Fire Emblem ~漆黒の灰色 炎の紋章に導かれて~ 作: ノーリ
前回の続き、今回はワーレンの港町のお話です。
展開的には原作通りですが、ガレスがどう動くか。タイトルで大体は察しが付くかと思いますが。
では、どうぞ。
中央公路を南下して難所であるレフカンディの峡谷を抜けた解放軍はそのまま軍を進軍させてアカネイアへと向かい、その途中、とある港町へと立ち寄る。
ワーレンという名のその港町は帝国に多大な税金を払い、それと引き換えに自治を許されているという、このご時世では珍しい場所だった。自治都市という立場上、解放軍にも門戸を開いているこの地で、解放軍はこれまでの旅の疲れを癒すために休暇を取ることにしたのだった。
「レナ、少しいいかしら?」
「シーダ様」
声をかけられて振り返ったレナの正面には、シーダの姿があった。そしてその横には、はにかむように微笑んでいるノルンの姿もあった。
「ノルンさんも」
「こんにちは」
ノルンが軽く頭を下げた。
「どうしたのですか?」
レナが小首を傾げてシーダに尋ねる。
「少しお話があって。今、いい?」
「はい。取り立てて急ぐような用もありませんし」
「良かった」
ホッとした表情でシーダが一息つく。そして、
「ねえレナ、この後、私たちに付き合わない?」
と、用件を切り出した。
「ええっと…」
シーダの意図を図りかねて、レナが少し困ったような表情になった。
「仰ることの意味が良くわからないんですけど…」
「あ、そうね。ごめんなさい」
ちょっと端折り過ぎたことに気付いてシーダが謝る。
「実はこの後、ワーレンにお買い物に行く予定なのだけど、レナも一緒にどうかなって」
「あ、そういうことですか」
ようやくシーダの言わんとしていることがわかってレナが頷いた。
「でも、私でいいのですか? 折角ですからシーダ様はマルス様とご一緒なさった方が…」
「うん。それも考えたんだけどね。でもマルス様、お忙しいみたいだし…」
寂しそうに浮かべたその表情に恋慕の情が浮かんでいるのをノルンとレナは見逃さなかった。
「それに当然のことかもしれないけど、この軍も現時点では女性が少ないじゃない? だから、お買い物しながら女の子同士のコミュニケーションを取りたいかなって」
「成る程。だからノルンさんもいらっしゃるのですね」
「まあ、そういうことです」
照れ笑いを浮かべながらノルンが軽く自分の頬をポリポリと掻いた。
「アテナも誘ってみたんだけどね。取り付く島もなく断られちゃって」
「アテナさんは仕方ないかと。失礼を承知で言えば、そういうのは興味なさそうですし…」
レナの返答に肯定するわけにも否定するわけにもいかず、シーダとノルンは苦笑して返すしかなかった。
「と言うわけで、数少ない女の子のレナを誘ってるんだけど、どうかしら?」
シーダが本題に話を戻してレナに尋ねる。
「ええ、お供します」
レナは微笑むと喜んでシーダの申し出に同意したのだった。
「ホント!?」
レナの返答を聞いたシーダがパアッと顔を輝かせる。その様子に、ノルンとレナがクスクスと笑った。
「あ、ご、ごめんなさい…」
二人が笑っていることにはしゃぎ過ぎたのを思い至ったのか、シーダがまた軽く頭を下げた。
「いやだわ、私ったら。恥ずかしい」
「そんなことありませんよ、シーダ様」
レナが穏やかに微笑みながらシーダを諭す。
「そうですよ。感情表現が豊かなのは人として素晴らしいことです」
ノルンもレナに同意してうんうんと頷いた。
「もう…二人してそんなこと言って…」
恥ずかしいのかムッとしたのか、シーダは拗ねたような表情を見せて恨めしそうにノルンとレナを見た。
「ふふ…すみません」
レナが謝る。ただ、その表情は今も尚穏やかに微笑んだままだ。
「もう…」
「まあまあ、シーダ様」
まだ納得いかないような表情のシーダをノルンが宥める。
「それより、レナさんも付き合ってくれることが決まったのですから、早く参りましょう」
「ん、そうね」
ノルンにそう諭され、シーダもようやく普段通りになった。そして女三人で歩き出そうとしたところ、
「きゃっ!」
前方不注意のために何かにぶつかってしまったシーダが短く悲鳴を上げて尻餅を着いた。
「痛たたた…」
尻餅を着いたまま、シーダが額を擦る。
「シーダ様!」
「大丈夫ですか!?」
ノルンとレナが慌ててシーダに駆け寄って膝を曲げた。
「え、ええ…」
ぶつけた額がまだ少し痛むのか、顔を顰めながらまだ擦っている。と、
「大丈夫か?」
シーダの遥か頭上から声が聞こえた。
「?」
見上げる。そこにいたのは、見たことのない大柄な男の姿だった。ドーガよりも一回り大きなその身体は、堂々たる体躯だった。だが、その顔に見覚えはない。
(???)
