羽生蛇村には、多くの場所で火の見櫓を見ることができる。粗戸地区や波羅宿地区をはじめ、田堀、比良境にも。居住地区や商業地区など、人が多く集まる地域には、必ず建てられていた。
火の見櫓とは、その名が示す通り、火事の早期発見を目的とした櫓である。江戸時代の中期に全国的に普及し始めたもので、古くは居住施設が併設し、火消人が常駐して地域の見張りを行っていた。そして、火災が発生した場合は警鐘を鳴らし、住民に避難を促すのだ。現代では自治体による消防団の設置や一一九番通報の整備、木造住宅の減少などに伴いその役割を終え、全国的に撤去が進んでいる。しかし、昔から土砂災害の多い羽生蛇村では現在でも利用価値が高く、老朽化したものは補修や建て直しがされ、今でも利用されていた。
村の各地で見られる火の見櫓だが、特に大きなものが荒戸地区にあるものだ。商業地区である粗戸には必然的に多くの村人が集まる。また、ほとんど商店は村人の自営業であるため、粗戸は商業地区であると同時に居住地区でもある。地区の中央には眞魚川が流れており、災害が発生した場合多くの被害が予想されている。そのため、防災には特に力が入れられているのだ。
この、荒戸地区の火の見櫓を管理しているのが、自治体の消防団に属している
その日、神代家の女中・澄子が粗戸の商店街を訪れると、ヨネ爺さんが火の見櫓から降りてくるところだった。村で最も大きいこの地区の火の見櫓は、高さ十メートルを超える。七十を間近に控えた老人が梯子を上り下りする姿は見ていてヒヤヒヤするが、そんな澄子の心配をよそに、下りてきたヨネ爺さんは澄子を見て、「おや、澄子さん。買い物ですかな?」と、けろりとした顔で話しかけてきた。
「お爺さん。前にも言いましたけど、もうお年なんですから、火のみ櫓に上るの、やめた方がいいですよ?」
澄子は粗戸で櫓に上る爺さんを見かけるたびにそう言っているのだが、爺さんはいつも、笑って言う。
「とんでもない。まだまだ足腰はしっかりしております。それに、火の見櫓は防災のために建てられたもの。防災は日々の積み重ねが大事ですからの。定期的に上って見張りをせねば、意味がありますまい」
ヨネ爺さんの言うことはもっともだが、大昔ならともかく、消防施設が整備された現代では、櫓に上って見張りをする意味はあまりない。火災発生から一一九番通報・消防車出動・到着まで、平均一〇分以下と言われており、櫓に上って見張りをし、火災発見から現場に駆けつけ消火活動をするよりも、はるかに早い場合が多いのだ。かつては火災発生時に鳴らした鐘も今は取り外され、代わりに防災用のスピーカーが備え付けられている。緊急時にはサイレンを鳴らし、避難勧告や避難指示の放送を流すことができるが、これは櫓の上ではなく村役場から行うものだ。上で見張りをする必要性は薄いし、スピーカーを設置するなら電柱などでも十分。澄子には、火の見櫓は時代遅れの代物としか思えなかった。一部の村人からは、「火の見櫓を撤去してほしい」と、役場へ要望が出ているとも聞く。ヨネ爺さんだけでなく、子供がおもしろがって登ったりしては危険だ。
だが、爺さんは言う。
「この村では、火事よりも水害の方が危険じゃ。櫓に上って眞魚川の水位を観察し、遠くの空を見て天候の変化を予測するのは、重要なことなんじゃよ」
「それは……そうかもしれませんが……」
防災に関して澄子は素人だ。ヨネ爺さんにこう言われると、返す言葉は見つからない。
ヨネ爺さんはかつて村役場に勤め、災害対策の部署で働いていた。五十五歳で定年退職し、しばらくは年金暮らしをしていたが、若いころから真面目で仕事一筋な性格であったため、気ままな生活に耐えられなかったのだろう。定年後、この地区の消防団に自ら希望して入団するまで、一年とかからなかった。
消防団員には自治体から報酬が支給されるが、年間数万円程度とわずかな額であり、基本的にはボランティア活動と言っていい。火災発生時などに出動し消火や救助活動などを行うのだが、それ以外は、年に数回訓練を行い、防災に関するイベントを開催したり、冬になると火の用心の見回りを行うくらいで、普段は自営業や会社員など、普通に働いている者がほとんどだ。
