千年の祈り   作:ドラ麦茶

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屍人兵量産化計画

 世界中を巻き込む二度目の大戦争が勃発して数年、羽生蛇村には、多くの日本兵が出入りするようになっていた。

 

 米国との開戦を機に、日本の戦線はそれまでの中国大陸・東南アジア方面から太平洋地域にも拡大。さらなる軍事力の強化が求められていた。その施策のひとつとして、村の病院である宮田医院が、日本軍の指定病院とされたのである。これにより、村は軍から多額の資金援助を得ることができた。宮田医院の病床数はそれまでの十五床から一気に六十六床にまで増え、村と都市部を結ぶ道路も拡張工事されるなど、この数年で村の様子は大きく変わった。

 

 もっとも、羽生蛇村は都市部から遠く離れた山奥にある。このような辺鄙(へんぴ)な場所に、わざわざ道路を整備してまで軍の病院を置くというのもおかしな話であった。村には錫の鉱山がある為それが目的であるという噂もあるが、この村で採れる錫は質が極めて不安定なため軍事利用には不向きだ。実際、軍は鉱山には出入りしておらず、村から錫を運び出している様子もない。村人は、一様に首をかしげていた。

 

 実際、日本軍の目的は他にあった。屍人の軍事利用である。

 

 屍人は知能が低下しているものの、生前の記憶に沿って行動し、どんなに肉体を損傷しようとも決して活動を停止することはない。心臓を撃とうと脳を破壊しようと切り刻もうと骨まで焼き尽くそうと、ものの数分でよみがえる。屍人で兵を編成すれば不死の部隊の完成だ。戦線へ投入すれば。多くの戦果を挙げるだろう。

 

 無論、こんな話は一般的には夢物語だ。賢明な者なら真に受けるはずがない。だが、目の前でその不死の力を見せつけられれば別だ。信じないわけにはいかない。軍上層部は、宮田医院が密かに捕えていた屍人を実際に見て、この話に喰いついた。

 

 そう。今回の話は、神代家当主が軍へ持ち込んだもの――当主が、村の不死の情報を軍へ売り渡したのである。

 

 

 

 

 

 

 眞魚教の求導女・八尾比沙子は、宮田医院の地下牢の最も奥まった房に監禁されていた。両手足を鎖で壁に繋がれ、ただでさえ狭い房内を自由に歩くこともできない状態だ。この房は他の房からかなり離れた場所にあり、他の囚人の顔を見ることはおろか、声を聞くこともできない。看守が来ることも無い。監禁されて以降、食事はおろか水の一滴さえも与えられていなかった。

 

 うかつだった。

 

 屍人の情報を軍へ売り渡すなど、許せるはずはない。村の呪いは、決して外へ出してはいけないのだ。当然のごとく、比沙子は当主の暴挙を止めようとした。教会は神代家よりも下の立場だが、それはあくまでも表向きの話だ。この村を支配しているのは比沙子に他ならない。比沙子が命じれば、いかに当主といえど逆らうことはできない。そして、村のほとんどの者は、そのことに気付くことさえない。比沙子が不死の身体を持ち、村を支配していることは、決して気付かないようになっている。それは、神が定めていることだった。

 

 だが、まれに、このことに気が付く者が現れる。『勘の鋭い者』と、比沙子は呼んでいる。村の外れに住む志村という猟師の一族に現れやすい傾向があるが、今回、神代の当主が、その『勘の鋭い者』であったのだ。比沙子は、当主と軍によって囚われ、監禁されたのだった。

 

 比沙子を捕らえた軍は、まずは比沙子の不死の力を得るべく研究を始めたが、これはすぐに諦めた。比沙子の血を他者に混ぜる、あるいは比沙子の肉を削ぎ他者に喰わすなどしたが、その者はすぐに死んでしまうのだ。かつて神の血肉を喰らった比沙子は神と同体であり、比沙子の血肉を喰らうことは神の血肉を喰らうことである。その禁忌を犯した者には死の罰が与えられる。これに耐えるには、極めて強い生きる意志が必要だ。

 

 比沙子の不死の力の利用を諦めた軍は、当初の予定通り研究の対象を屍人へと切り替えた。無論、それで比沙子が解放されることはなく、そのまま地下牢に監禁され続け、すでに二年が経っていた。 

 

 

 

 

 

 

