ある夏の夜、求導女の八尾比沙子は、折部地区で行われた通夜を終え、教会への帰り道を歩いていた。昨日、この地区に住む老婆が亡くなったのだ。老婆は百歳に近い大往生で、悲しみよりも天寿を全うしたことを祝うような通夜であった。通夜振る舞いはどこか宴会のような雰囲気があり、すっかり帰りが遅くなってしまった。
折部から教会へ続く夜道を歩く比沙子。ふと、道端の民家を見ると、女の子が二人、庭の隅に座っている。ここは、恩田という信者の家で、確か、美奈と理沙という名の、小学四年生になる双子の姉妹がいたはずだ。もう日付が変わろうという時刻だ。夏休みとはいえ、子供が起きているような時間ではない。心配になった比沙子は、二人に声をかけた。
「こんばんは、美奈ちゃん、理沙ちゃん」
「あ、求導女様! こんばんは!!」
二人は立ち上がると、ぺこりと頭を下げた。
「二人とも、夜遅いのに、なにをしてるの?」
比沙子が訊くと。
「夏休みの宿題!」
と言って、姉の美奈が画板に乗った画用紙を見せた。
「宿題?」
「そう! 自由研究で、
今度は、妹の理沙が元気よく答えた。
ああ、なるほど、と、比沙子は納得した。月下奇人とは、この羽生蛇村のみに生息する植物である。夏になると深紅を咲かすのだが、特徴的なのは、深夜のわずかな時間しか花を咲かせないことだ。夜、日付が変わる頃に咲き始め、陽が昇る前にはしぼんでしまう。花が咲くのはほんのわずかな時間で、特に子供たちは、実際に開花している姿を見る機会がほとんど無い。だから、夏休みに絵や自由研究の題材にするのは、この村の子供たちの定番だった。
二人の足元には、月下奇人が一本あった。そのつぼみは小さく膨らんでいる。もうすぐ咲くだろう。
「でも、不思議だよね」そう言って、美奈が首を傾けた。「どうして月下奇人の花は、夜にしか咲かないんだろ?」
「そうだよね」と、理沙が頷く。「せっかく頑張って咲いたんだから、もっと長い時間、咲いていればいいのに」
比沙子はフフッと笑って、教えてあげた。「昔はね、かなり長い間、咲いていたの。三日とか、四日とか、長ければ、一週間も。しかも夏だけじゃなく、春から秋にかけて、ずうっと、咲いてたの。温かい年なら、冬に咲くこともあったの」
「え!? そうなの!? すごい!!」目を丸くして驚く美奈。
「そうなの。それとね、今は真っ赤な花だけど、その頃は、真っ白な、雪みたいな色だったのよ?」
「ホント! 知らなかった!!」理沙も驚く。
「でも――」と、美奈。「どうして、今は赤い花で、ちょっとの時間しか咲かないの?」
「うーん。詳しいことは判らないんだけど、花の性質が、変わったのよ」
「性質……?」
「そう。これは、今から四百年くらい昔……美奈ちゃんと理沙ちゃんの、おばあちゃんの、そのまたおばあちゃんの、またまたおばあちゃんが生きていた頃よりも、もっと昔の話なんだけどね――」
それは、江戸の幕府が南蛮国の宗教を禁じ、厳しく取り締まっていた時代。
南蛮国の宗教と酷似していた眞魚教は、幕府より『邪宗門』とされ、棄教――信仰心を捨てることを迫られた。応じなければ、村ごと焼き払い、信者を処刑するという。
求導師と
ただ、これはあくまでも、表向きのことでしかなかった。信者たちは信仰心までは捨てず、胸の内に秘めて暮らしていた。焼き払われた聖画や偶像も、実は事前に用意した偽物で、本物は、村長の屋敷や教会にある地下室に隠された。
村人が信仰心を捨てなかったとはいえ、村は幕府が派遣した取締兵に厳しく監視されている。眞魚教は、偶像やマナ字架に祈りを捧げる習慣があるが、これらの所持は当然禁止されており、破れば厳しく罰せられる。
そこで信者たちは、偶像やマナ字架の代わりのとなるものを使うことにした。
