句無遠慮な視線やこれ見よがしに話のネタにされたことがそれなりに業腹だったので、せめてもの意趣返しというわけである。小さな仕返しではあるが暴れるわけにもいかないので、ガレスはこれで留飲を下げることにした。
(なかなかの味だな…)
フルヘルムを外して若返った顔を外気に晒しながら、ガレスは飲んでいたワインに関してこんな感想を持っていた。本来の世界ではゼテギネアの皇子の立場だっただけに、旨いものはかなり飲み食いしてきた。それだけ舌が肥えているガレスでも、それなりに満足できるワインの味だった。
(そこらへんは、腐っても王族というわけか)
思わぬ恩恵に感謝しつつ、そしてムカつくことばかりの中でも少しはいいこともあるものだと思いながら、ガレスは一人酒に興じる。見上げれば、ゼテギネアと同じく大きな月が中空の夜空に浮かんでいた。
(月はどの世界でも変わらんか)
まあ、さすがにカオスゲートや天宮シャングリラを始めとするような天空の島はないだろうなと思いながらゆったりとした時間を過ごす。そしてどれだけ経ったであろうか。不意にガレスは、こちらに近づいてくる気配を感じた。
(ん?)
誰だと思いながらも面倒なので振り返るような真似はせずに引き続き月見酒に興じ続ける。と、
「あ、あの…」
直後、ガレスの耳に自分に話しかける声が届いたのだった。
(ほぉ…)
その声色で誰だかわかったガレスがそのまま首だけを声のした方向に巡らせる。そこにいたのはガレスの予想通り、ニーナだった。
(主賓が何をしに来たのか…)
まさかこんなところで再び顔を合わせるとは思わず、少し驚きながらも手摺から身を起こした。
「これはこれは…」
そして、必要以上に恭しく口を開いて言葉を紡ぐ。
「どうされた、ニーナ姫? 宴の主賓である貴方が、こんなところにいるのは感心しませんな」
始めて見たガレスの素顔に何故かドギマギしつつも、ニーナはその口調に少し棘を感じた。だが、怯むことなく答える。
「探していたのです。貴方を」
「ほぉ?」
面白そうにガレスが軽く笑みを浮かべた。
「探していた? 俺を?」
「ええ」
ニーナが頷いた。
「何のために?」
単刀直入にガレスが尋ねる。
「貴方に礼を言うために、です」
それに対するニーナの返答がこれだった。
「礼だと?」
ガレスの口調が、今までの恭しいものからいつものものに変わった。
「何のことだ?」
「忘れたわけではないでしょう。南の砦で、私をならず者から助けてくれたことの礼です」
「…ああ」
そこでようやくガレスは納得いったような表情になった。
「気にすることはない」
そして、本当にどうでもよさそうにそう答えた。
「血の匂いのしない方向から血の匂いがしてきたから様子を見に行っただけだ。そこにたまたまお前がいて結果的に助けただけのことに過ぎん」
「しかし経緯がどうであれ、助けられたのは事実です。ならば、それに報いるのは当然のことでしょう」
「…律儀なことだ」
その姿にいつものようにクククと咽喉の奥でガレスが笑った。そして、ニーナに向き直る。
「それで?」
そう尋ねると、ニーナはガレスの近くにあったワインのボトルに目を付けた。幸いと言うべきか、一本は開いているもののもう一本はまだ未開栓である。ニーナはガレスへと歩み寄ってその未開栓のワインを手に取る。
「開けてもらえるかしら?」
そして、そのワインのボトルをガレスにそのまま差し出した。
(何をするつもりやら…)
未だにニーナの真意が読めないものの、断る必要もないためガレスはボトルを受け取るとそれを開けた。遅かれ早かれそれも頂くつもりだったのだ。それが予想外の展開でこうなっただけのことである。
「開けたぞ」
「ありがとう」
ニーナが開栓されたワインのボトルを受け取る。すると、中身が零れないように慎重に、その口の部分をガレスへと少し傾けた。
「???」
行動の意図がわからず、ガレスがボトルとニーナの顔を交互に見る。と、
「褒美として、杯を取らせます」
そう言って、ガレスにグラスを差し出すように促したのだった。その言葉を聞き、最初、ガレスは固まったように微動だにしていなかった。が、やがて、
「ク…ククククク…」
静かに、しかしさも楽しそうに笑い出した。そして程なく、
「ハッハッハッハッ…!」
実に楽しそうに大笑いしたのである。その姿に、今度はニーナが固まったように微動だにしなかったが、だんだんと己を取り戻していった。そして、
「な、何が可笑しいのですか!」
と、厳しい表情と口調になってガレスを詰ったのだった。
「クク…いや、失礼失礼」
ニーナの怒気に謝罪をしながらもまだ可笑しいのか、随分小さくなったとはいえ笑い声は完全には納まらなかった。そのガレスの姿に、ニーナは相変わらずムッとした表情になっているがガレスは構わずに笑みを抑えようと努めた。だが、ニーナは知らないことだがこうなってしまうのはある意味仕方のないことであった。
(まさか、俺が杯を賜ることになるとはな…)