 静寂と闇しかない地下にわずかな気配が生じ、比沙子はゆっくりと目を開けた。小さな足音が聞こえる。この牢へ、まっすぐ近づいて来る。幻視を行えば、来訪者が何者か確認できるが、それをする必要はない。今、わざわざここへ足を運ぶのは、一人しかいない。

 

 比沙子の目の前には鉄格子があり、その向こうは狭い廊下を挟んですぐ壁がある。虫が這いまわる以外変化の無い風景に、わずかな明かりがさした。思わず目を閉じる比沙子。足音の主が持つ燭台の明かりだろう。ぼんやりとしたもので決して十分な明るさではないのだが、長く闇に閉じ込められている比沙子には目を焼かれるかのような眩しさだった。

 

 やがて、足音は比沙子の房の前で止まった。光に目を慣らしながら見る。鉄格子の向こう側には、比沙子を捕らえた男――神代家現当主・神代(しゅん)が立っていた。右手に燭台を、左手には一振りの刀を携えている。

 

「……よう、まだ生きているか?」俊は、唇の端に不快な笑みを浮かべた。

 

「あいにくと、死ぬことができないのよ。もう忘れたのかしら?」薄く笑いながら言葉を返す比沙子。本来なら話す価値など無い男だ。だが、話さずにはいられない。心が、それを求めている。

 

「話には聞いていても、実際この目で見て見ないと判らぬからな」俊は明かりが奥まで届くよう、燭台を高く掲げた。「元気そうで何よりだ。二年も放置しているのに……素晴らしい力だな」

 

「代われるなら代わってあげたいくらいよ」

 

「遠慮しておくよ。不死というものに憧れはあるが、お前を見ていると、到底幸せだとは思えんからな」

 

「あなたにしては賢明な判断ね。それで、そんな賢明なあなたがやっている愚かな研究の方は、どうなったかしら?」

 

「極めて順調だよ。屍人の体内から血を抜き取り、それを生きている人間に投与すれば、その者も屍人化する。これは、すぐに突き止めた。問題は、血の濃度だ。投与する血の量が少ないと屍人化はしない。それでも幻視や治癒能力の向上は得られるが、それも投与を続けないとすぐに消えてしまう。一体の屍人から得られる血ではどうしても量産は不可能だ。どのように血を増やすかが問題だったが、結局は時間をかけて溜めるのが一番だという結論になった」

 

 つまり、人を屍人化するのに必要な分の血を抜き取り、それを保管する。その後、屍人の回復を待ってまた必要な分の血を抜き取り、保管する。これを繰り返すというわけだ。

 

 比沙子は、フンと鼻を鳴らした。「これはまた、ずいぶんと時間がかかる話ね」

 

「初めのうちは仕方がない。だが、少しずつ屍人を増やしていけば、徐々に生産力は上がってゆく。今月中には三十体ほどの屍人兵が生産可能だ。来月には六十体、再来月には一二〇体と、倍加して行ける。一年後には、世界中の戦地へ派兵できるだろう。そうなれば――」

 

 そこで俊は言葉を切り、フフっと笑った。目の輝きが増し、息が乱れ、小さく身体を震わせている。自分の言葉に興奮しているようだ。その興奮を抑えるかのように自身の両肩を抱いた。

 

 しばらくして、さらに言葉を継いだ。「――そうなれば、日本がこの戦争に勝利するだけでなく、世界を制することも可能だ。この村の不死の力が、この国を救うのだ。つまり、この私が、不死の力を掌握し、この世界の救世主となるのだ!」

 

 まるで歌劇でも演じているかのように、大げさな身振り手振りで言う。

 

 その姿を見て、比沙子は声をあげて笑った。

 

 俊が不快感に表情を歪めた。「……なにがおかしい?」

 

「……あなたは、自分が特別な存在だとでも思っているのかしら? 不死の力を掌握? この世界の救世主? あなたのような愚かな夢を見た者は、今までもいたわ。何人も……それこそ、数えきれないほどね。その結果がどうなったのか、今の村の状態を見ればわかるでしょ? 何も変わっていない。誰一人成功していない。この一三〇〇年の間、一度だって成功したことはないの。村の呪いを外へ持ち出すことはできない。神が、お許しになるわけがない。あなたも、すぐに思い知るわ。その時あなたがどんな顔をするのか、楽しみね」

 

 比沙子の言葉に、俊はぎりぎりという音が聞こえそうなほど奥歯を噛みしめ、そして言った。「私にそんな口を利いていいのか? また拷問部屋へ送ってもいいのだぞ?」

 