シーダは内心で更に首を捻った。
(こんな人、いたかしら…?)
チラッと、左右のノルンとレナに目を走らせる。二人も見覚えがないのだろうか、当惑の表情を浮かべながら目の前の大男を見ていた。と、
「おい」
不意にその大男から声がかけられる。
「な、何?」
思わずビックリして悲鳴を上げそうになってしまったが何とか抑えてシーダが返事をした。
「何時までも座り込んでいるが、腰でも抜けたか?」
「え…あ、ああ。大丈夫よ」
慌ててシーダが立ち上がった。ノルンとレナもシーダに合わせるかのように折っていた膝を伸ばす。
「その、ごめんなさい」
そのままシーダが軽く頭を下げた。別にシーダが謝るようなことはないかもしれないが、場の流れと言うか空気で何となく頭を下げたのだ。と、
「怪我は?」
三人の目の前にいる大男がシーダに尋ねる。
「え、ええ、大丈夫。何処もおかしなところはないわ」
「それは結構」
表面上は変わった様子も見せないが、大男は一応そう言ってシーダを気遣った。と、
「あの…」
二人の会話におずおずとレナが口を挟んできた。
「何だ?」
大男がレナに視線を向ける。
「不躾なことをお尋ねしますが、貴方、どちら様ですか?」
「は?」
大男はレナの質問に一瞬固まった。だがすぐに、
「ハッハッハッ…」
と実に楽しそうに大笑いし始めたのだった。
「そうか、俺がわからんか。クク…これは傑作だ」
その後も暫く大男の笑いは納まらなかった。そのため、
「ちょっと、何が可笑しいんですか?」
気分を害したのだろう、ノルンが彼女には珍しくムッとした表情で大男に詰め寄ったのだった。だが、
「クク…笑いたくもなるさ」
大男は気にする様子もなく笑っている。だが、それでは流石に状況が進展しないのはわかっているからか、ようやく笑いを収めて三人に向き直った。
「シーダにレナにノルンか。珍しい組み合わせだが、女三人で買い物にでも行くのか?」
「私の名前を…?」
目の前の、見覚えのない大男が自分の名前を言ったことにシーダが困惑顔で呟いた。
「無論、知っている」
「だったら、敬称ぐらい付けたらどうです?」
ノルンがムッとした様子のまま再び大男に詰め寄った。だが大男は先ほどと同じくまるで気にした様子もない。
(ッ! このぉ…)
無視しているというわけでもないのだろうが、どうでもいいという感じで扱われていることにノルンは内心でムカムカしていた。そんな中、
「失礼ですけど…」
再びレナが口を挟む。
「何だ?」
「先ほどの質問に答えていただけますか? 貴方、何者です?」
「クク…まだわからんか」
相変わらず楽しそうに笑っている大男に流石のレナも不快になったのか面白くないといった表情を浮かべた。だが、ようやく話が進展を始める。
「まあ、貴様らに素顔を見せるのは初めてだからな。わからずとも仕方ないか」
「え、それって…」
シーダが何かに思い当たったようだったが、大男は気にせずに先を続ける。
「何なら兜だけでも持ってくるか? あの漆黒のフルヘルムを」
「!」
「ま、まさか…」
その一言でレナとノルンもわかったのだろう、驚きに目を見開きながら固まってしまった。
(そう言えば…)
三人が目の前の大男の目を見る。その目は、燃えるような真紅の瞳だった。そして、そこから導き出される答えはただ一つ。
「ガレス…なの?」
恐る恐る尋ねたシーダに、
「そうだ」
目の前の大男…ガレスは頷いてその言葉を肯定した。そしてその瞬間、レナとノルンが引き攣って固まってしまった。
「…驚いたわ」
一人、シーダだけは何とか踏みとどまる。だがシーダにしても、レナやノルンとそう状況は変わらなかった。それでも踏みとどまれたのは小国と言えども王女として色々な場面での場数を踏んでいることと、どれだけ恐ろしくても目の前の大男は味方であるという二点のことがあったからだった。
