お昼過ぎ。
ピンポーン、と高坂家のチャイムが鳴った。
「お姉ちゃん出てー」
飛んできた雪穂の声に、居間でゴロゴロしていた穂乃果は億劫そうに文句を飛ばす。
「え〜? 私今日誕生日なんだよー?」
「だからでしょ! じゃなかったら店番変わってあげてないよ!」
「……むう」
それを言われると、穂乃果は弱い。
「まったくもう……雪穂はもっとお姉ちゃんを尊敬すべきだよ……」
ブツブツ言いながら、穂乃果は玄関のドアを開けた。
「はいはー──」
「こんちには、穂乃果」
「海未ちゃん⁉︎」
そこに立っていた人物に、思わず声を上げた。
「ど、どうしたの? 今日練習あったっけ……?」
「いいえ、無いですよ。パーティーも予定通り、夕方からあります」
「だ、だよね」
スケジューリングを間違えたかと冷や汗をかいた穂乃果だったが、そうではないようだ。
それならどうして、と内心首を傾げた穂乃果。
「一足先に、お祝いをしておこうと思いまして。μ'sが揃えば、凛や希が騒がしくなるでしょう? 今の内なら、落ち着いて祝えますから」
そんな穂乃果の心を読んだのか、海未は額の汗を拭った。
やっぱり海未ちゃんは真面目だなぁ、と穂乃果が感心した直後、海未の視線が鋭くなった。
「……ところで穂乃果。私がインターホンを押してから、出てくるまでに少し時間がありましたね?」
「えっ? あ、あー……うん、そうだったかな?」
つい反射的にとぼけた穂乃果だったが、
「全部、聞こえてましたよ」
海未はそんな穂乃果を逃がさない。
「何なんですか、あなたは。せっかく誕生日だからと気を利かせて店番を代わってくれた雪穂に対して、お客の対応までさせるなんて。そもそも誕生日だからといって何でも許される訳ではないんですよそれに穂乃果は今日でなくてもぐうたらしてるじゃないですか今日という特別な日を無意味に過ごすなんて勿体ないとは思わないんですか聞いてますか穂乃果「──もーっ!」
流れるように始まったお説教を、穂乃果は腕をジタバタさせて遮った。
「今日くらいお説教はやめてよ! アイドルなのにシワ寄っちゃうよ!」
ビシッと額を指差してきた穂乃果に、うっと海未は口を閉じる。
「まあとにかく上がってよ。暑かったでしょ? 麦茶持ってくるね」
そういう気遣いはできるんですねと海未は呆れと感心が入り混じった顔で、玄関のドアを閉めた。
冷房の効いた室内。海未は長い息を吐いた。
「お邪魔します」
誰もいる気配はないが、海未はペコリと頭を下げてから靴を脱いだ。
「──いやー、それにしてもいきなり来るからびっくりしちゃったよ」
居間で座って待っていると、すぐに穂乃果がグラスの乗ったお盆を持って現れた。
「唐突なのは穂乃果の専売特許でしたか?」
「そ、そんな事ないもん!」
「ふふっ、冗談です。──雪穂はお店番として、おばさまは?」
「お母さんは出かけるよ。お父さんも何か和菓子作るからって、朝から篭りっぱなし」
「何か……新作の研究でしょうか?」
「海未ちゃん、よだれ出てるよ〜?」
「えっ⁉︎」
慌てて口元を押さえた海未は、ニヤニヤした穂乃果の表情で察する。
「冗談だよ〜」
「穂乃果!」
「さっきのお返しだもーん」
「まったく……」
小さく咳払いした海未は、姿勢を正す。
「一つ歳を重ねたかと思ったら、何も変わらないんですね」
「そりゃそうだよー。誕生日だー、って言われても、結局はいつもと同じでしょ? 今日だけ太陽が西から昇るとか、私だけ二十五時間になるとか、そういうのは無いじゃん」
「当たり前じゃないですか」
「だから、感覚的には何も変わらないんだよね〜。きっと、毎年こんな感じなんじゃないかなぁ?」
グラスの氷をつつきながら変な話をする幼馴染に、
「……穂乃果は、いつまで経っても穂乃果という事ですね」
「……それって褒めてるー?」
「半々、といった所でしょうか? そのまま成長しない方が、穂乃果らしいと思いますよ」
「やっぱり褒めてないでしょ! 穂乃果怒っちゃうよ! 希ちゃん直伝のワシワシしちゃうよ!」
「な、ちょっ……やめなさい穂乃果!」
迫ってきた穂乃果から逃げるように、海未は丸めた背中を向ける。
「誕生日くらい穂乃果を褒めてよ!」
「あなた、今自分でいつも通りと言ったじゃないですか! ……暑苦しいです離れて下さい!」
くっつく穂乃果を、強引に引き剥がす海未。
「ぶー」
げんなりした海未は、心底呆れた顔を向ける。
「どうしてあなたといると、こんなにも疲れるんですか……」
「知らなーい。海未ちゃんがもっと素直になればいいんだよ!」
「意味が分かりません!」
大きくため息をついた海未は、
「……ところで穂乃果」
やや硬い声色で穂乃果の名を呼んだ。
「どうしたの? そんな急に改まって」
「私が今日、ここに来た理由を話してませんでしたね」
「あれ、ちゃんと理由があったんだ」
「当然です。穂乃果と違って無計画ではありませんから」
「む……」
言い返そうとした穂乃果だったが、
「…………」
そういえば今日はゴロゴロしていただけだと思い出す。反撃材料が無かった。
「一度、あなたに確認しておかなければいけない事があったんです」
その口調に、あまり軽い話題ではないと思ったのか穂乃果も座り直す。
「それはですね……」
「う、うん」
流石の穂乃果でも、緊張する。何しろ今日は誕生日なのだ。先ほどから何度も話題に上がっている。
「──宿題は、進んでいますか?」
「…………はぇ?」
「宿題です。夏休みの宿題」
「高校が出した……あの宿題?」
「他に何があるんですか」
「な、なーんだ。海未ちゃんが凄く真面目な顔するから、何事かと思っちゃったよ〜」
アハハ、と笑う穂乃果に、海未も表情を和らげる。
「良かった、ちゃんと進めているんですね」
「いやー…………全然」
「…………穂乃果」
部屋の温度が、少し下がった気がした。
「いや、違うんだよ海未ちゃん! ちゃんとやろうと思ってたんだってば! そしたらμ'sの練習とかあったしお饅頭美味しかったから!」
「あれほど計画的に進めなさいと言ったじゃないですか! どうせ最後になって慌てるんですから!」
「だ、だって──」
「だってじゃありません! 何回同じ事繰り返すんですか! 小学生の頃から毎年毎年!」
「…………」
「やはり、早めに来て正解でしたね。今からパーティーの時間まで、宿題です!」
「そ、そんなぁ!」
「問答無用です! さあ始めますよ!」
自室へ連行される穂乃果。抵抗するが、海未の圧力からは逃れられない。
「うわぁーん! 誕生日にまで宿題なんてしたくないよぉ〜!」
「サボるから悪いんです! さあ遅れを挽回しますよ!」
「海未ちゃんの鬼〜っ!」