「拷問は、痛みや死への恐怖があってこそ成り立つものよ。あたしが今さらそんなものを恐れると思う?」

 

「ならばこの場で斬り刻んでやろうか? 私には、その力があるのだからな」

 

 俊は、左手に携えていた刀を突き出した。神代の宝刀・焔薙だ。今度は比沙子の顔が不快感に歪む。あの刀が俊の手にある限り、比沙子は屈するしかない。焔薙は、その名の通り炎を薙ぐ力がある。比沙子には炎を自由に操る能力があるが、焔薙の前では無効化される。さらに、その刃には聖獣・木る伝が宿っており、斬られた傷は決して治らないと伝えられている。たとえそれが、屍人のように不死の身であっても。

 

「……無駄よ。聖獣が宿らなければ、その刀はただのなまくら。今のあなたに、はたして成獣は味方するかしらね?」

 

 挑発的な笑みを浮かべる比沙子と、それを憎々しげに見つめる俊。しばらく二人は睨み合っていたが、やがて、俊が刀を下げた。

 

「……まあいい。計画は順調だ。いずれ貴様も、私の力を思い知るだろう。それまで、せいぜい長生きするのだな」

 

 そう言い捨てると、俊は廊下に高笑いを響かせながら去っていた。房は、再び闇に包まれた。

 

 そして、比沙子の心に灯った小さな炎も、再び消える。また、闇の中での孤独が続く。

 

 たとえ何十年何百年監禁されようと決して死ぬことはない比沙子。不死である比沙子に死の恐怖はない。痛みへの恐怖も、遠に消えた。

 

 しかし、孤独への恐怖は、いまだ消えない。

 

 一三〇〇年の時を生きてきた比沙子。そのことに、村人は気付かない。それは、村人の記憶から比沙子が消えることを意味していた。どんなに仲良くなり、心を通わせ、例え愛し合ったとしても、時が経てば、その者の記憶から比沙子は消える。比沙子は常に孤独だ。それでも、誰かの側にいれば、その孤独を紛らわせることができる。一人ではないのだと思うことができる。例えいつか消え去ってしまう一瞬の交わりであったとしても、それが比沙子の心を支えてきた。一三〇〇年の間、ずっと。

 

 だが、こうして闇に一人放置されると、真に孤独であることを思い知らされる。比沙子にとって、それはこの上ない恐怖だった。だから、たとえそれが俊のような憎き相手であっても、話をせずにはいられないのだ。話をすれば、心が安らぐのだ。

 

 この監禁も、長くは続かない。神に花嫁を奉げる儀式が近づけば、比沙子は必ず解放される。儀式を遂行するために、比沙子は村に必要な存在だと神が定めているのだ。だから、どんなに厳重に監禁されようと、あるいは地中深く埋められたり、水中深く沈められようとも、比沙子はただ待てばいい――神代の次女に御印が降りる時を。比沙子が囚われた時、神代の次女・美夜子(みやこ)は二歳だった。遅くとも後十年以内には御印が降り、比沙子は解放されるはずだ。比沙子にとって十年など、一眠りする程度のわずかな時間だ。

 

 しかし。

 

 闇に閉ざされた牢で一人過ごす時間は、永遠と思えるほどに、長い苦役だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一ヶ月後。

 

 神代俊は折部地区の西にある跋拔(ふみぬき)という集落の公民館へ来ていた。館内には、俊の他に、宮田医院院長、軍の研究員と幹部、そして、この集落の全住人三十三名が集められている。表向きは、最近日本の各地に広がっている感染症の防止薬の摂取であるが、本当の目的は屍人兵生産の実験だった。先日、人を屍人化させるための血液が、ようやく三十四人分できあがったのだ。手始めにこの集落の住人三十三名を屍人化させる計画だ。これに成功すれば、三十三名の屍人からさらに血液を採取し、別の者に投与する。その屍人からさらに血液を採取し投与。これを繰り返していけば、すぐに屍人兵を量産できるようになるだろう。

 

 血の投与は滞りなく進んだ。住人は誰一人疑うことなく――もちろん、仮に疑ったところで神代の意向に逆らうことはできないのだが――血を摂取した。効果が現れるのは深夜だ。俊は一旦住人を家へ帰らせると、軍と共に集落を封鎖し、時が訪れるのを待った。

 

