憧れの貴方は美しすぎる程に
貴方は眠る。あまりにも美しすぎる顔をして。
貴方の名前を連想させるには容易い程の花弁たちの中で。
僕はただただそれをぼうっと眺めている事しか出来なかった。
貴方と過ごした約十年間。
まるで瞬きをするように一瞬で幕を閉じた二桁の年。
十六と一月という、あまりにも短すぎた貴方の生涯。
貴方は僕の大変憧れでありました。
だから尚の事、今目の前の光景を受け入れるには苦しくて、
僕は失礼ながらその現実から目を瞑りました。
何故、生涯をそんな短く終えたのに、貴方はまるで何も悔やむ事無く笑っていたのか、
何故、僕に余命と言うものを伝えてはくれなかったのか。
嗚呼、嗚呼、今も尚愛しいのです。憧れの人。
――出来る事ならば、どうか、もう一度……
1
白い花弁が、優しい甘い香りと共に舞って、君の視界を埋め尽くす。
君は意識を失う寸前、ふと誰かの顔を思い浮かべた。
既にもう会うことの叶わない相手は微かに君に微笑み、君の名前を呼んでいるようだ。
そんな短すぎる夢の途中で、君は少し重たい瞼をゆっくりと上げる。
暫くぼうっと夢と現実を朦朧としつつも君はやがて意識を覚醒させた。
目を見開く。意識がはっきりした君は自然と周りを見渡した。
「……汽車の、中?」
君は辺りを一通り見渡し、そこがまるで現代向けではない、小奇麗な汽車の中だと理解する。
そして、はて、自分は何も用事は無かったはずだが、と次第に小首を傾けた。
「んあ、どうして俺こないとこ居るんやろうな」
暫し揺れ続ける汽車の中、君は思い出そうと考えに考える。
けれども依然と此処までの経緯は思い出す事は出来なく、君はとうとう考えるのを放棄した。
考えるだけ無駄だ、それに未だ十五の自分のことだ、大した理由でもないのだろう。
「――終点。終点です。お忘れ物のないよう、気を付けてお降り下さい」
嗚呼、もうそんなになるのか。
君は車掌のものらしきアナウンスを聞いてすぐさま放心していた自我を元に戻す。
途中から眠っていた。一体自分の住んでいる地域からはどのくらい離れている駅なのだろうか。
まあ、精々五、六駅程度だろう。こればかりはなんの目的を持って乗ったのか忘れた自分と、そして寝落ちしていた自分が悪い、徒歩で帰ろう。
そんな淡い考えを持ちながら、君は忘れ物がないか確認し、汽車から降りようと足を外へ運ぶ。
そして君はそんな汽車から自分の足を下ろし、意識を目の前に向けた。
また、君は自身のその大きく、夕焼けを描いたような瞳を見開く。
そこは、確かに外だった。外、ではあったのだ。
ただ、汽車から降りたにはあまりにも不自然且つ薄気味の悪い光景だ。
改札もない、まるで野ざらしの空間で、君はふと反射的になって後ろを振り返る。
振り返れば、そこには駅らしきものも、今まで乗っていたはずの小奇麗な汽車の存在すらも、まるで初めからそこには無かったのかの様に跡形もなく消えていた。
「……どういう、えっ?」
このような出来事はまあ未経験ではない君は混乱しつつも多少の言葉は出ただけ慣れているものなのかもしれない。
君は意識を身体の向いている前の方に戻した。
そこではまた、やけに綺麗な光景が広がっている。
ひらひら、ひらひらと何か白く小さいものが空から降り続けていた。
「雪? ……けど今は八月やで、どういう事や」
君はそういいながら、その白い何かを掴もうと少し不審がりつつも掌を出してみる。
八月なのだから、雪のはずが無いだろう。なんて思いながら。
けれども、そんな君の考えはあまりにも虚しく、自分の掌に乗って消えるそれを君は雪だと認識した。
暫く、君はそんな夢のような、けれどもあまりにも現実染みて生々しい景色に途方に暮れる。
「い、いや八月言うたら夏やし、雪降るわけないやん、馬鹿馬鹿し。 今は帰宅するの優先せなな。現実逃避よくないわ」
混乱のあまりか君の発言はあまりにも矛盾し過ぎていた。
そんな事はものの数秒で君も理解する。けれどあまりにも意識ははっきりとしていることから、君は目の前のことを現実だと漸く受け入れる事にした。
受け入れてから見る景色はまた現実逃避もしたくなるような光景ばかりだ。
秋から春が旬の菊花、水面に浮かんで咲くはずの今が旬の蓮……様々な季節が異なる美しい花々達が、八月のおかしすぎる雪の中咲いている。
あまりにも現実離れした現実。それに似つかわしくない穏やかすぎる景色に君は多少の不安に陥って無意識に自分の頭を抱えた。
「……散々すぎるやろ、なんで俺一人の時にこない目に合わなあかんの? 俺何もしてへんやんかぁ~……」
ああだ、こうだ、何が悪かったのだ、どう帰宅すれば善いのだ、君は不安のあまり子供らしくそんな文句を並べた。
……とりあえず、進まない事には何も始まらない。
また、君は開き直りの果て、自らの歩みを進めてみる事にした。周囲を注意して見遣りながら。
だからと言って躓く事のないよう、一歩一歩確実に進める。
そして歩み進めてから然程経たない距離で君は不自然すぎる光景の中、それに更に浮く不自然を見つけた。
とある特定のそこだけ、これでもかと言うほどに雪が積もっているのだ。
