千年の祈り   作:ドラ麦茶

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神の花嫁

 赤い水がとめどなく流れる岩の上で、神の花嫁の身体は、炎に包まれた。

 

 花嫁に苦しむ様子は無い。ただ眠るように身を横たえている。その寝顔は、水鳥の羽毛で編んだ寝具に包まれているように安らかだ。あるいは、子供の頃母親の胸に抱かれて眠る夢でも見ているのかもしれない。

 

 花嫁を包み込んだ炎は勢いを増して燃え続ける。花嫁の身体だけでなく、周囲の大気や、天空さえも焦がす勢いだ。炎は一本の大きな柱となり、燃え続ける。

 

 やがて、花嫁の身体を焼き尽くした。

 

 

 

 

 

 

 炎のそばでは、女と男が、目を閉じ、手を組み、祈りを捧げていた。花嫁の身体を焼き尽くした炎は、その勢いが徐々に衰えていき、霧散するように掻き消えた。

 

 男が目を開けた。炎が消えたのを確認した男は、女に向かって「終わったようです」と言った。

 

 祈りを捧げ続けていた女も目を開けた。炎が消えた岩の上には何も残っていない。花嫁の身体は、骨さえも消えてしまった。岩からしみ出した赤い水が溢れ出ているだけである。

 

 花嫁は神の元へ旅立ったのだ。儀式は、無事に終わった。

 

「これで……良かったんですよね」男が、不安げに訊いた。

 

 女は答えない。これで良かったかどうかは、女にも判らない。

 

 花嫁は、今年十四の歳になったばかりだ。花嫁としては適齢だが、神の元へ旅立つには、あまりにも早すぎる歳である。何事も無ければ、あと四十年は生きられたであろう。その四十年という時を、女たちは奪ってしまった。これで良かった……などと、言えるはずもない。

 

 だが女は、儀式を続けるしかない。

 

 たとえ、花嫁の未来を奪うことになろうとも。

 

 たとえ、花嫁に恨まれることになろうとも。

 

 

 

 神へ花嫁を捧げる儀式――。

 

 この儀式を、女はずっと行っている。はるかな昔……三百年も前から。

 

 女は、三百年の時を生きてきた。その姿は、三百年前の若い姿のままだ。女は歳を取ることは無い。永遠に。

 

 三百年前、空から降ってきた異形の者を食べた女は、不死の身体となった。

 

 空から降ってきた者は『神』で、その身体を人が口にするなど許されない。女は神の逆鱗に触れた。これは、神が与えた呪いだ――女は、そう思っている。

 

 不死の呪いは、女だけにかけられたものではなかった。女の子供も、孫も、子孫も、不死の呪いを受けていた。だが、女の不死と、子供たちの不死には、大きな違いがあった。女は、身体も心も老いることが無かったが、子供たちは、心は不死だが、肉体は不死ではなかったのだ。身体は老い、あるいは大きな傷を負い、やがて滅ぶ。それでも、その心は滅びない。肉体を失っても、魂は残り、永遠に現世を彷徨い続ける。

 

 女は神の逆鱗に触れた。神を怒らせた者は、神の世界へ受け入れてもらえない。女の血を受け継ぐ者もまた、決して、神の世界に受け入れてもらえない。神の世界に拒まれた者は、現世に留まるしかない。故に、女とその子供たちは、永遠に、この現世から離れられない。

 

 これが、女とその子供たちが不死である理由だ。

 

 女はまだ良い。肉体も精神も不死だ。普通の人間として暮らすことができる。

 

 だが、女の子供たちは、完全な不死ではない。肉体は滅び、魂のみが永遠に現世を彷徨う。その苦しみがいかなるものか、女にも想像がつかない。永遠の苦しみ……これほど恐ろしい呪いがあるだろうか。

 

 だが、ひとつだけつ。

 

 その呪いから逃れる方法がある。子供たちが、神の世界へ受け入れてもらう方法がある。

 

 それが、神の花嫁となることだ。

 

 神の花嫁となれば、その罪は許され、神の世界へ旅立つことができる。肉体も魂も、この世から消えることができる。決して、彷徨うことは無い。

 

