用務員さんが遺したノート。それを手にした「私」。奇妙な手記の内容は……。
すこし不思議で、荒唐無稽な、SF小説です。一話完結。

※ラブライブ!、ラブライブ!サンシャイン!!のキャラは、ほとんど出てきません。
※この小説はフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
※pixivにも同一作品を投稿しております。

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用務員さんのノート

 用務員の服部(はっとり)さんが亡くなった。

 

 夏休みのある日、学院の用事で買い物に行った服部さんは、帰り道、学院のすぐ前の道路で自動車事故に()った。

 

 その日はよく晴れて朝から暑かったことを私も覚えている。

 あとから読んだ新聞記事によると、不幸が重なった事故だったらしい。

 事故を起こした運転手は、光の反射に目がくらんで、あっと思ったときには歩道へはみ出していたそうだ。

 服部さんはたまたまガードレールが切れている個所を歩いていて、巻き込まれたのだった。

 

 夏休みの最後の登校日、体育館での全校集会で私はそのことを知った。

 生徒会長の話に、私たち生徒は水を打ったように静かになった。服部さんは父よりも年上、おそらく五十がらみの男性で、いつもにこにこと笑顔を絶やさなかった。

 ときどき生徒を(しか)ることもあったけれど、決して怒ることのない人だった。

 生徒たちからはおおむね好かれていた、といっていいだろう。

 

「ご冥福(めいふく)を祈りましょう」

 

 生徒会長の言葉に私たちは目をつぶり、(こうべ)を垂れた。

 

 冷房のない体育館での全校集会は早々に終わった。

 教室へ戻ると、さっきの神妙さはどこへやら、クラスメイトたちはすっかり元通りだった。

 女子高生にとって用務員さんは、いつも見かける存在とはいえ、やはり別世界の住人だ。この先、ときどき話題に(のぼ)ることもあるかもしれないが、すぐにみんな忘れてしまうのだろう。

 

 でも、私はもうすこし引きずりそうだった。

 たぶん私が、全校生徒のなかで一番、服部さんと親しかったから。

 

        ・

 

 服部さんは住み込みの用務員さんだった。

 校内でもなにかの拍子に見かけたけれど、私は図書室で会うことが多かった。

 

 私は幼いころから本が好きだった。市立の図書館は遠いため、二年前に学院に入学してから、図書室で定期的に本を借りていた。服部さんがよく、そこに来ていることにはすぐに気づいた。

 

 目礼(もくれい)から始まって、私たちはときどき言葉を交わすようになった。

 おすすめの本や作者のこと、新刊の情報、それにコミックについても。感想文の書き方を聞いたときには、推敲までしてくれた。

 

 服部さんは読書家で、物静かな人だった。

 

 図書室ではたいてい上着か白いシャツにスラックスで、校舎の内外で働いているときの作業着姿とはすこしイメージが違った。

 

 私はいつしか服部さんに会うのを楽しみにしていた。

 

        ・

 

 登校日のホームルームが終わり、帰り支度(じたく)をしていたとき。担任の先生から、職員室に来るよう声をかけられた。

 今日の提出物はしっかり出したし、心当たりはまったくなかった。

 

 私は友達に先に帰ってほしいと話してから、職員室に向かった。

 

 先生の席へ行くと、先生は私に大きな封筒を差し出した。

 

「これ、服部さんからだ」

「服部さんから?」

 

 今朝の話を思い出し動揺した私は、オウム返しで答えていた。先生はうなずき、続けた。

 

「ご親戚のかたが遺品の整理をしていたら、君に()てた封筒があったらしい」

 

 私は封筒をじっと眺めた。A4サイズの書類が入るくらいのクラフト紙の封筒。私の名前が小さく書かれている。ときどき見たことのある服部さんの字だった。

 

「もちろん、気になるなら受け取らなくていい。処分してもらうから」

 

 先生は私の沈黙をためらいと取ったのか、そういった。

 

「いえ、いただきます。ありがとうございました」

 

 私は頭を下げて封筒を受け取った。それは意外に重かった。

 

 廊下に出て、私は封筒を確かめた。しっかりと封がされている。

 

 服部さんは私になにを残したのだろう。

 

 中身が気になった私はいったん教室へ戻った。家に帰るまで待てそうになかった。

 クラスメイトは帰宅したか部活に行ったのだろう、誰もいない教室で私は定規を取り出し(あいにくカッターもペーパーナイフもハサミも持っていない)丁寧に封筒を開けた。

 

 中には一冊のノートと、書類(ばさ)み――バインダーが入っていた。

 

 私はまずノートを開いた。目に飛び込んできたのは、びっしりと並んだ几帳面な文字の列。筆跡はやはり服部さんのものだった。

 

 最初の文を読んで、私は軽い驚きをおぼえた。

 

 僕の名前は――いや、それを書いても無意味だ。とにかく僕は服部拓也(たくや)と呼ばれている。

 

 あの穏やかで、どちらかというと老成した感じの服部さんが「僕」という若々しい一人称を使うのは意外だった。それに「呼ばれている」とは――?

 

 パラパラと私はノートをめくった。文章はびっしりとつづられていたが、特に私に宛てたもの、というわけではなさそうだった。

 

 セミの鳴き声が急に大きくなった。

 教室の冷房はすでに切られていて、私は背中にじっとりと汗がにじむのを感じた。

 

 私は涼しい場所――図書室に移動することに決めた。

 

 図書室は静かだった。

 二、三人の生徒が書架のあいだに見えたが、閲覧席はすべて()いていた。生徒たちはここで勉強するよりも帰宅するほうを選んだのだろう。

 カウンターにいるはずの図書委員の姿もなかった。

 

 私は閲覧席の(すみ)に座り、あらためてノートを取り出した。

 

 

 

§

 

 

 

 僕の名前は――いや、それを書いても無意味だ。とにかく僕は服部拓也と呼ばれている。

 こんな文章を(つづ)らざるを得ない衝動に駆られるのは、僕も物書きの(はし)くれということなのだろう。とにかく僕は、なにか書き残したかったのだ。

 誰がこれを読むのかわからないが、出来の悪いSF小説だとでも思ってほしい。信じるか信じないかは、読者であるあなたに任せよう。

 

 バタフライ・エフェクトという言葉を知っているだろうか?

