眞魚教では、毎月の末日の夜、その月に生まれた信者の赤子に神の祝福を与える、『新生児祝福式』が行われている。村に生まれた新たな命に神のご加護を祈り、健やかな成長を願う儀式である。他の宗教でもよくみられる儀式であるが、眞魚教では赤子の額に墨で『マナ字架』を描くのが特徴だ。マナ字架は眞魚教の宗教的象徴で、一本の支柱に三枚の板を平行に張りつけ、一番下の板の右側にもう一枚の板を斜めに張りつける独特な形をしている。ちょうど、漢字の『生』の字をひっくり返したような形だ。このマナ字架は、教会の礼拝堂や屋根の上はもちろん、墓所・道端・村境の道祖神像など、村の様々な場所で見ることができる。また、信者たちは首飾りや数珠に取り付けたり、メダルに刻むなどして常に持ち歩き、いつでも祈りを奉げられるようにしていた。この宗教的象徴であるマナ字架を、求導師が赤子の額に描くのだ。
その月の末日も、教会ではいつものように祝福式が行われていた。礼拝堂には、この月に生まれた四人の赤子とその家族、そして、赤子を祝福するべく多くの信者が集まっている。祝福式は、日曜の礼拝式と同じく、まず神へ祈りを奉げることから始まる。その後聖歌を歌い、そして、集まった信者に対し、求導師が法説を行うのだ。法説とは、求導師が信者たちの前で話をすることである。その内容は式によって様々だが、聖典の一節を用いてその意味を説いたり、古くから行われている儀式の始まりや歴史を話すのが主だ。神の教えを説く時間、とも言えた。
今日の法説は、マナ字架についての話だった。
「――皆さんもよくご存知の通り、マナ字架は漢字の『生』の字をひっくり返した形をしています。これは、生の反対、すなわち、死を意味します。墓所にマナ字架を立てたり、墓石にマナ字架を刻むのは、そのためです」
壇上で語る求導師の言葉を、信者たちは真剣な表情で聞いている。求導女の八尾比沙子は、祭壇から少し離れた下座に立ち、信者たちの様子を眺め満足げに微笑んだ。毎月行われる新生児祝福式において、この話は何度も行われている。中には今日初めて聞く信者もいるだろうが、ほとんどの信者はすでに知っている話だ。それでも、彼らは熱心に耳を傾ける。それは、彼らの信仰心の厚さを表していた。
求導師の話は続く。「――では、なぜこの祝福式では、新生児の額にマナ字架を描くのでしょう? これは、今から千二百年ほど前の天武の時代、この地に降臨された神王様が、マナ字架の形をした板の上に身を預けたことからきています。マナ字架は神王様が初めて現世で触れた物であり、その神聖さが、災いや不幸といった『厄』を祓うのです。つまり、マナ字架には厄除けの効果があるのです。新生児の額に描く以外にも、村の各地に立てたり、家の軒先に吊るしたり、あるいは、峠の道祖神像に刻まれています。我々が日々無事に過ごせるのも、マナ字架が厄を祓ってくれるからです。全ては、神王様のお力。その恵みに感謝し、新たに生まれた小さな命を祝福しましょう」
求導師はそう締めくくると、胸の前で手を組み、祈りを奉げた。信者たちもそれにならう。比沙子も同じく手を組み、祈りを奉げる。
だが、胸の内では、小さくため息をついた。
いま求導師がした話は、真実ではない。信者たちにもっともらしい話をするために作られたものだ。本当は違う。いや、全てが違うわけではない。神がこの地に降臨した際、マナ字架の形をした板の上に身を横たえたのは事実だ。そこからマナ字架が神聖なものとされ、厄除けの願いを込めて村の各地に設置され始めたのは間違いない。
だが、生まれたばかりの赤子の額にマナ字架を描く行為には、全く別の意味がある。
その意味を知っているのは、今となっては比沙子のみだった。
今から一二〇〇年ほど前、この地に神が降臨した際、飢えから神の身体を口にした比沙子は、不死の呪いを受けた。その呪いは、比沙子の子・孫・ひ孫、さらにその先の子孫、すべてに及んだ。
この村に住む者は、一部の外部から来た者を除き、全て比沙子の血を引いている。つまり、ほぼ全員が不死の呪いを受けている。よって、村に新たな命が生まれるのは、新たな呪いの始まりでもあるのだ。
しかし、真の意味で不死の呪いを受けているのは、比沙子自身と、その直系の子孫である神代家の娘だけだ。それ以外の村人は、異界で屍人となり、海送り・海還りの儀式を行い、罪を洗い流すことで神に許され、常世へと旅立つことができる。ほとんどの村人は、この儀式によって死を迎えることができるのだ。
だが、中にはなんらかの理由によりこの儀式を行わない村人もいる。
特に多いのは、生きたまま異界に取り込まれてしまった者だ。生きている人間には屍人は醜い化け物に見える。屍人になることを拒み、自ら監禁状態になって海へ入らないようにする者は少なくない。また、屍人となっても、己の強い意志によって儀式よりも全く別の行動を優先する者もいる。愛する者を探し続けたり、生前の使命を全うしようとする者だ。