「(……雪、積もるほど降ってへんと思うけど)」
君はその積もった部分に近づきながら、あまりにもおかしい光景に真面目に突っ込みを入れた。
そして君は近づいて、本日何度目、いやもしかしたら今まで以上に驚いたのかもしれない。
雪に埋もれた、雪にも解けそうな全体的に白い人物。あまりにも信じ難い、会えるはずのない、美しい君。
「――
そう、彼の憧れ、愛しい愛しい短い生涯を終えた人物が、そこに倒れていた。
2
「先輩、先輩起きてください‼」
もう会うはずがないと思っていた憧れの先輩を目の前に、あまりにも信じがたいが
一度顔色を窺う、確かに自分は憧れの貴方の死から目を瞑ったが、現実にこんな事があるはずない。
悠零はそう心の中でまた矛盾をしつつじっくりと眠っている彼女を見た。
死人のはずの彼女の顔色はあまりにも健康そのものであり、悠零はその事実に少し安堵の息を吐いてからまた彼女のことを揺さぶる。
ただ、眠っているだけに見える、けれども確かに永遠の眠りについた自分の愛しい存在。
未だ納得も何もしていないが、起こしてみない事もないだろう、それに雪に埋もれたらそれこそ死んでたにしても洒落にならない。
いろいろな感情がいざこざと混乱し自分の中をぐるぐるする。
死んだはずの貴方に会えて嬉しい、けれどどうして貴方が此処にいるのか、何故こんな所で平然と眠っているのか、あまりにも状況の理解に苦しんだ。
「せんぱーい、何時(いつ)までぐうすかしとるん自分。 いい加減起きんと幾ら生きてないったって風邪ひいてまうよ」
「……んっ、んん……?」
「嗚呼、やっと起きた。 おはようさん」
苦しみつつも目を瞑りつつも、何処かで伏線を引いておかなければと悠零は至って冷静に判断した。
けれども扱いは何時もと同じく、まるで脆い芸術品を扱うように優しく話し掛ける。
そんな一言二言で、彼女はやっとのこと、目を覚ましてくれた。
目を覚まし、次第に彼女の綺麗な赤目は、切れ長の白い睫毛は、大きく開かれる。
そして直ぐに彼女は悠零の存在を完全に認識し、上半身を勢いよく起こした。
「なっ……なんで、乱(らん)君が此処に⁉ どうしたの⁉」
どうやら彼女も混乱しているらしい。あまりにも普段冷静で馬鹿で変におとなしい彼女の慌てぶりに、悠零は若干全身を震わせて驚いた。
「ど、どうして言われましてもなあ、俺も訳わからんまま此処まで来てん。 先輩見かけたから起こしたっちゅーわけですわ」
そして後輩関係の時から欠かさない質問の返事。若干彼女の様子に動揺しつつもきちんと悠零は答えた。
平然と起こした、と答えれば彼女は「その判断力……間違いなく乱君だ」と頭を抱える。
「……と、りあえずなんやけど、先輩、此処何処かわかります?」
彼女が頭を抱えるなんて今まであまり見たことがない、その為彼は気を遣いつつ彼女に訪ねてみる。
彼女が頭を抱えるなんて相当の事態なのは初等部から共に過ごしてきた自分には直ぐに理解のできることだったからだ。
「……いや、実のところ私もさっぱりわからないんだ」
「んあ、先輩が言うならそうなんやろな~」
「嗚呼、その何もかも信じる所、本当乱君だ……」
「
彼女もさっぱりわからない、現実離れした現実のこの空間。
時々そんな茶番を挟みつつも二人は冷静に状況の整理をした。
……何もかも信じるって、そんなの貴方だけですよ、なんて言えるはずもない。
それから数分経った頃合い、彼女は悠零に向かって言葉を掛ける。
「――ねえ、乱君。 私が死んだの、君は覚えてる?」
その言葉はあまりにも状況整理をしている彼には凶器だった。
先輩が自分から自分が終えた事を覚えているかと聞いてくる。
どくん、と其の時の悠零の鼓動はやけに大きく波打った気がした。
けれども、悠零は先輩に嘘を吐かない。例えそれが、自分には嫌なことでも、信じたくない現実であっても。
「……当たり前やろ? 先輩、何おかしな事言うてますの」
――ちゃぁんと、記憶に焼き付いてますわ。
悠零はどんなに自分の心身が苦しく、痛んでも、そう言って切なく微笑んで彼女の質問に偽りなく答えてみせた。
それを見た彼女、
そんな切ない雰囲気の笑顔が溢れる反面、悠零は先輩のいきなりの「死」の発言に我ながら恐怖に似た感情を抱いていた。
今も尚降り続ける雪の存在が、今までは然程寒くはなかったのに、背筋が凍るような寒さを感じる。
……嗚呼、自覚しているのだ。先輩は。それなのに、自分はなんと醜いことか。
そうして暫く二人は世間話染みた会話をした。
自分達が通う小中一貫の様々な学科が専門の「私立最涯学園」について。
蓮岐はそこの演劇脚本科の卒業生でもあった。だから少々気にかけていたのだ。
最涯学園は
それぞれ初等部から男子二人、中等部から女子一人が代表となり、三人でキリストにて感謝の気持ちと、牧師の言葉、聖書の言葉、聖歌歌唱等といった事を行うのだ。
その中で、代表の女子生徒を、「聖女」、男子生徒を、「牧師見習い」と呼んでいる。
そんな話の中で、蓮岐は本物の聖女であった。その力はあまりにも壮大であり、見る見るうちにキリスト狂信者達は彼女に魅了されていった。