とは言え、そのシーダにしてもギリギリの状態で踏みとどまっているのでちょっとそのバランスが崩れたらレナやノルンと同じようになってしまいかねないのだが。
「何がだ」
一方ガレスはいつもと変わることもなく淡々と返す。ただ、その顔がいつもの兜に覆われていないだけに、その表情の変化は簡単に見て取れた。そして今、ガレスは三人を見てニヤニヤと楽しそうに笑っている。それは、彼女たちが自分の素顔を見て驚いていることに対してか、それとも目の前にいるのが自分だとわかって恐怖に慄いている様が愉快だからかは本人しかわからないが。
「貴方、素顔はそんな感じなのね」
シーダがガレスの素顔を見て興味深そうにそう呟いた。暗黒道の力でかつて母であるエンドラはその若さと美貌を止めていたが、ガレスも同じように年齢で言えば六十を超えていたのに若さを止めていた。
そのため、今のガレスは実年齢は六十を優に超えるのだが、見た目は二十歳そこそこの若々しい姿をしていた。無論、そんな事情など知らないシーダたちは、目の前の人物が実はジェイガンやモロドフと同じぐらいの年齢なのだということなどわかるわけはないのだが。
「まあ…な」
そのため、ガレスははぐらかすようにそう答えた。と、シーダの左右のレナとノルンの様子が少し変わったことに気付く。驚きや恐怖と言った感情は確かにあるのだろうが、それと同時に僅かながら見とれているようにも感じられたのだ。その証拠に、二人ともほんの少しだけ顔が赤くなっていた。
(少しからかってやるか)
それがわかったガレスが、珍しく茶目っ気を出す。
「それはそうと脇の二人、さっきから黙って俺の顔を見ているがどうかしたか」
「! い、いえ!」
「べ、別に何でも…」
指摘されて気まずくなったレナとノルンが慌ててガレスから視線を外す。が、ガレスは追撃の手を緩めなかった。
「俺に見とれていたのか?」
「! な、何を…」
「ば、バカなこと言わないでください!」
「ククク…わかりやすい奴らだ」
そっぽを向いた二人に、ガレスはまた楽しそうに笑うのだった。
「あれ? でもそう言えば貴方…」
何かを思い出したシーダが呟く。
「何だ?」
「確か、謹慎中だったはずじゃなかったかしら?」
「あ、そう言えばそうですね」
レナも頷いた。
「そうですよ。マルス様に報告しますよ。さっさと帰ってください」
さっきからかわれたことがまだ治まらないのか、ノルンが少し棘のある様子でガレスを促した。だが、ガレスは気にする様子もない。
「それなら問題ない」
「え?」
「少し前に使いが来てな。謹慎は解かれた」
「そうなんですか?」
「ああ」
尋ねてきたレナにガレスが頷いて答えた。
「…本当ですか?」
ジト目のノルンはまだ疑わしそうだ。
「疑うならマルスに聞けばいい。聞くところによるとここはそこそこ大きな歓楽街らしいからな。マルスも気を使ってくれたのだろう。ならば、ありがたく楽しませてもらうだけだ」
「そう…」
シーダが少し表情を曇らせた。温情をかけるのはマルスらしいと思わないでもないが、相手がガレスだけに面倒ごとを起こさないとも限らない。そのため、釘を刺す。
「犯罪にならなければ何をしてもいいけど、私たちの評判を落とすような真似はやめてね」
「クク、言ってくれる」
いつものように咽喉の奥で笑うガレスの姿に、いつもの漆黒の鎧こそ身に着けていないが、シーダたちは目の前の大男が本当にガレスなのだとようやく納得がいったのだった。
「ね、お願い」
その、いつも通りの笑いに急に不安になったシーダが念を押す。
「わかったわかった。俺も別に好き好んで荒事を起こすつもりはない」
「本当ね?」
「ああ。但し…」
