幸せ狂の灰被り   作:Needles Island

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 人体が板の間に倒れ込む音。散乱したガラス片。美しい金色の髪を振り乱して苦悶の表情で倒れている女性。その前で立ち尽くす女性に良く似た幼い少女。その手に握られた薄紫色の小瓶。

 それら全てが雷鳴によって姿を変えた。

 物言わぬ死体。酒にまみれるガラス片。落ちてきた酒瓶で頭部に血の花が咲いた女性。その場から逃げ出した少女。地中深く埋められることになる毒の入った小瓶。
 次にその場に人間が現れたとき、その場は悲鳴で満たされた。


幸せ狂の始まり

 その日は雨が降っていた。昔々から使い古されたフレーズ。主に葬式の時に使われるそれは、本日にこそふさわしい。何故ならカレラス男爵夫人ブランチが火葬されたその日であるからだ。母が燃えて灰になる様子を醒めた目で見つめる少女はそう思った。

(全て、上手くいったわ)

 そう内心でほくそ笑みながらカレラス男爵令嬢アシュレイは沈痛な面持ちを隠さない。本当であれば拍手喝采の上で無礼講の宴を開きたくなるほどに浮かれていたい彼女はしかし、それを露見させないために演技を欠かさないのだ。

(そうよ、簡単。演技なんてできて当然なの。だってそういう風に生きてきたんだもの)

 弔問客にもそつなく返答し、未だ幼い彼女を世話するための人物は決まっているのかという問いにはもう既に、と返す彼女を疑うものは誰一人としていない。母を殺したのが、まさかこの十にも満たない少女であるとは誰も。

 その側に付き添ってしかるべき父はいない。今なお激務に追われ、馬車で一時間もかからぬ王宮で血の涙を流しながらこきつかわれているだろう。父は下っ端の役人で、休みを容易に取る権利すらないのだから。忌引きなど効かない程に、革命を終えたこの国は忙しい。

 ひとりぼっちの彼女の完璧な演技はとある女性が近づいてくるまで続いた。その女性は完璧な喪服に身を包み、憐れむようにアシュレイを抱き締めた。

「よく頑張ったわね、アシュレイさん」

「そう、でしょうか……ナターシャ様」

「ええ。だからもう強がらなくて良いの。わたくしのことは母だと思って今だけはお甘えなさい」

 にこりと笑ったナターシャの身体に顔を埋めながらアシュレイは身体を震わせた。誰もが涙を流していると思うだろう状況。しかしアシュレイは泣いてなどいない。

(嘘ばっかり。お母様に死んで欲しかったのはナターシャ様も同じでしょうに)

 それを微塵も感じさせないナターシャにアシュレイは恐怖を覚えただけだ。今後は恐らくナターシャの言いなりにならなければならないだろう。それでもアシュレイは母を殺したかったのだ。

 

 何よりも、自分が幸せになるために。

 

 だからこそアシュレイは母を殺し、ナターシャを後妻として認めるのだ。その先に幸せがあるとわかっているから。二人の連れ子など問題にもならない。何故なら彼女らも同罪だから。アシュレイが捕縛される日がカレラス男爵家の終焉の日だ。

 それを認識していないのが長姉で、認識しているのが次姉というだけのこと。認識していようがいまいがアシュレイにとってはどうでもよく、いざとなれば殺すことも厭わない。

 

 アシュレイ・カレラスは、灰の歌と名付けられた少女は、どうしようもなく幸せに狂っていた。

 

 その日は雨が降っていた。天が泣こうが何をしようがその事実は変えられない。男爵令嬢アシュレイは人殺しで、親殺しで、人の命をなんとも思わない狂った少女であった。




 殺してやった。死んでよかった。だってまともに王子さまと結ばれない身体にしたのはお母様だもの。だから私は悪くない。悪いのは私の人生を奪ったお母様だもの。

 ねえ、そうでしょう?

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