 ブラジルの蝶の羽ばたきが、アメリカのテキサスで竜巻を引き起こす、というやつだ。

 もしこれが本当だとして、竜巻で被害が出たら、ブラジルの蝶はその責任を問われるのだろうか?

 僕はそうは思わない。きっとあなたも同感だと思う。

 

 それでも僕は、いくばくかの責任を感じなくはないのだ。

 

 201X年の夏は、とても暑い夏だった。

 

 ある日、僕は当時応援していたアイドルグループ、■■■■■■のイベントのために東京へ向かった。

 先立って大阪、■■と開催されたイベントは盛況だった。

 あいにく仕事でそれらには行けず、また地理的にも遠かったので、僕は東京のチケット抽選に祈るような気持ちで応募した。

 その祈りが通じたのか、僕は無事、チケットを手に入れた。

 

 かなりの時間的余裕を持って東京に着いた僕は、観光気分で、会場の最寄り駅ではなくひとつ手前の駅から歩くことにした。

 思えばそれがいけなかったのだろう。

 

 朝もまだ早いのに日差しは強烈だった。風はあったが(さわ)やかとはほど遠く、熱風となって僕に吹き付けてきた。

 あいにくあたりには自販機すらなかった。そもそも埋立地の道路は、人が歩くような場所ではなかったのだ。

 

 会場の近くで飲み物を買おう。

 

 そう思いながら歩くうちに、僕は(なか)ば、意識を失っていたらしい。

 

 はっと気づいたときには赤信号の交差点を歩いていて、右からクラクションの音とともに、大型のトラックが僕に迫ってきていた。

 これから来る衝撃と痛みを予想して、僕は目をつぶった。

 

「気を付けろ!」

 

 運転手の怒号で、僕は目を開けた。予想していた衝撃は来なかった。

 

 いつの間にか地面に倒れていた僕のすぐ横を、地響きを立ててトラックが通過していった。

 僕は四つん()いで歩道まで戻った。

 

 九死に一生を得たらしい僕は、ほっと胸をなでおろした。

 

 そして立ち上がり、歩みを再開しようとして、気づいた。目的地である東京ビックサイトが、なくなっていることに。

 

        ・

 

 目の前には白茶けた土がむき出しの空き地が、広がっているばかりだった。

 

 なにがあったのだろう。理解できずに立ち尽くしていると、背中から声がかかった。

 

「おい、大丈夫か、服部?」

 

 振り返ると、中年の男性が心配そうに僕を見つめていた。(ほこり)で白っぽくなった制服。右手には赤い棒状のライト――どうみても交通整理の人だった。

 

「あ、すみません。大丈夫みたいです」

 

 僕は体に怪我がないかたしかめようとして――自分が彼と同じような制服を着ていることに気づいた。

 

 なんだ、この服。

 

 それに、服部って?

 

 彼を見返すと、彼は怪訝(けげん)そうに眉をひそめた。

 

「あの……」

 

 僕はいいかけて、また気づく。さっきの声も、この声も、明らかに僕が出したのに、僕の声ではなかった。

 

 なんだ、これは。

 

 僕はまた、気が遠くなるのを感じた。ふらついた僕を彼がささえる。

 

「しっかりしろ、服部!」

 

 彼がまた繰り返すのを聞きながら、僕は意識を失った。

 

        ・

 

 僕は事務所に運ばれ、そこで意識を取り戻した。

 僕は頭が痛いとだけ話して、しばらく事務所の隅のソファで横にならせてもらった。

 

 そして薄目をあけて、耳をそばだてた。

 

「きっと日射病だと思います」

「ああ、今日は暑いからな。現場の手は大丈夫か」

「はい、13号から回してもらいます……」

 

 ラジオから曲が流れていた。はるか昔、僕が生まれる前のヒット曲。

 

 違和感は大きくなるばかりだった。

 それでも、なんとなくわかってきた。

 

 ほこりっぽい道路。広い空き地。消えた建物。

 

 僕はゆっくりと、気づかれないように頭を動かす。壁に掛けられたカレンダーが目に入った。198Xの文字。

 

 SF小説では読んだことがある。でも、まさか自分に起きるなんて。

 

 しかし、そうとしか考えられなかった。

 

 僕は時間遡航(タイムスリップ)をしたらしい。

 

 だとしたら体に感じるこの違和感の意味も、わかる。

 きっと意識だけ飛ばされるタイプの時間遡航(そこう)なのだ。僕は、この、服部という名の男性のなかに飛ばされてきたのだ。

 

 もしかしたら夢かもしれない。そうであってほしいと思う。しかしもし現実だとしたら、僕はどうすればいいのだろう。

 どうすれば狂人と思われることなく、この時代に溶け込めるのだろう。

 うまく立ち回る必要がありそうだった。

 

 僕は必死に考えた。妙に冷静な自分がおかしかった。

 

        ・

 

 結局、夢からは()めなかった。もし夢だとしたら、いまのいままで続いてるのだから、相当長い夢だ。

 

 僕はそのまま記憶を失ったふりをした。工事現場の監督は僕を病院へと連れて行ってくれた。

 僕は病院でも、記憶があいまいだと話し、暑さとショックによる一時的な記憶喪失だろう、という診断結果をもらった。

 