ガレスが言葉に含みを持たせる。
「な、何?」
シーダが一抹の不安を感じながら答えた。
「俺が手を出す気はなくとも、俺に絡んでくるバカがいれば話は別だがな」
「あ、あはは…」
絶対にそんなことになりませんようにと内心で祈りつつ、シーダが乾いた笑いを浮かべた。両隣ではレナとノルンもその光景を想像してしまったのだろう、唇の端をヒクつかせていた。
「ではな」
そこでガレスは身を翻してワーレンへと向かった。ガレスの背中を見送り、少しの間呆然としていたシーダたち三人だったが、自分たちも楽しむため、そして何より時間を無駄にしないためにワーレンへと向かったのだった。
他にも、各人が思い思いの時間を過ごす中、急変はその言葉通りいつも突然やってくるのだった。敵の大部隊がこのワーレンを包囲するように進軍しているという報せの早馬が入ってきたのは、それからおよそ一刻後だった。
「マルス王子」
休息をとるのも中断し、慌ただしく出撃の用意を整えているところで見知らぬ傭兵がマルスに近づいてきた。
「君は…確かこのワーレンの自治を…」
記憶を辿り、目の前の傭兵の情報を引き出していく。
「はい、シーザと申します」
傭兵…シーザが軽く頭を下げた。そして言葉を続ける。
「既に聞き及んでいるかと思いますが、ドルーアの同盟国であるグルニアの騎士団が西の砦に集結しており、この町は完全に包囲されています」
「うん」
「このままでは危険です。幸いにして東の城は手薄ですからそこを狙われるのが得策でしょう。我々もお手伝いしますので、一刻も早く東の城へお逃げください」
「それは…こちらとしてはありがたい申し出だけど、いいのかい? 僕たちにそんなに肩入れして」
マルスが驚きながらシーザに尋ねる。彼らは敵ではないが、かと言って味方というわけでもない。なのにそこまでしてくれる理由がわからないのだ。それに、下手な真似をすればこの港町の立場だって悪化するのだ。今言った通り肩入れしてくれるのは嬉しいが、そこまでする理由がマルスにはわからなかった。
「お気になさらず。奴らのことです、王子が…解放軍が今ここにいるという情報を掴んだ以上、ここになだれ込んできて王子の姿が見つからなければ、弁明の暇もなく必ずここは蹂躙されましょう。ならば王子に…解放軍に与するのが道理というもの」
「だが、君たちがいなくなってしまえばこのワーレンは…」
「解放軍が東の城を落としたと知れば、必ずや奴らは王子を追って東の城へと向かうでしょう。ならば、わざわざここに来る必要もなくなります。ですので、出来れば奴らに動きを把握されつつ東の城を落としてほしいのです。難しい注文だとは思いますが…」
「いや、我々としても無関係な民衆が戦火に巻き込まれることは避けたい。シーザ、君の進言に従おう。ジェイガン」
マルスが傍らのジェイガンに振り返った。
「はっ」
「各隊に伝令を。今言ったように今回は速度が何よりも重要になる。故に、今回は騎馬と飛兵で軍を編成する。残りの歩兵や魔導師たちはここで待機をするように伝えてくれ。東の城を落とした後、すぐに離脱する」
「はっ!」
頭を下げると、ジェイガンはそそくさとその場を後にした。そして、マルスはシーザへと振り返る。
「シーザ、君たちには船の確保をお願いしたい。東の城を落としたらすぐに脱出する。そのための船だ。頼めるかい?」
「わかりました。すぐに手配しましょう」
「申し訳ないけど、頼む」
「ハッ!」
マルスから依頼を受けたシーザも、先ほどのジェイガンと同じようにそそくさとその場を後にしたのだった。
「スピード勝負か…」
近くに誰もいなくなったことで、マルスが己を落ち着かせるかのように軽く息を吐いた。
「しんどい戦いになりそうだな」
