千年の祈り   作:ドラ麦茶

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まな板の上の赤子

 求導女の(ひさ)は、礼拝堂で夜のお祈りを捧げていた。今日一日を無事に過ごせたことを感謝し、そして、明日の朝を無事に迎えられるよう、神に祈る。一日の最後に行う、重要な仕事だ。

 

 お祈りを終えた久は、寝支度をするため寝室へ行こうとした。

 

 ふと、礼拝堂の隅にある懺悔室を見ると、中に誰かいる。

 

 懺悔室は、罪を告白する者の部屋と、告白を聞く側の部屋のふたつに分かれている。その、罪を告白する側の部屋。椅子に座っている姿が見える。誰だろう? 入口の引幕が降ろされているため、腰から上は見えない。いつからそこにいたのか判らない。初めからいた……ということはないだろう。礼拝堂に入った時は、懺悔を希望する信者がいないか、まず懺悔室を見るようにしている。その時は誰もいなかった。もちろん、礼拝堂にも人の姿は無かった。お祈りを捧げる前、この部屋に自分一人だったのは間違いない。では、お祈りを捧げていて、入って来たことに気が付かなかったのだろうか? この礼拝堂は決して広くはない。いくらお祈りに夢中になっていたとしても、人が入って来て気付かないということはないだろう。そもそも、すでに教会を閉めている時間だ。門と玄関、両方とも、自分が鍵をかけた。いったい、いつ、どこから入ってきたのか。どんなに考えても判らない。

 

 だが、確かにその人は懺悔室にいる。遅い時間だが、罪の告白をしようとしている者を無下に追い払うわけにもいかない。久は、反対側の部屋に入った。

 

 ふたつの部屋は壁で仕切られている。ところどころ格子状になっているが、お互い顔は見えない。向こう側に誰がいるのか、ここに座っただけでは判らない。もちろん、懺悔室に入った者が誰であるのか詮索するのは許されない。一体誰なのか、どうやって入ってきたのかは気になるが、その疑問は一旦捨てる。久は、「(なんじ)の罪を告白しなさい」と、促した。

 

 壁の向こうの相手は、「私は、波羅宿(はらやどり)で漁師をしております」と、言った。声からすると、かなり年配の男性のようである。そして「ここ数日の間、身の回りで、不思議なことがありまして……」と、続けた。

 

 不思議なこと……罪の告白とどうつながるのか判らないが、久は、「続けてください」と促した。

 

 老人は、ゆっくりとした口調で、話し始めた。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 漁師である老人が、いつものように眞魚川で漁をしていると、網に、大きな亀がかかった。

 

 亀は魚ではなく獣にあたるため、食べることは幕府が定める『肉食禁止令』に反する。老人は、亀を川に放した。すると、亀は水面の上に首を出し、「助けていただき、ありがとうございました」と、人の言葉で話し始めた。お礼に、川の底にある水宮殿へ案内したい、と言う。

 

 初めは驚いたが、老人は、亀の申し出を喜んで受けた。亀の背に乗り、川の底へ向かう。川の底にあったのは、それはそれは美しい宮殿だった。老人は、豪華な料理でもてなされた。

 

 だがその料理の中に、まな板の上に人間の赤子が乗せられたものがあった。

 

 老人はその料理を食べずにこっそりと持ち帰ると、村の井戸の中に捨てた。

 

 その翌日。

 

 柴を刈りに山へ向かった老人は、猟師が仕掛けた罠に一羽の鶴がかかっているのを見つけた。不憫に思った老人は、鶴を放してあげた。

 

 その夜。老人の家を、若い娘が訪れた。道に迷ったので、一晩泊めて欲しいと言う。哀れに思った老人は、娘を泊めてあげることにした。空いている部屋を貸し与えると、娘は「決して覗かないでください」と言い、部屋に入った。

 

 深夜。娘の様子が気になった老人は、約束を破り、娘の部屋を覗いてみた。しかし、部屋に娘の姿は無く、代わりに、まな板の上に乗った赤子の料理が用意されていた。

 

 老人はその料理を持って外に出ると、井戸の中に捨てた。

 

 さらに翌日。老人は竹を取りに竹藪へ向かった。

 

 薮の奥まで進むと、竹の一本が黄金色に輝いていた。中に宝物が入っているのかもしれない。老人が鉈で竹を割ると、中には、まな板の上に乗った赤子がいた。

 

 老人は赤子を持ち帰ると、井戸の中に捨てた。

 

 翌日。裏の畑で、飼い犬が吠えていた。

 

 裏に回ってみると、犬は、畑の一角を前足で引っ掻いている。どうやら、ここを掘れと言っているらしい。

 

 老人が畑を掘り返すと、土の中から、まな板の上に乗った赤ん坊が出てきた。

 

 老人は赤子を持ち帰ると、井戸の中に捨てた。

 

 

 

 そんなことが、何日も続いた。

 

 何をやっても、まな板の上の赤子が現れる。何度井戸に捨てても、翌日にはまた現れる。

 

 耐えかねた老人は、求導師に相談するべく、教会を訪れた。

 

 教会の扉を開けると、礼拝堂には、まな板の上に乗った赤子がいた。

 