 そのまま数日、病院で過ごしてから、僕は退院した。

 そして僕は、ゆっくりと服部氏について学んでいった。

 

 服部氏が――僕が持っていた学生証と保険証から、服部氏は都内の大学に通う二年生だとわかった。

 住所を頼りに彼のアパートに行くと、そこはいかにも学生が住んでいそうな――僕がかつて学生時代に住んでいたような、安普請(やすぶしん)のアパートだった。

 部屋はこざっぱりと整理されていて、服部氏の性格があらわれているようだった。

 

 彼の部屋で横になったとき、僕は遡航してきてから初めて、涙を流した。

 彼女はいなかったし、人付き合いもどちらかといえば苦手なほうだ。それでも二度と友人たちや両親、家族に会えないと思うと――さすがに(こた)えた。

 

 翌日、彼の部屋を探したが、残念なことに彼に日記を書く習慣はないようだった。

 携帯電話は存在しない時代だ。友人の連絡先の一覧は見つけたが、誰が親しいのかは見当もつかなかった。きっと親しい友人がいたなら、向こうから連絡をしてくれるだろう。

 

 僕は工事現場のアルバイトをいったん辞めて、服部氏の実家に連絡を取った。

 

 実家からは心配した両親がすぐにやってきた。僕は丁寧に事情を説明した。いまは他人だとしか思えない、ということも含めて。

 記憶を取り戻したら――たぶんそのときは、僕はこの時代にいない――または落ち着いたらまた連絡すると話して、いったん彼の両親には帰ってもらった。

 

 大学をどうするかは悩んだが、いつ服部氏とまた入れ替わるかわからないし、このままずっと入れ替わらないとしても、卒業はしておくべきだろう。

 僕が学んだのと同じ文系とはいえ学部は違う。相当苦労しそうだったが、そのまま通ってみることに決めた。

 

 人間関係を失った悲しみが薄れると、今度は未来のあれこれが懐かしくなった。スマートフォン、ネット環境、小説、アニメ、コミック……失ってわかるありがたみ、だった。

 

 ところで、服部氏はどうなったのだろう。もし僕と入れ替わっているなら、一気に数歳も老けてしまったわけでとても申し訳なく思う。でもそこは、未来に行けたということで許してもらおう。

 

 ――いや、たとえ数年でも、若さを失うことは代えがたい。僕は二度目の青春を、結果的には謳歌した。彼には申し訳ない。しかし、僕のせいではないのだ。

 

 遡航から半年もするころには、人間関係も再構築されて友人もでき(服部氏にも恋人はいなかったようだ)、不便さにも慣れて、僕はそれなりにこの時代を楽しみ始めていた。

 

 

 

§

 

 

 

 私はノートから顔を上げた。

 一部の固有名詞は、そこだけかすれていて読めなかった。

 

 服部さんの遺品と聞いて、特になにかを予想していたわけではない。それでも私は、ノートの内容に戸惑いをおぼえた。

 

 いまのところは――服部さんの創作、服部さんが書いた小説だと思うのがよさそうだった。

 

 私は続きを読み進めた。

 

 

 

§

 

 

 

 バブル景気は僕が中学、高校で学んだ通りにやってきた。

 

 過去に戻ったら株で儲けてやろう、誰もが一度は考えることだと思う。もちろん、僕もそう考えた。

 

 でも実際には、僕はどの株が上がるかなんて覚えていなかった。

 かろうじてNTT株のことだけは記憶に残っていたので、僕は両親を説得して資金を調達して、まとまった額を手に入れた。

 

 ちなみに服部氏の両親はいい人たちだった。僕はどうしても彼らのことを親だとは思えなかったが、結局、仲のいい他人くらいで落ち着いた。

 

 僕はアルバイトを辞めて、学生らしく、学業と趣味に没頭した。

 

 僕が趣味として選んだのは、昔――いや、未来と同じく、小説を書くことだった。

 大ヒットした小説のストーリーは大まかに記憶に残っている。それを本にすれば売れるだろうという打算的な思いも、なかったといえば嘘になる。

 

 僕は未来で使っていたのにくらべたら玩具(おもちゃ)のような性能のパソコンを買い(いまさら手書きには戻れなかった)、小説を書き始めた。

 

 しかし、現実は厳しかった。当たり前だ。ストーリーだけで小説が成り立つなら苦労しない。

 

 僕は出版社に応募するのと並行して、これまた未来で書いていたのと同じく、二次小説を――原作が生まれていないなら一次になるのだろうか――気晴らしで書き始めた。

 

 僕の頭のなかには、彼女たち■■■と■■■■■■の歌と踊りが、キャラクタとストーリーが、そして輝くような青春が、鮮烈に焼き付いていた。

 

 さすがに固有名詞やストーリー、各種の設定はかなり変えた。

 大ヒットするはずの小説よりも筆は進んだ。

 

 僕は当時、普及し始めたばかりのパソコン通信を契約して、そこに小説を公開した。

 

 それはかなりの人気を集めた。この時代には珍しく一部が書籍化までされた。「粗削りだがキャラクタは魅力的だ」という書評を見て、僕は誰だかわからないが、誰かに平謝りしたくなった。

 

 僕は有頂天になった。でも、なにも考えていなかったのだ。

 僕の行為がなにを生み出すのか、なにを引き起こすのか、ということについて。

 

        ・

 

 最初はささいな出来事だった。

 

 あるプロデューサーがプロデュースするアイドルグループが、三つ同時にデビューした。

 東京を拠点とする電脳系アイドルグループ、「アキバクラン」。

 仙台の自然派アイドル、「森の妖精達(ウッド・ドライアズ)」。

 大阪を中心に活躍する実力主義の「ナンバ組」。

 

