千年の祈り   作:ドラ麦茶

8 / 20
枇杷の樹

 美羽ばあさんは、若いころから村で果物を栽培してきた。

 

 羽生蛇村名産の果物はなんと言ってもイチゴだが、ばあさんは主に桃や柿などの果樹を栽培していた。長年果樹農家を続けてきたため、他にもリンゴやレモンなども栽培したことがあるが、特に力を入れて来たのが枇杷(びわ)だった。ばあさんが育てる枇杷の実は甘みがまろやかで、市場では通常の三倍の値が付くほど評判だった。

 

 ただ、それももう十年近く前の話だ。美羽ばあさんは七十を超えている。まだまだ元気だが、農家を続けるのは体力的に難しかった。ばあさんには子供がいなかったため農地は売却し、今はそのお金と年金で、穏やかな老後の生活を送っていた。

 

 そんなばあさんが、刈割と下粗戸を繋ぐ県道の脇に枇杷の種を植え始めたのは、七十五歳の誕生日を迎えた春だった。

 

「――求導女様はご存じないでしょうが、昔、この道のそばには枇杷の樹が生えておりました。もう、五十年以上も前の話です」

 

 比沙子が声をかけると、美羽ばあさんは種を植える作業を中断し、懐かしそうな声でそう答えた。

 

「夏の前に実をつけるのですが、それが甘くておいしくて、私が子供の頃は、毎年、実をつけるのが何よりも楽しみでした」

 

 だが、そんな枇杷の樹が切り倒された。五十年ほど前――戦時中の話だ。

 

 その頃、村で唯一の病院である宮田医院が日本軍の指定病院となり、さらに、当時北のにあった羽生蛇鉱山の錫を採掘するため、兵隊が多く出入りすることとなった。当時の村は今よりもはるかに閉鎖的で、村に出入りするには獣道同然の細い道しかなく、軍隊が出入りするには不便だった。そこで、軍はまず村の道路整備から始めた。都市部から村へと繋がる道路の整備はもちろん、村内の各地域を繋ぐ道も拡張された。そのため、刈割と下粗戸――当時の地名では波羅宿(はらやどり)間の道端に生えていた枇杷の樹は、すべて切り倒されてしまったのだ。

 

「私はこの道の枇杷の樹に想い入れが深かったため、切り倒すことには反対でした。私と、私の親友の二人で抗議したのですが、お国のやることに逆らえるはずもなく、まして、兵隊さんを村に呼んだのは神代家の意向でしたから。私などが反対しても、無駄でした」

 

 当時のことを思い出したのだろう。小さなため息をつき、寂しそうに話す美羽ばあさん。ばあさんの訴えが軍や神代家に聞き入られることはなく、枇杷の樹は、すべて切り倒された。

 

 ばあさんが枇杷農家を始めたのは、それがきっかけだった。

 

「今の私があるのも、全て、枇杷の樹のおかげです」ばあさんは笑顔に戻り、嬉しそうな声で続けた。「私も老い先短い身。せめてもの恩返しにと思い、こんなことを始めたのです」

 

 そして、小さなシャベルで土を掘り、枇杷の種を植える。

 

 美羽ばあさんが県道沿いに枇杷の種を植えることは、役場にも認められていた。ばあさんの枇杷は果物市場ではかなり名が知られている。ばあさんが植えた枇杷の樹が大通りに建ち並べば、村の観光地になる――役場はそんな風に考えたのかもしれない。この村は昔から閉鎖的で外部の者を拒絶する傾向にあるが、最近はその考えも変わりつつある。村特有の風習や名産品などを村外にアピールし、観光客を呼んで村おこしをしよう、という動きが、少しずつではあるが始まっていた。

 

 かつてこの道に生えていた枇杷の樹のことは、比沙子もよく覚えている。五十年前など、比沙子にとっては昨日の出来事のようなものだ。初夏になると、黄金色の実をつけた樹が立ち並ぶ。それが夕陽に染まる風景は何とも言えない美しさだ。その風景を見ながら、学校帰りの子供たちと枇杷の実を食べることを、比沙子も毎年の楽しみにしていた。もちろん、若い頃の美羽ばあさんと一緒に食べたこともある。ばあさんが種を植えることで、またあの頃のような光景が戻ってくるのなら、比沙子も嬉しい。

 

 しかし、それにはひとつ問題がある。

 

 枇杷の樹は、種を植えて実がなるまでの時間が長い。一般的に、十年以上と言われている。高齢の美羽ばあさんが実がなるのを見届けるのは難しいかもしれない。

 

 そんな比沙子の気持ちに気が付いたのか、ばあさんは、「……まあ、私が枇杷の実を食べることはないでしょうが」と言って笑い、そして続けた。「幸い、枇杷は放っておいても勝手に育ちますから、私が死んでも、いつか実をつけるでしょう。その風景を村の若い者が見てくれるのならば、それだけで、私は満足です」

 

「おばあさん……」

 

「ただ……ひとつだけ、求導女様にお願いしたいことがあります。私が死んだ後、枇杷が実をつけたら、そのいくつかを、私の墓に供えてくれませんか?」

 

 死ぬなんて、そんな寂しいことは言わないでください――とは、言えない。人は老いて死ぬ。それが当たり前のことであり、死なない人間の方がおかしいのだ。

 

 だから比沙子は、「判りました」と、力強く頷いた。

 

 美羽ばあさんは満足げに微笑むと、「さて、今日はこれくらいにして、暗くなる前に帰るとします」と、腰を上げた。

 