本物の聖女だとわかる前との態度はあまりにも激変していた。
それ故に、最涯学園を卒業し、聖女という鬱陶しい役目を果たした蓮岐は次の聖女がどうなるのか心配をしていたのだ。
もう役目を終え、人生という十六と一月も終えて自由になってもいい筈の彼女らしい、先輩らしい心配だ。
「次期聖女様は確か、まあ本物でないにしろ、もう候補に一人おりますよ」
「だ、誰になった? 普通の女の子なの?」
「いや、かなりの変人やな。
「や、役者兼総監督……」
「俺から言わせてもらいますと、もう自分を操るには手慣れてましたなぁ。 期待の新人ですわ」
「何それ凄く見たい。 その子の劇を是非とも私の書いたシナリオで演じてほしい」
「……無理やんなぁ」
「……だねー」
そんな心配事から次第に話は膨れ上がる。そしてやがてまた二人は現実を見て、ただただ景色を眺める事しかできなかった。
もう此処に何分、いや、何時間滞在しただろう。ふと最後の会話をしたところで蓮岐は自分と彼が共にいることは有り得ないのだと思い出す。それに気づけば彼女はすぐに立ち上がった。
ふわりと彼女の着ている真っ白なワンピースは甘い香りを咲かせて柔く揺れた。
「乱君、君もわかってると思うけれど、きっとこのまま君をここに置いてはいけないと思う」
「嗚呼、そかそか。 あまりにも夢見感覚で忘れてたわ」
「うん、だから少し移動しよう。 君は帰らなければいけないから」
「……せやな、その通りやで、先輩」
その時の先輩の表情はあまりにも真面目で、心配していて、嗚呼相変わらずだなあと懐かしい感覚に悠零は一瞬浸った。もう、夢の中ですらまともに会えないと思っていた人物と、
こうして会話をしているなんてあまりにも薄気味の悪い出来事だろうに、それを忘れかけていた。
ふと、そう思うと悠零は自身の心臓が押し潰されそうになる。
叶うことならば、ずっと貴方の傍らに居続けてしまいたい。
けれども、そんな事先輩は望んでいない。寧ろ自分を帰そうと行動を共にしてくれると言う。
嗚呼、どうして貴方はこうも僕の感情に入りやすいのか。そんな優しさは今の自分にはあまりにも毒であるのに。
そんな言葉が喉元まで込み上げて、悠零は必死に呑み込んだ。呑み込んで、先輩の言う事を聞いた。
――ならば、せめて此の一時だけでも、愛しき君と。
3
それから二人は仲良く並んで歩みを進める。
暫くして現実離れし過ぎた雪降る空の下、四季バラバラに咲く花々達の中を歩いていると、君達は何処かの町の入り口のような場所に辿り着ける。
離れないようにとしっかりと、悠零は蓮岐の手を握った。
「なんか町ありますわ」
「見ればわかるよ……」
「入ります?」
「まあ、入らない訳にもいかないからね」
二人は軽く口を開いて互いにまるで存在を確かめるようにコミュニケーションを取る。軽い茶番。いつもの平和すぎる会話。考えてみればちょっとした現実逃避に近い。
だが、今はそんな時間さえも危険かもしれない。蓮岐は直ぐ町に足を踏み入れた。
勇敢で堂々としたその姿に悠零も続いて足を踏み入れる。
……時間の経過とは恐ろしいものだ。今まで先に歩みを進めていたのは自分の方なのに、それが今はまるで逆で。
悠零は蓮岐のその後ろ姿を眺めつつ、また更に現実を見る。成長した愛しい貴方のそれを、此の一時が過ぎれば見られなくなるなんて事は言わずも理解出来ている。
そんな干渉に浸っていながらも、二人は町中を見渡した。
そして入って早々気づくことは、明らかに町行く通行人の人達の様子が普通とはおかしい事だ。
身体の存在が確かにそこにあり、動いているはずなのに、
少し曇っていて何ら普通に見えるはずなのに……その全員に、影が無い。
いや、正確には影がある人はあるのだが、圧倒的に影が無い人の方が九割程この町を占めていた。
そんな奇妙な光景を目の当たりにし、けれども冷静に二人はもしかしてと自分達の影を確認する。
確認すると、やはり悠零には影があり、蓮岐に影は無かった。
そこで二人はまるで自然と紛れ込んできた恐怖に背筋をゾッと凍らせた。少々精神が弱まるのを感じる。
また一つ、突きつけられた現実に悠零は苦しみを覚えた。
「……私の推測だと、単純に影の無い人達は死んでいる存在だけれど」
「奇遇やなぁ、俺もそう推測したところです~」
「死んでて言うのもあれなんだけど、かなり肝が冷えてるよ、私」
「はは、先輩に冷える肝がまだあれば善かったんになぁ」
「物理で考えるところホント乱君だ……」
「先輩、完全に馬鹿にしてるやろ」
「いや、かなり馬鹿にしてるけど」
とりあえず、落ち着こう。そんな二人の心理から自然とまた馬鹿げた会話が始まる。
此処に来てから一体何回目の現実逃避か。
ましてや、死んでいる彼女でさえも現実逃避の思考へと移動しているのだから、かなり滑稽な光景である。
そして彼女は直ぐにまた推測をした。これは、演劇脚本を、オールジャンルで書いていた賜物か、嫌なくらいに発想は豊かで、直ぐにそれは確信へと変わっていく。
――このままでは、何れ、彼、乱(らん)悠(ゆ)零(お)の影は時間の経過と共に消えるのではないか。
考えるだけで蓮岐は背筋を凍らせた。血の気が引いていくのがわかる。