 僕は遡航前も後も、芸能界にあまり興味はなかった。それでも記憶では、地名を関したアイドルグループが出てくるのはもっとずっと先、二十一世紀に入ってからのはずだった。

 なによりプロデューサーの名前が違った。

 

 僕はドキリとした。明らかに、この世界は元の未来とは違う道を進もうとしていることがわかったから。

 

 なにが原因なのか考えて、僕は自分の小説のことに思い至った。

 というのも、僕は未来の原作よりも、かなり地域対抗の色を濃くしていたのだ。それは彼女たちを同じ時代で活躍させたいという思いからで、ストーリーでは地区予選にもフォーカスしていた。それは読者には好評だったのだが――。

 

 とはいえ、きっと思い上がりだろう。僕の本は一部の層には受けたが、売れ行きはたいしたことはなかったから(なにしろラノベもない時代だ)。

 おそらく単なる偶然だ。僕はそう考えていた。

 

 このときには困惑よりも、まだ見ぬ未来への期待のほうが大きかった。

 

 三つのアイドルグループはバブル景気の異常な雰囲気にマッチしたのか、盛大な人気を集めた。

 

 テレビでは連日特集が組まれ、厳しい練習や繰り返されるオーディション、汗と涙、友情と裏切りの、お涙頂戴(ちょうだい)のドラマがお茶の間(この時代、まだあったのだ)に流れた。

 

 そして年に二回、三グループが競うライブの生中継は、高校野球や大相撲、日本シリーズ、紅白歌合戦などを軽く上回る視聴率を得て、チケットは一千万円を超える文字通りのプラチナチケットになった。

 

 それぞれのアイドルは地域色を打ち出して、ほかの地域を茶化すような言動をとった。いわく「ひ弱なもやしっ子」「資本主義の奴隷」「田舎者の集団」などなど。

 プロデューサーの手腕が優れていたことは、認めざるを得ないだろう。

 アイドルグループのファンたちは、他の地域のファンと対立し、テレビはそれを(あお)った。

 ファンはますます熱狂し、それは一般市民にも広がっていった。

 

 そのころ大学を卒業した僕は、株の資金と印税とで多少の余裕があった。そこで僕は熱狂の中心地である東京を離れて、服部氏の実家にも近い仙台のIT企業へ就職した。

 

 思えばこのときには、もうなにかが狂い始めていたのだ。

 就職面接の最後に、僕は聞かれた。

 

「服部さんは、やはり『アキバクラン』のファンでいらっしゃるんですよね?」

「いえ、あまり興味はないんですが……」

 

 冗談めかしてはいたが、僕は面接官の目が輝いていることに気づいて、いい添えた。

 

「……実は以前から『森の妖精達』が気になっていて、すこし肩身が狭いんですよね」

「ああ、そうでしたか」

 

 僕は空気が(ゆる)むのを感じた。果たして僕は、就職試験に合格した。

 

        ・

 

 時代が大きく動いたきっかけは、小さな出来事だった。

 

 ある日の「ナンバ組」の遠征――文字通りの遠征だ――が関東地方のある都市でおこなわれ、関西から来たファンと「アキバクラン」のファンとが小競(こぜ)()いを起こした。

 三グループのライブではよくあることだった。

 ただ、この日、「ナンバ組」のファンのひとりが、()み合う中で命を落とした。誰が犯人かはわからなかった。

 

 運営は即座に、不幸な事故だったという声明を出して、いったん事態は沈静化した。

 

 しかし関西では、「アキバクラン」のファンに殺されたのだ、という噂が当然のように流れた。

 東京のキー局は一切、そんなニュースは放送しなかった。ところが関西のマスコミは、噂だと断ったうえでだが、それを報道した。

 すると今度は東京の放送局が、デマを流すことを非難する放送をおこなった。

 

 ネットがないことは、むしろ事態を悪化させたのかもしれない。

 泥沼のような中傷合戦が続き、仙台の地方局はそんなふたつの地域のニュースを、面白おかしく報道した。

 

 ようやく人々が事件に飽きたころ、バブルがはじけた。

 

 右肩下がりの日経平均を尻目に、三グループの売り上げは伸び続けた。しかし景気は確実に悪くなっていた。

「パンとサーカス」ではないが、人々はふたたび、いままで以上に熱狂した。

 

 そしてあの日がやってきた。

 

        ・

 

 その年、暮れ。三グループのライブ、いわゆる「頂上決戦」は、できたばかりの東京ドームでおこなわれた。

 さすがの僕もアパートの部屋のブラウン管テレビで中継を眺めた。

 仙台の放送局のアナウンサーは「森の妖精達」を応援し続けた。

 

 ドームに入りきれない観客は、十重二十重に周囲を取り囲んでいた。ファンたちの熱狂が画面ごしに伝わってきた。

 

 なにかが起こりそうだ。僕はそう感じた。

 

 異様な雰囲気のなか、ライブが始まった。

 

 どのグループも甲乙つけがたい出来だった。それは間違いなかった。ファンが熱狂するだけのパフォーマンスはあった。僕は場違いにも、未来の彼女たちを思い出した。

 

 結果が発表された。「アキバクラン」の優勝だった。

 ドームのなかの三分の一が沸き立つのが中継された。

 

 アパートのほかの部屋から一斉にブーイングが聞こえて、僕はドキリとした。

 

 ブーイングは画面のなかからも聞こえていた。スタンドの観客が大きなうねりとなって、動いていくのが見えた。

 映像がステージに切り替わり、(おび)えた顔のアイドルたちが大写しになった。

 カメラがガクッと揺れて、映像が途切れ、怒号だけが流れ続けた。

 

 その日、ドーム内外の数十カ所でファン同士が衝突し、百人近い死者が出た。「アキバクラン」のアイドルひとりも、犠牲になった。

 分裂時代が終わったあと、「血の日曜日」と呼ばれるようになった事件だった。

 