ガレスがそう思う。何せガレスは元々神聖ゼテギネア帝国の第一皇子だった身である。つまり、褒美に杯を取らせる立場であって、決して杯を賜る立場の者ではないのだ。そんな自分が、まさか杯を賜ることになろうとは…。そう考えると、可笑しくて仕方なかったのである。
(まあよかろう。これもある意味得難い経験だ。謹んで賜るとしようか)
今までは上に立つ者だったが、この世界に来て初めて主を戴く者としての立場になったのだ。果たして目の前のお姫様、そしてあの亡国の王子が主たる器であるかどうかはこれから見極めることにして、今はこの立場を楽しもう。
ガレスはそう考えるとその場に跪き、グラスを軽く掲げた。
「では、謹んでご拝領賜ろうか」
「え…あ…」
今までからの変わり身に思わずニーナは言葉を詰まらせたがそれも一瞬。コホンと一回軽く咳ばらいをすると、ゆっくりとそのグラスにワインを満たした。
少しずつ増えていくグラスの重さが止まったところでガレスは立ち上がる。そして、ゆっくりとそれに口を付けようとした。が、
「一人で楽しもうとするとは、気配りのできない殿方ですね」
ニーナが恨みがましい視線をガレスに向けた。見ると、少し唇を尖らせてムッとしていた。
(やれやれ…)
子供の御守りは大変だと思いながら、ガレスは手摺の上にグラスを置いた。
「グラスはあるのか? 一人酒だったからここには余分なグラスなどないぞ」
「用意してきます。だから、少し待っていなさい」
そう言い残すと、ニーナは身を翻した。そして廊下の陰に隠れようとする前にガレスに振り返る。
「いいですね。決して先に口を付けないで!」
そう念を押すと、ニーナがそそくさとその場を後にしたのだった。
「やれやれ…困ったお姫様だ」
呆れたような口調でニーナを見送ると、ガレスはそのまま再び手摺に身を委ねた。そして待つこと数分。ニーナがテラスへと戻ってきた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
随分急いだのだろうか、少々息が切れている。
(そう慌てることもないだろうが…)
内心で半ば呆れながらも、ガレスはそれを口には出さずにニーナを見ていた。何度も深呼吸を繰り返したニーナがようやく呼吸を落ち着けてガレスに向き直る。そしてグラスを差し出した。
「……」
ガレスは黙ってワインを手に取ると、そのグラスへとワインを注いでいく。やがて自分のグラスと同じぐらいまでグラスが満たされたところでボトルを上げた。
「ありがとう」
礼を言うニーナにヒラヒラと手を振ってこたえると、ガレスはワインのボトルを近くに置く。そして、先ほどニーナから賜ったグラスを手に取った。
「乾杯」
「乾杯」
二人は軽くグラスを鳴らすとそれぞれ口を付ける。そして、どちらからともなく傾けていたグラスを戻した。
「ふぅ…」
ニーナが軽く一息つく。酔ったのか、それとも別の理由があるのかはわからないがその頬を赤く染めていた。そんなニーナの様子を横目で観察しながらガレスは再びグラスに口を付ける。
そうしながら、ガレスは少し離れたところから自分たちを見張っている気配に意識を向けた。
ニーナがグラスを探しに行っている時からだろうか、その気配を感じ始めたのは。それに気付いた当初は鬱陶しかったが、面倒なので放っておいた。実害があるならともかく、その気配は只こちらを見張っているだけなのである。偵察ならば放っておいても構わないと判断してガレスは捨て置いていたのである。
(…まあ、誰の差し金かはわかるがな)
ご苦労なことだ…と続け、何時ものように咽喉の奥でクククと笑った。そして、その気配を挑発するかのようにニーナに話しかける。
「さっきも言ったがいいのか? 主賓がこんなところで油を売っていても」
「わかっています。ですから、何時までもここにいるつもりはありません」
「顔を売っておきたい連中や、お前に取り入ろうとする連中に恨まれるのは御免なのだがな」
「そんなこと、貴方は露ほども思っていないでしょう?」
「ククク、言ってくれるな…」
愉快そうに笑うとガレスは再びグラスに口を付けた。確かにニーナの言う通り、そんな連中のことなど何とも思っていなかったのだから正しいのだが。
ガレスはそこでグラスのワインを飲み干すと、ボトルに手を伸ばして再び注ごうとする。が、それをニーナが押しとどめた。
「ん?」
ボトルに抵抗感を感じて振り返ると、ニーナがボトルに手を伸ばして掴んでいた。その意図を何となく察したガレスがボトルを手放すと、代わりにグラスを差し出した。
「ふふ…」
楽しそうに微笑むと、ニーナはそのグラスに再びワインを注ぐ。グラスにワインが満たされたところでガレスが軽く頭を下げた。そして、再びグラスに口を付ける。
「んっ…」
グラスを煽るガレスの姿を、ニーナは少し嬉しそうに見つめた。そして、少しだけガレスとの距離を詰める。ガレスは当然それに気付いたが、抱き寄せることも追い払ったり離れることもせずにただそれを受け入れていた。そして、ガレスと肩を並べながらニーナも己のグラスに口を付ける。
何者かの監視の中、月下の宴は音もなく、そしてゆっくりと時を重ねていった。その雰囲気に、ガレスとニーナはしばし身を預けていたのだった。