もしも彼女に体温があるならば、恐らくその体温すらも低くなっていることだろう。
死んでいるから、顔に出ない限り彼に焦りを悟らせないのは少々死んでて正解だったかもしれない。
「……先輩?」
「へっ? あ、どうしたの?」
「いや、やけに静かになったから吃驚して……どないしたん?」
「嗚呼、誰に話掛けようか考えてた。 乱君を何処に連れて行けばいいか、とりあえず聞かなきゃかと思って」
「嗚呼、成程なぁ」
そんな安心も束の間、どうやら彼女は考え込んでいたらしい。恐らく、自分を呼ぶ前は、失礼やなぁ、とか文句を並べていたのだろう。今の彼は心配そうな表情を浮かべていた。
それに少ししくじった、なんて思いつつも、あながち考えていなかったわけではない言葉で彼女は彼に軽く本当を混じらせた嘘を吐いた。
けれどもそれを聞いた彼は少々不満な点があるのか、素直に受け入れてくれつつも、蓮岐の顔色を窺う。……先輩、隠し事得意だからなぁ、とその表情から言葉は汲み取れた。
「先輩を怪しむのは心外だねぇ」
「だって俺ら演劇科やさかい、ポーカーフェイス得意やん」
「確かにそうだけど……」
「ほら、何か隠してるとちゃいます?」
「黙秘権」
「死んでまで使いたい人権なんか、それ」
「死んでも人権はあるでしょ⁉」
「どういう理屈や」
あまりにも怪しまれる視線が送られ続けるものだから、彼女は周囲の人々を確認しながらも彼に話し掛けた。また、演劇科の話といい、本当にこの二人は話の流れが脱線しているようでしていない、ややこしい会話をする。
人権は死んでもある、だって人の形をしてるから、と最後に彼女はやけくそで屁理屈を口にした。その都度、返ってくる彼、生意気でお人好しな後輩の視線は「しょうもな」と呆れふためいていた。
そんな彼もそこそこ失礼では、と蓮岐は一意見思ってじとりと睨みを効かせた。
そして二人は暇そうにしているとある人物に話を掛ける。
とても退屈そうな表情をして白い縁の窓際にポツンと座っている、見る限り二人と同年代の男子だ。
「すみませーん……」
「!」
「ちょっとお尋ねしたいんですけど、お時間よろしいでしょうか?」
初対面だし、礼儀もきちんとしなければ、とまるで堅苦しい敬語を使って蓮岐は悠零の先輩らしく、先陣切って話し掛ける。
その男子の見た目は、蓮岐と同じく、綺麗な白髪に、切れ長な白い睫毛をしていた。右目は何があったのか、此処に来るまでの事故か何かで怪我をしたのか、包帯をしている。
よくよく見てみれば、その男子の顔はやけに整っていた。
「嗚呼、大丈夫ですよ」
ふとその心穏やかそうにふわりと微笑む彼の影を、二人はちらりと確認する。
見ればやはり影は無く、彼は蓮岐側の人間なのだと二人は直ぐに理解した。
「あの、此処は何処だかわかります?」
それから直ぐに悠零は優しく微笑む彼に質問をしてみる。今まで第一に疑問に思っていたことを素直にぶつけた。心優しそうな少年は、その質問を聞くと、「はて」という風に拍子抜けしたとでも言うような、とほけた表情を見せてきた。
そして少年は直ぐに何か察したのか、二人の足元をみると、「嗚呼。成程ね」、と言葉を吐いた。
「京都弁が若干入ってる君はあちらにいるのか、通りで変わった質問をするもんだ」
「えっと……?」
「嗚呼、ごめんね。質問に答えなければ失礼だから、此処が何なのか教えてあげなきゃね」
突然、少年は馴れ馴れしく話出す。何かがおかしいのか愉快なのか、クツクツと肩を鳴らして少しばかり笑うと、彼は改めて口を開いた。
「此処は、命や記憶が雪や灰になって降っている世界。 女の子はこちら側に来ているから問題ないにしても、京都弁の君は早く帰らないとこの世界と同化してしまうよ」
ほら、君の足元を見てごらん、影がだんだんと薄くなっている。かなり危険だ。早く帰らなきゃ。
簡潔に、けれども重要な部分をきちんと少年は的確に答えてくれる。彼の話を聞いて蓮岐は更に焦りを覚えた。
早く彼を帰さなければ、彼もこちら側に来てしまう。それだけは絶対に許せないのだ。
「……どうしたら、彼を無事に帰せる?」
彼はまだこちら側に成るべき存在ではない、そんな感情が露わになっているなんて今の彼女はどうでも善かった。
少年は蓮岐のその真剣な眼差しを見て、何かを確信したように、ふむ、と興味深そうに一つ頷く。
そして少年は悠零をちらりと見て、まるで暖かく微笑んだ。
「それなら、この町の何処かに創造主がいる。 生憎僕達は目撃したことはないけれど、もしかしたら京都弁の君なら見つけられるんじゃないかな」
優しく柔らかく、少年はまるで全てを知り尽くした成れの果てのように語って満足そうな表情を浮かべた。その雰囲気はまるで何か懐かしいものを見ているような視線で二人は不思議と小首を互いを見合い傾げる。
少年はそんな二人の行動に、ふふっ、と軽くまた笑ってから
「いやあ、兄弟に似ていたものだから、つい懐かしくてね」
と、言葉にした。
「兄弟?」
「うん、そう。 確か兄弟。 もう此処に来て何年も経つからうっすらとしか思い出せないのだけれど、僕の大事な兄弟。 二人はまるでそんな懐かしい感じがしてつい微笑ましくなった」