 日本人は忘れていたのだ。ファンの語源がfanatic、「()()()」だということを。

 

        ・

 

 さすがにしばらくのあいだ、各アイドルグループは活動を休止した。

 運営会社は三つに分裂し、それぞれ東京、大阪、仙台に本社を置いた。

 

 しかし、僕は肌で感じていた。

 僕のまわりでは、「アキバクラン」のアイドルが亡くなったのは仕方がない、審査に不正があったのだ、という話が公然と流れていた。

 熱に浮かされたような興奮は、いまだに日本中を包んでいた。

 

 予想通り、三グループは相次いで活動を再開した。

 

 

 

§

 

 

 

 私の戸惑いはさらに大きくなっていた。

「血の日曜日」事件については聞いたことがある。でも、中学や高校の現代史の授業は年度末でいつも駆け足で、たいしたことは教わらなかった。

 また、そのころにはもう、私と同じくらいの年だったはずの父や母、先生に聞いても、顔をしかめて「嫌な事件だった」というだけだった。

 分裂時代の本や雑誌も、あまり残っていない。

 

 だから、ここまで詳しい流れを知るのは初めてだった。

 ただ、どこまでが服部さんの創作なのかは、わからなかった。

 

 私はごくりと唾を飲みこんでから、次のページを開いた。

 

 

 

§

 

 

 

 運営会社が各地に移ったことで、地域色はさらに濃くなった。ただ、もはや他地域への遠征など不可能なほど、地域間の亀裂は深まっていたのだが。

 次の頂上決戦がどうなるのか、だれにもわからなかった。

 

 地域の対立は、ついに政治の世界にも影響し始めた。市民たちが国会議員に呼び掛けたというより、むしろ議員たちが率先して、自分の地域に利益誘導をおこなったのだ。

 それは激しい対立を国会にもたらした。

 既存の政党は解体されて、地域政党が三つと、どこにも属さない政党がひとつの四つの政党に再編された。

 総選挙のあとの連立協議は難航し、結局、毒にも薬にもならない、聞いたこともない人物が首相になった。

 

 どこかの地域に益となるような法案はすべて廃案になり、国会は空転を続けた。

 

 いままでずっと放置されていた道州制に関する議論が、急速に盛り上がった。あっというまに法案ができて、全会一致で可決され、日本は三つの州にわかれることになった。

 

 東京を州都(しゅうと)とし、関東と静岡、愛知からなる「中日本(なかにほん)州」(「アキバクラン」のファンたちは「真日本(しんにほん)州」と呼ぶのを好んだ)。

 州都を大阪に置き、京都、滋賀、三重から西を版図とする「大和(やまと)州」。

 そして仙台を州都とし、福井、岐阜、長野から北と、東北、北海道を占める広大な「北日本州」。

 

 いくつかの権限が国から州に移譲され、ようやく政治が動き始めた。

 

 東京はもうしばらく、日本の首都だった。

 

 しかしあるとき、北日本州の議員が国会前で襲撃される事件が発生した。犯人は現場から逃走し、あとから逮捕された容疑者は「アキバクラン」のファンだった。

 幸いにも議員は一命をとりとめたが、容疑者は嫌疑不十分で不起訴になり、(中日本州以外の)世論は沸騰した。

 

 今度は首都移転が議題になった。

 機動隊が国会周辺に配備され、ものものしい警備のなか、日本の首都を岐阜県大垣(おおがき)市に移すことが決まった。

 

 東京は依然(いぜん)として日本――中日本州の経済の中心だったが、政治の中心は名目上、大垣になった。

 

 かろうじて憲法と通貨は維持された。

 しかし、さらに州政府の権限は強化され続けた。

 

 憲法の「移動の自由」は名目上はそのままだったが、州をまたがる転居には膨大(ぼうだい)な手続きが必要になり、現実的には不可能になった。

 また他州で仕事をするためには州政府が発行した就労(しゅうろう)許可証が必要になり、その許可証は事実上のビザとして機能し始めた。

 

 国民総背番号制ならぬ()()()()()()()が各州で導入され、州民証(しゅうみんしょう)は携帯必須になり、所持していないと(ばっ)せられた。

 

 犯罪者の逃亡を防ぐという名目で、各地の道路の州境(しゅうきょう)には検問所が設けられた。

 州境では散発的に衝突があって、ときどきは死者も出ていたようだが、それが報道されることは決してなかった。

 

 州境を越えて運行する鉄道は新幹線だけになり、車内では許可証の確認がおこなわれるようになった。

 

 ここまでがわずか数年だった。

 

 日本人はやはり忘れていたのだ。たかだか百年とすこし前には、国内で戦争をしていたことを。

 日本は、朝鮮半島やドイツもかくや、という分断国家になっていた。

 

        ・

 

 日本の経済は低迷した。バブルがはじけたところに、内輪揉(うちわも)めをしているのだから、ある意味当然だった。不景気は僕のいた未来の過去――僕のいた世界よりもひどかった。

 

 東証、大証、仙証(せんしょう)の株価はずっと横ばいを続けた。

 

 失業者が街にあふれ、それは経済規模の小さい北日本州が一番ひどかった。幸い北日本州は食料自給率が100%を越えていて、飢える心配だけはなかったが。

 

 ただ、一部の産業は逆に盛り上がった。

 

 たとえば僕の会社は、東京に集中していたIT企業への依頼ができなくなったせいで、それなりに仕事があり、僕が首になる心配はなさそうだった。とはいえ、パソコンは州の関税のせいでずいぶん値段が上がったが。

 