まず使われたのが、月下奇人だ。
月下奇人は、羽生蛇村のみに咲く――それも、村の中央にある眞魚川の中州にしか咲かない、きわめて特殊な花だった。眞魚川の中州には、この地に神が降臨したと同時に天から降って来た巨石・眞魚岩がある。その周辺にしか咲かない月下奇人は、村では神の花とされていたのだ。
月下奇人は、ほぼ一年中白い花が咲き、しかも、花の寿命が比較的長いため、家に飾ったり、持ち歩くのにちょうど良いと思われた。しかし、実際に試してみるとうまく行かなかった。月下奇人は、中州以外の場所ではすぐに枯れてしまうのだ。どんなに水を与えても、一日ともたない。庭先に植え替えても、種を撒いてみても、決して育つことはなかった。これでは、偶像やマナ字架の代わりにはならない。
次に村人が使ったのは魚の骨だった。これは、眞魚教の神が、どこか魚を思わせる姿をしていたからである。
信者たちは取締兵の厳しい監視の中でも、秘かに魚の骨を所持し、夜になると祈りを捧げた。
しかし、それも長くは続かなかった。
祈りを捧げている所を見られたのか、村人の中に密告者がいたのかは判らない。とにかくある日、取締兵に全て知られてしまった。
取締兵の指揮官は、信仰を隠匿していたことを、幕府への反乱を企てていたとし、村を焼き払い、村人たちを処刑する命令を下した。すぐに都から大勢の兵が呼ばれた。村人に抵抗する手段はなく、次々と殺された。村人は逃げまどい、やがて、眞魚川の中州に追い詰められた。中州に渡った兵は、一人、また一人と村人を殺して行った。多くの血が流れ、眞魚岩の周囲に咲く月下奇人の白い花は、真っ赤に染まった。
そこまで話したところで、比沙子は、美奈と理沙が抱きあい、小さく震えていることに気が付いた。こんな夜中に女の子に話すには、ちょっと怖い話だったかもしれない。まあ、夏の夜ということで、許してもらおう。
「それでね」と、比沙子はできるだけ明るい声で続けた。「それからなの。月下奇人が、白い花から赤い花になって、夏の真夜中にしか咲かなくなったのは。でも、その代わり、村の中ならどこでも咲くようになったの」
「ふうん」と、美奈が言った。「不思議な話だね」
「でも、どうして、そうなったのかな?」と、理沙は首を傾ける。
比沙子は、うーんと唸った後、言った。「詳しくは、あたしにも判らないけど、たぶん、殺された人たちの思いが、花に宿ったんだと思う」
「ふーん」
比沙子の話がどこまで理解できたのか判らないが、美奈は、「うん、そうだね」と、笑顔で頷いた。
しかし、理沙の方は、まだ納得していないような顔をしている。「でもあたし、絵を描く前に、図書室で月下奇人のことを調べたけど、どの図鑑にも、そんな話、載ってなかったよ?」
「そうね……すごく昔の話だから、図鑑を書いた学者さんも、歴史の先生も、誰も知らないのよ。その当時のことを書いた書物は、何も残ってないから」
「ふうん。そうなんだ」と、一度は納得したようにうなずいた理沙だったが、また首をかしげた。「でも、どうして求導女様は、それを知ってるの?」
「フフッ、どうしてかしら?」
いたずらっぽく笑った後、比沙子は花を指さし、「あ、ほら。咲き始めたわよ」と、ごまかすように言った。
膨らんでいたつぼみが開いていく。深紅の花弁が、ゆっくりと、放射状に広がった。
「うわぁ、綺麗だね……」美奈が感嘆の声を洩らす。
「うん。すごく、綺麗……」理沙も、うっとりとした目で見つめる。
しばらく花を見つめていた二人だが、宿題を思い出し、慌ててその姿を画用紙に描きはじめた。
比沙子は、胸の前で手を組み。
あの日、言われのない罪により、花のように短い命を散らした信者たちの魂に、祈りを捧げた。