「……その人、生きてるの?」
「うん。 もうあちらでは立派な大人になっている歳だと思うよ」
「会いたいん?」
「出来ることなら、そう思うのが人間の道理だしね」
「……何かあるなら、俺が伝えたるよ。 教えてもらった御礼にもなるやろ」
兄弟に似ていると少年は言った。もう何年も此処にいる、と言う事は恐らく二人より大分年上なのだろう。二人はそうしたら何だか今までの彼の口調に納得がいって、軽く同年代にみた事に心の中で少し謝罪する。
そして悠零はあろうことか、少年になにかあるなら、と少年は会えはしないから代わりに自分が伝えると突拍子のない発言をする。
その言葉には、蓮岐も、少年も驚いた。少年は、見えるそのアメジストの左目だけを大きく見開いてから、けれども直ぐに目を狐にし、人懐っこく微笑んだ。
「いや、いいよ。 死者から伝える事なんて何もない」
「そんなもん?」
「そんなもんさ。 それより君は本当に油を売っていないで早く帰らなければいけない。 これは君の隣にいるお嬢さんだって思っているはずだからね」
「あ、せやった」
「また乱君は忘れるんだから……」
少年と悠零の暫しの会話。少年は悠零の優しいそれにこれまた優しく断ってから、彼らの背中を押すようにして、話を途切れさせる。
そして、少年は蓮岐の呆れたような彼の発言に、「ん? 忘れる?」、と言いながら自分の顎に手を添えて、数秒考えた。
「……君、早く創造主を見つけて帰りなさい。 あまり時間が経ち過ぎるのはまずい」
もしかしたらもう二割程君の記憶が雪になっているかもしれないからね。
少年は最後まで穏便に君達を助けようと言葉を掛ける。だが、今度のそれは優しくも何処かに焦りが見られて、少年は早く早くと、とうとうは二人の背中を強引に押した。
二人はあまりにも唐突な少年の行動にバランスを崩しそうになるが、何とか耐えて、
少年の姿がある方を振り返る。
蓮岐とは似ても似つかない、白髪は雪と同化することはなく、確かに少年の存在を主張していた。
今も尚、少年は彼らに優しく穏やかに、まるで雪が降っているのに桜が儚く舞って散るようにして微笑んでいる。
ゆらゆらと揺れている少年の右手は、確かに二人に向けてのお別れとして振られていた。
二人はそんな心優しく助言をくれた彼に、感謝しながらも何処か切ない気持ちを抱いて手を振り返す。
少年はそれに気づけば、まるで輝いた、純粋無垢な子供の様な感情を晒して、声をあげた。
「どうか、お元気でね、金髪の君……‼」
その少年の元気な声はやがて雪と共に溶けていく。
二人は不思議で優しい幽霊少年の最後の笑みを印象づけながら、また歩みを進めた。
「さっきの人、やけに親切やったなぁ……」
「本当にね。 まあけど、大分乱君を帰す情報は得られたし、後は時間との勝負だ」
「……そうやね」
情報をかなり得られたことに対して彼女は彼を安心付けるようにとびきり微笑む。
彼はそんな彼女の姿を見ながらも、心の何処かで創造主なんて見つからなければいい、と最低な事を考えた。
貴方と共に居られる時間が刻一刻とお別れへと近づいていく。
貴方の傍にこんなにもずっといたい、なのに貴方は何故そんなにもただの後輩を生かして帰したいのか。
嗚呼、僕には何時も、貴方の心の底を読むのが難しい。
表では帰る気満々で振る舞って、裏では見つかるなと願う自分はどれ程欲に塗れて穢い人間だろうか。
そんな複雑でうざったい自分の我儘を、君は取り払う様に彼女の手をより一層強く握った。
「! 乱く……」
「後輩の我儘、許してくださいね」
「?」
貴方はまだ、僕の感情に気づかないで。
4
あの少年の言う通り、町中を二人は何となく歩き、何となく創造主を探した。
未だに大事に強く握られている二人の手。彼女はそれを少し気にしながらも、
嗚呼、そろそろお別れだ、と彼の後ろ姿に二人の終演を悟った。
「……創造主って何処におるん」
「わかればこんな苦労も、焦りもしません」
「正論過ぎて自分等しょうもな」
ぶらぶらぶらぶら、二人はひたすら周囲を見渡しながらどことなく感覚に任せて歩いていく。時たま疲れて、少し休んで、町行く人に質問をして。
結果、情報は見当たらずにゼロ。あの少年が一番情報に詳しかったと二人は溜息を深く吐いた。
「あいつが創造主説は?」
「脚本家から言わせてもらうとぶっちゃけ有り得ないこともない」
「ってことは可能性五分五分ですやん」
「……か~‼ 創造主何処にいるんだー‼」
そしておかしな結論やら推論やらに有りつけ、二人は互いに頭を抱えては自分の影を見て焦りを覚える。悠零の影は確実に、薄く薄く消えかけているのだ。
「……乱君、今覚えてる限りの事、言ってみてくれる?」
「昨日の夕飯お好み焼き」
「ボケなくていいから‼」
「割とホンマやったのに」
影が消えていると言う事はその分、記憶も雪や灰になっていっていると言う事。
少年から聞いた話を思い出しながら二人は互いの記憶について確かめる。
だが、至って彼の回答はすべてお好み焼きで、割と記憶がどうなっているのかが本人達も把握に苦しんだ。
「ほぼ毎日お好み焼きって絶対病気になる……」