予感と言うより予言を呟きながら、マルスはそうならなければいいがと一縷の望みを抱きながら軍の用意が整うのを待つのだった。
「クソが…」
ワーレンの港町内部。東の城を攻略するために出撃した騎兵、飛兵部隊以外の面々はこの港町で脱出の準備を進めていた。その中には当然、ガレスの姿もあった。重騎士なのだから当然なのだが、せっかくの余暇を潰されることになり、ガレスも結構頭に来ていた。敵にこっちの事情を斟酌してもらうことなどどだい無理な話なので仕方ないのだが。
だが、だからと言って納得できるかと言うのはまた別の話である。
(久しぶりに女を抱こうと思っていた矢先にこれか。余程叩き潰されたいようだな)
個人的な事情とは言え、久しぶりの楽しみを邪魔されたガレスはイライラしていた。それがいつも以上に漆黒の鎧から外に滲み出ているのか、他の面々もいつも以上にガレスを敬遠して行軍の準備を進めていた。そんな中、
「た、大変だ!」
街の入り口で見張りに立っていたダロスが慌てて戻ってきた。
「どうした、ダロス」
血相を変えて戻ってきたダロスの様子に何人か集まり、代表して…と言うわけでもないだろうがオグマが尋ねた。余程驚いたのか全力で走ってきたのかはわからないが、ダロスは少しの間喋ることもかなわなかった。だが、何とか呼吸を整えると、
「こ、こっちにグルニア軍が…」
それだけ何とか口に出した。もっとも、その一言だけで誰もが察することができたが。そして、そこに集まった面々は全員顔色を変える。
「何だと!?」
「おい、本当か!?」
「見間違いじゃねえのか!?」
オグマの三人の部下、サジ、マジ、バーツが口々にそう言うとダロスに詰め寄った。だが、
「ま、間違いない」
ようやく呼吸が落ち着いてきたのか、ダロスが口元を拭って答えた。
「遠くから馬蹄の音と、そして土煙が上がっていたのを見た。それが、こっちに向かってきているのも」
「そうか…」
オグマが頷いた。
「ご苦労だったな。奥に引っ込んで休んでくれ。リフ神父」
「はい」
「付き添ってやってくれるか。消耗があまりにも激しいようだったら、杖を使ってやってくれ」
「わかりました。では、参りましょうかダロス殿」
「す、すまねえな。神父」
「いえいえ」
一礼すると、リフはダロスと共にワーレンの奥へと向かっていった。
「さて…」
オグマが口を開く。その頃には、今回出撃していなかった解放軍の主だった面々がその場に集合していた。
「脱出にあとどれぐらいかかる?」
「ようやく全体の半分といったところだ。支度を始めてから今までと同じ時間がかかると見ていい」
ナバールが答える。
「そうか…」
その返答に、さしものオグマの顔も曇った。どれだけ戦場で強くても、こういう問題はどうしようもない。とは言え、いつまでもそんなことにかまけている暇もないのもまた事実だった。
「とにかく、全員に支度を今以上に急がせるしかないな」
「しかしオグマ殿、それだけではどうしようもありませんぞ」
「わかっています、ウェンデル司祭」
オグマが苦渋の表情で頷いた。
「彼我の距離とこちらの進捗状況を考えれば、どう贔屓目に見ても我らが脱出するより敵と接触する方が早い。故に時間を稼がねば…」
「ククク…」
難しい顔で角を突き合わせているオグマたちだったが、不意にあの耳につく嘲る笑いが聞こえてきた。その場にいる面々が一斉に振り返ると、ガレスが楽しそうに肩を震わせて笑いながら己の得物を握り締めていた。
「そうか…」
そしてそれだけ呟くと、そのまま町の入り口へ向かおうと歩き出す。
「待て」
その足を止めたのはオグマだった。
「何だ?」
何を言われるかは大体わかっているが、一応ガレスは立ち止まって用件を尋ねた。
「何処へ行くつもりだ」
「知れたこと」