 二十三時を過ぎた辺りから集落が騒がしくなった。各地で悲鳴と怒声が入り混じった声が聞こえる。住人が屍人化し、他の者を襲っているのだろう。やがて銃声も聞こえるようになった。無論、屍人は銃で撃たれた程度では死なない。仮に囚われたとしても、捕えた者もいずれ屍人化する。集落から逃げ出そうとする者もいたが、全ての道を封鎖しているため逃げることはできない。無理に突破しようとする者には容赦なく発砲した。日付が変わる頃には、悲鳴も怒声も銃声も聞こえなくなった。代わりに、獣のような唸り声や、「おんそぱらうんれや」などと意味不明な言葉が聞こえるようになる。全員無事、屍人化したようだ。

 

 集落の外からその様子を眺めていた俊は高らかに笑った。事は順調に運んでいる。あとは屍人を捕えるだけだ。そのまま拘束し血液を採取する予定だが、何体かは、軍に売り渡して戦線へ投入してもいいだろう。屍人兵が戦果を挙げればさらに資金が投入されるはずだ。そして、この実験を成功させた神代家は軍の中枢へ入ることができる。そこからさらに躍進し、軍を、日本を、そして世界を掌握するのも夢ではないのだ。俊は、声をあげて笑い続けた。

 

 その時。

 

 地面から、光の柱が出現した。

 

 俊が立つ場所から少し離れた場所だ。光の柱は夜の闇を切り裂くように空へと伸びてゆく。最初は細い光だったが、伸びるにつれ、少しずつ太くなり、眩しさを増す。それは、どこか龍が天へと帰ってゆく姿を思わせた。

 

 ――理尾や丹……だと……?

 

 手をかざして光を遮りながら、俊は小さくつぶやいた。理尾や丹。聖典・天地救之伝に登場する、災いをもたらすとされる海龍だ。村では古くから何度も目撃されており、歴史書や古い文献にも多く記されている。その正体は定かではないが、神に花嫁を奉げる儀式の直前に現れることが多いのを、神代家の者は知っていた。だが、今は儀式を行う時期ではない。なぜ今、理尾や丹が発生したのだろう。

 

 光はやがて、天へ吸い込まれるように消えた。

 

 そこに。

 

 男が一人、立っていた。

 

 濃い緑の服を着た男だ。顔にはまだ幼さが残っている。十六・七歳ほどだろうか。少年と言ってよい顔つきだが、その目には、若さに似合わぬ強い決意のようなものが感じられる。その背には二本の猟銃が背負われており、腰には拳銃を携えていた。戦時中とはいえ随分と物騒な姿だ。だが、それらの武器よりも、少年が手に持っている物の方が問題だった。鍔の部分にマナ字架が浮き彫りにされている刀。神代の宝刀・焔薙だ。なぜそれを、見知らぬ少年が持っているのか……というよりも、焔薙はいま俊の手に握られている。屍人に襲われた時の用心に持ってきたのだ。焔薙が二本作られたという話は聞いていない。恐らく少年が持っているものは偽物だろうが、普段は神代家の宝物庫に収められているこの焔薙を、どうやって複製したのだろう?

 

「――おい、貴様は何者だ。その刀はどこで手に入れた」

 

 俊は少年に向かって言ったが、少年は俊の声など聞こえていないように、ただ、集落内の屍人を見つめている。

 

 そして。

 

「――お前らみたいなのがいる限り、俺は何度でも現れる」

 

 少年が焔薙を構える。

 

 その瞬間、少年の持つ焔薙の刀身から、青い炎のようなものが立ちのぼった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 比沙子が地下牢から解放されたのは、それから五年後のことだ。日本が戦争に負け、二年ほど経った頃である。

 

 解放された比沙子は、村の者から俊の企みの顛末を聞いた。俊は跋拔の住人三十三名の屍人化に成功したそうだ。しかし、直後に理尾や丹が発生し、謎の少年が現れた。少年は手にした焔薙で屍人を殲滅し、どこかへ去っていったという。これが原因で俊の屍人兵計画は大幅に遅れた。また、戦況の悪化により研究自体が打ち切られ、日本軍は村から撤退したそうだ。

 

 屍人を殲滅した少年が何者であったのか、どこから現れどこへ消えたのか、比沙子には判らない。調べるつもりはない。この村では比沙子ですら判らないことは数多い。調べるだけ時間の無駄だろう。

 

 それよりも。

 

 比沙子が解放されたということは、儀式が近いことを意味している。

 

 今はそちらに集中しなければならないのだから。

 

 

 

 

 

 

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