「うち、お好み焼き屋やから生地とか余るんよ」
「余るにしても、もっとまともな記憶はない?」
「……先輩の葬式、昨日やったで」
「あっ……そう……」
まともな記憶。それは今の彼にとってはあまりにも衝撃的且つ、振り向きたくもない現実だ。けれども、最近で思い出せることといえば、愛しい貴方の美しい死にざま以外に見つからない。昨日は葬式の前、何をやっていたのかすら、彼女の死がショック過ぎて忘れてしまったのだ。
それ以前の記憶には鮮明に彼女との生前の様々な思い出が脳裏を過る。
だがそんな事を言ったところで、今、重たい空気は更に重たくなる気がして、彼はそんな懐かしい、けれどもつい最近の彼女との思い出を口に出すことはなかった。
「きゅ、休憩そろそろ終わりにして歩こうか‼」
そんな重たい空気に暫く包まれて、やがて先輩である蓮岐は彼の手を強く引っ張った。時間もないし、やむをえまい。引っ張られた悠零はその発言に頷いて、彼女の存在をまた確認するように、手を握り返した。
暫くまた歩いて、また聞き込みをして、情報はゼロ。
影もあともう少しで完全に消えてしまいそうで、蓮岐は若干落ち込んだ表情をしている。
それを見た悠零はと言うと、罪悪感が半分と嬉しい気持ちが半分で申し訳なく、こちらも気分を落ち込ませていた。
「ヤバい……乱君を帰せないかもしれない……早くしないと……」
「せ、先輩、情緒不安定なってるで落ち着き?」
「落ち着いてられるか‼ 大事な君をまだ私は生かしたいのに……‼」
「そんな大事か、嬉しい事言うてくれますなぁ……あ?」
落ち込み落ち込み、それでも歩き歩いて二人は謎の慰めあいをしながらも辺りを見渡す。
そして君はとある一点を見つめ、不意にメンチを切った。
突然歩みが止まり、蓮岐は君の行動や言動に不思議に思い、彼の顔色を珍しく窺う。
「どうしたの?」
「えっ、先輩見えてないん? 目の前に気味悪い建物あるで」
気味悪い建物? そう疑問に思った彼女は言われた通りに前をみた。彼の指さす方向をひたすら目を細めて窺う。すると次第にその言われた建物は姿を現してくれた。
それは一切の濃淡のない奇妙な家だった。立体物であるにも関わらず、まるで子供の落書きのようなそれに二人は身を震わせる。
底知れぬ恐怖が、二人を支配した。
「……どこぞのホラーゲームやねん」
「こういう時に空気読まないところ、本当乱君だと思う」
「関西人はネタ入れへんとやってけないんですぅ~‼」
「はいはい、偏見偏見」
恐怖に負けそうになりつつも、二人はお得意のちょっとした現実逃避で馬鹿な会話をしながら、その嫌に狂気の感じる家へと近づく。
二人はどこか、「此処が創造主の家ではないか」、と確信があった。
あまりにも異空間染みたここで、更に異質な雰囲気をまとっているから、もはや確定だとは思うが。
ごくり、どちらが飲み込んだのかわからない、唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。
自分はもう死んでいるから、と蓮岐は大事な後輩を守るべく、前へ出た。
創造主、たってきっと真面目に話が通じるとは限らない。
そんなものは、蓮岐の人生生活の七年間のお得意になっていた。
いや、まずこんな空間にいる時点で大分狂ってはいるんじゃないだろうか。
蓮岐はそんな事を自分の中に仕舞い込みつつ、この家の扉、ノブを見てみる。
見れば不用心なのか、それとも創造主だからチートというやつなのか、鍵はなく、触れれば簡単にドアノブが捻れた。
ギイ……と、子供の落書きのような家には似合わない年季の効いた音がして、扉は中へと開く。
ぎり、と気づけば蓮岐は悠零の手を音が立つほどに握っていた。中を二人して少し覗けば、視野が悪く、薄暗い。ただ、夜目の効く彼はそれほどでもなさそうだけれど。
「……入る?」
「まぁ、創造主さんのおうちやろうからなぁ……」
「私、夜目効かないから、頼むよ」
「あいあいさー」
選手交代。そんなノリの会話だが内心二人は恐怖で震えている。鳥目の蓮岐と、夜目の効く悠零。絶妙な組み合わせだ。
君は先頭に出て、中に足を踏み入れた。見渡す限り、少々暗いだけの、やはり濃淡のない部屋だった。
彼は後ろで不安そうな表情をしている彼女に、「大丈夫やで」と声を掛けて中に誘導する。
鳥目の彼女はもう此処が何なのかすら理解ができなかった。
そんな何もない空間で、唐突に二人に対して、声が響いた。
「――生者と死者よ、お前たちは共に居られない。 其れが世の理」
その性別も何も取れない声と同時に、二人の意識はブラックアウトする。
二人はそんな現象に驚きつつも、ふと目を開いた。
――君は見る。それは昨日目撃したばかりの愛しい憧れの人の死。
棺桶の中で、貴方を思わせるにはとても容易な花達が貴方を美しく囲んでいる。
菊花に、蓮の花。その他の貴方が大好きだった、色とりどりの花の中。
着物を左前にして、何もかもが真っ白になっている、貴方の姿。
成長して、大人びた貴方の笑顔はたった十六と一カ月の人生をまるで悔やむ事無く、満足そうに微笑んで眠っている。