予想通りの問いかけに、ガレスも隠すことなく答える。
「ここに向かってくる連中を潰しに行く」
「そんな!」
口を挟んできたのはゴードンだった。
「危険ですよ、止めてください!」
そして懇願する。前回のレフカンディで助けられたことでゴードンはガレスに恩を感じることとなり、随分態度が軟化していた。アテナほどではないにせよ、この軍でのガレスの二人目の理解者となろうとしていた。が、
「だったら、街中で乱戦が貴様らのお望みか?」
「! それは…」
表情を曇らせてゴードンが俯く。ゴードンだけでなく、他の面々も同じように俯いていた。それは絶対にできない手段だからだ。一般民衆を戦火に晒すことは、今後軍を進めるにあたって絶対に避けなければいけないことだった。故に、その手は取れない。
「そういうことだ」
そして、ガレスもそれがわかっているからこそ町の入口へと向かおうとしたのだった。
「わかったら貴様らはさっさと逃げ出す準備を整えておけ」
「な、ならせめて、僕が支援します!」
ゴードンが名乗り出る。弓使いであるゴードンの支援は成る程理に適っているものだった。だがガレスは、
「いらん」
一言で切って捨てた。
「え」
「邪魔だ」
そして、そう付け加えたのである。
「おい待て、それはいくら何でも」
無謀だと続けようとしたナバールにガレスが振り返った。そして、フルヘルムの下の真紅の瞳でナバールを射抜く。
(ッ!)
その、不気味な視線に幾多の戦場や死地を渡り歩いたナバールも固まってしまって声が出せなかった。
「加減はせんからな。巻き添え喰らって死にたいならついてくればいい。それが嫌ならとっとと逃げ支度を済ませろ」
「しかし…」
マリクが何とか食い下がる。が、
「…二度は言わんぞ」
文字通り殺意の籠った視線を受け、マリクはゴクリと唾を飲んだ。いつの間にか、咽喉はカラカラに渇いていた。
「ククク、楽しみだ…」
実に愉快に笑うガレスの背中を見送りながら、個人差はあれど残された面々は今一度ガレスに恐怖心を抱いたのだった。ワーレンがそのような状況になっているのと前後して、マルス率いる出撃部隊は東の城を落とすことに成功していた。
「よし、こっちは何とかなったな。シーダ!」
城を落とし、味方の被害が軽微だったことにホッとしたマルスがシーダを呼んだ。
「はい、マルス様!」
シーダがすぐにマルスの側へ飛んでくる。
「すまないけどワーレンへ飛んでくれ。そして、すぐにこちらへ移動するように残った皆に伝えてほしい」
「わかりました」
「頼む。ワーレンの警備兵が船を手配しているはずだ。帰りはそれに乗ってこっちに合流してくれればいいから」
「はい。では!」
「うん。宜しく頼むよ」
マルスの言葉にコクンと一つ頷くと、シーダはペガサスの腹を蹴って空高く舞い上がったのだった。
「急がないと…」
逸る気持ちを抑えながらシーダがワーレンに向けて飛ぶ。しかし、
「! あれは!」
シーダはあるものを見て愕然とした。それは、ワーレンへと向かっているグルニア軍の大部隊だった。見張りをしていたダロスが発見したのと同じ部隊である。
「そんな! 陽動が失敗したの!?」
思わず歯噛みするシーダ。今叫んだように陽動が失敗したのか、それとも何か目的があるのかは知らないが、事実として敵の部隊がワーレンに向かっていることだけは間違いなかった。
「ダメ! このまま飛んでも間に合わない」
そして彼我の距離から、自分がワーレンに着くよりも大分前に敵部隊がワーレンについてしまうのがわかってしまった。
「このまま飛んでもどうしようもないわ。だったら…」
シーダはある決心を固めると、ペガサスの馬首を返した。そしてそのまま、東の城へと急いで戻ったのだった。
「マルス様!」