 観光業もそのひとつだった。各地域は独自の観光開発に力を入れた。

 秋葉原の駅前は再開発され、本物よりも1メートルだけ高い、自由の女神のレプリカが作られた。

 仙台には自然をテーマにした広大なテーマパークが作られ(国立公園の開発も州政府の許可があれば可能になっていた)、京都と大阪には外州人(がいしゅうじん)と外国人の両方をあてにした「平安京」と「食い倒れシティ」という人工的な街並みが作られた。

 

 他州への旅行にはパスポート代わりの州民証と、ビザ代わりの許可証が必要になった。しかし簡単には無理となると、むしろ行きたくなるのかもしれない。州外旅行は人気のレジャーになった。

 僕のまわりでもそれは一種のステータスのように扱われた。「アキバに行ってきたぜ」という同僚はしばらく職場で人気者だった。

 

 観光業に続いて建設業が公共工事を中心に盛り返した。

 東京を中心とした道路網や鉄道網は、州内での移動には決して最適ではなかったのだ。主に列島の横方向を対象に、道路や鉄道が急ピッチで整備された。

 

 さらに数年がたつと、日本人はすっかり分断国家に慣れていた。

 

        ・

 

 政府といえば州政府を指すようになったころ、観光業や建設業に刺激され、ようやく経済が上向き始めた。自動車メーカーや家電メーカーが各州でそれぞれひとつの企業に再編されたことも大きかった。

 地域色を出したせいで、日本の魅力も増したらしい。海外からの観光客も増えてきていた。

 

 北日本州ではあまり大きく報道されなかったが、このころ大和州では、僕のいた世界と同じく阪神・淡路大震災が発生した。

 

 僕は地震の日付が記憶とは異なっていることに気づいた。正確な日付は覚えていない。でも、たしか元の世界ではすでに学校の新学期が始まっていたはずだが、この世界では松の内に起きたのだ。

 やはりこの世界は、もといた世界とは違うのだ。僕はそう思った。

 

 大和州政府は他州に助力を求めることなく対応し、それは大和州の経済に負担になったらしいが、景気の回復がかろうじて復興を下支えした。

 

 アイドルグループの人気はいつしか下火になっていた。「頂上決戦」は継続的に大垣でおこなわれたが、順位をつけるのは危険すぎると、たんなる合同ライブになった。

 

 ただ、もはやアイドルは関係なかった。分断は続いた。

 

        ・

 

 中日本州が、続いて大和州が景気回復の波に乗ったのにくらべると、北日本州はやや遅れた。面積だけは一番広いが、人口は一番少ないため、無理もなかった。

 北日本州の大垣での発言力はどうしても低下した。

 

 いったんは曲がりなりにも落ち着いた三州のバランスだが、もしかしたら北日本州の相対的な地位低下から、いずれぎくしゃくするかもしれない。そう僕は感じていた。

 

 インターネットの普及は、僕の世界よりも数年遅れた。僕の会社に専用線が来たのは二十一世紀が近づいてからで、その専用線も他州へ繋ぐとまるで海外かのように遅かった。

 携帯電話が一般的になったのも僕の世界よりも遅かった。いよいよ販売されたそれは、ずいぶんと大きくて重く、価格も高かった。

 

 携帯電話の普及の遅れは世界的に見ても同様だった。これは日本のデバイスメーカーの力が、元の世界にくらべて弱かったからだと思う。

 

 そう、世界の動きも、元の世界とはすこしずつ、だが確実に異なっていた。

 

 たとえばソ連の崩壊は僕の世界よりも、わずかに遅かった。あの有名な禿頭(とくとう)の政治家ではなく大きな(ひげ)の人物がソ連の最後の大統領になった。

 アメリカの大統領も、最初のうちこそ同じだったが、いつのまにか聞いたことのない人物に変わっていた。

 

 長野でのオリンピックは当然のようにおこなわれず、代わりにアメリカで開催された。

 

 Windows 95は発売されたが、98は発売されず、99が出た。ついでにWindows 2000も2001になった(Meは影も形もなくなった)。

 某カリスマ経営者は元の会社に戻らなかった(その代わり、いまも存命で変わった製品を発表し続けている)。

 

 僕はあまり世界情勢はよく覚えていない。それでもいくつかの戦争やテロ事件は起きなかったし、逆に記憶にないことが起きた。

 

 そして200X年。

 

 僕の住む仙台の沖合で、中規模な地震が立て続けに起きた。仙台も津波で水浸しになり、いく人かの死者が出た。僕は元の世界の震災を想起しておびえたが、それは起きず――代わりに南海トラフで巨大地震が起きた。

 

 

 

§

 

 

 

 服部さんが書かれたことの大筋は、ほぼ私の認識と同じだった。ただ私は、あの混乱の原因は道州制の政治がうまくいかなかったことだ、と聞いていた。

 まさかその背景にこんなことがあったなんて――。

 

 また、当時幼かった私も、地震のことは鮮明におぼえていた。津波で私の住むこの町でも十数人の死者が出たはずだ。

 町を歩けば「津波到達高度」の看板がいくつも立っている。

 

 でも、服部さんの――元の世界では、それとは事情が異なるらしい。

 

 私は購買の自販機で冷たいお茶を買ってきてから、あらためてノートに向きあった。

 

 

 

§

 

 

 

 南海トラフ巨大地震は、僕の世界の大震災と同じくらいの被害をもたらした。北日本州はもっとも被害がすくなかったが、それでも太平洋岸の町は津波に襲われた。

 

 中日本州と大和州の被害は甚大だった。

 州を越えて救難の手が差し伸べられた。北日本州から両州に、食料や物資が運ばれた。比較的被害のすくなかった新仙台国際空港や宮城港が、海外からの援助物資の窓口となった。

 

 相対的に余力のあった北日本州が主導して、大垣で緊急の州政府間協議がおこなわれ、各検問所の即時撤廃と、州民証、許可証の廃止が決まった。

 