しかし、ヨネ爺さんは毎日のように地域の見回りを行い、火の見櫓を始め、防災用品を保管している倉庫や消火栓などの設備をチェックし、水害発生時の避難場所や危険個所、避難ルートを記した地図を作成し住人に配布するなど、地域の防災意識を高めることに従事していた。「もし火事や洪水があっても、ヨネ爺さんがいれば安心だ」と、粗戸の住人は口をそろえて言っている。その通りだと、澄子も思う。
「……でも、やっぱりお爺さんが櫓を登るのは、危ないと思うんです。せめて、櫓の点検だけでもやめることはできませんか?」
澄子は本当に心配してそう言っているのだが、ヨネ爺さんは気にも留めない
「わしのことを心配してくださるのはありがたいが、これも重要なことですからの。いざという時にスピーカーが故障して使えなかったりしたら、大変ですから」
「それはそうですけど、そんなに毎日点検しなくても良いのでは?」
「澄子さんが仰ることも判るのですが、そういうわけにもいかんのですよ。実は、悪い予感がしておりましてな」
「悪い予感?」
澄子が顔を傾けると、爺さんは急に真面目な顔をし、声を潜めるようにして言った。「……わしは、近々、村に大きな災害が訪れるのではないかと思うておるのです」
「大きな……災害……?」
「はい。先日、合石岳の上空に光の柱が出現したでしょう?」
「あ、はい。あたしは見ていないんですが、みんなが話しているのは聞きました」
それは、二日前のことだった。村の北にある合石岳の上空に大きな光の柱が出現し、ちょっとした騒ぎとなった。この現象は、羽生蛇村では数十年に一度の割合で見られるものだが、発生のメカニズム等、詳しいことは判っていない。ただ、村では古くから不吉なものとして伝わっていた。眞魚教の聖典『天地救之伝』において、この光の柱は『
「でも……それはあくまでも、古い言い伝えです」澄子は言った。「新聞では、『地上の明るい光源が空中の氷層に反射して起こる珍しい自然現象』と、書かれていましたし……」
「確かにそうかもしれん。しかし、わしは長年役場の防災課に勤めていたから調べたことがあるんじゃが、村に大きな災害があった時には、必ず、あの光の柱が現れておるのじゃ。もちろん、わしもあれが海の底に住む海龍などと思っておらぬが、大きな災害の前に不可思議な自然現象が起こるのは、よくある話なのじゃ。古い言い伝えにも、なんらかの意味があるものじゃて」
「…………」
「それに、六月の長雨の影響で、すでに被害が出ておる地域もありますしの」
爺さんの言う通り、村では六月に雨が続き、その影響で、粗戸の南にある波羅宿地区で地盤沈下が発生した。波羅宿は、戦時中防空壕施設が多くあった地域で、それが崩落したと見られている。幸い死傷者は出なかったものの、ひとつ間違えれば大参事となる所だった。波羅宿にはまだまだ塞がれていない防空壕が多く点在しているため、今後も被害が出る恐れは十分ある。
「災害はいつ訪れるか判りませぬ。じゃから、日ごろの備えがものをいうのじゃ。特にこの村では、土砂災害が多いからのう」
「…………」
返す言葉を見つけられない澄子。村に災害が多い理由は澄子にある。もちろん、そのことをヨネ爺さんが知るはずもないが、なんだか責められている気がして、澄子は思わず目を伏せてしまった。
そんな澄子の様子をどう思ったのか、爺さんは、「おっと、怖がらせてしまいましたか。すまんすまん」と、破顔して謝り、そして、続けた。「まあ、老人の戯言と思って下され。何も無ければ、それに越したことはありませんからな。まあ、日ごろから備えておけば、万が一の時も安心です。では、見回りがありますので、わしはこれで」
「……はい。でもお爺さん、どうか、お気をつけて」
「ええ。澄子さんもお気をつけて」
爺さんは笑顔で頭を下げると、見回りを再開した。
爺さんの予感が的中したのは、そのわずか二日後――八月三日の深夜のことだった。
前日より降り続いた大雨の影響で、村の各地で山崩れが発生。特に、粗戸、田堀、波羅宿、比良境は、地区が丸ごと土砂に飲み込まれ、甚大な被害が出た。土砂に飲み込まれた家屋は百棟を越え、村全体で三十三名の行方不明者を出した。後に二名の生存、二名の死亡が確認され、最終的な行方不明者は二十九名となった。その中には、澄子も含まれている。