東の城へととんぼ返りしたシーダがペガサスを降りてマルスの許に駆け付けた。
「シーダ!?」
その声、そしてその姿にマルスが目を丸くする。急いで走ってきたシーダは乱れた呼吸を整えるために胸に手を当てて荒い呼吸を繰り返した。
「どうしたんだ、そんなに慌てて。それに皆は?」
「た、大変なんです…」
息も絶え絶えになりながらシーダが口を開く。まだ少し苦しいが、それでも当初よりは随分と呼吸も落ち着いてきたために続きを話し始めた。
「グルニア軍の大部隊が、ワーレンへ…」
「何だって!?」
マルスが驚きの声を上げる。だがそれは、この場にいるジェイガンやカインにアベル、ハーディンたちも同様だった。
「私がワーレンに向かおうとした時にはもう大分ワーレンに迫っていたの。だから、このままワーレンに飛ぶよりはこっちに戻ってきて、皆で取って返した方が良いかと思って戻ってきたんです」
「賢明な判断ですな、シーダ王女」
ハーディンがシーダに称賛の言葉を掛ける。そういった状況下でシーダが一人戻っても趨勢は変わらない。ならばこちらに戻ってきて全軍で取って返すべきである。そうハーディンは考えたからこそ、シーダの判断を褒めたのだった。
「良く知らせてくれた」
マルスも同じことを思ったのだろうか、ハーディンと同じようにシーダの労をねぎらう。
「後は僕たちが引き受ける。シーダは少し休んでいてくれ」
「ううん、ご一緒します。今空を飛べるのは私だけ、伝令にしろ敵の牽制にしろ、私にしか担えない役目があるはずです」
「…そうか、わかったよ」
少し逡巡したマルスだったが、シーダの申し入れを受け入れた。何しろその目が雄弁に語っていたのだ。絶対に一緒に行くと。それがわかってしまったため、マルスは折れざるを得なかった。
そしてそのまま、マルスはジェイガンへと振り返る。
「ジェイガン、全軍に通達を。これより我々はワーレンへと急行する」
「はっ!」
「オレルアンの同志たちについてはハーディン公にお任せしたい」
「承知した」
マルスの命令に慌ただしくジェイガンとハーディンが身を翻す。そうしてごく短時間で準備を終えた解放軍は、疾風の如くワーレンへととんぼ返りしたのだった。そこで彼らが見たものは…。
「こ、これは…」
目の前に広がる光景にハーディンが思わず絶句する。だが、それが出来るだけハーディンは精神が強い。他の面々は大多数が顔色が真っ青になっているか、吐き気をこらえるように口を抑えているのがやっとだからだ。
「っ」
そんな中、マルスも思わず顔を顰めてマントで口元を隠した。だが、それも仕方のないことだろう。何故ならば眼前には無残に斬り刻まれた無数の死体が転がっており、辺り一帯血の海だからだ。そして、その中心部には
「……」
その惨劇を作ったであろう人物が黙って佇みながらマルスたちに顔を向けていた。
「ガレス…」
必死に吐き気を抑えながらマルスがその人物…ガレスの名を呟く。
「遅かったな」
一方、ガレスはいつもと変わらぬ様子でマルスたちを迎えた。
「いや、大部隊で行動していることを考えれば、早かったと言うべきか?」
「そんなことはどうでもいい」
ガレスの軽口をマルスが遮断した。そう、本当にそんなことはどうでもいいことなのである。
「それより…これは君が?」
「ああ」
マルスの問いかけに、当然とばかりにガレスが頷いた。
「君一人で? 他の皆は?」
「町で脱出の準備をしている。…もっとも、全部叩き潰した今となっては急ぐ必要もないがな」
いつものようにクククと笑う。その笑いがいつも以上に恐ろしく、全員が背筋に悪寒を感じ、そしてガレスに対して恐怖を感じていた。
「…一つ聞きたいのだけど、君が敵を迎え撃ったのは自分の意思かい? それとも皆に頼まれてのことなのか?」