「はい。どうか、お気をつけて」

 

「ありがとうございます」

 

 ばあさんは深く頭を下げた。比沙子も教会へ戻ろうとして、ふと、足を止める。

 

 そして、帰り支度をする美羽ばあさんを振り返り「……おばあさんの親友という方は、どうされたんですか?」と、訊いた。

 

「はい?」

 

 顔を上げたばあさんは、比沙子を見て小首をかしげた。

 

「五十年前、おばあさんと一緒に枇杷の樹を切ることに反対したという、親友の方です」

 

 ばあさんは「ああ……」と言って、顔を伏せた。「それが、よく覚えていないのですよ。ある日、突然村からいなくなってしまいまして……子供のころからずっと一緒だったはずなのですが、今では顔も、名前も思い出せないのです。いやはや、歳は取りたくないものですね」

 

「そう……ですか」

 

「どこかで元気に暮らしておればいいのですが……」

 

 ばあさんは、遠くを見つめるような目をして、独り言のようにつぶやいた。

 

 ――あたしはここにいるよ、美羽ちゃん。

 

 喉まで出かかった言葉を、比沙子は飲み込んだ。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 美羽ばあさんが生まれたのは、当時比沙子が住んでいた家の近くだった。人懐っこい性格だった美羽は、小さい頃は、「比沙子お姉ちゃん、比沙子お姉ちゃん」と、常に比沙子に付いて回るような子供だった。比沙子も、美羽のことを妹のように可愛がった。やがて美羽は歳を重ね、二十歳を迎える。永遠に歳を取らない比沙子の見た目と同年代になってしまったが、この村に住む者は、比沙子が歳を取らないことに気付かない。その頃の比沙子と美羽は、同年代の親友として過ごすようになっていた。

 

 だが、戦争がはじまり、村に日本軍の兵隊が出入りするようになると、比沙子は軍に囚われ、宮田医院の地下牢に監禁されることになる。解放されたのは終戦後何年も経ってからだ。美羽はすっかり歳を取り、もう、比沙子のことを覚えていなかった。美羽が悪いわけではない。村全体が、そういう仕組みになっているのだから。

 

 どんなに仲良くなった人も、やがて歳を取り、その関係は変わってしまう。

 

 だから。

 

 千年以上生き、数えきれない人と出会いと別れを繰り返してきた比沙子だが、『生涯の友』と呼べる人は、一人もいなかった。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 その後も美羽ばあさんは、道端に枇杷の種を植え続けた。時折、比沙子をはじめとした村人が手伝うこともあるが、基本的に、ばあさん一人で作業していた。

 

 美羽ばあさんに身よりはない。嫁入りすることもなく、婿もとらず、子供も設けず、ずっと、一人で暮らしてきた。その理由は本人以外判らないが、比沙子には、思い当たることがあった。

 

 比沙子と美羽は、親友として数年を過ごした。当時は年頃の娘らしく、恋の話もした。美羽は当時、ある若者に想いを寄せていたのだ。しかし、その恋が実ることはなかった。若者は、神代家の遠縁の者だったのだ。結婚は家柄がものを言う時代。まして若者は、神代の本家に次期当主として婿入りすることが決まっていた。最初から、かなわぬ恋だったのだ。若者が婿入りした後も、美羽は想いを捨てられずにいたのだろう。縁談の話は何度もあったが、全て断ったようだ。

 

 美羽は、生涯独身を貫き通した。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 美羽は、一年ほどかけて、道端に枇杷の種を植えた。その頃には、最初に植えた種が芽を出していた。

 

 何度か季節が廻った。枇杷の樹は何事もなく、すくすくと育っていった。

 

 美羽が天寿を全うしたのは、枇杷の樹が子供の背丈ほどになった頃だった。比沙子が予想した通り、枇杷の実がなるのを、美羽が見届けることはなかった。

 

 葬儀は比沙子が中心になって行った。身寄りのない美羽だったが、多くの村人が集まり、天寿を全うした美羽を祝福した。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 さらに季節が巡った。枇杷の樹はどんどん大きくなり、やがて、黄金色の実をつけるようになった。美羽が種を植えてから、わずか五年後ことだった。美羽の思いが樹に宿り、通常よりも早く実をつけたのだろうと、村人は噂した。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 美羽の墓には、毎年初夏になると枇杷の実が供えられる。生前の約束通り比沙子が供えているものもあるが、それだけではない。村の少女が供えるものが、多くある。

 

 これには理由があった。

 

 枇杷の花言葉に、『密かな告白』というものがある。枇杷は冬を迎える前に白い花を咲かせ、甘く優しい香りを漂わせるが、花自体は非常に小さく、目立たないのだ。それが、花言葉の由来だろう。

 

 その花言葉がきっかけになったのだろうか。いつの頃からか、美羽が植えた枇杷の樹には、ちょっとしたウワサが広まっていた。冬、枇杷の花に好きな人を思い浮かべながら祈りをささげ、初夏、その花の実を美羽の墓に供えると、想い人に気持ちが伝わる、というのだ。

 

 なぜ、こんなウワサが広まったのか、比沙子にも判らない。美羽に密かな想い人がいたことは、比沙子以外に知る人はいないはずだ。比沙子は誰にも話していないし、恐らく美羽も、生涯秘密にしていたはずだ。

 

 それでも。

 

 今日も、恋する少女が一人、枇杷の実を供える。

 

 身寄りのない美羽だったが、きっと寂しくないだろう。

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。