 三つのアイドルグループは同じく大垣で解散を宣言した。

 一部に残っていた熱狂的なファンが、警備を突破して大規模な衝突を起こした。震災直後の混乱で詳細は不明だが、あのプロデューサーは、このときの騒乱に巻き込まれて亡くなったらしかった。

 

 ここにきてようやく、日本人は夢から醒めた。三つにわかれていることの馬鹿らしさに気づいたのだ。

 

 熱しやすく冷めやすい国民性は健在だった。

 

 急速に融和ムードが進んだ。

 

 州政府に移管されていた権限は、次々に国へと戻された。

 

 分裂時代のことは()まわしい記憶、いわば「黒歴史」として、あっというまに歴史の表舞台から姿を消していった。

 

 僕もひさしぶりに東京へと旅行した。

 アキバドーム(「アキバクラン」の本拠地ということで改名されていた)には「血の日曜日」の痕跡はなにも残っていなかった。

 

 さらに僕は、気になっていたことを確認するために、大垣へも旅した。

 そして、そこの新国会図書館でアイドルブームが始まった当時の記事を探した。

 

 新聞も雑誌もあまり残っていなかった。道州制移行の混乱と震災のせいだった。それでも僕は、彼のインタビュー記事を探し出した。

 

 そのなかで彼はこういっていた。

 

――ご当地アイドルというアイデアのきっかけはなんですか?

 

「それはね、まあ僕のアイデアなんですけど、当時いろいろありましたでしょ。アイドル像の変化というか、庶民化というか。だから探してたんですよ、新しい切り口を」

 

――切り口ですか。

 

「そう、切り口。でね、うちの事務所のアルバイトの子が、ぽろっと漏らしたの。地区対抗とかどうでしょう、ってね。これだ、と思いましたね」

 

 そのアルバイトが僕の小説を読んでいたかどうかはわからない。でも、十分にありそうだった。

 

 この二十年に渡る混乱は――もしかしたら僕のせいなのだろうか。

 

 バタフライ・エフェクトという言葉が頭に浮かんだ。

 

 それでも地震は、明らかに異なる場所、時間で起きた。あれもバタフライ・エフェクトのせいなのだろうか。人やモノの動きが異なれば、それは地殻に影響を及ぼして――最終的に地震を起こしたり、起こさなかったりするのだろうか。

 

 それともここは過去ではなく、異世界なだけなのだろうか。

 

 僕には、わからなかった。

 

        ・

 

 翌年、ネットでふと目にしたニュース記事を見て、さらに僕は驚くことになる。

 

 それは第一回「ラブライブ!」の開催を告げる記事だった。

 

 僕は思わず声を上げていた。

 会社の昼休み、僕を非難するように見つめる同僚たちに平謝りしてから、食い入るようにディスプレイ(ようやく液晶になったばかりだ)を眺めた。

 

 間違いなかった。全国の「スクールアイドル」たちの大会が開かれると記事は告げていた。

 そうと書かれてはいないが、このところ相次いでいる施策の一環だろう。国内各地域の融和を促進するため、政府は各企業に働きかけをおこなっていた。

 

 僕は自分の小説に、スクールアイドルという名称は注意深く使っていなかった。しかしそれでも――なにかしらの影響がありそうなことは、認めざるを得なかった。

 

 僕はあわてて「音ノ木坂学院」について調べた。

 

 学院は、実在していた。分裂時代に、国立大学の附属高校を改組(かいそ)する形で、全国初の国立高校(運営は実質的には州政府だったが)として誕生していた。

 当時は州が異なり、ネット環境も貧弱で、かつ僕も創作から遠ざかっていたので、まったく気づいていなかったのだ。

 

 いったい僕は、どこにいるのだろう。

 

 そして、なにが起きていて――なにが起きるのだろう。

 

 あまりの事態にめまいを覚えながら、それでも僕は、これから起きることに恐れと不安、そして期待を抱いていたのだった。

 

        ・

 

 それからの歴史は、僕の「記憶通り」に進んでいった。

 

 僕は「現地にいる利点」を最大限に生かして、彼女たちのライブを必ず見にいった。校舎の屋上でおこなわれたライブは、二回とも鳥肌ものだった。

 

 第一回大会にエントリーしたμ's(ミューズ)はやはり本選を辞退し、大会はA-RISE(アライズ)の優勝で決着した(スーパーアリーナでの決勝は「完全にフルハウス」だった)。

 

 僕はできる限りのことをして彼女たちを応援した。ただ、この世界に影響を与えそうなことだけは注意深く避けた。小説を投稿することもしなかった。

 

 第二回大会はμ'sの優勝で幕を閉じた。

 

 いつかのアイドルグループと違い、純粋で、きらきらと輝く彼女たちは、地域の分断よりもむしろ融合に寄与した。

 秋葉原での全国のスクールアイドルの合同ライブが、その(あかし)だった。

 

 彼女たちの活躍を見届けてから、僕は会社を辞めて、沼津に引っ越した。

 

 

 

§

 

 

 

 私の住む町の名前が出て、私はドキリとした。

 服部さんの手記は、いったんここで区切りになっているようだった。次のページにも記述は続いているが、そちらのほうがいくぶん、インクの色が鮮やかだった。

 

 ふと気づくと時刻はお昼に近く、図書室には誰もいなくなっていた。

 すぐに帰るつもりだったので弁当は用意していないけれど、ここで読むのを止めることはできなかった。

 私は残りわずかになったノートを読み続けた。

 

 

 

§

 

 

 

 この世界は、僕のいた世界にくらべてそう悪くはなかった。元の世界は東京一極集中がひどすぎたのだ。

 震災の復興が軌道に乗ると、分断時代に産業が全国に分散したせいで、むしろ景気は上向いてきていた。

 バブルのあとの二十年はこの世界でも「失われた二十年」と呼ばれた。

 