マルスが続けて質問する。もし他の皆がこうするようにしたのならば、言い方は悪いがそれは厄介払いに近いものがあるとマルスは感じたからだ。いやそれどころか、あわよくば消えてもらうことを期待して…嫌なことだが、そう考えてしまう。だが、
「俺が出向いた」
ガレスの返答はマルスが危惧していたものではなかった。それを聞き、マルスが内心でホッとする。
この先、もしかしたら今ホッとしたことを後悔するときが来るかもしれない。だが今は、残してきた皆がそういうことを考えなかったことが喜ばしいことだった。
「そうか。…だがなぜ君一人で? 直接戦闘要員はともかく、支援要員はいても良かったのでは?」
「いらん。巻き添えにしかねんからな。そう忠告したら、大人しく引っ込んだ」
そしてまたクククと笑い、その姿を見た者たちがまた恐怖を抱く。が、
「グッ!」
短く声を上げると、ガレスがその場に片膝を着いた。
「ガレス!」
その姿に駆け寄ろうとしたのはニーナである。彼女の身を危険に晒させないため、ニーナは手薄な東の城へ出撃した部隊に同行させていたのであった。そのため当然のように今も同行しており、ガレスが膝を着いたのを見て思わず飛び出したのだった。ハーディンやオレルアン騎士団の面々も、彼女がそんな真似をするとは思わずにすぐに反応できなかった。だがガレスは、
「止まれ!」
珍しく声を荒げると、得物であるサタンブローバ―をニーナに向かって横薙ぎにする。二人の間の距離はまだだいぶ離れていたためにその刃がニーナを捉えることはなかったが、風圧がニーナを襲った。
「ヒッ!」
怒鳴られたことと、そして風圧に驚いてニーナが思わず足を止めた。そして呆然とした表情でガレスを見ている。
「…こっちに来て何をするつもりだ」
片膝を着いたままガレスがニーナに尋ねた。
「あ、貴方を助けようと…」
言葉を詰まらせながらもニーナが答える。だがガレスは、
「止めておけ」
簡潔にそう答えてニーナの善意を拒絶した。
「え?」
「鎧が漆黒だからわからんだろうが、全身返り血でベットリでな。今の俺に触れたらそれに塗れるぞ。その柔肌や折角の召し物を血で汚したくはあるまい?」
そのまま、ガレスはハーディンに視線を移した。
「連れていけ。そして、二度とこっちに出てこさせるな」
「貴様に言われるまでもない。ロシェ、ビラク」
「はっ」
「はい」
ハーディンの意を汲んだロシェとビラクがニーナを左右から誘導する。
「さあ、ニーナ様」
「ここはまだ安全とは言い切れません。何卒ご自重を」
「で、ですが…」
ニーナはまだ後ろ髪を引かれるのだろう、逡巡している。それに業を煮やし、そしてほんの少しだけ嫉妬したハーディンが強権を発動した。
「構わん。ロシェ、ビラク、強引にでもお連れせよ!」
「はっ!」
「ニーナ様、失礼いたします!」
「ま、待って二人とも! せめてもう少し…」
「なりません!」
「無礼はお許しください!」
ハーディンの命令に従い、ロシェとビラクはニーナを誘導する。ハーディンに命令されたように、そしてガレスに指示された通りに、ガレスから引き離すように。
(全く、手間のかかるお姫様だ)
未だにこっちを見ながら悲しそうな顔をしているニーナの姿に、いつものようにクククと笑いながらガレスはそのままマルスへと視線を向けた。
「マルス」
「な、何だい?」
ここでいきなり声をかけられるとは思っていなかったのか、マルスは一瞬ビクッと身体を震わせてガレスを見る。
「疲れた。俺は少し寝る。死体の後始末や町への事情説明は貴様たちでやっておけ」
「わ、わかった」
「よし」
その場でガレスは崩れ落ちるとそれ以降動かなくなった。血の海の真ん中で眠るガレス自身とその底知れぬ強さに、解放軍の面々は改めて恐れを抱くのだった。