 老人はそのまま家に帰ると、井戸の中に身を投げた。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 話を聞いた久は、何と答えたものか迷っていた。老人の話はあまりにも現実離れしており、にわかには信じられない。そもそも、井戸の中に身を投げたというのなら、ここにいるのは誰なのだろう。

 

「――こんな話、とても信じられませんよね」老人は、久の心中を読んだかのように、寂しそうな口調で言った。

 

「いえ、そういう訳ではありませんが……」と久は答える。老人の話は現実とは思えない。しかし、現実とは思えない奇妙な事件が起こることは、この羽生蛇村では決して珍しくない。

 

 少し迷った後、久は言った。「話の真偽はともかく、ここは懺悔室です。犯した罪を告白し、悔いを改めるため場所。今の話は、あなたが犯した罪と、どう関係するのでしょうか?」

 

 久は訊いたが、老人は何も答えない。先ほどまでは饒舌に喋っていたのに、急に口をつぐんでしまった。

 

 もっとも、罪の告白をためらうことは、懺悔室では珍しくない。久は、老人が再び話し始めるのを、じっと待った。しかし、いくら待っても、老人は続きを話そうとしなかった。呼びかけてみても、返事がない。気配さえ感じなかった。いつの間にか出て行ったのだろうか? 壁で隔ててあるとは言え、気付かれずに出て行くことなど可能だろうか?

 

 いくら呼びかけても返事がないので、久は仕方なく部屋を出て、告白部屋の引幕を開けた。中には、誰もいなかった。

 

 ただ、そこに誰かいたのは間違いない。

 

 懺悔室の中の椅子は、びっしょりと、水に濡れていた。

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 老人のことが気になった久は、彼が漁を営んでいるという波羅宿に足を運んだ。

 

 集落の中央の広場には井戸があり、そこに人が集まっている。朝は洗い物や飲み水を汲みに来る人たちで賑わうものだが、今日はどうも様子がおかしい。皆、声を潜め、不安そうな表情で話し合っている。何かあったのだろうか? 久は事情を訊いた。

 

 最近、夜になるとこの付近で不気味な笑い声が聞こえる、と、村人は言う。

 

 それは、年老いた男のような声だそうだ。男たちが確認したところ、どうもこの井戸の中から聞こえて来るらしい。

 

 井戸の中と老人――昨日の話と何か関係があるのかもしれない。久は、井戸の底を調べるよう、皆に言った。

 

 さっそく水が抜かれ、井戸の底を調べると。

 

 井戸の底から、老人の遺体が発見された。

 

 長年村で漁師を営んでいた老人だ。そう言えば、ここ数日姿を見なかったな、と、皆、口をそろえて言った。

 

 すぐに医者が呼ばれ、遺体を調べることになった。

 

 遺体の状況を詳しく調べた医者は、老人は溺死であると判断した。目立った外傷はなく、誤って転落したか、自ら身を投げたかのどちらかだろう。誰かに殺された可能性はまず無いとのことだった。

 

 ただ、ひとつ気になることがある。

 

 井戸の底にあったのは、老人の遺体だけではなかったのだ。

 

 そばに、赤子のものと思われる骨もあった。

 

 大きさからみて、産まれたばかりの赤子だ。いつから井戸の底にあるのか、詳しくは判らないが、完全に白骨化していることから、少なくとも死後数十年は経っていると思われる。

 

 さらに奇妙なのは、赤子の骨は腰から上の部分しかないことだ。下半身の骨は、井戸のどこを探しても見つからなかった。代わりに、魚の骨が見つかった。かなり大きな魚で、赤子と同じくらい大きさだ。こちらは尻尾だけで、頭の方は見つからない。

 

 このふたつの骨がなにを意味するのか、医者も、村人も、誰にも判らなかった。赤子が誰なのかも判らない。老人は天涯孤独の身で、子供はいない。老人の子供ではないにしても、この数十年の間、村で赤子が行方不明になったという話は無い。

 

 

 

 

 

 

 ただ――。

 

 この老人は、一度だけ、嫁をもらったことがあるのを、久は覚えていた。

 

 もう、五十年以上も昔のことだ。あまりに古い話のため、このことを知る者はいないだろう。久以外には。

 

 久の記憶では、その嫁とは一年と経たず離縁したはずだ。理由は判らない。それが今回の出来事にどう関係するかも、判らない。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 事のいきさつは判らないが、とにかく老人の死に事件性は無いということで、ひとまず村人たちで埋葬することになった。

 

 大急ぎで葬儀の準備が行われた。準備と言っても、棺と小さな祭壇を用意するだけだったが。

 

 久も、準備のため一度教会に戻ることにした。

 

 帰り道、眞魚川のそばを歩く久。

 

 ふと、川上を見ると、大きな桃が流れてくる。

 

 普通の桃の、何十倍もの大きさだ。それこそ、中に赤子でも入りそうなほどの。

 

 桃は、拾えと言わんばかりに、目の前の岸辺に流れ着いた。

 

 久は、桃に手を伸ばした。

 

 桃は一瞬にして炎に包まれ、燃えながら流れて行った。

 

 

 

 

 

 

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