信じたくない、信じたい、有り得ない、違う、だってまだ、そんな早く……
君は彼女のその姿を見て混乱と錯乱が隠し切れない。ぐるぐると、自分の頭の中を、現実と、彼女との思い出が混ぜこぜになっていく。
「あの演劇の名門、四季折々学園の脚本を手掛けるんだ、ねぇ乱君。 君が私の高校生活初シナリオの観客になってよ」
最後に彼女から聞いた言葉は、確かに未来のある発言だった。だから尚更、君は彼女の死から目を瞑りたくなる。
――僕は、貴方に依存し過ぎて、貴方が好きで、だから、どうしても――……
ハッと君は意識を取り戻した。
今までの光景は、すべて自分が目を少しでも伏せていた現実だ。
君はそのまま反射的に彼女の方へと振り向く。
彼女は酷く硬直して、何処か悲しそうな表情をするも、暫くして彼女も君の顔を見た。
「死者よ、自分の最期を思い出しただろう。 そして生者よ、己の居るべき場所をよく考えるのだ」
元に戻った視界は再び何もない空間だった。
ただ、意識がブラックアウトする前より、少しばかり変わっている。
目の前に、一つの扉が現れた。
二人はそれを見て、確信する。もう、一緒にいられる時間は、終わりになるのだと。
脳内はその先に行かなければいけないとわかっているのに、君の身体は依然として言う事を聞かなかった。
蓮岐は、彼の動かない様子を、一回だけ目を瞑る。
だが、直ぐに瞼をあげ、彼の自分を握っている手に、自分のもう一つの手を乗せた。
「……せ、んぱ」
「行こう、君は、生きなければいけないから」
酷く、彼女の笑みは暖かく穏やかだった。君はその微笑みに息を呑み込む。
そしてだんだんと意識が落ち着いたのを自覚して、君は潔く頷いた。
本当は、まだ貴方といたい。けれども貴方が僕の生を望んでくれている。
時間はもうない。行かなきゃ貴方はきっと悲しむから。
君は今までの我儘を、今までの欲を、全部振り払うようにもう一度彼女としっかり手を繋ぎ、目の前の扉に手を掛ける。
手を掛けた瞬間、君は内側から気持ちの悪い感覚に襲われた。酷く吐き気が襲い、身体が震える。
このまま進めば、更に苦しいなにかを迎えるかもしれないと思うと、正直怖気づきそうだ。
けれども此処を進まなければ、愛しいこの人が今までしてきたことが、すべて水の泡になってしまう。
情報を与えてくれた酷く優しい少年の行動も、すべて裏切ることになる。
そう思えば進むしかなかった。
またしっかりと手を互いに握り、君達は扉の中に入る。
ふと一瞬、隣にいる蓮岐が苦しそうにしたような気がして、悠零は一回立ち止まった。
「? どうしたの、乱君」
「……んー、気のせいかなぁ」
「?」
立ち止まり、彼女の平然と不思議そうな表情に、君は気のせいかと歩みを進める。
彼女は、何が気のせいなのだ、と言いたげな表情で、共に前を向いた。
目の前を見ると、まるで嫌な感覚を忘れるほど美しい花畑が広がっていた。
花道のように、真っ直ぐの道がある。
周りに咲いている花を二人は自然と見渡す。
やはり咲いている花は容易に彼女の名前を思い出させるもので、彼女は少々嬉しそうに瞳を輝かせてそれを魅入っていた。
花道の続く此処は雪も降っておらず、暖かい。現在夏真っ只中でやはり現実離れはしているが、まるで春のような心地の良さだ。
まるでずっと此処にいたいような、そうまるで、天国のような、そんな安心感に二人は浸った。
「……先輩、行きましょか」
「あ、そうだね。 うん、行こう」
天国のようだ、そう感じて悠零はふと危機感を覚えた。
そうだ。自分はやっとのことで、自分の我儘や欲を振り払ったのだ。
行かなければ、生きなければいけない。
天国のようなここに、ずっといてはいけないのだ。
今までになかったそんな焦りの感情。君は花を嬉しそうに眺めている蓮岐を微笑ましく眺めつつも、直ぐに手を引っ張った。
蓮岐はそれをされれば直ぐに目的を思い出し、少し申し訳なさそうに一言彼に謝ってから、彼の手をしっかりと握って歩き始める。
二人は周りに咲く様々な季節違いの花達を眺めながら、花道を順調に進んで行った。
暫く歩いてみると、何処からともなく、まるで囁くように歌が聞こえ始める。
よく耳を澄ませてみれば、それは周りの花達から聞こえていた。
……花が、歌っている。
「白い花」「赤い花」
「夢ではない」「現でもない」
「あなたはだれ?」「わたしはだれ?」
「わたしは夢の住人」
「わたしは現の住人」
「神は言う」
「人の子よ」
「「汝は何の為に生きるのか」」
段々と怖気を感じた。二人はその歌がノイズ交じりになって消えていくのを聴いて、さあ、と血の気が引くのを感じる。
また、君は不意にまた彼女が苦しそうにしているのに気づいた。
「……蓮岐先輩」
「! 乱君?」
「……黙秘権、何時まで使うつもり何です? 無理、よくないで」
君の発言に彼女は明らかに視線を揺らした。
けれども、彼女は何を思ってか、直ぐに笑顔を取り繕う。
悠零はその苦しそうな彼女の笑顔に、きゅう、と胸が締め付けられるのを感じながら、仕方がないと、彼女が触れてほしくないのだろうと、目を瞑った。
そして君は更に続く道を進もうと歩みを進めようとする。