 首都は結局、大垣のままだった。アメリカを見れば、政治と経済の中心地は、別々のほうがいいのかも知れなかった。

 

 引っ越した沼津には「浦の星女学院」が実在した。僕は翌年、たまたま募集のあった用務員に応募し、採用された(田舎の高校で競争率は高くなかった)。

 

 さらに翌年に入学してきたあの三人の姿を見て、僕は涙を流しそうになった。体育館でのファーストライブの初々(ういうい)しさは、筆舌(ひつぜつ)()くしがたかった。

 彼女たちが解散したときには、もうすこしのところで、なにか行動を起こしそうになった。

 次の年には、また三人が入学した。

 そして今年も。

 

 体育館、屋上、東京、すべてのライブを僕は目にすることができた(正確にいうと屋上はライブではなくて撮影で、さらには僕の役得だが)。もちろん東京では、彼女たちの目に触れないように努力した。

 

 そしてつい先日、Aqours(アクア)はついに九人になった。

 

 花火大会のライブを見て、僕は死んでもいいと思った。

 

 そろそろあの日がやってくる。

 201X年、8月4日。僕が過去に、この世界に飛ばされた日だ。

 

 僕には予感があった。ふたたび変化が訪れそうな気がした。

 

 僕は封筒を用意して、これを誰かに(たく)すことにした。

 

 最後の最後で、僕はいままでに書いたものを残したくなった。創作から離れられなかった。

 この世界に対して感じている、苦い責任感を、誰かと共有したかった。

 

 いまのところ心当たりは、あの子だけだ。

 申し訳ないが、これを受け取ってほしい。

 

 そしてこれを読み終わったら捨てるなり、取っておくなりしてほしい。なんなら出版してくれたっていい。誰も信じないだろうから、ひとつのSF小説として。

 

 もしかしたらなにも起きないかもしれないが、そのときはまた封筒から取り出して、机の奥にしまい込むことにしよう。

 

 すくなくともこの十年間は、僕は本当に幸せだった。服部氏も幸せになってくれたならいいのだが。

 

 そしてAqoursのみんな。

 ぜひ君たちも、幸せになってほしい。僕の記憶にあるように。あるいは、それ以上に。

 

 

 

§

 

 

 

 私はノートを閉じた。

 読み始めたときの最初の戸惑いは、すっかり形を変えて、それでも依然として私の心に残っていた。

 

 これは服部さんの創作なのだろう。

 それでも、もしかしたら本当の話なのかも、そう思わせるよくわからない説得力があった。

 

 私はバインダーを取り出して、開いた。小さな文字で印刷された紙が、大量にとじられていた。それはどうやら小説のようで――きっと服部さんが書いた、というものに違いなかった。

 

「あの、そろそろ図書室を()めてもいいかなあ」

 

 かけられた声に私は顔を上げた。図書委員の国木田(くにきだ)花丸(はなまる)ちゃんだ。

 

「ええ、もちろんいいわよ。ごめんね、最後まで居座(いすわ)っちゃって」

 

 彼女とは同じ本好きとして、わずか数か月ですっかり仲良くなっていた。

 

「そんなことないずら。ほら、ちょうどお昼だし」

 

 校内のチャイムが鳴り、彼女は微笑んだ。彼女の穏やかな顔は、ほんのりと上気している。きっと今日も、屋上で練習をしてきたのだろう。

 

 私はノートとバインダーを封筒に戻し、席を立った。バインダーの小説は家に帰ってから読もう。

 

「服部さん、可愛そうずら……」

 

 図書室に鍵をかけて、廊下を歩きながら、花丸ちゃんはぽつりと漏らした。入学して間もないけれど、彼女も服部さんとは言葉を交わしていたのだと思う。

 

「ええ、本当に」

 

 私は答えた。きっと私たち三人は親しくなれただろう。そう思うと、とても残念だった。

 

「先輩、その封筒はなんですか?」

 

 しんみりとした雰囲気に、花丸ちゃんは話題を変えようとしたのか、そうたずねた。

 

「これはね……そうね、夏休みが終わったら、花丸ちゃんにも見せるわ」

 

 花丸ちゃんは可愛らしく首をかしげた。いま見せてもいいのだけれど、私はなぜかもうすこしだけ、このノートを私と服部さんだけの秘密にしておきたかった。

 

「もうちょっと待っててくれる、花丸ちゃん」

「わかったずら。楽しみにしています」

 

 花丸ちゃんはうなずいた。

 

 鍵を返しに職員室に回るという花丸ちゃんと別れ、私はまっすぐに昇降口へ向かう。

 

 今日は彼女たちによく会う日だった。これも一種の運命なのかもしれなかった。

 

「あら、珍しいですわね」

 

 ずっとどこか硬いところのあった生徒会長の黒澤(くろさわ)ダイヤさんは、この一、二カ月でずいぶん柔らかくなっていた。

 私は彼女にうなずく。

 

「ええ、ちょっと用事があって……」

 

 そして思いついて付け加えた。

 

「あの、一緒に帰ってもいいかな。もしよかったら、Aqoursの話とか、聞かせてくれない?」

 

 彼女は一瞬、驚いた顔をして、すぐに私に笑みを見せた。

 

「ええ、かまいませんとも。きっとみなさんも、喜ぶと思いますわ」

 

 私は急いで、靴を()き替えた。ダイヤさんはそのあいだ、待っていてくれた。

 外からはほかのメンバーの声が聞こえてくる。

 

 彼女たちはこれから、どこへいくのだろう。これから、なにが起きるのだろう。

 

 私はその行方(ゆくえ)を見守りたくなった。

 

 いまはもういない、服部さんと一緒に。

 




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