これらの者たちは、海送り・海還りを行わないため罪を洗い流せず、永遠に神の元へ向かうことができない。比沙子や神代の娘と同じく、永遠に死が訪れない。
そのような不幸を避けることを願い始まったのが、新生児の額にマナ字架を描く行為である。
生の字をひっくり返した形のマナ字架は死を意味している。新生児の額に死を示すことで、村に生まれた新たな命が安らかな死を迎えることができるように、という願いを込めているのだ。
求導師の法説が終わり、いよいよ赤子にマナ字架を描く時間となった。この月は四つの家に新たな命が生まれた。最初の家族が壇上にあがる。母親の胸に抱かれた赤子は、すやすやと気持ち良さそうに眠っている。求導師は、最近の赤子の様子などを両親から聞き、特に大きな問題もなく育っていることに満足げに微笑んだ。そして、そばに控えている比沙子が差し出した筆を執り、墨を付け。
「この子に、神の祝福とご加護がありますように――」
祝福の言葉と共に、赤子の額にマナ字架を描く。赤子は少しくすぐったそうに顔を動かしたが、そのまま眠り続けていた。マナ字架を描き終え、最後にもう一度信者全員で祈りを奉げる。両親は求導師と信者たちに深く感謝し、壇を下りた。
同じ手順で、二組目、三組目の家族も儀式を行う。三組目の家族の赤子は怖がって泣き始め、求導師が困惑するという一幕もあり、礼拝堂内は笑いに包まれた。
最後の一組が壇上にあがった。その家族は、教会の近くに住む
「おやおや。どうやら私は、子供たちに嫌われてしまったようだ」
求導師が苦笑いを浮かべると、堂内はまた笑い声に包まれた。
「仕方ありません。求導女様に代わってもらいましょう」
求導師が差し出した筆を笑顔で受け取る比沙子。今回のような教会が行う儀式は基本的に求導師が取り仕切るが、眞魚教の聖典には男女の平等が定められており、求導師と求導女の立場は同じだ。なので、この儀式を比沙子が行っても何も問題はない。赤子の人数が多い場合は、交代で行うこともある。
泣き続ける赤子だったが、比沙子が頭をなでるとぴたりと泣き止み、すぐに満面の笑みを浮かべた。比沙子も笑顔を返し、そして、母親に視線を移した。「元気があって、なによりです」
「はい。おかげさまで、この子も私も、大きな問題もなく過ごせております」
「それは良かった。しかし、油断は禁物ですよ? 産後の母親の身体は、本人が思っている以上に衰弱しています。問題ないように思えても、突然、体調が悪くなることもあります。決して無理はしないように気を付けてください」
「はい。ありがとうございます」
その後もいくつか赤子の様子について話をした後、最後に比沙子は「何か困っていることはありませんか?」と訊いた。
すると、母親は表情を曇らせた。「困っているというほどのことでもないのですが、この子に明るい未来はあるのか、不安になることがあります。こんな世相ですから、いつまた、前のような大きな戦争が起こるか判りませんし……」
「……そうですね。判ります」
比沙子は、母親の気持ちに寄り添うように、そっと肩に手を添えた。
世界中の国を巻き込んだ大戦争が終結してから数年。戦勝国として空前の好景気に沸いたこの国も、最近は輸出の低迷と産業の停滞により、一転して不況に陥りつつある。外部とあまり関わりを持たないこの村ではあまり関係の無い話だが、それでも、この国がまた戦争を始めたら話は別だ。国から出兵の命令があれば従わないわけにはいかない。先の大戦でも、村からは多くの若者が出兵した。不況にあえぎ、この国が再び戦争を始めるのも時間の問題だろう。だが、前回の戦争に勝ったからと言って、次の戦争でもまた勝てるとは限らない。仮に勝てたとしても多くの人が死ぬ。先の大戦で村から出兵した者の内、無事戻って来られたのはごくわずかだ。
そんな時代に生まれた子だ。母親が将来を憂うのも無理はない。
「名前は、もう決まったのですか?」比沙子は、母親憂いを少しでも和らげるため、明るい声で訊いた。
「はい。美しい羽と書いて『美羽』といいます。いつかその羽をはばたかせ、大空を舞うような人生を送ってほしいと願いました」
「――良い名前です」
比沙子はもう一度、赤子に笑みを向けた。この国の不況も、この国が向かう先も、この子は知らない。もちろん、村の呪いについても、何も知らない。だからこそ、赤子は無邪気に笑っている。
比沙子は筆に墨を付け。
「この子の元に、災い・不幸・厄が訪れることのないように――」
祈りの言葉を奉げる。求導師と違い、神の祝福とご加護、という言葉は使わない。そんなものが無いことを、比沙子は知っているから。
そして。
――この子が後悔なく生を全うし、呪いに屈せず、安らかな死を迎えられますように。
胸の内で真の願いを込め、比沙子は美羽の額にマナ字架を描いた。