だがそれは虚しく、不意に繋いでいた方の手からするり、と彼女の手が抜けた。
とさりと言う、まるで座り込むような音に、悠零は咄嗟に振り返る。見れば彼女は苦しそうに蹲り、自身の胸元を必死に握りしめていた。
君は苦しそうに蹲る自分の愛しい人のもとへと急いで駆け寄る。
「先輩、先輩大丈夫か⁉」
「だ、い……丈夫……」
「嘘や、苦しそうやんか‼ なんで毎回毎回アンタって人は無理を……‼」
「悠零」
「!」
駆け寄って、どうしようもできないで、自分の不甲斐無さに悠零は焦る。
けれど直ぐに、まるで愛しい名前を呼ぶような囁きの声で、悠零は少々心を落ち着かせた。
何気なく呼ばれた自分の名前。苗字ではなく、自分の下の名前。彼女の口から呼ばれるのは今回が初めてで、君は少しばかり、ほんの一瞬の嬉しさに浸った。けれどもそれは本当に一瞬、一秒も満たない感情で、君はすぐさま、彼女を見る。
……その表情は嫌なくらいに清々しく穏やかで、けれどもそれ故に苦しそうだ。
「……なんで、こないとこで名前呼んでんねや、先輩」
「……ごめん、ごめんね、こんなところで……」
「何に対しての謝罪やねん!」
「もう、私此処で限界みたいだからさ……最後まで、見送りたかったのに、苦しくて仕方ないや」
苦しそうにぽつり、ぽつりと彼女は彼に微笑みながら自分の状態を話す。
最後まで見送って、安心してから言う予定だった、と彼女は口にした。
何を、そう思った彼の感情は、開こうとした言の葉は、束の間に破られる。
「――ねぇ、愛してるよ、悠零」
「――……えっ……?」
驚きと嬉しさと、切なさと、苦しさ痛み辛さ、彼女の口から自分で想像すらしていなかった言葉が音となった。
感情があまりにもごちゃ混ぜになって、君は間抜けな声を出す。
嘘だと、心の何処かで思いたかった。
「だから、せめて、君だけでも、生きてよ」
「な、にをこんな状況下で……」
「だって、死ぬ直前に、気づいたんだ、だから、ごめんね」
「っ……謝らんでよ、俺だってっ……」
夢にも見なかった、両想いとか言う展開。あまりにも不幸すぎる、二人の。
悠零は泣きそうになりながら、言葉を振り絞った。
「――俺だって、蓮岐先輩の事――……!」
ずっとずっと憧れて、大好きで、愛しくて。
そんな言葉が彼の口から溢れ出る。彼女はそれを聞いて、赤い瞳を見開いては驚いた。
次第にポタポタ、なんて彼女の手の甲に涙が落ちる。
ふわりと悠零は何か心地のいい温もりに包まれた。
それが直ぐ、彼女が自分を抱きしめていると気づき、悠零は抱きしめ返す。
ふわり、春の生暖かい風が彼女の甘い香りをさらって二人を優しく撫でた。
「もう、会えないよ」
「せやね」
「もう、私、行けないよ」
「……うん」
「……私、此処で待ってるから、だから、最期まで生きて、絶対、自分を殺そうとしないで」
「うん」
「……なぁ、蓮岐先輩、最後にもう一回我儘ええか?」
「何?」
「愛してるで」
二人の顔が重なる。まるで美しい恋の終わり。
最後の君の我儘は、愛しい貴方との最初で最後のキスだった。
やがて顔が離れて、二人は泣きながらも笑って離れていく。
君は生きる、そう決意して彼女に微笑んだ。彼女は此処で君の生涯が終えるまで嫌という位待ち続けると言って、手を振った。
「――君は、生きなければいけないから」
5
短すぎる一時の恋人らしいそれを終え、君は少々一人になったのに心細くなりながらも前を進む。
歩いていくにつれ、段々と足取りが重くなっているのを感じた。
君はふと、後ろを振り返ってみる。
……もう、そこにはなにもない。
花も、空も、あの綺麗な景色も、自分が歩いてきた道ですら。
歩みを進める度に白一色が景色を食べていく。
自分が進んだ分だけ、徐々に、徐々に。
君は考える。本当に、彼女は一人で大丈夫だろうか、と。
けれども、彼女は自分に生きる道を望んだ。ひたすら前へ前へ歩いていく。
恐らく正解は後ろにはないからと、君は生きていく道を選んだ。
やがて歩き疲れて君はへたれ込んだ。どのくらい、何時間、いいや何日間歩いただろう、
そのくらいの感覚。君はそんなへたれ込んだ矢先に、ゾッとした寒気を覚えて、顔をあげる。
そこには死神を絵にしたような、男のような、女のような人物が虚ろな瞳をした君を見下ろしていた。
「生者よ、現へ帰るといい」
そんな言葉とともに、君は何かを振り下ろされた。
終演
目が覚めると、君の記憶は蘇る。
何をしていたのか、嗚呼、そうだ、自分は今際の淵に立っていたのだ。
死にかけたのだ。
……今の出来事は、死の間際に見た都合のいい夢か何かだったのか。
君の瞳に、涙が浮かぶ。
やけに最後に触れた唇の感触は鮮明だった。
嗚呼、死の間際に貴方に会えて、そして少し貴方と過ごせて、一時の間だけでも結ばれた。
それだけでも、嬉しい事には変わりない。
君は胸にぽっかり空いた違和感に気づきながらも、死にかけている自身の身体を引きずって帰っていく。
最期まで生きろ、その貴方の言葉が明日の僕を生かしてくれた。
けれどもやはり、ずっと貴方と過ごしてきた時間に、僕一人の時間はあまりにも孤独で。
――嗚呼、もう、君はいない。