大きな被害であったが、災害の規模に比べ、死者・行方不明者は少ないとも言えた。これには理由がある。
被害があった地域で最も多くの住人がいたのは粗戸だ。村の中でも発展した地域で、ここだけで住人は三〇〇名を超える。にもかかわらず、この地域での行方不明者は数名に留まった。事前に危険を察知したヨネ爺さんが、日付が変わる前に住人に避難を促していたのだ。
爺さんの普段の活動が実を結び、住人が連携して声を掛け合ったため、短時間で避難は完了した。行方不明になったのは、最後までこの地区に残り、避難を促し続けたヨネ爺さんを含む数名だけだ。住人の避難が完了しても、爺さん本人は粗戸に残り、避難していない人がいないか、家を一軒一軒訪ね歩き、最後まで確認していたという。
それが、二十七年前の出来事だ。
☆
二〇〇三年の八月。
村を、また、大きな土砂災害が襲った。
☆
眞魚教の求導女・八尾比沙子は、異界に飲み込まれた二十七年前の粗戸の街で、奇妙な行動をする屍人を見た。
最初にその屍人を見たのは、初日の深夜だ。たまたま村を訪れ怪異に巻き込まれた少年と共に、教会へ避難する途中だった。
その屍人は、武器を持たずに大通りを巡回していた。大通りを北へ進み、バリケードに突き当たると南に戻る。南には火の見櫓があるのだが、屍人は必ず櫓に上り、上から周囲を見回していた。
ただ、その時は、武器を持たずに巡回していることに多少の違和感を覚えただけだった。この時の比沙子はまだ全てを思い出す前で、少年と共に逃げるので精いっぱいだったのだ。
異変に気が付いたのは二日目の朝だ。時刻は六時。南の海から、サイレンが鳴り響いてくる。
それまで建物の補修作業や畑の草刈り、街の見回りをしていた屍人たちは作業をやめ、多くの者が南の海へ向かい始めた。
屍人たちは、サイレンの音に導かれ、南の赤い海に身を沈める。海送り・海還りの儀式だ。これを繰り返すことにより、屍人は常世へと旅立つことができる。だから、サイレンの音を聞いた屍人は、皆、赤い海に向かう。
だが、その屍人だけは違った。
その屍人は、海に向かう屍人の流れに逆らい、家を一軒一軒訪ね歩いていた。まるで、村人に避難を促しているように見えた。サイレンの音を聞き、危険が迫っていると思ったのかもしれない。屍人は、生前の記憶に従い行動することがある。その屍人は、生前もそのような行動を繰り返していたのだろうか。
その姿が、ヨネ爺さんと重なった。
なんの確証もない。ヨネ爺さんが行方不明になったのは二十七年も前だ。屍人が常世へ旅立つまでの時間には個人差があるが、通常なら一週間程度、どんなに長くとも一ヶ月はかからないはずだ。
だが、それはあくまでも海送り・海還りの儀式を行えばの話だ。なんらかの理由によって儀式を行わない場合――例えば、屍人になるのを拒み、赤い海から遠く離れた場所でサイレンを聞かないようにするとか、全身を縛ったり、脱出不能の場所に隔離するなど、物理的に行動不能な状態にある場合は、屍人化が進まず、常世へ旅立つことはできない。
家々を訪ね歩いているあの屍人が、本当にヨネ爺さんだったとしたら。
ヨネ爺さんは、二十七年もの間、赤い海からの誘惑に逆らい、サイレンが鳴るたびに住人に避難を促し続けて来たのかもしれない。
屍人は赤い海に身を鎮めない限り常世へと旅立つことができない。ヨネ爺さんがサイレンの音に逆らい続ける限り、異界に留まるしかない。これからも、ずっと。
全てを教えてあげるべきだろうか。一瞬、そう思った。屍人は知能が低いが、独自の言葉を話し、他の屍人と会話ができる。屍人の言葉と人間の言葉の両方を話す者もいる。意思の疎通は、不可能ではない。
だが、比沙子は何もせず、その場を後にした。
常世へ旅立つ機会を放棄し、住人に避難を促すという無意味な行動を繰り返すあの屍人を、愚かだとは思わない。彼の胸には強い意志がある。サイレンの誘惑にも逆らうほどの強い意志が。その意志を否定するような真似は、したくない。
それに。
もうすぐ、全てが終わる。
全てが終われば、すべて無くなる。
赤い海も。
サイレンの音も。
屍人も。
この異界さえも。
そう。一三〇〇年続いた村の呪いは、今日、ようやく終わるのだ。
比沙子は胸に抱いた御神体と共に、水鏡へと向かう。