 この方法が、本当に子供たちのためになっているのか、女にも判らない。神の花嫁になるのは、子供たちが初潮を迎えた時――せいぜい、十四・五歳だ。つまり、子供たちがこの世界で生きることができるのは十数年だけだ。それは、あまりにも短い時間だ。

 

 だが、子供たちが神の元へ旅立つ方法は、神の花嫁になるしかない。花嫁になることを拒めば、その先に待つのは、永遠の苦しみだけだ。

 

 だから女は、神に花嫁を捧げる儀式を、三百年もの長い間続けてきた。これからも続けるだろう。それが、女にできる唯一の贖罪だ。神に対する贖罪ではない。女の犯した罪により、生まれながらに神の不当な呪いを受けてしまった子供たちへの贖罪だった。

 

 この儀式をやめることはできない。儀式は子供たちへの贖罪だが、同時に、神の怒りを鎮めることにもなっている。一度、儀式を行わなかったことがある。もう、百年以上も前のことだ。そもそも子供が生まれなければ呪われることもない――そう考えた女は、血筋を絶つことにしたのだ。しかし、うまく行かなかった。花嫁を差し出さなかったことが神の怒りに触れたのだろう。村は大きな災厄に見舞われ、村人の半数が死んだ。

 

 儀式は続けなければならない。子供たちを永遠の苦しみから救うために。村で暮らす人々の暮らしを護るために。神の怒りを鎮めるために。

 

 神の呪いを、解くために。

 

 神の呪い――。

 

 女は、ときどき思う。

 

 これは本当に、神の呪いなのか。

 

 あの時、空から堕ちて来たのは、本当に神だったのか。

 

 あの時、女は飢えていた。何日も雨が降らず、食糧は底を突き、多くの村人が死んだ。女も、死ぬのは時間の問題だった。神が空から堕ちて来たのは、そんな時だった。

 

 女は、ただ生きるために、空から堕ちてきた者を口にした。

 

 それが、本当に罪なのか。

 

 生きるためにしたことを罪とし、罪を犯した本人だけでなく、その子、孫、子孫にまで永遠の罰を与える――そんな存在が、本当に神なのか。

 

 あれは神などではなく――悪鬼の類ではなかったのか。

 

 女には、判らない。

 

 

 

 

 

 

「――みや子様、そろそろ戻りましょう」

 

 男が、女に向かって言った。

 

 だが、女はそれに応えず、ただ花嫁の消えた虚空を見つめて立ち尽くす。

 

「……みや子様?」もう一度言う。

 

 ようやく、女は我に返った。

 

 だが、男の顔を見て、不思議そうに顔を傾ける。「みや子……それは、誰?」

 

 女の言葉に、今度は男が不思議そうに顔を傾けた。「何を言っているのです? みや子様」

 

 ――みや子……そうか。私は、みや子という名だったか。

 

 女は目を伏せ、小さく笑った。自分の名を忘れるなど、どうかしている。

 

 だが、それも仕方がないかもしれない。女はもう、三百年も生きている。それは、人にとっては途方もなく長い時だ。身体も心も老いることは無いが、疲弊はしていく。いつまで自我を保っていられるのか、判らない。

 

 それでも。

 

「……帰りましょう」

 

 女は顔を上げ、そして、儀式の場を去った。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 女は思う。

 

 私はいつか、全てを忘れてしまうだろう。

 

 自分の名前も。

 

 自分が何者であるかも。

 

 儀式を行う本当の理由も。

 

 自分が犯した罪さえも。

 

 

 

 

 

 

 だが、それでも。

 

 この儀式は、続けなければならない。

 

 犯した罪を償うために。

 

 神への贖罪ではない。

 

 我が子たちへの贖罪として。

 

 罪なき子供たちを、一人でも多く、永遠の苦しみから救い、導くために。

 

 私は、儀式を続けよう。

 

 たとえ全てを忘れても、この儀式だけは続けよう。

 

 いつか私が、私の子供たちが。

 

 本当の『神』の元へ旅立つ、その日まで――。

 

 

 

 

 

 

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